285話 神器“エンパイア”


 その炎が形どった龍の顔はとても恐ろしく、そして強大なものに感じた。

 同じ龍族であってもこれほどまでに畏怖を感じさせる存在に出会ったことはない。

 我は今、これまでに感じたことのない絶大な"恐怖"というものを初めて体感している。


『ワレガ……恐ロシイカ?』


 そしてこの、まるで腹の底まで見透かされているようななんとも気味の悪い感覚……。これが、盟友とドラゴス殿が語った『始祖龍の中で最も悪意に満ちた存在』。

 我は今から、これほどまでに強大な存在に打ち勝たなければならぬということか。


「……貴方が始祖龍エルディニクスということならば、我の目的などもうお判りでしょう。その力、我に明け渡してもらいたい」


『ク、ク、ク、明ケ渡タス……カ。ドウヤラ何カ勘違イヲシテイルヨウダナ、ワガ末裔ヨ』


「勘違い?」


 こちらの問いかけに、エルディニクスは怪しく笑みを浮かべ、炎の形を歪ませる。炎で形成されているというのに、そのとてもわかりやすい表情の変化は……とても不気味だ。

 加えて不気味な点はそれだけではない。ドラゴス殿の話では神器と繋がった瞬間からすぐに体の主導権を奪われそうになったと聞かされていたが、目の前の存在からはその意思が感じられない。

 我を油断させるためなのか、それとも……。


「貴方の目的は龍族である我の体のはず。だから龍族であるドラゴス殿が神器を手にした際に体を奪おうとしたのであろう。我を油断させようとしても、その手には乗らぬ」


『ヤハリオ前ハ勘違イヲシテイル。アノヨウナ出来損ナイデハソノ程度ノ価値シカナイ。オ前ノ父モ、ココニワレヲ封ジタ曾祖父モ、里ニ生キルスベテノ龍ニハワレト会話ヲ行ウ資格モナイ』


「貴様……!」


 これは紛れもない侮辱だ。父様や曾祖父様に加え、我が尊敬するドラゴス殿、すべての龍族を侮辱する許しがたい暴言。

 今すぐにでも飛びかかりその言葉を撤回させたいところではある。……だがこのエルディニクスの言葉、深く考えれば今の不自然な状況の答えへと繋がるのではないだろうか。


『ク、ク、ク、怒リノ感情ヲ向キ出シニシツツモ自分ニトッテ今ナニガ重要ナノカヲ分析デキル冷静サヲモチアワセテイル……ヤハリ、オ前ハワレガ待チ望ンデイタ逸材ダ』


「どうやら随分と過大評価してもらえているようでなにより。だが、それも所詮乗っ取るのに最適な体というだけのことであろう」


『ソウデハナイ。ワレハズット待ッテイタノダヨ……オ前ノヨウナ、ワレノスベテヲ受ケ継ギ、コノ世ヲ総ベル“龍帝”トナルニ相応シイ存在ヲ!』


 その言葉に、我は言葉を失っていた。

 邪龍エルディニクスの望みはその自らの意思を持つ体で現世に生き続け、己が作り上げた龍の世界を永劫に支配し続けることとばかり聞かされていた。

 だが……“龍帝”を受け継がせる。エルディニクスは確かにそう言った。


「にわかには信じがたい言葉だ。ならばなぜドラゴス殿ではダメだったのだ。エンパイア一族は純粋な王族の血統、貴方にとっては真の末裔だったはず」


『純粋ナ血筋……カ。確カニ龍皇帝国ノ時代、王族トシテ“龍帝”ノ地位ニツカセテイタ。ダガ、ワレハアル時期ヲ境ニ王族ヲ二ツニ分ケタ』


「それは……本家のエンパイア一族と、分家のギャラクシア一族のことを言っているのか」


 もはやいつからその取り決めが行われたのかは誰も知らないが、“龍帝”の時代には常に本家と分家が存在していた。

 曾祖父様の話では我々分家のギャラクシア一族はエンパイア一族から日陰者として扱われ、散々な扱いをされていたと聞く。

 だからこそ“龍帝”の時代が終わるとギャラクシア一族は龍皇帝国を捨て今の龍壁の里に身をひそめることとなったと。


『アノ時代、“龍帝”デアル一族ハ誰デモヨカッタノダ。エンパイア一族ハ古クカラワガ名ヲ継イデイタタメニ操リヤスカッタ、ソレダケノコト。ワレガ真ニ必要ダッタノハ分家デアルギャラクシア一族……ソウ、オ前ノ血筋ダケダ』


