魔法

 ……ふっ。

 今日も、俺の欠陥愚息が水を吹いてるぜ……。


 目の前の現実から目を背ける様にそんな事を考えてみる。


 これはしょうがない事なんだ。うん。

 だってさ、よーく考えてくれ。

 多分昨日の事になるんだろうけど、俺は生まれたての精霊に善意で魔力を上げた。するとどうした事だろう? あっという間に残っていた魔力を吸い上げられて、俺は気絶するハメになった。

 ここまではいい。体調や成長的には良くないかもしれんが、それはもう過ぎた事だ。今後気を付ければ良いから、取り敢えず精霊が消えなくてよかったと言うべきだ。

 そして、俺はつい数分前に目が覚めた。

 問題はここからだ。

 目を開けたら目の前に顔があった。

 これじゃあ、びっくりしてちびってもおかしくないと思うわ……うん。


「いかがなされました? ルード様」


 自分の蛇口がこうもゆるゆるだとは思いたくもなくて、何処かに交換を要求しようかと再度現実逃避をしていたら、そんな声が聞こえた。


 うむ。おもにあなたの所為で愚息がな……。


「ぁう〜、あ(脅かしたら、駄目)」


 そんな思いを抱きながらも、それに答えるように情けなくも喋れない以上そんな声を発する。


「うふふ、本当に可愛らしい御方」


 花が咲き誇り過ぎて土地が干からびるんじゃないかと思うほどの笑顔を見せる精霊。


 すげぇ好印象。

 イメージにある精霊とは違うけど、創作物の事はもう忘れた方がいいのかもな。物語と混同しすぎて足元を掬われてたら、たまったもんじゃないぞ。


 俺の視界に必ず入る位置で空中に浮かんでいる精霊を見ながら、体を捻って丁度いい位置に頭を置き直す。


 あぁー……。この枕えぇわぁ……。

 前世日本での枕より高品質かも……。


 目に映る精霊の大きさは十センチちょっとと言ったレベルだけど、赤ん坊の俺からしてみれば十分に大きい。


 さて、それよりも魔力枯渇の問題だ。

 熟練値ってのを上げるには、『鑑定』と『魔眼』を一緒に使い続けるのが一番だろうけど、その度にジョビジョバやってたらいずれ病院に担ぎ込まれるような気がする……。

 とすると、やっぱり体外に放出するんじゃなくて、体内に留めた状態で出来る訓練の方が良いな。


 そう思い、魔力の存在を確認してみる。


 ……うん。直ぐに分かる。

 何だろう? 心臓のあたりと臍の少し上ぐらいに力の塊みたいなのがある。心臓の方は、また魔力とは違った感じだな……。

 まぁ、あれだけ捏ねたり伸ばしたり引き千切ったりしてたら、直ぐに分かるのも当たり前か。

 日本に居た頃は合気道なんかで瞑想をした事もあったけど、今やってるのとは感覚が違うな。

 前までの瞑想は気を静めて周囲と一体化するのが目的だったけど、こっちは蛇口を開けたり閉めたりして力の調節をする感じの瞑想だ。


 少し違った感覚に戸惑いながらも、臍の上にある力の塊を引っ張り出したり押し戻したりしながら、血が流れるイメージを元に体中に薄く巡らしたりしてみる。


 あぁー、落ち着くなぁ……。


 ぬるま湯に浸かってるような感覚が全身を包み込む。


 こうして、ただぼーっと出来るのも子供ならではなんだよなぁ。

 この世界の成人が何歳かはまだ分からないけど、いつまでもこんな風にはしていられないだろうから、今の内に満喫しなきゃ損だよな……。


 そうしながらも意識的に魔力を薄く広く全身に広げては縮め、広げては縮めを繰り返す。

 後に、俺はこれが『魔力循環促進法』と呼ばれる『魔力維持』と『魔力操作』における先進的な修行方法だと知るのだが、それはまた後々の話だ。

 今の俺は、ただ自分の魔力に包まれた状態で、うたた寝をしていた。


 これ、循環させるだけなら簡単に出来たけど、一箇所に留めようとするとあっという間に魔力が溜まって危ないかも……。


 手や足の先なんかに魔力を留めてみようとするも、すぐに飽和して破裂しそうになるので、急いで散らしながら循環の方に切り替える。


 まぁ、循環が出来れば十分でしょ……。


 徐々に瞼が重くなってきて、もう限界って所で、部屋の扉がゆっくりと開いた。


「交代の時間よ」


 そう言って入ってきたのは、白黒のロングスカートに頭にはホワイトブリムを乗せた黒髪美人メイドのシャルルさん。


