Sketch for July ─7月─

 夜。部屋のドアをノックする音がする。

 数ヶ月前に夫に頼んで、寝室を別々にしてもらってからは、初めてのことだった。

 

「どうしたの?」

「星を観にいかないか?」

 少し躊躇いながら、夫は言う。

 

「え?」

「ほら、今日は、七夕だから」

「……ああ、そうだったわね」

 

 玄関には既に、薄手のウインドブレーカーや水筒や小型の天体望遠鏡が用意されている。

 

「すっかり忘れてた」

「僕も、さっき思い出したんだ」

 

 お互い顔を見合わせて苦笑しあう。

 七夕は、私たちの結婚記念日だというのに。

 

 

 家の裏の山道を登っていくと、すぐに開けた高台に着く。

 そこからは、遮るものが少なくて星が良く観える。

 

 夫は昔から天体観測が好きだったから。だから結婚したとき、この場所に住むことを選んだのだった。

 

 

 空を見上げると、視界を埋め尽くす輝きが見えた。

 

「わぁ……」

 私は思わず子供みたいに歓声を上げる。

 

「綺麗ね……」

「都会にしては、奇跡的なくらいだ」

 

 そう言っている間にも、夫はテキパキと望遠鏡をセットし終わっている。

 

「本当に、晴れてよかったよ」

 夫が本当に嬉しそうに呟く。

 その声がどことなく緊張しているみたいに聞こえたのは、私がそう思っているからだ。

 

「ねえ、どうして星が好きなの?」

 夫に尋ねた。

 

「どうしてって、急に聞かれても上手く説明出来ないけど、それって僕にとっては、当たり前のことなんだよ。どうして水族館が好きなのかとか、どうしてお祭りで食べるイカ焼きが好きなのかと聞かれても困るのと同じで、初めからそう決まってるみたいなものなんだ」

「なんだか難しいのね」

「そうかな? 好きな理由があるってのは良いことだと思うけどね。でも、それって、その理由が無くなったら好きじゃなくなってしまうってことだろう? 僕はそれよりも、理由が無いけれど好きだってことのほうが、本当の好きなんだと思うよ」

「……そうなのかもしれないわね」

 

 本当は、聞きたい事はもっと別にあった。

 あんなことがあって、本当は、私のことをどう思っていますか?

 

 

 私が悪いのだ。春の寂しさのせいにして、恋にのめりこんだ。

 

 浮気とも呼べないような、一瞬の恋だった。流れ星のようにすぐに燃え尽きてしまったけれど、それでもそれは、とても大きなものを私たち夫婦の間に残していった。

 

 全てを打ち明けた私を、寂しい思いをさせてごめんと言って、夫はそっと抱きしめてくれた。

 それから二人で話し合って、また一緒に歩いていこうと言ってくれた。

 

 だけれど私は、そうやって優しくしてくれる夫に申し訳なくて、自分を責めて。いろんなことに耐えられなくなって、寝室を別にしてくれと私から頼んだのだった。

 

「あれがベガとアルタイル。いわゆる織姫と彦星の星だよ。織姫と彦星は夫婦なんだけど、あまりにもお互いを愛しすぎたせいで他を蔑ろにするようになって、天の神に引き離されてしまったんだ」

 

 夫は私に神話の説明をしながら、水筒からコーヒーを注いで渡してくれる。

 

「それで一年に一度、七夕の日にしか会えないようになってしまった。というわけ」

「悲しい物語ね」

「けれど、僕は、それでよかったんじゃないかって思うんだ。あまりに近づきすぎると分からないこともあって、一度離れてみることで、かえってお互いの大切さに気づくことだってあるんじゃないかな」

「……」

 

 夫がそう話すのを、私はただ聴きながら、夜空を見上げている。

 

 そうやって二時間も天の川を見ていただろうか。星空の瞬きがすっかり目に焼きついて、このまま部屋に帰ってもすぐには寝られそうに無い。

 

 

「ねえ、今夜、一緒のベッドで寝ても良い?」

「ああ。もちろん、いいよ」

 

 私たちは、一つのベッドに入る。

 

 

「私のこと、まだ好き?」

 さっき聞けなかったことを、そっと聞いてみる。

 夫は少し笑ったようだった。

 

「好きだよ」

「どうして?」

「どうしてって、それは僕にとって、どうして星が好きなのかと同じように、初めから決まってるようなものなんだよ」

「ねえ、織姫と彦星は幸せに暮らしてるのかしら?」

「さあ、どうだろうね。けれど一年に一度だけ、会える日を待ちわびるのって、とても素敵なめぐり合いだと思うよ。それに、時折こうやって、愛する人と寄り添って眠ることは、きっと幸せなことに違いない」

 

 そうね。

 

 私は夫の暖かい体に寄り添って、眠りに就く。

 もう一度、私たちが夫婦としてめぐり合うために。

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