第5話 真紅の道化に、『君の名は』……。

「何者!」

 誰何すいかの声も一本調子なモリガンに、まるで歌っているかのように大げさな抑揚をつけた声が答えた。

「といっても名乗れませんがね、契約はこれからですから」

 マクベスの背後のから、ひとりの道化がするりと抜け出してきた。

 その衣装は、燃え盛る城の炎よりもなお赤い。

 軽いステップで歩み寄る道化に、マクベスは吐き捨てるように毒づいた。

「契約? もうたくさんだ」

「私はあの方々ほど悪質な業者ではございません」

 すかさず答えた道化の見つめる先には、モリガンとファムがいる。

「私関係ないし! 業者じゃないし!」

 思わぬ中傷に非難の声を荒らげるファムと比べるまでもなく、モリガンのツッコミはやはり一本調子だった。

「誰が悪質よ、誰が」

 魔女が二人して抗議しても、道化は全く耳を傾ける様子がない。馴れ馴れしくもマクベスの肩に片手を回し、もう一方の手を優雅に波打たせると、降り注ぐ月光の中から、1枚の紙きれを取り出した。

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 カーリーが冷ややかに尋ねた。

「あなたのですか?」

 シェイクスピアは目を泳がせながら考え込む。

「確かに道化は私わたくしのイマジンではありますが……」

 口八丁手八丁、どれほど追い詰められても軽口ひとつで言い抜ける上に、物語の主人公たちをからかい、ときには戒める道化たち。

 だが、この赤い衣装の道化は、明らかに何かが違った。それは、カーリーも気づいているようだった。

「まるで、人の不幸を意味もなく面白がっては更に深みに引きずり込もうとしているかのような……確かに、あなたらしくありませんね」

 身に覚えのない干渉者に困り果てたシェイクスピアを、カーリーは気の毒そうに眺めている。

 だが、二人の謎は、すぐに解けた。

 招かれざる客が1人、会話に割り込んできたのである。

「光が多いところでは、影も強くなるものですからね」

「お前か小僧!」

 その顔を見る前に、シェイクスピアは激高した。だが、振り向いた先には既に、声の主の姿はない。

「あなたは……?」

 髪の色も胸も薄い華奢な少女の前には、銀髪の若者が恭しくひざまずいている。

「お目にかかれて光栄です、お嬢さまフロイライン。私、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと申します」

 シェイクスピアが毒づいた。

「口を挟んでくるのはあの魔女1人でたくさんだというのに」

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 シェイクスピアの憎しみを一身に浴びた魔女モリガンだったが、次元の狭間での囁き合いが聞こえるはずもない。

「邪魔はさせないわ」

 抑揚のない声で言い放つなり、鶏の脚に手を加えただけの簡素なワンド魔法の杖を取り出して振った。

 道化の手にした紙はマクベスの目の前で炎に包まれて燃え尽きたかに見えたが、すぐに元の形を取り戻した。

 顧客となったマクベスに対するのとは真逆の口調で、道化は横柄に凄む。

「同業者ならサービスで勝負するんだな」

 カッとなったのか、ファムが割り込んだ。

「あなたと一緒にしないで!」

 杖の先からまっすぐに放たれた稲妻は、道化とマクベスをぐるっと回避して、術の主に襲い掛かった。

 ファムの口が大きく開かれたが、その声は悲鳴にはならなかった。

 その前に、タオの巨体が立ちはだかったからである。

「蛮勇神話ああああ!」

 魔法の稲妻が、見えない障壁に阻まれて四散した。

 タオが「導きの栞」で、旧約聖書の巨人ゴリアテにコネクトしたのである。

 クロヴィスが肩をすくめた。

「これでしばらくは安全です。高見の見物と参りましょう」

 だが、そうもいかなかった。

 マクベスは道化をおしのけるなり、ゴリアテを召喚したタオにゆっくりと歩み寄る。

「ゴリアテか……相手にとって不足はない」

 エクスの変身したガルガンチュアと戦い損なった鬱憤を、タオで晴らそうというわけである。

 タオの妹がシニカルにつぶやいた。

「シェインたちには大問題なのです」 

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 カーリーは足元の青年をきょとんと見下ろしている。やがて、助けを求めるようにシェイクスピアをちらと眺めたが、知らんぷりを決め込まれた。

