第五十五話 彼は、幸せだった

「餡里、目を開けろ!餡里!」


「餡里!」


 朧は、餡里に呼びかける。

 藁にも縋る思いだ。

 どうか、目を開けてほしい。

 死ぬなと。

 千里も餡里に寄り添い、必死に声をかける。

 その時だ。


「う……」


「餡里……」


 餡里が、意識を取り戻したのか、ゆっくりと目を開けた。

 視界が、まだ、ぼやけているようだ。

 柚月達は、不安に駆られている。

 餡里が、心配でたまらないのだろう。


「ごめん……僕……」


 餡里は、ゆっくりと瞬きし、柚月達に謝罪し、大丈夫だと告げようとする。

 しかし……。


「ごほっ!ごほっ!」


 突如、餡里は、咳き込んでしまった。

 しかも、血を吐いて。

 鮮血が、餡里の手に染み渡る。

 その血が、全てを物語っているように餡里は、思えてならなかった。


「血が……」


「僕ね、もう、長くないの……。きっと、もう……」


「どうして……」


 血を目にした朧は、悟ってしまう。

 餡里は、自分達が、思っていた以上に、重体だったのだと。

 そして、餡里も悟っていた。

 もう、自分は、長くない。

 死は、そこまで近づいているのだと。

 だが、朧には、理解できなかった。

 なぜ、餡里は、死に近づいているのか。

 餡里の身に何があったというのであろうか。


「聖印を使いすぎた影響です」


「え?」


 高清が、申し訳なさそうに説明する。

 朧は、ここで、高清も、餡里の体について知っていたと気付いた。

 だが、それよりも、朧が、知りたいのは、聖印の使い過ぎと言うのは、どういう事なのかと言う事だ。

 困惑しているのだろう。

 朧は、冷静さを失い、戸惑っていた。


「そうか……。多くの妖を操り、その体に、多くの妖を憑依させたからか……」


 柚月は、朧から聞いた話を思い返し、推測する。

 五百年後に目覚めた餡里は、聖印一族に対すし憎悪を燃やし、復讐を拠り所にして生きていた。

 朧や千里に執着して。

 そのため、一度に多くの妖を操り、最後には、聖印を暴走させ、多くの妖を憑依させてしまった事により、体に悪影響を及ぼすことになってしまったのだ。

 彼も、気付かぬうちに、命を削ってしまったのだろう。


「どうして、もっと早く言ってくれなかったんだよ!」


 朧は、涙を流し、声を荒げてしまう。

 悔しかったからだ。

 もっと、早く、気付いてあげればよかったと。

 そうであったら、こんなことにはならなかった。

 餡里を華押街に残したら、生き延びることだってできたはずだと、無理をすることもなかったはずだと、自分を責めて。


「ごめんね、言えなかったんだ……。だって、僕、うれしかったから……。あんなにも、皆が、優しくしてくれて……。ずっと、一緒にいたいなって、思って……」


 餡里が、自分の体のことについて、朧達に明かさなかった理由は、うれしかったからだ。

 記憶をなくしてしまったが、得たものはあった。

 それは、優しさであろう。

 ずっと、餡里が、憧れ、追い求めていたものだ。

 生まれた時から、周囲に疎まれ、利用され、孤独を味わった餡里にとっては、うれしくてたまらなかった。

 ずっと、一緒にいたいと願うほどに。


「もしかして、一緒に、平皇京に行きたいって言ったのも……」


「いつまで、生きられるか、わからなかったから……。でも、迷惑かけちゃったね」


「そんなことない、俺は、うれしかった!餡里が……一緒に行きたいって言ってくれたから……」


 朧は、察した。

 自分達が、平皇京へ行くと言った時、なぜ、餡里も、ついていきたいと懇願したのか。

 それは、もう、餡里が、わずかな時間しか生きられないのを悟っていたからだ。

 朧達が、戻ってくる前に、死ぬかもしれない。

 それを、恐れて。

 だが、結果は、何もできず、朧達を危険に晒してしまった。 

 餡里は、後悔していたのだ。

 華押街に残ればよかったのではないかと。

 朧は、涙を流して伝える。

 餡里が、懇願してくれて、うれしかったと。

 餡里も、涙を流し始めた。


「餡里、すまない……俺のせいで……」


「千里のせいじゃないよ……。だから、自分を責めないで……」


 千里は、謝罪する。 

 自分を復活させるために力を使ってしまったのだと、悟って。

 だが、餡里は、千里を咎めるつもりなど毛頭なかった。

 餡里は、千里に会いたいと強く願ったからだ。

 そのためなら、聖印を使う事も、それにより、死ぬ事も覚悟して。


「ねぇ、お願いがあるんだ……。僕は、もうすぐ死ぬ……。けど、その前に、罪を償いたい。僕は、多くの人を傷つけて、殺したから……。千里の力になる事で、罪を償える気がするんだ……」