「あら、もうそんな時間かしら」


「えぇ」


 そんな会話を交わす2人。


 俺の知らない間にいつの間にか知り合ってるみたいだけど、精霊もシャルルさんも特に俺に対して思う所は無いみたいだし、仲良くやってくれるならそれに越した事はないよな。

 それより、精霊は魔力を貰うと自我を手にするってあったけど、魔力を吸い取られるちょっと前ぐらいから少し自我みたいなのがあった気がするような……。


 頑張って昨日の事を思い出そうとするが、何しろ気絶する寸前の話だった為、イマイチはっきりと思い出す事が出来ない。


 うーん……。

 ……まぁ、いっか。特に問題無いし。寧ろファンタジーっぽくて良いし。


 シャルルさんと親しげに会話をする精霊を見ながら、ぼーっと考える事を放棄する。


「ルード様は先程お目覚めになられたわ。だから後はよろしくお願いするわね」


 そう言いながら2対4枚の綺麗な銀色の羽を羽ばたかせ、部屋の中を飛び回る精霊。


 精霊の背中って羽なんか付いてたっけ?

 あれ? 羽みたいなのがあるのって、妖精とかじゃなかったか?


 ぼんやりと眺めながらそんなどうでもいい事を考えていると、唐突にシャルルさんが煽るように言葉を被せていた。


「えぇ、心配は要らないわ。眷属たる私が居るのだから」


 その言葉に部屋の空気が凍った気がした。


 あっ────。


 やはり、備え付けられている蛇口は不良品らしい。

 俺の意思とは裏腹に、今日も元気な愚息はオムツに花を咲かせようとしておられる。


「何か言ったかしら? さん?」


 うわぁ……。そこには何も咲かねぇよ、我が息子よ……。

 堪え性のない奴は嫌われるんだぞ……。


 部屋の空気とは真逆に湿っぽくなった俺の愚息は、ビシビシと軋む空気に晒されて急速に萎んでいった。


 まぁ、赤ん坊だししょーがない。

 それより、一辺魔法を使ってみたいんだけど『鑑定』みたいに頭で考えるだけで出来るか……?


 唐突に浮かんだ魔法について唸りながら考えていると、部屋に居た二人はいつの間にかメンチを切り合うところまで進んでいた。


「いい度胸ね貴方。塵も残さず消してあげる」


 そう言い、背後に般若を出現させながらシャルルさんが精霊に凄む。


「あらあら、うふふ。人如きがルード様に造られた存在である私に楯突くと」


 反対に、宙に漂いながら背後に鎌を持った死神を侍らせそんな事を言う精霊。


 しばらく睨み合い、そして……。


「庭に出ましょう。此処ではルード様の睡眠のお邪魔になるわ」


「えぇ、そうしましょう。ついでに言うと、戻ってきてルード様のご様子を見守るのは私になりそうだけど」


 危なすぎる喧嘩をしていた。


「ほざけ、羽虫如きが」


「なにかしら? 乳だけ星人」


 そんな悪態を吐きながら部屋を出て行こうとする2人。


 喧嘩するほど仲が良い、ってね……。

 まぁ、世話をちゃんとしてくれるならお二人さんも好きにやって下さい。


 魔法について色々と考えたかった俺は、二人のその行動を黙認することにした。


 『無詠唱』って付いてるし、俺の場合は詠唱とか無しで魔法は使える、よな……?

 だけど、魔法らしい魔法ってのを見た事が無いから、勢いで使った魔法で家が吹き飛ぶとかはやめて欲しいんだよなぁ。

 やっぱり習うまでは大人しくしとくか?

 ぐぬぬ……! でも、使いたい!

 『魔眼』と『鑑定』も魔法なんだけど、やっぱり『火魔法』とか『水魔法』とかの方が魔法って感じがするし……。


 子供っぽい思考が捨てられず、如何にしてバレないように魔法を使うか頭を悩ませる。


「それでは、ルード様。今しばらくお待ちください。この羽虫を地虫ワームの餌としてからまた戻って参りますゆえ」


 10人が10人見惚れるような笑顔を俺に向けた後、精霊に向かってメンチを切る黒髪の美人メイド。


 対して精霊の方は──。


「5分ほどで戻って参りたいと思います。この調子に乗った年増を処分して参りますので、今しばらくお待ちください」


 これでもかというくらい喧嘩を売っていた。

 そして、剣呑な雰囲気のまま2人連れ立って部屋を出て行く。


 あ、今なら使えるんじゃね?