「そんなバカな……いったい、何のために」


『スベテハコノ時……万ガ一ワレガ滅ビ、魂ガ封ジラレタ場合、新タナ時代ニ託スタメ。エンパイア一族ニハスデニワレヲ受ケ入レル"血"ハ残ッテオラン。生マレル子ハドレモアルカディス由来ノ黄金ノ鱗バカリ……ダカラコソワレト同ジ赤キ鱗ヲ持ツ龍ガ生マレタ際ニソノ者ヲ分家トシタ』


「だがなぜ分家にした。貴方と同じ鱗が本来の“龍帝”に相応しいというのならそちらを本家にするべきではないのか」


 さらに問題なのは本家と分家の関係にある。

 エンパイア一族にとって分家は劣等の象徴として蔑まれていた。しかし、龍帝を裏で操っていたのがエルディニクスならばそれを黙認していた……いやむしろ助長していた可能性すらあるのだ。


「大事な"血"ならば、もっと大切にするべきではなかったのか」


『ソレデハ意味ガナイ。蔑マレテイタオ前ノ祖先達ガ何ヲ一番望ンデイタカワカルカ? ソレハ……『“龍帝”ニナリタイ』ダ』


「……!」


『一番間近ニアルノニ手ガ届カナイ。モシカシタラ"ソコ"ニイタノハ自分ダッタカモシレナイ。ワレハギャラクシア一族ガ常ニソウ望ムヨウ仕向ケルタメニ分家トシタノダ。フヌケタエンパイア一族ト違イ、憎シミノ炎ヲイツマデモソノ魂ニ宿ス、ワガ意思ヲ継グ者ヲ!』


 “龍帝”を羨み、憎しみ続ける……そのために産みだされたのがギャラクシア一族だというのか……。

 いつか自分達が取って代わる、その時こそがエルディニクスが復活する本当の時だったということ。


 しかし……。


「曾祖父様達……龍皇帝国が滅んだ際に我が祖先は身を潜めることを選んだ」


『ソノ通リダ、マッタクナント情ケナイ腑抜ケバカリヨ。ワレノ魂ガ事象ノ管理者ノ下ヘ戻ッタ際、スグニデモギャラクシア一族ノ『龍帝ニナリタイ』トイウ意思ガワレヲ呼ビ戻ストバカリ考エテイタノダガ……ワレノ思惑ハ外レ、奴ラハ“龍帝”ヲ諦メタ』


 新たな龍帝を望むよりも同じ歴史を繰り返すかもしれないという"恐れ"が勝ち、龍帝どころか龍族という存在そのものが人々に忘れられていくこととなったのはなんという皮肉だろうか。


『オカゲデ他ノ始祖龍ドモトコノヨウナモノニ封ジラレ、粗暴ナ獣ニイイヨウニ使ワレルトイウ屈辱マデ味ワサレル始末』


 神器“エンパイア”のことか。獣というのはおそらく盟友の語った前の所有者のことだろう。


『ダガソレモ、コウシテオ前ト出会ウマデノ余興デアッタト思エバスベテヲ許セルトイウモノダ』


「なぜ、そこまで我を求める。我と他の龍族とで何がそこまで違うというのだ」


『ワカラヌカ? オ前ト他ノ龍族ドモトデハタッタ一点ダケ、明ラカニ異ナルモノヲ持ツコトニ。ダカラコソオ前ハ、アノ里ヲ離レタハズダ』


 我が、我だけが他の龍族と違う点。我が……里を出たのは……幼き頃からの"夢"を叶えたいがために……。


『ソウダ、オ前ガ幼キ頃カラ抱キ続ケタ『“龍帝”ニナリタイ』トイウ強イ意思コソワレノ魂ト真ニ繋ガルコトノデキル唯一ノ要素ナノダ!』


 “龍帝”を望む強い意志が我とエルディニクスの魂を強く繋がらせただと?


