第4話

「で、ロイさんってどんなひとなんスか?」


 仕事中、不意に顔を上げた村上が、突然そんなことを問いかけてきた。その時ちょうど茶を飲もうとマグカップを口元に持っていった朱音あやねは、あやうくふき出すところだった。

 気管に茶が入って咳き込む。

「何やってんスか?」

 汚いものを見るように、朱音を一瞥する。自分のせいだとは少しも思っていない。

「な、何なの、突然?」

「いや、この間そんな話をしていたなーとか思い出して」

 雑談をしながらも、手先が動いている。

 憶えている。小ぎれいになったとか、それは彼氏が出来たからだろうとか、言いたい放題言われたから。

「もう付き合ってるんスか?」

「はっ?」

 素っ頓狂な声で反応したものの、周囲にちょうど人がいないことを確認してから、素直に首を横に振ってしまった。

「あ、片思いっすか」

 また素直に首を縦に振る。

(な、なんであたし、ちゃんと答えてるの?)

「へえ……なんかいいっスね」

 村上はパソコン画面を見たまま、そう言った。口角を上げているということは、微笑んでいるらしい。

「いいって……何がよ?」

「恋してるって、いいじゃないスか」

(へえ!)と驚いた。この派手な成りの若者は、「恋はいい」だなんて、おじさんのようなことを言うんだ!と。

 だが。

「あ、あんまりそういうことを仕事中に訊かないで」

 つい小声になる。

「何で?」

「何でって……」

 この青年は、どうやらそういったところで無頓着らしい。

「いいじゃないスか。どんなひとなんスか? 年下ですか? 年上?」

「えっ……と、年上……」

「へえ。結構年上とか?」

「そ、そうね……」

 気がつけば、尋問されている。

(何であたしは素直に答えているの……?)

 と、再び思う。

「仕事は何してるひとなんスか?」

「えー? そこまで訊く?」

「いいじゃないスか。ひとに話せない仕事とかじゃないんでしょ?」

「ひとに話せない仕事って何よ? そりゃあね……えっと、喫茶店経営……」

「へえ。なんかベタな感じするっスね」

「何よ、ベタって」

「田中さんちの近所っスか?」

「……そうよ」

「駅前の喫茶店……チェーン店じゃないっスよね?」

「え?」

 いやな予感がした。

「昔ながらの喫茶店といえば、北口の“みやび”と“珈琲華”。あと南口に“Juke B ox”と……」

「あっ、あっ、えっ?」

「“雨の海”?」

「!」

 忘れていた。

「忘れてたんスね? おれら、最寄り駅が同じってこと」

 ニヤリと朱音を見る。

(あ、ダメだわ。ばれた)

「あそこだけ、行ったこと無いな。おれ、チェーン店じゃないサ店好きなんス。今度、仕事帰りに連れて行ってくださいよ」

 たのしそうにそんなことを言う。しかし、本気かどうかは読めない。

「い、いいわよ?」

「おっ、余裕っスね」

 年上ぶってみるが、すぐに見透かされる。

(か、かわいくないわね!……ん?)

 その時、スマートフォンにメールが届いた。朱音はそれを手に取って、誰からかを確認した。

(――あ)

 思わずため息。

「どうしたんスか?」

 村上が訊いてくる。ロイさんについては結局白状してしまったが、こればかりは話す気力が無い。

「何でもない」

「てことは、愛しいカレシじゃなかったわけっスね」

 彼はそう言って、パソコン画面に向かって集中し始めた。キーボードを叩く音が、若干激しくなる。

(しつこく訊かれなくて、よかった……)

 恋の話以外には、興味が無いということか。朱音にとっては、ありがたい反応だった。

 朱音はまたスマートフォンの画面を見た。

“清美”

 自分の母親。舌打ちしたい気持ちを押し殺しながら、メールを開ける。

『カレピとバリに行くことになったのー。お餞別、ヨロシク!』

 文字よりも、絵文字の方が倍以上多い。

 鬱陶しい。

(なーにが、“カレピ”だか)

「田中さん」

「へっ?」

 また村上が話しかけてきた。

「ため息をつくと、シアワセが逃げるって言うっスよ」

「!」

 自分で気づかなかった。「うん」とか「ええ」とか曖昧で短い返事をして、朱音は深呼吸をした。

(清美に振り回されている場合じゃないわ)

 自分は今、恋をしている。それだけで幸せじゃないの。

 そして。

(絶対にこの恋のこと、ロイさんのことが、あの女にばれないようにしなきゃ)

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