朝チュンではありません

 どこかから聞こえた声に驚き、あんなに重たかったはずのまぶたが開いた。

 ぼやけた視界が広がる。次第に輪郭を形作り、すぐ前に男の顔があらわれた。

 しかし、頭の中には霞がかかったような状態で、思考が定まらない。

 自分の状況がのみこめないまま、なんとなく、その頬に手を伸ばした。ザラリとした感触を指先に感じ、一気に頭が覚醒する。


「な、なんで!?」

 ベッドに手をついて体を起こし、隣で寝ている男を見下ろした。

 男もまだ完全に起ききってないようで、「うーん」とうなりながら、目を擦っていた。


 この人は――誠司さんだ。


 昨日の記憶とその顔が一致する。

 一緒におせちを食べて、勧められるままにお酒を飲んで――そこまでしか覚えてない。

 わたし、寝てしまったの?


 部屋の様子をうかがうと、電灯はついていないのに窓から差し込む光で部屋は明るい。

 昼過ぎに誠司さんと出会って、それから食べていたんだから、何時に寝てしまったのかは覚えてないけど、その日のうちに起きたなら空は暗くてもいいはず。冬は暮れるのが早い。

 ということは、日が明けてしまったのはほぼ間違いない。今は何時なんだろう。


 ベッドの上からぐるりと部屋を見回すと、本棚のマンガの前に小さな青い時計が置かれていた。

 目をこらして見ると、針は9時45分すぎだ。

 いつもよりはずっと早くに寝てしまったはずと考えれば、かなり寝過ぎたのかもしれない。


 それにしても、どうして寝てしまったんだろう。日本酒を飲んだから?

 ……何もなかったよね。

 隣の誠司さんを見ると、彼はグレーのトレーナーを着ているし、わたしも違和感がないから、ただ寝ていただけだとは思うんだけど。

 それでも不安になって、自分の格好を確認してみるけど、服は着ていた。昨日と同じで、おかしいところはない。

 布団から抜け出て、立って全身を見る。

 スカートは少し皺になってるけど、出歩けないほどじゃない。寝相の良い自分に感謝だ。


 一通り確認し終わったちょうどそのとき、物音がして振り返ると、誠司さんが起きていた。

「……おはよう、ございます?」

 語尾が上がったのは、上半身を起こした彼が腰を折り曲げて、掛け布団の上に突っ伏したからだ。

「誠司さん?」

 覗きこむように見ると、「んん」と小さなうなり声が聞こえた。起きたというより、まだ頭は半分寝ているのかもしれない。

 朝に弱いのかな。

 寝ぐせのついた髪を見て、口元が緩んだ。


 それにしても、本当に何もしなかったんだ。男なんていざというときは信用できないと思っていたけど、ちゃんと誠実な人もいるのね。

 心が何か温もりで満たされていく。


 誠司さんを起こさないようにそっと頭を上げると、頭に痛みが走った。こめかみをおさえ、顔をしかめる。

 わたしの動く気配に気づいたのか、誠司さんがベッドの上でもぞもぞと動き、薄く目を開いてわたしを見た。


「……おはよ。どうした、頭が痛いんか」

「ええ。痛みで起きてしまって」

「二日酔いやな、大丈夫か」

「……二日、酔い?」

 これがそうなのか。いつも酔いすぎないようにセーブして飲むので、二日酔いになったことはない。

 ん?

「もしかしてさっきから何か臭いのって、わたし、酒臭いんですか?」

 腕の匂いを嗅いでみるが、よくわからない。

「臭うほど飲んでないはずやけど、水を飲まずに寝たら自分の息が臭く感じることはあるで」

 誠司さんはベッドから抜け出すと、部屋の隅にある棚へ向かった。

 棚に置いていた小ぶりの透明なケースを持って、こっちに戻ってくる。彼は歩きながらケースを開けると、薬の箱を取り出した。

「ほら、飲んでおけや。頭痛薬や」

 箱から2錠出してわたしに渡すと、今度はキッチンから2Lの水のペットボトルとグラスを取ってきて、それらも渡してくれる。

「ついでに水もたくさん飲んどき」

「……ありがとう」

 わたしはベッドに腰かけて、グラスに水を注ぐ。

「昨日は俺も悪かったわ。あんなに酒に弱いと思わんくて」

 それを聞いて、どういう顔をすればいいかわからなかった。

 誠司さんは謝りながらも、その顔は悪いと思っているように見えない。わたしの飲み方に呆れたのかもしれない。

 そう思うと、その謝罪を素直に受け入れるわけにはいかず、首を横に振った。

「ううん。一気に飲んじゃったわたしが悪いし」

「せやな。日本酒なんてそこそこ度数高いのに、まさか一気飲みするとは思わんかったわ」

 そう言う誠司さんは、口では意地悪を言ってるのに、顔は笑っていた。それが幼く可愛く見え、ドキッとする。年上に可愛いっていうのも何だけど。

「に、日本酒なんて初めて飲んだから、どれだけ強いかなんて知らなかったの」

「いや、何も割らずに飲むんだから、それなりに強いってのは想像つくやろ」

「だって、カクテルやチューハイしか飲んだことないし」

 顔を背けて、「もういいでしょ、別に」と早口でまくし立てると、薬を飲んで、水もお代わりをしてごくごくと一気に飲む。


 わたしは年下と付き合っていただけあって、大人っぽい姿よりも子供っぽい姿に弱いのかもしれない。

 誠司さんの、黙ってるときの男くさい外見と、時々見せる子供のような表情とのギャップに驚かされる。

 鍛えられた大きな体だから精かんな印象だけど、よく見れば、切れ長より丸っこい瞳で、童顔なのかもしれない。


「ああ、そういや、カスミの携帯が何度も鳴ってたで」

「え?」

 ドキンとした。

「あ、ありがとう」

 教えてもらったお礼を言って、かばんを探す。

 胸が早鐘のように動く。

 かばんはおせちを食べたテーブルの側で見つかり、携帯を取り出した。

 画面が暗いままの携帯を見つめる。

 着信履歴を見たくない。

 そんな考えが浮かび、そう思ってしまう自分が不思議だった。

 このタイミングで何度もとなると、十中八九、昨日別れた健吾からだろう。もし、健吾のアパートを出てすぐに電話をくれていたなら、今頃は仲直りして、元サヤにおさまっていたと思う。

 一人になることが苦手なわたしは、一言でも謝ってもらえたら折れてしまう。

 健吾のことを好きじゃなかったと気づいても、一人でいることに比べたら、誰かといることを選んでしまうんだ。

 でも、どうしてか、今はそんな気になれなかった。

 元サヤに戻りたくないと思ってしまっている。だから、電話には気づかなかったふりをしたい。

 結局、携帯を開かないまま、かばんに戻した。


「おい、かけなおさんで、ええんか」

 声をかけられて初めて、自分の行動を誠司さんに注視されてたと知り、顔をあげた。

「電話の相手、彼氏か親御さんやろ。何も言わんと泊まったから、親御さん心配してるんや――」

「心配してくれる人なんていません」


 誠司さんを遮ったわたしの言葉は、自分でもかたい声だと思う。震えないように、わざと低く力の入った声を出した。

「両親も親しい親戚もいません。わたしは一人です」

 誠司さんの顔は見れなくて、その後ろを睨みつけるように見ていた。

 それでも、彼が息をのんだと気配でわかった。

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