「そんなバカな! 我はエンパイア一族を憎むこともなければ貴方のように世界を支配したいなどという下種な考えも持ち合わせてなどいない!」


『ク、ク、ク、ワレガギャラクシア一族ニ憎シミヲ促シタノハアクマデ“龍帝”ノ座ヲ欲ッスル意欲ヲ促進サセルタメニスギヌ。ソレニ、コノ繋ガリニ過去ノ行イヤ思想ハ関係ナイ。“龍帝”ヲ望ム意思……重要ナノハソノ一点ノミダ』


 おそらく、長らくこの地に封じられてきたエルディニクスには里のすべても覗かれていたのだろう。

 そんな中で“龍帝”を志す我を見つけ、目をつけた。


 だが、我とて黙って思惑通りにさせてやるつもりもない。


「エルディニクスよ、確かに我は貴方の思惑通り龍帝を志し、結果としてこの地を訪れることとなった……。だが! 我が“龍帝”を望んだのは紛れもない我自身の意思、決して貴方の思惑に導かれたからではない!」


 たとえすべてがエルディニクスの計画の内だとしても、我はこの先の未来を愛する者と共に生きると決めている。


「貴方の復活はない、その意思を降し、神器をわが物としてみせよう! その先に、我は新たな龍皇帝国を作って見せよう……龍族だけではない、誰もが笑って暮らせる理想の国を!」


『ソウダ……ソシテソノ頂点ニ立ノハオ前ダ、アポロニクス・タキオン・ギャラクシアヨ』


「なにっ……!?」


『素晴ラシイ理想ダ。ソコニハ争イモ苦シミモナイダロウ。ソンナ世界ナラバ、反旗ヲ翻サレルコトモナイ……。ワレハオ前ノ理想ヲ、心カラ応援シヨウ』


「何を……言っている? 貴方の目的は……」


 我の肉体を奪い、現世に復活することのはず。なのに……そうだ、ここまでエルディニクスは一切我に対して敵意を向けず、してきたことは淡々と会話を続けるだけ。

 そして今、エルディニクスはハッキリと言葉にした……我の理想を応援したいと。


『……ワレガ復活シタトテ、再ビ同ジ過チヲ繰リ返スデアロウコトハ目ニ見エテイル』


「これは……!」


 突然、今までエルディニクスの炎以外は真っ黒に塗りつぶされたような風景が変化していく。

 空の、土の、海の色が追加されていき、まるで一つの世界が作られていくようだ。……だが、そこに映し出されたのは美しい風景だけではなかった。


『コレガ、カツテノ龍皇帝国ノ最後ダ』


 その光景は……まさに地獄としか言いようがなかった。

 巨大な建物がいくつも立ち並ぶ壮大な街並みだったであろう都市は破壊と戦火の煙に包まれ、多くの種族が集団で龍族を斬殺するところもあれば龍族が他種族をその爪で引き裂き、息吹で焼き殺す場面も存在した。

 果てには……同胞を疑い出した龍族同士が殺し合い、共に倒れるというなんとも救いのない光景まで、そのすべてがこの目に飛び込んでくる。


 最後には、巨城の頂点よりさらに上空にてもつれ合う二体の龍が力を失ったように地上へと落下し……。


「爆発し……すべてが失われた」


『ワレトアルカディスガ死スル際ニ放出サレタエネルギーハスベテヲ無ヘト還シタ。ソウ、ドレダケワレガ繫栄ヲ極メヨウトモ、イツカハ無トナルダロウ』


 だから、我の理想を応援したいというのか?

