317話 繋がる事象の中で 前編


 下半身は蛇のような鱗に覆われた長い尾がとぐろを巻いており、上半身は人間のような体ではあるが全体が黒く、肘から先は硬質な鎧のような形と鋭い大きめの爪を研ぎ澄ませている。

 その背中からは巨大な蝙蝠のような翼が広がっており、体全体をも覆えそうなほどの大きさだ。

 そして頭部は……人間のそれと同じようにも見えるが、目元はマスクで覆い隠されている。

 それに、全体的な体躯も元のものより二回りは大きい。その禍々しい姿は、まさに邪神と形容するにふさわしい姿と言えるだろう。


「随分と……変わった姿になっちまったな」


「……この姿は、私の本来の姿であると同時に我が主たる事象を食らう者の仮の器でもあります。事象の外側では内部に適応した姿を形どっても無意味ですからね」


 やはり終極神もアレイステュリムスと同じように本来の自身の姿が存在するってことだな。

 アレイステュリムスが幻影神を限りなく自分に似せたように、今のベルゼブルも終極神が自らの姿に寄せたものということか。


「私がこの姿でいるのも主のお力がすべて整うまで事象のカケラを4つ分けてこの世界に混乱を起こすためのもの。外側に設置したそれぞれのカケラが内部に送り込む事象を修復しきれなくなった際に自動で主の下へ還るよう設定されてます」


 そうすれば事象の消費を抑えながら効率的にこちらの事象を破壊し終極神が完全な状態で内側に現れることができるというわけだ。


「まぁその企みも、こちら側に引きずり出したお前の事象力を消滅させさえすれば潰えるけどな」


「ええその通りです。……が、私がそう易々と倒されると思ったら大間違いですよ」


 そう言うとベルゼブルは何もない空間を掴む・・と、バキンッという割れるような音とともにそれを縦にバキバキと引き裂いていく。


「事象の内と外を無理やり繋げた!? にゃろ、そんな勝手なこと私が許すとでも……」


「ああ安心してください。この亀裂は私とあなた専用ですから」


「なにっ!?」


 事象修復のために亀裂もろともベルゼブルを切り伏せようと飛び込んだ私だったが、それこそが奴の狙いだった。

 よく見れば、すでに私とベルゼブルを取り囲むように空間のヒビが無数に存在し、それらがすべて同時に穴を開けるとその中心……ベルゼブルが引き裂いた亀裂へと伸びていき……。


「ムゲン!」

「ゲンさん!」


 私は穴だらけとなった事象に引き寄せられるように吸い込まれ、その内側……いや、あるいは外側と呼ぶべき事象へと飲み込まれていくのであった。


「さぁ、まずは私とあなたの戦いのはじまりを……第1章から進めていきましょうか」






 最後に奴の声が聞こえたのと同時に私は再び意識を取り戻す。

 ゆっくりと目を開くと、そこに飛び込んできた光景は……。


「ガハッ……! チク……ショウ、何だってんだよこの……バケモンは……!」


「う……カロ……フ」


 この場所には見覚えがあった、第三大陸アレス王国の王宮……その玉座の間。

 そしてこの光景も知っている。玉座の間はあちこちに破壊の跡があり、カロフとリィナが戦っている……これは、あの日私がアステリムに降り立ってから起きた大きな戦いの最終盤面だ。


「どうなってますの!? 急に変なのが現れて……敵だった方も味方の方もみんな一瞬で倒してしまいましたわ……」


「ワウワウ!」


 ミレアもいる、犬もいるが使い魔術式がないからか鳴き声だけだ。

 つまりこれは完全にあの日と同じ場所に私は立っているというわけになる。……目の前の、異質な存在を除けばの話だが。


「ベルゼブル……なのか」


 そこにいたのは黒いもやに包まれてはいるがシルエットは完全に先ほどまで私が戦っていたあのベルゼブルに間違いなかった。それが今、片手でカロフの首根っこを掴んで持ち上げている。

