糸を繋ぐ

 温かいお雑煮はすすみ、椀の中身が半分になった頃、おせちをつまみながら誠司さんを見た。

 彼の椀の中は空っぽだ。

「お雑煮のお代わりありますけど、いかがですか?」

「ほんま? ちょうだい」

 椀を差し出す誠司さんの顔はほころんでいた。

 なんだろう、この気持ちは。

 誠司さんのこういう顔がもっと見たい。

 彼が喜ぶなら、彼のお母さんの味を覚えたい。

 こんなふうに思ってしまう自分に戸惑いながらも、キッチンに立って、おかわりを入れた。

 椀を誠司さんに渡し、さっきと同じように床に座る。

 お雑煮を食べる誠司さんの姿を眺め、考えていた。

 誠司さんと何か繋がりがほしい。これからも会う理由がほしい。

 今日の朝までは別の彼氏がいたのに、自分の切り替えの早さに自分でも呆れる。誠司さんも、変に思うだろうか。

 それでも、また会いたいと思ってしまっている。

 そして、わたしは思いきって言ってみた。


「あの、よかったら、平日は誠司さんの分もお弁当を作りましょうか?」

「え?」

「ほ、ほら、毎日買ってきた弁当やカップ麺じゃ体に悪いですし」

 言い訳がましいと思いながらも、もっともらしいことを言う。

「そりゃあ、手作りのご飯を食べたいと思うけど、手間がかかるのに作ってもらうわけには……」

「それなら大丈夫ですよ。どうせ自分のお弁当を作ってますから、一人分も二人分も変わりません」

「そんなもんか?」

「ええ。というか、一人分は少なすぎて作りづらいんで、晩も同じものを食べないといけない羽目になったりするんです。なので、食べていただけると嬉しいんですけど、ダメですか?」

「ダメやないけど……」


 そう言ったっきり、誠司さんは黙りこくってしまった。せっかくお代わりした椀にも手をつけていない。

 そんな様子を見ていると、今さらながらに後悔が胸を占めた。

 お弁当を食べてくれ、なんて厚かましいお願いだったかもしれない。


 よく考えたら、会ったばかりの女が毎日お弁当作ると言い出すなんて、気持ち悪いよね。

 今、わたしの作ったおせちやお雑煮を食べてもらってるから、その辺の認識がズレていたかもしれない。

 わたしだって、会ったばかりの男性が毎日のように手作りのお弁当を持ってきたら、背筋がゾゾゾッとすると思う。

 自分のしたことで、恥ずかしくて堪らなかった。穴があったら入りたいって、こういう気持ちか。


「あの、やっぱり――」

 やめます、と言おうとしたけど、言い切る前に誠司さんが口を開いた。

 その返答は予想外なもので、彼はあぐらをくんだ両膝の上に手をおき、「お願いします」と頭を下げた。思わず、わたしも頭を下げ返す。

「こ、こちらこそ」

 誠司さんは頭を上げると、和やかにお雑煮を食べ出した。


 しかし、わたしはそれどころじゃない。

 出会ったばかりの男にとんでもないことを言ってしまったんだ。

 ど、ど、ど、どうしよう。

 考えれば考えるほど、自分への呆れと羞恥心でいっぱいだった。

 どうしてご飯を作ってあげたいなんて、また会いたいなんて、思ってしまったんだろう。


 誠司さんのことは気になっている。それは自覚がある。でも、もしかして、もう気になっているなんてレベルではなく、本気で誠司さんに惚れた?


 いや、そんなわけない。会った日に惚れるなんて、どれだけ惚れっぽいんだ。

 考えを振り切るように、お雑煮を一気にたいらげると、「ごちそうさま」と声をかけて、キッチンへ立った。


 椀を洗い終わり、部屋に戻ると、入れ替わりに誠司さんが立つ。

 それを横目で見ながら、コートを羽織り、かばんをもった。

「誠司さん、ありがとうございました。もう帰りますね」

 誠司さんに一声かけて、彼の横を通る。

 すると、椀を洗っていた彼は水を止めて、わたしを見た。


「送っていくよ」

「いえ、近所ですから大丈夫です」

 断ると、日中ということもあり、誠司さんはあっさり引き下がった。

 靴を履こうとしたとき、不意に忘れ物に気づいた。

「あ、そうだ。余った材料は持って帰りますね」

「おう、悪いな」

「いえ」

 そういう約束だった。誠司さんはここで料理をしないので、置いていても腐らすだけだ。

 冷蔵庫の前まで戻って、そこに置いていた買い物袋を持った。


「お雑煮の汁は残ってるので、よかったら餅を入れて温めて、明日にでも食べてください。餅は冷凍庫に入れてます」

「ああ、ありがとう」

「あと、お弁当は4日からでいいですか?」

 会社によって仕事はじめの日が違うので、確認をとった。

「そやな、4日からでお願いできるか」

「わかりました。朝の7時くらいには持ってこれると思いますが、時間は大丈夫ですか?」

「家を出るのは8時くらいやから、カスミがはよせなあかんってわけじゃないなら、もっとゆっくりでもええで」

「それなら8時前に持ってきます」

 会社はそう遠いわけじゃないので、ゆっくりできるなら、その方がいい。

 最後にまた頭を下げて、部屋を後にした。


 なんとなくブラブラしたくて、自分のマンションを通りすぎ、昨日の公園まで足をのばした。

 昨日は気付かなかったけど、黒っぽい緑の草木に混じって山茶花が赤い花をつけていて、冬の公園も悪くなかった。

 かばんから携帯を取り出すと、電源を入れた。着信の一覧を開くと、やはり健吾の名前が並んでいる。

 今なら、健吾に何を言われたって流されない自信がある。

 わたしは今度こそ本当にきっちり終わりにするために、リダイヤルボタンを押した。


     *


 誠司さんにお弁当を届けるようになってから、瞬く間に日は過ぎた。

 上着が分厚いコートから薄手の春用コートに変わり、わたしはいつものように鼻歌を鳴らしながら駅からマンションまでの道を歩いていた。

 今日もおいしかったと言ってくれるかな。

 お弁当では、誠司さんの反応を頼りに関西風の味付けにチャレンジしていた。

 最初は「懐かしい味がして嬉しかった」と言っていても、心から喜んでいるとは思えないような、曖昧な顔をして空の弁当箱を返していた誠司さんだけど、今では緩んだ頬で「美味しかった」と言ってくれる。


 公園の側にさしかかり、ふと足を止めた。

 花壇には赤、黄、紫などの色とりどりの花が咲いている。それらに心惹かれ、足は公園の土を踏みしめていた。

 こんなふうに公園に立ち寄ることも日課となりつつあった。


 ここは誠司さんと出会った特別な場所。そう考えただけで、色褪せて見えていた公園が輝いて見えるから不思議だ。

 誠司さんに出会った、ごみ箱の側のベンチ。その傍にある葉のない茶色の幹を見上げた。桜の木だ。


「……つぼみがついてる」

 枝の先には、茶色のつぼみが少し膨らんでいる。まだ花びらの色が見えないけれど、咲く日が近いことは確かだ。

 この桜の木につぼみがついたら、と決めていたことがある。

 今がそれを実行するときだ。

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