故郷の味
おせちの一段目には、紅白かまぼこ、黒豆、たたきごぼう、田作り、かずのこ、筑前煮、二段目には卵焼き、さわらの西京焼き、鶏の松風焼き、紅白なます、くりきんとんを詰めている。
本来なら一段目にはコレを入れてって決まりがあるんだろうけど、その辺は適当だ。
伊達巻なんてのも面倒だから、代わりに砂糖たっぷりの甘い卵焼きにしている。
うちのお母さんの作ってくれていたおせちもただの卵焼きで、私はお母さんの卵焼きが大好きだった。
お母さんと同じ味にしたくて頑張ってみたけど、味見した感じではどこか違う。砂糖の量だろうか。
黒豆はさすがに買ってきたものだ。
作ってみたい気もするけど、さすがに時間がないので今回は止めた。
他のものも初めて作るものが多かったけど、料理本を見ながら頑張った。毎日のように自炊をしているだけあって、わりとおいしくできたと思う。
料理は好きだし、健吾の喜ぶ顔を思い浮かべながら楽しんで作ったおせちを、まさか知らない男と食べる羽目になるなんて、思いもよらなかった。
改めて、今、自分のおかれている状況が変に感じる。
誠司さんは、おせちを覗き込んでいた顔をこちらに向けた。
「これ、全部一人で作ったん?」
「ええ」
「うわー、彼氏、もったいないヤツやな。こんなにうまそうやのに食べへんやなんて」
なんて返したらいいかわからず、苦笑いをした。
「いただきます」
誠司さんは手を合わしてから、おせちに付けていた祝箸で卵焼きをとった。
ちゃんと手を合わす人を久し振りに見た気がする。
床に座っているので足はあぐらだけど、意外と礼儀正しい人なのかな。
歳は訊いてないけど、きっとわたしより年上だ。30歳くらいだろうか。
少しの年の差でも、親御さんの教えの違いってものはあるのかもしれない。昔の人のほうがなんでも厳しいイメージがある。
「ん、うまい!」
誠司さんは卵焼きを咀嚼した途端、顔を輝かせた。
その顔を見ると、作ったわたしも嬉しくなる。
次に、筑前煮。
たたきごぼう、鶏、と見ていて気持ちいいくらい次々とおせちは彼のお腹に消えていった。
わたしは食べもせずに、その様子を眺めていた。
「カスミってホンマに料理うまいな。これでもうちょっと薄味なら言うことなしなんやけど」
「え、濃い?」
味見では普通だったけど、冷めて辛くなったのかな。
筑前煮をとって食べてみた。その味はいたって普通。甘辛くて美味しい。辛すぎるということはない。今までの彼氏にだって辛いと言われたことないのに、誠司さんの口には合わないのだろうか。
食べながら考えてるうちに、眉間にしわが寄っていたようで、誠司さんが慌てて、大袈裟すぎるほどに手を横に振った。
「ちゃう、ちゃう、カスミの味付けが悪いんやない。しゃーないねん」
必死になって言ってくれてるのは伝わるけど、その意味がわからなくて、首をかしげた。
誠司さんは苦笑する。
「カスミのせいじゃないって言ったねん。これがカスミの生まれ育った味やろ。俺は大阪育ちやから、どうしてもこっちの関東の味付けは濃く感じるねん。お出汁も効いてないやん」
その言葉がストンと胸に落ちた。
「そっか。関西って薄味なんですよね。お出汁も使って」
「せやな。まあ、おせちは傷みにくいように濃いめの味付けにしてたと思うんやけど、それでもうちのはもうちょっとだけ薄かったねん。俺はそれが普通やけど、こっちの人には関西で食べた飯が味せえへんかったって言われたことあるし、好みは人それぞれなんやけどな」
誠司さんはそう言いながら、寂しそうな顔で笑う。わたしは胸が痛くなった。
気づいてしまった。
彼はこのおせちを食べたいんじゃない。本当に食べたいのは故郷の味。実家のおせちなんだ。
故郷の味なら、どんな顔をして食べるんだろう。
トクンと小さく胸が鳴った。
その顔を見てみたい気が……する。
会ったばかりの人に、しかも、ついさっきまで別の彼氏がいたというのに、こんなことを思うのは変だ。自分で自分に戸惑う。
「関西の味じゃないけど、それでも食べてもらえて嬉しいです。ありがとうございます」
「俺やなくて、彼氏が食べてくれてたら一番やったねんけどな」
「そう……ですね」
眉間にしわを寄せて「重い」と言った健吾の顔を思い出して、わたしは俯いた。
「でも、仕方ないんです。21歳の男におせちは重いんですって。家庭的すぎて、結婚をせかしてるみたいに思われたのかも」
「彼氏、大学生か?」
「はい」
「そうか。遊びたい盛りやしな。彼女がおせち作ったら、ひくんかなぁ」
誠司さんはまた卵焼きを食べながら、首を傾げた。
「俺みたいに32歳にもなった男なら、逆にうれしいんやけどな。一人暮らしが長いから、家庭的な料理も食べる機会少ないねん」
「そっか。じゃあ、今度は誠司さんみたいな彼氏を作ります」
顔をあげて、今度はきちんと笑った。
「なんやしんみりしたし、酒でも飲んでええか。おせちって言えばやっぱ酒やしな」
「うん、もちろん」
「おっしゃあ!」
誠司さんは嬉しそうに片膝を打つと、立ち上がってキッチンへ消えた。
すぐに戻ってきたその左手にはグラスが二つ、右手には一升瓶が握られてる。瓶をテーブルにドンと置くさまを、目を見開いて見た。
てっきり缶のビールかチューハイをもってくると思っていた。酒ってそのまま日本酒のこと?
