286話 誰がための理想


 胸が苦しい。少しづつ……アポロとの繋がりが薄れていくのがわかる。

 捕らえられてるとはいえこうして目の前に、手を伸ばせば届きそうな場所にいるのに、どうしようもなく遠くに感じてしまう。


「ミネルヴァさん、大丈夫ですか」


「わたしは……大丈夫。それよりも、ムゲンの方はどうなの」


「まだ、事象の外側から戻ってはいません。ですがゲンさんなら必ずアポロさんの居場所を突き止めて戻ってくるはずです」


 クリファの言う通りあいつならきっとアポロ救い出す手段を見つけてくれると信じてる。

 ……でも、術式の繋がりをいくら辿ってもまったくアポロの下へ届かない虚しさがわたしを不安にさせていた。


 多分、アポロと繋がっている術式が消えることはない。だけどあそこから戻ってくるのは本当に以前と変わらないいつものアポロのままなのか……わたしはそれが不安で不安でたまらない。


「ふぅ……今戻った、まだ無事かミネルヴァ」


 どうやら、ムゲンの方のやるべきことは終わったみたい。

 あの表情から見て、良い知らせは持ってきてくれたみたいね。良い知らせばかりじゃなさそうだけど……。


「ええ、苦しいのは相変わらずだけど、今はアポロとの繋がりが消えることはないって確信してたとこ」


「やっぱそうか……。私の方は事象の内側に黒く隔離された部分を見つけた。入ることは叶わなかったが……おそらくアポロの魂はあそこにいる」


 黒く隔離……わたしがアポロの魂を見つけられないのもそれが原因かもしれない。


「マズいですね、世界神の事象力を持つゲンさんですら侵入できないとなると……他に方法がないのではないでしょうか」


「……いや、方法はある。ただしアポロの下へ向かえるのは私ではなくミネルヴァただ一人になるだろうが」


 そう確信を持つように断言するムゲンだけど、その表情は固い。

 多分それは、わたしにとって"あまりよくない方法"だからかもしれない。


「ムゲン、わたしに遠慮はしないで。覚悟は……できてるつもりだから」


 この先にたとえどんな地獄が待ち受けていようと、わたしを孤独から救ってくれたアポロを今度はわたしが救い出すと決めたんだから。

 だけとそれは……きっと、もうわたしのためだけじゃない。


「わかった、お前にその覚悟があるのなら……。その方法は……ミネルヴァ、お前の中にある術式を一時的に『永遠に終えぬ終焉トゥルーバッドエンド』へと戻すことだ」


 それを聞いて、わたしの心臓がドクンと大きく脈打ったのが自分でもわかった。多分、わたしの表情は今とても辛そうなのを必死に我慢しているように見えるはず。

 どういう意味か理解してないクリファは疑問を浮かべているけど、わたしにはムゲンの言ったことが何を意味しているのか痛いほどよく理解できた。


「現在ミネルヴァの中にある術式はアポロの生命力で命を補っている。だから繋がりが薄れた今こんなにも苦しんでるわけだ。だから繋がりを辿ろうにもアポロからの供給がない今のミネルヴァでは絶対にたどり着くことができない」


「アポロさんを見つけるにはアポロさんの力が必要ということですか。何か他のもので代用できないのでしょうか」


「そこが問題なんだ。この術式は互いの繋がりを事象の外側で結ぶことで成り立っている。だからもしエネルギー補給のための中継地点を作るにしても同じく事象の外側でなくてはならないんだ。私ならできなくもないが……まだまだ管理者として未熟なのですぐにエネルギー切れになるだろう」


 だからこそ必要な莫大なエネルギー。それこそ、人間を不死身にしてしまうような……。


「だから、術式を戻す必要があるのね」


「その通りだ。『永遠に終えぬ終焉トゥルーバッドエンド』はもともと二人の繋がりの中継地点に世界の核、つまり世界神のエネルギーを利用している。その力を利用しながら繋がりを辿れば……」


 始祖龍に作られた"壁"を突破してアポロの魂の下へとたどり着くことができる。

 ……あの、忌まわしい力を使うことで。


「ミネルヴァ、顔色が悪いぞ。やっぱり……」


「これはただ体調が悪いだけよ。それより、本当に術式を戻すことなんてできるの。あれはもう追加されて別の形になっちゃったんでしょ」


 きっとこれは、わたしに与えられた最後の試練。

 これまでみたいに過去を捨て去って見ないふりをし続けるだけじゃなく、すべてを受け入れて終わらせるために。


「この世界の術式にはすべて事象の流れが組み込まれている。事象の内側に存在する流れなら私でも反転させることが可能のはずだ。無論、すべてが終われば元に戻す」


「そう……なら問題ないじゃない。ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと始めましょう」


 それを乗り越えた先に、わたしとアポロが目指す龍皇帝国がある。そしてそれ以上に……。


「わかった、ただ最後に一つだけ言っておくことがある。『永遠に終えぬ終焉トゥルーバッドエンド』が戻れば当然術式の効果である『想いの停滞』も復活することになる。壁に阻まれてるアポロはわからないが……お前には必ず起こるはずだ」


