せっかくだから三人称で書く

『エッセイで個人の手法を書いていけない事はあるまい』

という事で、考えをまとめる為にも、ちょっと書き出してみます。

 主に一人称で書くか三人称で書くか、という話です。

 一人称で書いてみた場合、

『語り手のみの視点を描くべきだ』

と考えていたのですが、何年か前から、ラノベに限らず、一般小説でも堂々と途中で三人称で描かれたりしていて、初見ではそれが衝撃でした。一人称での複数の視点切り替えではなく、唐突に三人称描写なのです。

『一人称は語り手以外の行動が分からないのが、書いている側からすれば話を作る上での面白味であり、読者からすれば

『その頃、この人は何をしていたんだろうか?』

と考えさせる楽しみとしてのポイントなんじゃねえのかよ。

 これなら三人称で書けばいいだけの話じゃねえか』

と思いました。

『一人称で描かれている限り、語り手が行動している範囲以外からの情報は、あくまで伝聞とかでなければならない』

と思っていましたし、

『そこが面白さで、サスペンスの要素もはらんでいるんじゃないか』

と、かたくなに信じていたんですね。

 で、三人称ですが、これは一人称では様子や発言からしか描写出来なかった、読者からすれば察する事の出来なかった登場人物のそれぞれの内面や行動を、それぞれの視点で直接、深く描く事が出来ます。

『そこを描きたいなら三人称が断然オススメであり、ルール的にもそれを順守すべきじゃないかな』

と感じていました。

 一人称で視点変換のタイプが出て来て、しばらくしてから考えた事は

『これは読者だけが知っている情報を増やす為の手法なのかな?』

という事です。漫画のそれに近いと思います。漫画でしたら、基本的なルールは同じとしても、誰の視点になろうと自由ですからね。

 つまり、

『読者を楽しませる事を考えている』

という意味では、その手法はありなのでしょう。

 読者の脳裏にイメージで訴えかける意味で、また、読者になった時に書く上でのルールを知らない、もしくは重きを置かない人にとってもこれはどうでもいい事です。

 お話として面白ければ、文章上の、創作上のルールとしておかしくても、それは正義。売れれば更にそれは支持されるでしょう。

『これは無視出来ない程にはでかいな』

と思います。

 ルールとして見た場合、すごくもやもやするけど。

 しかし、突き詰めた結果、

『これが出来ない奴は話を書く権利はない(何かでデビューさせない)』

という話になったら、そこは作品を書いて戦うしかなさそう。


 私の場合、

『地の文に登場人物の行動以外の部分を語らせる割合が大きいと、セリフが恐ろしい程に減ってしまうから、それは避けねばなるまい』

と考えます。勿論、シーンとして地の文に様子を語らせる必要がある時はそうしますが、

『登場人物の魅力を描くには、行動以外では、当人のセリフや思考での表現を怠ってはならんのではないか』

と、好きな作家さんの映像化作品を見ていて思いました。

 その作家さんは、今ではかなりのベテランの方で、アニメ化も何本かされている人です。作家としての活動年数と作品数から、そろそろ大御所の域になるはずだ、と見ています。

 しかし、アニメ版が映像作品としてバッチリだったのか、と言われますと、そこはあっさり頷けない出来でした。例を挙げれば、文庫本数冊分の濃度を全10話~12話で描き切るという壮絶さです。ラストは勿論ものすごい勢いで巻いて行きます。

 媒体の違いや尺の違いは無論あります。が、アニメで原作を知り、本を買ってみると

『あれ、内容が全然違うじゃないか』

という事がしばしば。

 比較しますと、原作の方が起承転結的な意味でも、バリバリに濃厚に物語している。

『これぞ物語、作品だ!』

というくらいに密度が違うのです。

 アニメにするにあたって内容を再構成した、という事ではなく、

『原作のインパクトの強い部分をアニメ版の脚本に組み込んだ』

というくらいに違います。なので、原作読者としては

『あれであの作品を分かったつもりにならないで欲しい』

と言いたくなってしまうくらいには違うのです。

 何故かなあ、と思って、素人なりに考えてみました。

 どこをバッサリ切るか、きちんと描くかは勿論、その作家さんが描きたい、そして要求された作家としての個性がある訳ですから一概に言い切れませんが、

『ここかな?』

と思ったのは、キャラクターの行動のほとんどを地の文で描写しているという事でした。台詞少なめ。誰かと相談するシーンも、ほとんど地の文で描写している。

 文章で読むとその作家さんはそれも含めて個性であり、売りです。が、それは、アニメの放送話数に組み込むには、密度が濃厚過ぎたのでは、と感じました。

 そこで、私はルールを考えました。

『三人称で描く場合、必要な登場人物のセリフや思考は当人にやらせる』

というルールです。

 頭の中で映像として出来上がっているそれを、如何に読者にもイメージとして訴えつつ、文章として盛り上げつつ描くか。

 私にとってはとても難しい事ですが、やり甲斐があり、昔に比べて多少は書きやすくなったかなと思います。


 一人称での描写は、短編で用いる事が多い気がしますね。

『語り手の知らない情報が徐々に明らかになって行く』

というサスペンス要素を強調したいからかもしれません。短編はそれが強みだと思います。

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