誠司さんは重そうな瓶を片手で器用に傾けて、グラスに注いだ。
「はい」
「へ?」
透明な液体が並々に入ったグラスを差し出された。
それが何を意味するのかわかり、すぐさま首と手を大きく横に振る。
「わたし、日本酒なんて飲めないよ」
お正月のお屠蘇が大嫌いなせいもあってか、日本酒を飲んでみようなんて思ったことすらなかった。
普段飲むのはチューハイやカクテル、それも甘くてジュースみたいなやつだ。アルコールの味がすると、顔をしかめてしまうほど苦手なんだ。
「まあ、まあ。そう言わんと、一杯だけでも付き合ってや」
グラスを手に押しつけられ、中身がこぼれそうになったものだから、咄嗟に受け取ってしまう。
そのグラスと誠司さんの顔を交互に見る。
にっこり笑った誠司さんに負けて、仕方なく飲むことにした。
とはいえ、ゴクリとなんて飲めないから、ちびりちびりと舐めるように口に含んだ。
舌に広がる辛さに顔をしかめる。もう一度舐めるけど、やっぱり同じ。
しばらくわたしの様子を見ていた誠司さんもお酒をあおった。
「すごっ……! お酒、好きなんですね」
「ああ、うまいやん。酒はなんでも好きなんやけど、今日は正月やからな、正月らしく日本酒や。カスミの作ってくれたおせちは和食ばっかやから、やっぱ日本酒が一番うまいで」
「そんなもんですか」
誠司さんがあんまりおいしそうに飲むものだから、勇気を出して、一口ゴクッと飲んでみると、あまりに濃いお酒の味にびっくりした。辛くて、喉が焼けるようだ。
ビールの苦みもまずいと思ったけど、日本酒はもっと嫌いかもしれない。
お酒の味をごまかすために、急いで甘い卵焼きを口に放り込んだ。ひと噛みすると、すぐに嫌な味が甘さで和らぎ、ホッとした。
誠司さんと一緒においしく飲めないのは申し訳ないけど、こればかりは仕方ないよね。
わたしは小さく息をつくと、早くグラスを空にするために、息をとめて、残りを一気に飲んだ。
次に気付いたのは、頭の痛さだった。ズキズキと締め付けるような痛みを感じる。
枕の位置が悪いのかと、ごそごそ動いてみるけど、頭を動かせば強く痛み、とても寝苦しかった。
息を吐くと、その匂いがすごく臭いことに気づく。
にんにくとは違うこの匂いは、何?
それに、どうしてこんなに頭が痛いの。
頭痛もちではないので、その痛みに違和感を感じる。
痛みでこれ以上寝ることは無理なんだから、起きて薬を飲んだほうがいいと思うのに、目がすごく重くて、まぶたは開かない。
眠い。
寝たい。
でも、痛いし臭いしで寝られない。
さっきからその堂々めぐりだ。動くと痛いのに、ひょっとしたら頭と枕の位置で治まるかもしれないという望みは捨てきれなくて、ゴロンと寝がえりをうった。そのとき、手が何かに当たった。
「イテッ」
「え?」
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