 『想いの停滞』、それはどれだけ新しく想いを重ねても必ず"その日"の想いに引き戻される。わたしにとって、それはまさに悪夢の連続だったことは今でも忘れられない。

 あの日……わたしがこの術式に縛られることになった想いは"強い憎しみ"だった。


 だけど、今回は違う。


「だから術式が戻る時には強い想いを抱き続けるんだ。今アポロに伝えるべき、強い想いを」


「ええ……」


 今わたしがアポロ伝えたい大事なこと……それは、もう決まっていた。


「クリファ、私達の意識が事象の外に向かった後、体の方を頼む」


「わかりました。ご武運を……祈ってます」


「よし……それじゃあいくぞミネルヴァ! 『死が二人を分かつまでトゥルーラバーエンド』術式反転!」


 ムゲンの手から放たれたその青白い光がわたしを包むと、次第に意識が遠くなりどこかへ向かう感覚に襲われる。

 そして……そのまま……わたしの意識は……。




 ……気づけば、不思議な空間を漂ってた。


(どこ、ここ?)


 周囲を見渡してもムゲンの姿はない。何もないのにすべてが満たされてるような言葉に表せない場所。

 でも、そんな空間の中でただ一つだけすぐに理解できるものがあった。それは……。


(これって、わたしとアポロの……繋がり?)


 わたしの体……今ここに体があるのかもわからないけど、ともかくわたしの意識の中心から伸びる一本の細い線だけはハッキリと理解してた。


 それを辿っていくと、そこには果ての見えないほど巨大な"力"の塊が見えてきた。


("あれ"の中を通っていけば、きっとアポロの下へたどり着ける)


 初めて見るものなのに、そんな確信があった。おそらくあれがムゲンの言った世界の核なんだと。

 わたしから続く繋がりの線があの中を通っているってことは、ムゲンの言った方法は成功したということ。


 そして、あの中を通ることできっと……わたしの"強い想い"が固定される。


(アポロ……わたしはあなたに伝えたい)


 強い想いを抱きながら、意識が大いなる力に飲み込まれていく。

 このまま飲まれてしまいそうなほどのエネルギーの奔流だけど、繋がりによって導かれているわたしはそのまま抜けて、別の場所へと向かうことになる。


(あれが、ムゲンの言っていた……)


 眼前に広がる真っ黒な場所。きっとあの中にアポロがいる。

 手を伸ばし、侵入を試みる。力が満ち溢れている今のわたしなら突き抜けられると思っていたけど……。


(思ったより……抵抗が強い!)


 黒い塊の中へと沈みかけていたわたしの体……というよりも魂の形が強い力で押し戻されていく。

 ここさえ抜けられればアポロの下へとたどり着けるのに、その最後の一押しがどうしても足りない。


(絶対にこの先に……アポロに伝えなきゃいけないのに! わたしはっ……!?)


 その時不意に……誰かに背中を押されたような感覚と同時に、わたしの魂がその一押しで黒い塊の中へと沈んでいく。

 一瞬ムゲンが助けに来たのかと沈み切る前に背後へと振り向くと……そこにいたのは。



いってらっしゃいミネルヴァちゃん

―――――



 優しい表情を見せるへーヴィと、その隣に彼女によく似た、だけど少し大人びた知らない旧魔族の女性が……わたしを送り出すようにそこにいた。

 見えたのはその一瞬だけ。だけどあそこにいた一人は間違いなくあいつ……へーヴィだった。

 ……今でも、わたしはあいつを許してやるつもりはない。けど、もしあの時あいつにこの術式を植え付けられなかったら、今こうしてアポロを助けにいくこともできなかった。

 そこだけは、感謝しよう。


 そして、あいつの隣に立っていたもう一人の女性は……。


("ありがとう"……か)


 あれが誰だという確信はわたしにはない。でも、もし彼女がわたしの考えている通りの人だとすれば。


(こちらこそ、ありがとう)