 シャルルさんが話しかけて来た辺りから二人のやりとりを見てたけど、そのまま二人一緒に部屋を出ていってしまった為、残ってるのは俺だけ。

 これは……チャンス!


 そう思い、体内に存在する魔力を少し、天井に向かって放出しながら心の中で叫んでみる。


 『水球ウォーターボール』!


 すると──。


 想像していた以上に大きい水の塊が天井に現れ──






 ──真っ直ぐ落ちてきた。


 ぶべっ──!


 頭上2m付近から落ちてきたその塊は、赤ん坊である俺の意識を奪うのには充分過ぎた。


 はっはっは。

 あーはっはっは。

 あぁ、くそぉぉぉ………。

 また……か。またなのか……。


 最初は笑って済まそうとしたが、徐々に意識が遠くなって来る。


 きめた……!

 暫く……魔法は、使わない……。

 ………ちょっとぐらいしか……。


 そんな決意を胸に、俺はまた望まぬ眠りにつく。






「「ルード様ッッ!!」」


 絶世の美女二人が扉を蹴散らしながら入ってくる前に、俺は既にびしょ濡れの死に体と化していた。



 ◆ ◆ ◆



 ルード様のお部屋から中庭に出て羽虫精霊と対峙した私は、殺気を隠すこと無く放つ。


 この羽虫には、少しばかり立場というものを教えないといけないわね……。


「あらあら、物騒な。もう少し穏やかに出来ないのですか?」


 微笑みながらそんな事を宣う羽虫。


「あら? ビビっちゃったのかしら? それならごめんなさい。そんなに小心者だとは思わなかったわ」


 ここぞとばかりに私は煽ってみる。


 まぁ、効果の程は期待しないのだけど……。


「はァ?」


 彼女の額に薄く青筋が出来たのが見えた。


 生まれたばかりで、感情の制御が上手く出来ていないのかしら?

 ルード様のお側に侍るなら、如何なる時もポーカーフェイスでいて貰わないと困るのに。


「貴方の様な無駄にでかいだけの人間がルード様のお側にいるのは、教育上よろしくないわね」


 お返しとばかりに、彼女は変な煽り方をしてくる。


 確かに自分のスタイルは世間一般からするとかなり良い方に分類されるだろう事は理解している。

 メイド服の上からでもわかる様な重量感にくびれたウエスト、世の男を魅了するのに申し分のない体躯をしていることは自分でも自覚しているし、そして、必要とあらばそれを差し出すという事も……。


 でも、出来れば初めてはルード様が良いのだけれど……。


 いけない。

 私はかぶりを振って考え直す。


 それをお決めになるのはルード様。

 私はその決定に全力を持って応えるだけ。


 そんな風に考えていると、突然ルード様のお部屋から魔力反応が出た。


 なに──ッ!?


 その瞬間、私は目の前にいる精霊の存在を頭の中から完全に消し去っていた。


「「ルード様ッッ!!」」


 急いで部屋まで戻り、扉を強引に開いて中に入ると、ベットの上でびしょ濡れになって気絶しているルード様がいた。


「ルード様ッ! あぁ、なぜ……」


 侵入者にも敵対者にも気を配ってはいたし、それはおろか、彼女と対峙しながらも部屋の方には常に気を配っていたつもりだった。

 にも関わらず、少し目を離したすきに自分の主はびしょ濡れになり気絶しているという始末。


「あらぁ〜、どこの誰かしら? 挽肉にされたいのは?」


 感情のこもっていない表情で、精霊が言う。


 彼女の言う通りね──。


「とりあえず、もう私はルード様のお側から離れるつもりはないわ」


 彼女が部屋を出る前に私はそう告げる。


 このような失態を犯した私達が言えたことでは無いけど、フォード様達が居ない今、もうルード様のお側を離れるわけにはいかない。


「えぇ、そうしてちょうだい。わたくしは、恐れ多くもルード様に手を出した愚か者の気配を探ってみるから」


 そう言いながら部屋の中、外、と飛び回る彼女。


「申し訳ございません、ルード様。私が私情を挟んだばかりに、この様なおいたわしいお姿になられて……」


 私は自然と涙が出てくるのに気が付いた。


 そして、次はこの様なことを起こさない、と声に出して誓った。

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