 近くにはリィナが力なく倒れ伏し、広間の奥ではアリスティウスが意識を失い倒れている。壁に激突した跡が見えることからベルゼブルに吹き飛ばされたのだろう。


 ここは明らかに結果系が確率している"前"の原因系。だが、この状況はいったい……。


「くそっ! ベルゼブル、どういうつもりだ! この事象でお前はいったい何をしようとしている!」


「ここはあなたの歩んできた事象の流れを基に作り出した新しい原因系の事象です。私の目的は、この事象で基とは大きく異なる新たな結果系を作り出し、元の事象に上書きすること」


 この声は、目の前の黒いベルゼブルから発されたものではない。そうなると奴の本体ともいうべき存在はここにはいないのか……いや、それよりもだ。

 奴の語った狙いは……とんでもないものだ。


「お前は自分で何をしようとしているのかわかっているのか!? 本来と大きく異なる結果系を先まで続いている事象に上書きなんてことをすれば……!」


「ええ、互いの事象を維持する原因系が存在しないこととなり、消滅するでしょうね」


 事象の維持不可による消滅、それは事象世界における究極の終末(カタストロフィ)ともいえる最悪の結末の一つ。

 通常事象というものは流れるように一方の方向にのみ進み続けるものだ。そしてそれらは不可逆なものであり、一つの原因系からどれだけの分岐が存在しようと"先"が決まっている場合どれだけ事象内で改変しようとも結果系に準ずる形で流れていくこととなるだろう。

 しかし今ベルゼブルが行おうとしているように、どうあっても結果系にたどり着かない事象を差し込んでしまった場合……原因系は結果系にたどり着けず、結果系は自らを構成する原因系が存在しないこととなり互いに事象の維持ができずに消滅してしまう。

 そして消滅はその二つだけに止まらない。"先"のない原因系が存在したことにより、それ以前の事象もこの先の結果系が存在しない事象となってしまい、消滅してしまうのだ。

 維持する事象がなくなることは事象の管理者が存在するための事象力をも消えてなくなり、世界の完全なる終わりを意味する。


「だがそんなことをすれば……! って、んなこと悠長に考えてる暇もないってのか!」


 黒い邪神に今にも潰されてしまいそうなカロフの下へと私は駆けだす。

 だが……。


「させませんよ」


 カロフを掴んでいるのとは別の腕が勢いよく伸びて私に襲い来る。

 この程度の攻撃なら今の私には簡単に捌ける……と、思ったのだが。


「ぐおっ!?」


 私の振り下ろしたケルケイオンには何の力も備わっておらず、そのままなすすべもなく吹き飛ばされてしまう。

 どうしてだか急に私の事象力が消滅した。……いや、これはむしろ、最初から私にはそんなものはなかったかのような違和感があった。


「まさか……」


「お気づきになったようですね。そう、この世界線の、時間軸の、この場所にあなたは存在していた」


 つまり、私という存在に対して事象の強制力が働こうとしているわけだ。

 この事象はベルゼブルが複製したものだが、今この場所にはそこにいるべき私ではなく別の事象に存在していた私に上書きされている。

 この時の私は力も魔力も一般人よりちょっと強い程度に過ぎず、それこそ事象力という言葉さえ知り得ない。


「ここでは私の行動のほとんどがあの時のものに置き換えられるってことか……」


 正確には事象の内側で発生させる行動のすべてだろう。記憶や姿がそのままなのはアレイステュリムスと繋がっているおかげだ。

 だがこのままでは私の力であの黒い邪神を倒すことはできない。


 そうか、私では倒せないのなら……。


「さぁ、この世界をまだ見ぬ終わりへと続く事象へと進ませましょう」


「そうは……させるか! カロフ!」


「がっ……ム……ゲン?」


 私の呼びかけにカロフが反応し、このタイミングで私は……"事象の外側"から働きかける!

 神槍の中心にあるスマホが起動し、フォルダから一枚の写真を選び出す。

 それは、この国で平和を勝ち取り私を見送ってくれたカロフとリィナの姿を写したワンシーン。


 これは一つの……確定した事象。


「これを……! この先の結果系として私がこの事象ツリーに書き込む!」


「なっ……まだ確定していない事象を!? そんなことが……」


 できる。これはこの世界と同じ世界で実際に起きた出来事の一つ。こうすれば私の事象力を通してこの世界はあの写真の結果に向かうための強制力が働くこととなる。

 つまり……目の前の邪神を倒すための力がここに現れる!