「ど……どうも……はじめまして」

 ようやく返事だけはできたカーリーだったが、そのぎこちない物言いからすると、どうやら異性から好意を向けられたことがないようである。

 そこで初めてシェイクスピアが口を開いた。

 ただし、どぎまぎする初心な少女ではなく、女性の扱いに慣れているらしい美青年に。

「その辺にしとけ病人」

 ゲーテは100年ほど時代を違えた大先輩を横目に見て、皮肉っぽく言った。

「人間の最大の罪は不機嫌ですよ」

 シェイクスピアも負けてはいない。

「それなら慢心は人間の最大の敵だ。そしてお前は慢心している。従ってお前は人類にとって最悪の敵だ」

 事情の分からないカーリーは、文豪2人の罵り合いを黙って聞いているよりほかはない。

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 黒幕たちの騒動など、エクスたちは知る由もない。

「僕が出るよ、レイナ」

 細身の剣を手に一歩踏み出したエクスを止めたのは、白い鎧の騎士である。

「やめておけ」

 エイダの低い声に、エクスは言葉を返した。

「相手は強敵です。そして、僕たちは仲間です。1対1じゃなくたって、卑怯でも何でもありません」

 そこへ割りこんだのは、レイナだった。

「確かに、タオのロマンに付き合う義理はないけど」

 一言多かったが、「調律の巫女」は別のことに気付いていた。

「あのマクベスって人、何か間違えてると思うの」

 サードが頷いた。

「それ……なんか分かる」

 それは盗賊のカンとでもいうものであろうか。彼女ならではの読みが披露される。

「どっかのお宅にお宝をいただきに参上してもね、なんか違う、って分かってても勢いで突き進んじゃうときってあるの」

 エイダがゆっくりと頷いて、オチをつけた。

「それは、お縄になって初めて分かることだな」

 背中の鞘に剣を収めて、エクスは白鎧の騎士に問い返す。

「それは……マクベスが自分で気づくしかないってこと?」 

 一同の視線を浴びて、マクベスは大剣を手にタオの眼前へと迫っていた。

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 一方、バックステージの不毛な口論はまだ続いていた。

 若きゲーテは、はかなげに美しい少女を気遣った。

「失礼、この御老体の無礼をたしなめてまいります」

 老人呼ばわりされたシェイクスピアは鼻で笑う。

「無礼はお前も人後に落ちんがな」 

 そこへツカツカと歩み寄ったゲーテは毅然とした態度で告げた。

「病人呼ばわりについては詫びていただきましょう」

 だが、得たりとばかりに歪めたシェイクスピアの口からは、本人の了解なしで明かすべきではない個人情報プライバシーが漏らされる。

「70セブンティで17セブンティーンの恋人がいたお前がそれを言うか」

 ゲーテはさらりと受け流す。

「若くして求めれば、老いても豊かでいられます」

「お前、意味間違えてないか、それ?」

 シェイクスピアのツッコミがどういうことか分かったのか、カーリーは血の気の薄い頬をピンクに染めた。

 ゲーテはというと、そこは法律家としての経験にものを言わせてきっぱり反論する。

「自由恋愛に口を挟まないでいただけませんか」

 ほう、とシェイクスピアは嘲笑する。

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 タオが満面の笑みを浮かべた。

「嬉しいぜオッサンよお……その気になってくれたんだな」

 棍棒を一振りすると、伝説の巨人ゴリアテの力で旋風が巻き起こる。危うく吹き飛ばされそうになったマクベスは、大剣を地面に突き刺して踏みとどまった。

 こちらも不敵に笑う。

「やってみせるがいい。ゴリアテといえど、ダビデに敗れた人の子ではないか!」

 地面を蹴って突進した不死身の戦士の剣を、旧約聖書の巨人が長い棍棒で受け止める。

 その衝撃で、踏ん張ったお互いの踵が地面を削った。

「ロマンだぜ、オッサン……」

「人の身で、聖書に挑めるとはな……これで地獄落ちは決まったというもの」