 ……この言葉は、本当に真実を語っているのだろうか。もしかしたら我を貶めるために嘘を語っているのやもしれぬ。

 これでは、盟友達が語った邪龍のイメージとはまるでかけ離れて……。


『アノ時代ヲ知ル者カラ話ヲ聞イタノナラワレヲ信用デキヌノモ無理ハナカロウ。ダガ断言シヨウ、今ノワレガ望ムノハ……コノ世界ダト』


「また……風景が!?」


 すべてが無に消えた廃墟の風景が新たな景色に塗り替えられていく。

 そこに映し出されたのは、これまでとはまったく異なる美しい世界で……。


「……なんと」


 それ以上、我には言葉を続けることができなかった。

 その巨大な都市の中には多くの種族が手を取り合って助け合いながら生活しており、どんな脅威が訪れようとも共に立ち向かい平和をつかみ取っていた。

 勝利に喜ぶ多くの種族が集まる中でも中心にいるのはもちろん龍族だ。だが、あの姿は……。


「父様……」


『少々オ前ノ記憶カラ拝借サセテモラッタ。オ前ノ理想ガ実現スルトイウコトハ、同時ニ父ノ願イヲモ叶エルコトニ繋ガル、ソウデアロウ? ソシテ、アノ国民ト共ニ歩ミナガラモ導クノハモチロン……』


「我……と、あれはネル……か」


 王城の最上部から国民全員に称えられる我ら夫婦の姿がそこにあった。

 てっきり、エルディニクスにとって龍族が他の種族と結ばれるなど絶対に許せないことだと思い込んでいたが。


『人ヲ愛スルコトハ自由ダ、種族ナド関係ナイ。ソレガオ前ノ龍皇帝国ニトッテ幸セナコトデアルナラ当然ダ。相手ガ誰デアロウトオ前ハ結バレタ者ト愛ヲ育ミ、ソノ受ケ継ガレタ"血"モマタ誰カヲ愛シ永劫ノ平和ヘト繋ガッテユク』


 そうか、なにかネルに違和感があると思ったが、それは彼女のお腹に宿るもう一つの命だった。

 我の血を受け継ぐであろう、龍皇帝国の次代を担う新しい希望だ。


 まさにこの世界は我が望む理想そのものといえるだろう。


「だがエルディニクスよ……。この光景の中に貴方はいない、それで本当によいのか?」


 そう、ここには理想を見せる肝心のエルディニクスだけが存在しない。

 我にこの世界を見せてくれた彼がいないのはどこか……とても寂しい気持ちとなる。


『ワレハイル……ソウ、オ前ト共ニナ』


「我と?」


『ソウダ、今ココデワレトオ前ガ一ツトナリ、共ニコノ世界ヲ目指スノダ』


 なんと!? 我とエルディニクスが一つに!?

 確かにそれならあの映像の中にいるとも言えなくもないが。それはつまり……。


「我と貴方の意識が混ざってしまうということになるのだろうか……」


『案ズルナ、肉体モ意識モオ前ガ基本トナル。ワレノスベテハオ前ノ中ニ溶ケテ消エル。ソレデモ、オ前ノ感ジタ平和ヲワレモ感ジルコトガデキルダロウ』


「自分の意識が消えてもいいと?」


『ソウデハナイ。ワレノ意識ハオ前ノ意識トナルノダ。オ前ノ見タモノ、聞イタモノ、感ジタモノヲワレモ共有スルコトトナル。ダガオ前ノ意識ガ侵サレルコトハナイ』


 ……正直、我はエルディニクスの言葉を信じ始めている。

 ここが精神の世界だからなのか感じるのだ、エルディニクスがこれまで語ったことは本心から出た言葉だと。


『ワレトオ前ガ一ツトナレバ今コノ世界ニ迫ル脅威ヲ打チ倒スノモ容易イモノダ』


 そうだ、もともと我がここにいる理由は始祖龍の力を得ることが目的。エルディニクスと一つとなればそれも達成できる。


「エルディニクスよ……貴方と一つとなるにはどうすればいい?」


『簡単ナコトダ、アノ理想ニ手ヲ伸バスダケデヨイ』


 あの……我と我の血を受け継ぎし子を宿したネルへと手を伸ばせば……理想を実現する"力"を手にすることができる。

 そうだ、我は常に求めていた。新たな龍皇帝国のために、父様に認められるために、ネルと共に生きるために、盟友達と世界を救うために。


 すべては“龍帝”という我の幼き頃からの理想のために。


「これで……我は……」


 だが理想に手を伸ばしたその瞬間、逆の腕を掴まれ小さく引き戻されるのを感じた。

 振り向くと、そこにいたのは……。



「アポロ、そっちへ行っちゃだめ……いかないで」



 理想の中の笑顔とはまったくの正反対の、悲しそうな表情ににわずかな涙を浮かべるネルの姿が……そこにあった。


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