「なん……だっ! 光が……俺の方に!」


 スマホを通して本来の世界の事象力が送られてくる。それはあの写真から確定した"先"の事象から送られてきた力。


「カロフ! 光を手にして叫べ! その名は……!」


「「『雷狼の未来リ・ヴァルク』!」」


 その瞬間、雷光がカロフの身を包み姿を変えていく。それと同時に私のケルケイオンにもその力が宿り、本来の力の一部を取り戻す。


「いくぜ、ムゲン」

「ああ」


「まさか、先の事象力をこちらに持ち込むな……」


 私とカロフは同時にその刃で邪神の体を切り裂いていく。強力な事象力で切られたその体は形を維持することもできずにその場に崩れ去り、完全に消滅した。

 そして同時にベルゼブルの声も聞こえなくなった。この感覚からして、おそらく次の重要な事象……ターニングポイントへと移ったのだろう。


「行くのか、ムゲン」


「ああ、もうこの事象は完全に確定したからな」


 ここまで事象を動かせばもうベルゼブルにも改変することは不可能だ。

 だから、ここはもう大丈夫。


「へっ、ぶちかましてこい」


「言われなくても、やってやるさ。サンキューなカロフ」


 この事象はベルゼブルによって作られた仮の事象。いつかの前世の私と戦った時のように元の事象に還元されここでの出来事は夢だったかのように消えてしまう……。

 だがそれでも、ここにいた私の仲間のことを私が覚えている。


「さぁ、次の事象だ! お次はどうするベルゼブル!」


「お早いお着きですね。こちらはこれからだというのにもう第2章のはじまりですか」


 たどり着いた先では、燃え盛る町の中で『紅の盗賊団』が邪神を前に苦戦してた。

 邪神から吐き出された大量の泥のようなものが地表一杯に広がっており、足元から一人ひとりを飲み込もうと侵食している。


「くそっ! どうなってんだいこいつは!」


 サティも足を泥に掴まれ身動きが取れないでいる。この場で唯一助かっているのは……。


「ムゲン、急に現れたあのバケモノのせいで全員捕らわれた。俺達で助けるぞ、仲間を」


 一人空を飛んでいたレイだけだ。


「ああ、レイ、私達で助けるぞ」


 私は再び神槍を掲げ中心のスマホから外側へと事象力を働きかける。その画面に、ここにいる仲間全員が笑っている明日の写真を映し出して。


「これは……」


「さぁレイ、唱えるんだ……この力の名は」


「「『絆紡ぐ家族愛アーリュスワイズ』!」」


 その呼びかけに答えるように何もない空間から黒衣の外套がレイを包み込む。そのまま黒衣は面積を広げていき、徐々に町全体へと広がっていく。


「私も、こいつで!」


 それを補助するように私もケルケイオンに宿った力で周囲の空間を切り裂き、邪神の泥の広がりの抑制と逃げ場をなくしていく。

 やがて私が指定した範囲すべてにアーリュスワイズが広がると……。


「消えろ!」


 レイが命令式を加えることで広がった黒衣が縮んでいく。そして過ぎ去った後には黒い泥だけが消えて無事な人や町だけが残った。

 そしてもちろん、この世界に突如現れた邪神もその中に飲み込まれ。


「よし、この事象からも消滅を確認した」


「ムゲン、次へ行くんだな」


 受け取った神器からこちらの事情を察したのか、レイもすべてを理解した様子で真剣なまなざしを向けている。


「負けるな……俺からはそれだけだ」


「おう、任せとけ」


 そうして私は再び事象を移動する。私が対応するスピードが上がればそれだけベルゼブルが準備する工程を減らすことができる。

 そう考えつつたどり着いた事象は……。


ドゴォン!


