第3話 謎
高坂コウが教室で、心臓を抉られて死んでいる――。
クラスメイトたちはその事実を、高坂さんの遺体を、見て見ぬふりしているわけではない。彼女の遺体が見えていないのだ。
高坂コウの死を目の当たりにした約十分後、ミチルはそう結論づけた。授業を行うために教室にやって来た教師が遺体に言及しなかった、というのがその根拠だ。
僕以外の人間に高坂さんの遺体は見えていない。
なぜ僕だけが見えるのか? なぜ僕以外の人間には見えないのか?
学校にいる間、学校から帰っている間、自宅で過ごす間、疑問の答えについて考え続けたが、謎は解けなかった。
*
翌朝、登校すると、高坂コウは昨日と同じ場所、同じ姿勢で横たわっていた。
クラスメイトや教師が遺体を認識しないのも昨日と変わらない。
遺体の外見に変化は認められないが、昨日はしなかった腐臭を微かに感じる。腐臭がするようになったからには、高坂コウは腐っていくに違いない。
嫌だ。
ミチルは眉をひそめて心中で呟く。臭いからではない。醜いからではない。高坂コウという一人の人間が、誰からも見向きもされずに無に近づいていくこと、それが嫌で堪らなかった。
できることならば、然るべき場所に埋葬してあげたい。
とはいえ、女子といっても人間だから、体は重たい。透明な重たいものを背負って移動する様子を見て、周りの人間は僕のことをどう思うだろう。それに、どこに埋葬すればいいのか。
ミチルは途方に暮れた。ひとまず自席に着き、授業に必要になるものを机上に並べ始めた、その矢先だった。
「虎だぁっ! 虎、虎、虎ぁ!」
教室にいた生徒たちは、大慌てでマントを被ってしゃがんだ。半歩遅れてミチルも同じ体勢を取る。
覗き穴から左手を窺うと、相変わらず高坂コウの遺体が横たわっている。こんなにも近い距離から高坂コウを眺めるのはこれが初めてだ。見開かれた双眸、半開きの口、抉られた心臓……。
グロテスクな窪みを凝視した瞬間、ミチルは思った。
高坂さんは誰に殺されたのだろう?
――虎。
状況が状況だけに、真っ先にその可能性が浮かんだ。
だが、虎はこれまで、殺した人間を食べなかったことは一度もなかった。それに、左胸以外に傷を負っていないのもおかしい。虎に襲われれば、恐怖に体が竦んだとしても、生存が絶望的だと理解していたとしても、多少なりとも抵抗するはずだ。それなのに、噛み跡も引っ掻き傷も残っていないなんて。
虎ではないとしたら、誰が高坂さんを殺したんだ?
やがて虎が中庭に引っ込んだという報告の声がどこからか聞こえ、一同はマントの内側から体を出す。
高坂さんはマントを被っていないのに、虎はなぜ、高坂さんに気がつかなかったのだろう?
優れた嗅覚を持ち、空腹に苛まれているにもかかわらず、虎が遺体に気づけなかったのは、遺体を食べなかったのは、僕以外の人間と同じく、高坂さんの遺体の存在を認識できなかったからに違いない。
人間といい、虎といい、揃いも揃って、高坂さんの遺体を認識できないのはなぜなんだ? なぜ僕だけが認識できるんだ?
*
二つの謎について思案するミチルの日々が始まった。だが、答えはおろか、手がかりを掴むことさえできない。懊悩している間にも時は流れ、高坂コウは順調に腐っていった。日に日に体は黒ずみ、崩れ、腐臭は強まる。死後十日が経つと、見た目からは人間だとは分からないほどになった。
何か行動を起こさなければ。高坂さんを救ってあげなければ。
思いは日に日に高まっていったが、謎と同じく、いかにすれば高坂コウを救えるのかは一向に分からなかった。
*
思案に思案を重ねた末、ミチルは虎に会いに行くことにした。
高坂コウの遺体はなぜ、ミチル以外の人間には認識できないのか。遺体をどう処理すればいいのか。これら二点についてはともかく、問い質しさえすれば、虎が高坂コウを殺した犯人か否かだけは明らかになると考えたからだ。
虎に相対すれば、自らの命が損なわれる可能性が極めて高い。それは百も承知だったが、他に方法が思いつかないのだから仕方がない、と腹を括った。
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