 睨み合う二人の間に、憎しみはない。むしろ、共感に似たものが交わされていた。

 タオの遥か背後で、サードがうっとりとつぶやく。

「もしかして、男の友情……てやつ?」

 ファムもため息を漏らした。

「熱い……熱いわ……」

 レイナはというと、こういうのはあまり趣味ではないらしい。

「どっちかっていうと、暑苦しいというべきでは」

「シェインも同感なのです」

 固い誓いで結ばれているはずの義兄妹の絆は、意外なところで脆かったようである。

 さて、少女たちの思いは相反するものであったが、その一方はかなわなかったようだった。

 男たちの熱い戦いを無視して、真紅の道化が月光に乗って舞い降りたのである。

「あなたの答えはもう出ています。それならば、私の名前が必要でしょう」

 事態を無言で見守っていたモリガンが、はっと何かに気付いたようだった。

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「お前、親友のエッカーマンとお茶飲んでた時、近所の10歳くらいの女の子が訪ねてきたらしいな」

「うっ……」

 何か思い当たることがあるのか、ゲーテは言葉に詰まった。やがて、苦しい息の中で弁解する。

「……でも、その子はその場で帰った」

 だが、そんなことにはお構いなしに、黒歴史の暴露は続いた。

「ジジイ2人の茶飲み話なんぞ聞いてはおれんからな……さて、エッカーマンの帰り際にお前、聞いたらしいな」

「やめろ」

 血相を変えて詰め寄るゲーテに、シェイクスピアはゆっくりと言葉を紡いだ。

「僕は結婚生活が営めるだろうか……ってな」  

 またもや、その意味することがわかったのか、カーリーは羞恥を隠すかのようにうつむいた。

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「まさか、お前は……」

 災厄の魔女に、道化はにやりと笑いかけた。

「やっと気付いたか、私が何者か」

 タオの棍棒と大剣を交差させながら、マクベスは尋ねた。

「何者だ、お前は」

 その問いを、ゴリアテに変じたタオが遮る。

「邪魔すんな全身タイツ!」

 道化の姿はそう見えなくもないが、本人はいたく感情を害したようだった。タオを一瞥するや、ぼそっとつぶやいた。

「うるさいな、デカブツ」

 その瞬間、タオの変身は解けた。旧約聖書の巨人は去り、普通の人間より一回り大きいぐらいの若者は、スコットランド最強の戦士の振るう大剣に吹き飛ばされた。

 マクベスは、再び尋ねる。

「俺に何をくれるというのだ? 言っておくが、スコットランドの王冠などにもう興味はないぞ」

 道化は、大仰な身振りで契約書を差し出した。

「私、あなたに無限の強敵をお約束いたします。ご了承いただけるなら、あなたの血でサインを」

 2人の魔女が同じことを叫んだ。

「いけない、マクベス!」

 だが、野望ついえた僭王は、大剣の切っ先をするりと撫でて言った。

「よかろう」

 マクベスの指が、契約書の上を滑る。

 ファムが杖を振るった。

「その契約書は……ダメ!」

 突如として、魔法の旋風が巻き起こる。だが、道化がパチンと指を鳴らすと、それは、マクベスから血の契約書を奪うことなく術者を襲った。

「そんな、まさか……」

 呆然とするファムに飛びついて、地面に押し転がしたのはエクスだった。危ない姿勢にうっとりする間もなく、ファムは杖の先で旋風を消滅させる。

 サードが怒鳴りつけた。

「あんたまたドサクサに紛れて!」

 だが、エクスの身体の下になったファムは、言い返しもしない。その目は、契約を終えるマクベスを見つめている。

 道化はうきうきと告げた。

「ご契約ありがとうございまあす」

 もう一方の魔女モリガンはというと、抑揚のない声でつぶやいた。

「そいつの名前は……」

 興奮気味に抑揚の激しい道化の声が、その言葉を引き継いだ。

「私の名はメフィストフェレス。以後、お見知りおきを」 

 それは、叡智に満ちたロリコン詩人ゲーテのイマジンであった。

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