「うおっ!? いきなりなんだこの揺れは!」


 場所はどうやらリオウが作った塔の中のようだが、どうもこの衝撃は内部からじゃなさそうだ。

 ということはもうベルゼブルが仕掛けてきているってことだが……。


「誰か状況を説明してくれ! いったいどうしたんだ!」


「え、師匠、どうしたもこうしたも……突然外から攻撃されて」


「ギルドマスターがしびれを切らしたみたいですわね。それにしても、なんなんですのこの力は」


 ギルドマスター……つまりマステリオンが攻撃を仕掛けてきている?

 ベルゼブルではないのかと少々疑問に思いつつ窓から外を覗くと。


ガァン!


「危ね! ……って、こいつは!」


 顔を出した瞬間何かが突撃してきたと思ったら、それはあの黒い邪神だった。だが驚いたのはそれだけではない……なんと、空には今突撃していた一体だけでなく無数に同じ邪神が浮かんでいたのだから。

 なぜこんなに邪神が現れてるのかと疑問が浮かんだが、それは下にいる人物を見てすべて解決した。


「……」


「なるほど、そういうことね」


 そこにいたのは虚ろな目をしたギルドマスター……いや、“虚飾”の体現者であるマステリオンがそこに立っていた。


「君達との戦いの最中に突然仕掛けてきてこの有り様だ。しかもギルドマスターのあの力はいったい……」


「最初はいろんな形をした鎧の兵隊だったんですが、だんだんドロドロしたものがまとわりついて全部あの形になってしまいました」


 それはおそらく元の事象でリオウから聞いたチェス兵のことだろう。マステリオンは終極神の事象を持っていた……となれば、より強い事象を持つベルゼブルにその所有権を奪われたとしても何もおかしくない話というわけだ。


「しかも一体一体がとても強くて、僕達の魔術も全然……勝ち目が見えないんです」


「なぁに心配するな。あれを倒す力はもうレオン、お前の中にある」


 スマホのフォルダから画像を選び映し出す。崩れることのないこの塔を背に、新たな約束を紡ぎ出すレオン達の姿を。


「これ……は」


「さぁレオン、手に取って声を上げろ、これの名は……」


「「『魔導少年の成長テルスマグニア』!」」


 レオンがそれを手にした瞬間、光は形を変えいくつもの黒い球体へと変化していく。

 そして……。


「マズいですわ! もう一度あのバケモノが突っ込んできま……あら?」


 再び邪神が一斉に仕掛けてくると思われたが、一向にその時は訪れない。

 なぜなら、突撃してきた邪神はすべて地に落ち地面に伏せているのだから。


「この様子だと、何も問題ないみたいだな」


「はい! 五体満足の状態でこれを扱うのはちょっと違和感ありますけど……それでも、僕のやるべきことは変わりません!」


 この頃のレオンはまだ左腕を無くしておらず、本来の事象と扱いが異なるかとも思ったが、杞憂だったな。


「さらに! いくよみんな!」


「え? レオンさん、行くってどこに……きゃ!」


 さらにレオンが神器を操作すると、大きな揺れが起きた次の瞬間、景色が上昇していく。


「これはまさか……塔が動いているのか!?」


「うん、そうだよ。そしてこのまま……一か所に集めたバケモノ達の上に落とす! しっかりつかまっててね!」


 そして重力で一つにまとめた邪神に向かって塔を落とすと……。


ゴシャアアアアアン!


 さらに重力の力が乗った塔の圧力に耐えきれず邪神達はその身を砕かれていく。


「……ガハッ!」


 加えて邪神が倒された影響か、それらを指揮していたマステリオンも苦しみその場に倒れ込んでしまった。

 これは……ベルゼブルが強制的に与えた事象力の破損によるフィードバックといったところか。どちらにせよあの状態では……。


「おやおや、これではもう再起不能ですね。どうやらこの事象は諦めるしかなさそうです」


「ッ! また逃げられたか」


 ともかく、この事象はこれで安泰だ。あとは……。


「師匠、行くんですね」


「ああ、あとのことは頼んだぞ」


「ええ、僕はここでやれることを全力でやります。師匠も……負けないでください」


 最後にレオンの激励を受け止め、私もサムズアップでそれを返して次の事象へと歩みを進めていく。


 逃がさないぞ、ベルゼブル。どこまで行こうと私が必ずすべての事象を救い、お前を倒す!


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