「俺の力?」


「うん」


 餡里は、柚月達に懇願する。

 もう、死を悟っている。

 その前に、やり残したことがあるようだ。

 それは、罪を償う事。

 静居に陥れられたと言えど、餡里は、復讐の為に、多くの人々を傷つけ、命までも奪ってしまった。

 後悔しているのだ。

 だからこそ、罪を償いたい。

 餡里は、千里を助ける事で、罪を償えると考えているようだが、千里は、見当もつかない。

 餡里は、どうやって、罪を償おうとしているのか。


「僕の聖印を吸収して」


「何を言って……」


 餡里は、告げる。

 それは、残酷な言葉だった。

 聖印を吸収してほしいというのだ。

 千里は、目を見開き、驚愕する。

 そんな事をしたら、命にも影響を及ぼしてしまう。

 死は、確実となるだろう。


「君は、完全な龍神になる必要があるんだ。戦いは、激しくなる……。だから、僕の中にある全ての聖印を吸収して、真城家の聖印に変換すれば、君は、人にもなれるし、今なら、妖刀じゃなくて、神刀にもなれるはず……。神の力が、宿ってるから……」


 静居との戦いを目の当たりにし、龍神王から、千里は、人の姿に戻ることはできないと聞かされたとき、餡里は、密かに決意していたのだ。

 自分の真城家と蓮城家、そして、安城家の聖印を八尺瓊勾玉に吸収させ、真城家の聖印に変換させ、千里の身に宿せば、千里は、人の姿を得ることができると考えていた。

 しかも、三つの聖印を宿す事により、妖刀ではなく、神刀に生まれ変わらせることができる。

 それほどの力はある。

 餡里は、そう、予測していたのだ。

 だからこそ、餡里は、懇願したのだ。

 死ぬ前に、聖印を吸収してほしいと。


「駄目だ、そんな事は、させられない。お前は、生きなきゃだめだ」


「陸丸……」


 高清は、反対する。

 できるはずがなかった。

 目の前で、息子を失うのは、父親として、辛い。

 これまで、餡里の願いをかなえてやりたいと思い、自分の感情を押し殺してきた。

 本当は、体を休めてほしいと思いながら。

 だが、こればかりは、できなかった。

 餡里には、生きてほしい。

 生き延びる方法は、必ず、あるはず。

 高清は、涙を流し、餡里に、生きてほしいと自分の想いを吐露した。


「陸丸の言う通りだ。俺は、餡里と一緒に生きたい……。戻ってこれたんだぞ?なのに……」


 千里も、反対する。

 涙を流しながら。

 餡里に会えたというのに、永遠の別れを経験するのは、辛いからだ。

 それは、千里にとってあまりにも残酷な事であろう。

 かつての相棒を失うのは。

 もう、朧や餡里に会うことはないと思っていた。

 それでいいと。

 だが、復活を遂げた時、もう一度、朧達と共に生きたいと心の底から、願ったのだ。

 だからこそ、千里は、餡里に生きてほしいと願った。


「うん、ごめんね……。でも、僕ね、最後に千里に会えてよかった。朧とも友達になれた。柚月達と旅ができたし、父さんにも、謝れた。皆と一緒にいられた。もう、十分、幸せだよ……」


「餡里……お前と言うやつは……」


 餡里は、これまでの感情を打ち明ける。

 幸せだったのだ。

 短い時間ではあったが、餡里は、幸せを得られたと感じていた。

 過去に敵対していた朧と友人になり、憎み続けていた高清に謝罪することができた。

 仲間達と共に過ごす事ができた。

 餡里にとっては、幸せ過ぎたのだ。

 これで、思い残すことはない。

 今なら、命を捧げる事も惜しくない。

 餡里は、そう思っていた。

 餡里の想いを感じ取った高清は、涙を流し続ける。

 餡里が、少しでも幸せになってくれてよかったと、心の底から思っていたから。


「朧……。餡里の願いを叶えてやってくれないか……」


「千里……」


「頼む……」


 千里は、朧に懇願する。

 彼も、餡里の想いと覚悟を受け止めたからだ。

 だが、朧は、ためらっている。

 餡里を失いたくないと心の中で叫び、葛藤しながら。

 それでも、千里は、頭を下げた。

 体を震わせて。

 彼も、本当は、餡里を失いたくないのだと、察して。


「わかった……」


 朧は、目を閉じ、うなずく。

 そして、ゆっくりと目を開け、光焔へと視線を移した。

 光焔も、静かにうなずき、八尺瓊勾玉を手にしたまま、餡里のそばへと歩み寄った。


「ありがとう、光焔……」


「わらわも、ありがとうだ。楽しかったぞ、餡里……」


「うん……」


 光焔は、餡里と会話を交わす。

 声を震わせながら。

 彼も、餡里と共に過ごしてきたのだ。

 それゆえに、辛いのだろう。

 だが、光焔は、悟られないように、八尺瓊勾玉を掲げ、術を発動する。

 餡里から、真城家と蓮城家、そして、安城家の聖印を吸収し、真城家の聖印に変換して、千里へと送る。

 すると、千里は、光に包まれ、見る見るうちに、人の姿へと変わっていく。

 力を得たのか、千里は、黒い布を身に纏っていた。


「千里……やっぱり、そっちの方が、かっこいいな……」


「ありがとう、餡里……」


 千里の姿を目にした餡里は、微笑む。

 かつての相棒と出会えたことを喜んでいるかのようだ。

 千里は、涙をぬぐい、微笑んだ。


「あり……が……とう……」


 餡里は、一筋の涙を流し、目を閉じた。

 穏やかな表情のまま。

 餡里は、息絶えた。

 幸せを感じたまま。

 柚月達は、涙を流し続けた。

 もう、会えない仲間の事を想って。

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