 わたしの魂はそのまま黒い空間を突き進み、そして……ついに終着点、深層へと突き抜ける。

 そこに飛び込んできた景色はとても美しく、だけど同時にどこまでも虚栄に満ちたような、わたしには空っぽのように思える空虚な世界。


 その中心に映っているのは、大勢の国民に称賛されるアポロとわたしの姿。

 そして見つけた、そんなわたし達へと手を伸ばそうとするアポロの姿を。


「アポロ、そっちへ行っちゃだめ……いかないで」


「ネル!? これは……いったいどういうことだ!?」


『……』


 突然のわたしの登場に困惑するアポロと……そんなわたし達を見下ろす炎の龍。こいつが……。


『ホウ、アノ障壁ヲ突破シテキタカ』


 邪龍エルディニクス、わたしとアポロの繋がりを引き離した張本人。


「ほ、本物のネルなのか。いや、魂の繋がりが確かにそこにあるのを感じる。そうだ、つい先ほどまでどこか遠くに感じていたというのに」


「全部こいつのしわざよ。私達に邪魔をさせないよう分断して、アポロを都合よく動かそうとしたの」


「なっ!? そう……だったのか」


 アポロの表情が驚きと同時に何かを残念がるように悲しそうに変わっていく。

 その視線の先にあるのは……あのアポロの理想そのもののような美しい世界。


「あの世界を共に目指そうというのもすべて嘘だったということか、エルディニクスよ!」


『嘘デハナイアポロヨ。ワレガ先ホド語ッタスベテノ言葉ニハナニヒトツ偽リナドアリハシナイ。分断シタノハ、マズハオ前ト一対一デ話ガシタカッタカラナノダ。ソノ結果、ソノヨウナ疑心ヲ与エテシマッタコトハワレモ済マナイト思ッテイル』


「まだ続ける気? そんな白々しい謝罪でわたし達が気を許すと思ったら大間違いよ」


『信ジテモラエヌノモ無理ナカロウ。ダガコチラニ落チ度ガアッタノモ事実。未来ノ“龍帝”トノ重要ナ話シ合イニ、ソノ花嫁ヲ招カナイトイウノハ実ニ失礼ナ対応デアッタ』


 どうしてこの邪龍はわたしの登場に対してこんなにも余裕を見せているんだろうか。乱入されたくないからこその分断だったはずでしょう。

 今すぐにでもアポロを連れてこんなところから出ていきたいところだけど、わつぃにそれができるだけの力があるかもわからない。なにより、神器の力を手に入れる最初の目的も果たせない。


『モウ一度言オウ、ワレハ嘘ナドツカヌ。アポロニワレノ魂ヲ同化サセルダケダ。サスレバアポロハワガ力ヲ受ケ継ギ魂ニ変化モナイ。他ノ始祖龍ノ力モ問題ナク扱エ、脅威ヲ打チ払イ、必ズヤ理想ノ“龍帝”ヘト昇リ詰メルコトガデキル』


 これは嘘だ……そう思い込もうとするのに、どうしてかエルディニクスの言葉は信じられるような気がするのはなぜだろう?

 わたし達がエルディニクスは悪い龍だと決めつけていたのはムゲン達から聞いた先入観でしかない。


 エルディニクスの力があれば、ここに映っているアポロの理想の世界はきっと実現できる。


(でも、ここには……そう、足りないもの・・・・・・がある)


 想いが、蘇ってくる。アポロに伝えなくちゃならない、大切な想いが。


「ねぇアポロ、これはあなたの……理想の“龍帝”なのよね。幼いころから描いていた……変わらない願い」


「う、うむ、そうだ。そのために我は幼き頃から夢を追い続け力をつけ……」


「それじゃあ、龍皇帝国は全部あなたのための理想なの?」


「いいや違う! 確かに最初は己のためだけの理想であった。だがネルと出会い、我らを王と称える国民が増える度に変わったのだ。我が“龍帝”を志すのは国民のため、ネルのために強くあらねばならぬのだと!」


 それを聞いて、わたしは嬉しかった。なによりもわたしのためと言ってくれるアポロの心からの気持ちが伝わってきたから。

 そしてエルディニクスもその答えに満足するように頷いている。こいつは本心からアポロの理想を応援している……それは、嘘じゃない。


 アポロはきっと、わたしのために“龍帝”であってくれる。

 でも……


「ごめんなさいアポロ。もう、それはやめてちょうだい」


「な、何を言っているのだネルよ。やめるというのはいったい……」


「わたしや、国民のことを第一に考えて龍帝を志すのはやめてって言ったの」


 わたしの言葉を聞いたアポロは驚きでその場に固まってしまう。でもそれでいい、わたしは今アポロには想像できない未来の話をしているんだから。


『ソウカ……アポロヨ、花嫁ハオ前ニコウ言ッテイルノダ「もっと自分のために“龍帝”を目指すべきだ」ト。自分達ノ重圧ナド考エル必要ナドナイト……』


「それも違うわ。あなたにはちょっと、黙っててもらおうかしら」


 わたしがアポロに望むことはそんなものじゃない。


「ならば、ネルは我になんのために“龍帝”であれというのだ」


 それは、わたし達が託されたもの。わたし達がまだ見たことのない、新しい理想のすべてを捧げるに相応しい……新しい命。


「すべてはあの子のために」


「ノゾム殿から託された……あの子のために……」


 そう、まだ名前も顔もわからない……だけど、わたし達の大切な子。


「これからはアポロ自身やわたしのためじゃない、あの子を一番に考えて、あの子のために龍帝、いいえ……“父親”として!」


 そこにきっと、まだわたし達の知らない、アポロとわたしとあの子の『理想の龍皇帝国』があるはずだから。


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