間話 母と子

「私も行きます」


「………は?」


 私がそう言うと、夫は、心底意味がわからないといった顔をした。


「体調に関しては問題ないですし、近接戦闘が出来なくても回復要員としてなら問題ありません」


 ルードを産んで一夜明けた今日。辺境伯領北部にある「魔の森」の外縁部にて、Aランク級のモンスターが多数発見されたという報告が夫の下に届けられた。


 モンスターの発見報告事態は珍しい事でもないし、その後夫がどこで何をするのかも理解していたから、夫と共に前線基地にある討伐軍に参加しようと思い声を掛けた。


「は? 何言ってんだ? お前、昨日ルードを産んだばっかりだよな?」


「はい」


「俺はよく知らねぇがよ、産後は安静にしておくべきじゃねぇのか?」


「それに関しては、強化魔法や回復魔法ですでに問題ありません」


 夫の問いかけに答える。


「………いやいや、そう言う問題じゃねぇだろ。産まれたばかりの子供を放っておくのはどうだ? って話だよ」


 至極真っ当な話をされるも、私の中では結論が出ていた。


「確かに産まれたばかりの子供を放っておくのは母親として失格でしょう」


 私は腕の中にいる息子ルードの顔を眺めながら言った。


「ですが───」


「それに、だ。俺は産まれたばかりの子供の状態なんてあまり知らないけどよ。昨日のは、どう考えてもおかしいだろ?」


「それに関しては私も同意見です……」


「なら!」


「ですが、修道女シスター達や私がおこなった診断の結果は異常なしでした」


「………いや……そう言う話じゃねぇよ。母親は子供の側にいるべきだって話だよ」


「…………」


「それによ、所詮Aランク級だ。上位種や亜種じゃあるまいし、こんな事お前が妊娠してから何回もあった事だぞ? 今更お前がいないからって尻込みするような奴は軍の中にはいねーよ」


「死んだ方たちの数は?」


「は?」


「私がいない間に死んだ人の数は何人でしたか?」


「いや……それは……」


 私がそう言うと、夫は口籠ってしまった。


「確かに、貴方が入れば大抵は問題ないでしょう。ですが、私が従軍していた時の死者の数はどれだけ多くても全体で十数人でした。私が妊娠してから討伐の機会は数回あったはずです。その時に発生した死者の数は何人でしたか?」


「…………………」


「軍の中には、広域回復魔法エリアヒール継続回復魔法リジェネレイトも使える人はいなかったのではないですか?」


「…………………」


「確か、最も優れていた方で大回復メガヒール欠損再生サーフェス位だったのでは?」


「……だとしても、お前は連れて行けねぇ」


「貴方が私とルードの身を案じてくれているのは嬉しいです。でも、私はこの子が産まれた裏側で多数の人が死んでゆくのを見ないふりなどできそうにありません」


「……」


「私には力がある。みんなから『大賢者』と呼ばれるだけの力が。この子ルードに何を残してあげるかはまだわからないけど、この子が笑って過ごせるだけの環境は残してあげたいと思ってるんです」


 私はそう言って、夫に微笑みかけた。


「ルードは誰が見る」


「その為に、いえこの時の為にシャルルさんや乳母の方、専属医もメイドや執事も雇い入れたんではないですか」


「ルードに何かあったら」


「ポーションや万能薬、エリクサーの類は置いて行きますし、病に関する情報も調べておきます」


「ふぅ……確かにお前が来たら死者の数は減るだろう、それは間違いない。だがよ、お前に何かあったら仲間を見捨ててでも俺はお前を選ぶしかねぇんだよ」


 夫は苦虫を噛み潰したような表情で私を見てきた。


「足手まといになるつもりはありません」


「どうしたって付いて来る気なのか?」


「はい」


「………はぁ、何故我慢できない」


「我慢してきました。妊娠中、貴方が討伐に赴く度に歓喜と共に送り出され、帰って来る時は悲鳴と一緒でした」


「…………」


「少なくとも、私が一緒だった頃は悲鳴が街に聞こえるほどのものではなかったじゃないですか」


「仕方ねぇんだよ……」


「えぇ、わかっています。だから今回は、いえ今回だけでも行かせて下さい。少なくとも前回の様に泣いて苦しむ人は減るはずです」


「…………………ルードに、ルードに何かあれば全てを捨てて帰ってこれると約束してくれるか」


「勿論です。私にとってルードが大切なのに変わりはありません」


「護衛を付けて、体調管理に気を付けて砦から出ないと誓ってくれるか」


「……分かりました。それで人々の笑顔が守れるなら」


「絶対に攻勢に出て来ないと言ってくれるか」


「それで、貴方が許してくれるのなら」


「最後にこの場に使い魔を置いて、行きも帰りも馬車の中で大人しくしていてくれ」


「……門から出るときと、帰って来るとき、その時だけは馬を使います。みんなを待っていてくれる人を安心させる為に」


「……その時だけだ。それ以外は認めねぇ」


「充分です。それでは、【召喚サモン】『伝聞蝶メッセージバタフライ』」


 私はそう言って使い魔を呼び出した。


 その間中、夫は何かを我慢するように口を閉ざしていた。


 しかし、夫が何かを言う前に自分の思いを伝えることにした。


「母親として相応しくない行いなのは自覚しています。でも、知り合いが、共に戦った仲間が私の知らないところで死に、私の知らないところで苦しんでいるのを気づかないふりが出来るほど、私の心は強くないみたいです」


 私がそう言うと、夫は驚いた顔して言った。


「いつ……気づいたんだ」


「ルードを産んだ時、祝いに来てくれた方の中にいませんでしたから……」


 自分の頬を涙が伝うのが分かった。


「そう……か」


 夫はそれだけ言うと、私に背を向けた。


「10日だ、10日以内に終わらせる。すぐにこの家に帰って来る。俺たちには待っていてくれる家族が出来たんだ」


「分かりました。死ぬつもりは元からありません」


「ならいい…………せめて、今の仲間だけでも助けてくれ」


 最後の方はほとんど聞こえなかったけど、許してくれたことだけは分かった。


「ありがとう」


 私はそう言って、出て行った夫に向かって呟いた。

 そして、抱いていたルードをシャルルさんに預け、支度を済まして玄関に向かう。


「後、よろしくお願いします。シャルルさん」


 シャルルさんにそう言うと、彼女は柔らかな笑みを浮かべて答えてくれた。


「お任せ下さい。お二人が戻られるまで、ルード様は私が見させてもらいます」


 そう言ったシャルルさんに笑顔を向け、その腕の中で抱かれているルードをひと撫でして詫びる様に言う。


「ごめんなさい、ルード。産まれたばかりの貴方を置き去りにする様な真似をして。今後は気をつけるから、今回だけは許してね……」


 眠っているルードに向けて謝罪にならない謝罪をして、先に出て行った夫の下へ向かう。


 こうして討伐に赴いた私達が戻って来れたのはこの日から7日後の事だった。


 今回の死者は24人。これが多いのか少ないのかは分からないけど、少なくとも、嘆き悲しむ声が街中に響き渡ることはなかった。


 ルードが成長する頃には誰も死なないでほしい、あの子に悲劇が訪れないでほしい、そう思った7日間だった。

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