第3話 お下劣巨人と、天から来る声
「生きた……女の……腹から……生まれた?」
シェインが眉をひそめた。
いちばん幼く見えるが、いちばん頭の切れる鬼娘である。それが大きな謎を秘めた挑戦の言葉だということに気付いたらしい。
「それって……」
怪盗アルセーヌ・ルパンの孫だけに、その謎の恐ろしさに気付いたのだろう、サードもまた茫然としていた。
「そういうことだね」
平静を装っているはいるが、ファムの声は震えている。
落ち着いているのはレイナくらいのものであるが、別にそれは失われた王国の姫君というプライドによるものではない。
その証拠に、オチをつけたのは彼女である。
「どうやって? どうやってお腹から生まれるの?」
他の女子一同は、一斉に真っ赤になった。シェインさえもが、もじもじとうつむいている。
それを見かねたのか自分でも照れ臭いのか、地面から身体を起こしたタオが、振り向いて吼えた。
「カマトトぶってんじゃねえぞ、このポンコツ姫!」
スコットランド最強の戦士が目の前で大剣を振りかざしたというのに、他の男連中は残らず知らん顔をしている。
結局、その場で平生を保っているのは、マクベスとレイナだけだった。
雄叫びと共に、大剣が唸る。
「よそ見をするな若造!」
「それが余裕ってもんだオッサン!」
膝立ちの姿勢で地面に立てた棍が、横薙ぎの刃を辛うじて受ける。
だが、パワーが違い過ぎた。
タオの身体は横っ飛びに闇の中を滑る。それを白い鎧の片腕でひょいと受け止めたのは、エイダである。
「止めても聞かず、自業自得というものだが、放ってもおけん」
襟首を掴まれて地面に足を付けてもらったタオは、さっきとそう変わり映えのしない一言で強がった。
「それが男のロマンってもんよ」
クロヴィスがたしなめる。
「不死身の戦士を前に、そんなことを言っておる場合か」
そこで、今まで全く出番のなかった少年をレイナが叱り飛ばした。
「行きなさい、エクス!」
「僕?」
エクスがうろたえている間に、マクベスは他の男たちを正面から押し分けて迫ってくる。
「次はお前か」
大上段に振りかぶった大剣が、唐竹割りに叩きつけられる。
エクスは逃げなかった。背中から長剣を引き抜くと、大剣が降ってくるよりも一瞬早いタイミングで、マクベスの懐に飛び込んだ。
だが……斬り込んだところには誰もいなかった。
ファムが叫ぶ。
「エクス、上!」
巨体を高々と空に舞わせたマクベスが、頭上から襲いかかる。その剣はあやまたず、エクスの脳天を狙っていた。
だが、マクベスは大剣ごと天高く吹き飛ばされた。魔女ファムが、光る力場を炸裂させたのである。
地面に落下すると、憤怒の咆哮が血なまぐさい戦場の空気を震わせた
「おのれ魔女ども! バーナムの森が動いてもなお、予言の成就を見て笑おうという肚か!」
動くはずもない森は、かつてマクベスの勝利を約束していた。だが、今、森が動いている以上、その自信は正反対のものに転落しようとしていたのだろう。
その心の隙を、レイナは待っていたようだった。
「エクス! 導きの栞!」
言われるままに懐から引き抜いてみれば、そこには「ワイルドの紋章」が輝いている。
それは、あらゆるものへの変身を約束してくれる、他の物語へのカギだった。
エクスは栞を「空白の書」に挟む。
何者でもない自分そのものである「書」は、「栞」の力によって、ある人格を宿した。
「呑みたあい! 呑みたあい! 呑みたあい!」
生まれたばかりの赤ん坊のような泣き声を立てたのは、エクスである。
余りの下品さに、いわゆる
「いきなり何言いだすの!」
だが、そんなことでエクスに憑依したおとぎ話の英雄ヒーローは止められはしなかった。
血なまぐさい戦場の風が一瞬にして、強烈に甘酸っぱい匂いに満たされる。
シェインが呻いた。
「
それは、日本語を知る者にしか理解できない。それが泥酔した者の吐くゲロの臭いであることも子どもには理解できまいが、それはそれで幸福というべきだろう。
ファムがつぶやいた。
「巨人……」
鬼娘や巫女には見えなくても、魔女には見えるものがある。今、エクスの身体を満たしているのは「導きの栞」が召喚した、どこかのおとぎ話の主人公なのだ。
「ふ~ううう!」
エクスは、その優しげな顔に似合わぬ下品な溜息を一つ着いた。その酒臭さに、若いタオやクロヴィスはおろか、割と老成したエイダでさえも足をふらつかせる。
いや、悠然と構えている者が1人いた。
マクベスである。
大剣をまっすぐに構えると、満足げにつぶやいた。
「ダビデが倒したゴリアテも、かような巨人であったろうか」
どうやらこの男にも、魔女と同じものが見えるらしい。
地響きを立てて突進してくる戦士の剣を、エクスは長剣の一閃で跳ね返す。まるで見えない障壁に対するかのように、マクベスはその場で踏みとどまった。
だが、圧倒的なパワーを発する割には、エクスには緊張感のかけらもない。
「……どうも、呑みすぎるとケ(P)の穴の締まりがゆるくていけねえぜ」
本人の意思に反して、お下劣ワードは次々と繰り出される。
