第7話 海賊の国から来た男達と、空飛ぶオランダ人

 海岸に倒れている2人の男がいた。

 その手は、1枚の板切れにしがみついている。難破船のものらしく、無残に引き裂かれていてもなお、その表面は優美な丸みと艶やかさを残していた。

「大変!」

 ファムが慌てて駆け寄ったのは、魔女には癒し手としての一面があるからだろう。

 だが、タオは不愛想に言い放った。

「やめとけ」

 キッと睨んだファムを、エクスがなだめる。

「タオは意地悪で言ってるんじゃないんだ」

「そういうことにしておきます」

 不満げに尖らせた口が、ふっと緩んで呪文を唱え始める。

 やがて、杖の先が男たちの頭をコン、コンと叩くと、甲高いのと低いのと、2つの呻き声が上がった。「あ、起きたのです」

 しゃがみ込んでその顔を覗き込むのはシェインである。別に心配しているわけではないのは、その眉根に寄せた皺を見ても分かる。

 何だコイツら、という冷ややかな眼差しが、男たちの目覚めを待っていた。

 だが、それをもたらしたのは東洋の可憐な鬼娘の視線ではなかった。

「あ、何か見っけ」

 倒れたひとりの懐から1本の筒を抜き取ったのは、少女盗賊のクラリス・サードであった。

「ダメだよ、返してあげて」

 エクスは止めたが、クラリスは聞かない。

「中見たら返すから」

「そういう問題じゃないんだけど」

 エクスのぼやきも聞かないクラリスも、そこは怪盗、するっと封印を剥がした。もちろん、用が済んだら開封の痕跡を残すことなく、元に戻すことができる。

 ぽん、と筒の蓋が開けられると、シェインも興味深々といった様子で中を覗き込む。

 そこから取り出されたのは、1枚の紙だった。

「何て書いてあるのですか?」

 シェインが小首をかしげると、タオがさっと横取する。

「貸せ」

 そう言ってじっと見つめてはいるが、口はそれっきり閉ざされたままである。 

 シェインが冷ややかにツッコんだ。

「シェインに読めないものがタオ兄に分かるわけないのです」

 それは多分に負け惜しみであったので、レイナはくすくす笑いながら紙を手に取った。

 エクスが尋ねる。

「それで?」

 レイナは答えない。不機嫌そうに紙をくるくる巻いて、クラリスに返した。

 タオが鼻で笑う。

「読めないんだな、ポンコツ姫」

「人のことは言えないんじゃありませんこと?」

 プラチナブロンドの少女と長身の若者が睨みあうのを眺めて、エクスはため息をついた。

 クロヴィスが事も無げに言った。

「持ち主に読ませてやったら?」 

 頭を押さえて首を振り振り起き上がった2人を見ながら、白い鎧をまとったエイダがつぶやいた。

「好奇心は猫も殺す、というぞ」

 クラリスは、目を覚ました男たちの目の前に紙きれをつきつける。漂着者2人は顔をしかめたり目をしばたたかせたりしながら、茫然とそれを見つめた。

 やがて、男たちは悲鳴を上げてのたうち回った。

「どうすんだよ、ロズ!」

 甲高い声が非難すると、低い声が答えた。

「どうにもなんねえよ、ギル」

 そのうろたえようときたら、ファムがまた魔法を使って落ち着かせなければならないくらいだった。

 そこでシェインが男2人に、さっきと同じことを聞く。

「何て書いてあるのですか?」 

 ロズと呼ばれた低い声の男が淡々と答えた。

「この手紙を持っている者の首を刎ねよ」

 ギルと呼ばれた甲高い声の男は泣き叫んだ。

「何で! 何で! 何で! あたいたちが何したっていうの!」

 答えるロズの声は、落ち着いているようで妙に早口である。

「何をしたかと言われれば、何もしていない。そもそもデンマークでは我ローゼンクランツとおぬしギルデンスターンはハムレット王のもとで王子ハムレットのご学友として幼少のみぎりよりお仕えしてまいったわけだが、特に切磋琢磨し合った覚えがあるわけでもない。だいたい此度、イングランドへのご留学に際して王への密書を託されてお供も命ぜられたにもかかわらず、船旅の途中で海賊に襲われたのに王子をお守りすることもかなわず……」

 泣き声の中で延々と続く繰り言に耐えかねたのか、タオがいらいらと叫んだ。

「ハナシ長えよ!」

 だが、その退屈な話をじっと聞いていた男がいる。

「イングランドと申したな?」

 ようやく話をやめたローゼンクランツが、まだ泣き叫ぶを尻目に尋ねた。

「あなたは?」

 答える声は、新たな荒事の予感に震えている。

「マクベス」

 その名を聞いて、ギルデンスターンは泣きやんだ。

「……マクベス! ……スコットランド王マクベス! もう安心だ!」

「会えてうれしいぞ、勇猛なるヴァイキングたちよ」

 持ち上げられている割に、その声は不機嫌である。

 ローゼンクランツもまた、沈んだ声で答えた。

「もし、この男がスコットランド王だとしても、我らの得になることはない。イングランド王への手紙を預かりながら、その敵国の王に助けを求めるというのは、デンマーク王にケンカを売るのも同じこと。我らに帰るところはない」

「それはスコットランド王にお仕えすれば……」

 能天気な声を、不機嫌な声が遮った。

「あいにくと、もはやこの手に王冠はない」

 再びギルデンスターンは喚きだした。

「ど~すりゃいいの~!」  

 ローゼンクランツが、さっきと同じ答えを返した。

「だからどうにもなんねえよ、ギル」

 いつ果てるとも知れない無意味なやりとりに、もともとの「調律の巫女」一行の面々は、うんざりと天を仰いだ。

 唯一の救いは、海岸の空が澄み渡っていることぐらいである。

 その一行のリーダーを自称する男女2人が、同時につぶやいた。

「あれ……何でしょうか」

「何だ、あれ?」

 揃って指さすのは、水平線の向こうから現れた大きな帆船である。

 ただし、それが掻き分けるのは海の青ではない。

 空に浮かぶ白い雲である。

 ファムがその名を、リーダーたちの問いに答えるでもなく口にした。

「……フライング・ダッチマン空飛ぶオランダ人」 

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