「ショ(P)ベンが近いよりましか……俺の股間の(P)(P)(P)はそれほど慌てちゃいねえよ」
それに耐え切れず、真っ先に耳を塞いだのはファムであった。
「イヤあああ! 私のエクスがそんな! そんな! そんな!」
不規則発言に猛然と抗議したのはサードであった。
「どさくさに紛れて何言ってんのよ、ちょっとシンデレラに似てるからって!」
かつて過ごしていた「想区」で初めて恋した相手の名前が出ても、エクスは全く動じない。むしろ、ムキになったのはタオだった。
「この非常時にナニ言ってんだ色ボケ女ども!」
シェインが冷ややかにツッコんだ。
「男のヤキモチはみっともないのです、タオ兄」
そこへ、他人事のようにクロヴィスがぼやく。
「レイナ殿に妬いてもらえないのが残念なところだな、エクス殿も」
各々の思わぬところで交錯しはじめた恋模様に、超然とした態度を取っていたのはマクベスとエイダくらいのものだった。
大剣を手にした不死身の戦士は、突然、横に跳ねた。それが意味することを、白騎士はあっさりと看破した。
「死角を狙うか」
いつもは俊敏なエクスがそれを見送るしかなかったのは、やはり別の何者かが憑依しているからだ。
それが誰なのか真っ先に気付いたのは、「調律の巫女」として多くの「想区」を渡り歩いてきたレイナだった。
「ガルガンチュワ……?」
巨人ガルガンチュワ。
生きた女の耳から生まれた男。
その母親はある国の王妃で、たいそう美しいが、大柄な女性であったという。その巨体には酒をどれだけ満たしても足りず、夫たる王は宴に出るのを禁じていた。
だが、よく発酵した臓物料理の匂いに耐え切れず、母親は妊娠中だというのに酒席に出た。臓物料理をツマミに飲むわ食うわ、腹の中のガルガンチュワは大いに閉口したらしい。
酒の臭いと料理の発酵臭に、どこへ逃げようにも生まれる前では行く先はおろか出口もない。やむなく、ガルガンチュワは上へと逃げ道を求めた。
耳へ……。
その後どうなったかは、見ての通りである。
エクスは、憑依された相手の放つ一言を自ら口にするのが恥ずかしくてたまらないのか、涙と鼻水で顔をべたべたにしながら戦っている。ただでさえノロくなっている動きは余計にトロくなり、ごつい身体に似合わぬ敏捷さで駆けまわるマクベスに翻弄されるしかなかった。
その大剣が命中しないのは、ひとえに巨人の圧倒的なパワーがバリアーとなっているからである。だが、エクス本人はともかく、「導きの栞」に招かれたガルガンチュワはスコットランドを支配下に置いた暴君がうるさくて仕方がないようだった。
「ハエがぶんぶんとうるせえな……」
言うなりエクスは、剣を投げ捨てる。タオが叫んだ。
「ダメだ、逃げろ!」
襲い来る大剣から仲間をかばうかのように、エクスは両手を広げて仁王立ちになる。ファムが絶叫した。
「やめてエクス!」
命懸けの行動を止めようとするその言葉は、次の瞬間、別の意味を持った。
空になった両手をズボンに賭けたエクスは突然、マクベスに背を向けたのである。
白騎士エイダは茫然とした。
「いったい、何を……」
そこでエクス……いや、ガルガンチュワは咆えた。両手が一気にズボンを押し下げにかかると、腰が後方の敵に向けて突き出される。
「くらえ、ゴールデンスマッシャ……」
必殺技の名前と共に、噴射されるべき黄金の濁流もまた食い止められていた。そこには、ズボンのままの尻をマクベスに向かって突き出した、エクスの身体と交差する華奢な影がある。
レイナだった。
その杖の先は、身体を二つに折ったエクスの
仲間の口を借りたお下劣巨人ガルガンチュワの放言に耐えていた姫君は、最後の一線を超えんとする醜態を、身をもって止めたのだった。
エクスの目から、とめどない涙がこぼれた。
「ありがとう……レイナ」
そこに昏倒した少年を見つめる一同の間を、敵も味方も構わず、しばしの沈黙が支配した。
真っ先に我に返って口を開いたのは、タオである。
「このポンコツ姫……なにパーティアタックやってんだ!」
同士討ちを身内に非難されて、乙女の怒りに震えていたレイナもその場で頭を冷やしたようだった。
「いっけない……つい」
どうにもできない気まずさに困り果てる一同に助け舟を出したのは、よりにもよって敵将マクベスだった。
「次は、誰だ? 俺は誰の挑戦でも受ける」
「しゃらくせえ……」
そう吐き捨てたタオだったが、「導きの栞」で
マクベスの背後で、丘の上の城に火の手が上がった。それと同時に、闇の中からけたたましい哄笑が聞こえてくる。
このどさくさが終わったら
戦に勝って負けたなら
きれいは汚い、汚いはきれい
あの荒れ野には、もう来るでない
マクベスは逆上した。
「あの魔女ども!」
エクスたちに背を向けて駆けだそうとしたとき、空がにわかに明るくなった。
雲が晴れて、月が出たのだ。
燦然と降り注ぐ光の中で、さっきの禍々しいのとはまた別の声が聞こえてくる。
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