272.5話 “勇者※※※”


「選ばれし勇者よ、どうか世界に巣食う悪を撃ち滅ぼし平和をもたらしてください」


 その日、運悪く学校の階段から足を滑らせてしまったと思った瞬間ワシ……いや"僕"は不思議な空間で目の前の“女神”に語り掛けられていた。

 こっちから語り掛けることはできないまま、世界の危機だとか魔王の存在とかいろいろ説明されてよくわからない内に落下する感覚と同時に意識が途切れて……。


「いだっ……!?」


 気づけば僕は石の地面に尻もちをついて座り込んでいた。

 顔を挙げると、目の前に広がっていた景色はいつもの学校の風景じゃなくて……。


「なんだこれ……まるで日本じゃないみたいな……」


 中世ヨーロッパ……というのはよく知りもしないので決めつけられないけど。そう、まるでゲームや漫画で出てくるようなファンタジー世界のイメージそのものだ。

 異世界モノやそういう系の話題は友達ともよく話しては冗談で「自分も異世界に行ってみたいぜ」なんて笑っていたっけ。


 けど今自分の置かれているこの状況。そしてさっきまで見ていた夢のような場所で語り掛けていた“女神”の言葉を信じるならば……。


「まさか……本当に異世界!?」



「あいつかっ! “特異点”から現れた謎の少年というのは!」

「まだわからないぞ、新魔族が油断させるために化けているのかもしれん」

「選ばれし者ならば“女神”様の神託を受けているはずだが……」



 まだ頭の整理がついていなかったけど、僕を取り囲む宗教団体のような人達の話し声が聞こえてくる。

 “女神”様の神託? ……そうか!


「じ、自分は魔王を倒すため異世界からやってきた! この世界に降り立つ際に“女神”様からそれが僕の使命だって言われたんです!」


 僕の言葉に周囲のざわつきがさらに強くなる。信用……してもらえるだろうか?


「静まりなさいあなた達。先ほど女神様の神託を受け取った、その少年は新魔族ではありません」


「おお、最高司祭様……」

「本当に女神様のご神託が……」


「どうも勇者様。私は女神政権最高司祭、パティオンと申します」


 人ごみで密集していた人達が道を開けると、そこへなんだか偉そうな人が僕の下へ向かって歩き自己紹介をしてくる。

 女神政権の最高司祭と名乗ったその女性は深く一礼すると、ニコニコした表情でこちらに手を差し伸べる。


「あ、ありがとうございます。僕は神之希望かみのきのぞむという者で……」


「ノゾム様……ですね。突然のことで困惑されておいででしょう。ですがご安心ください、異世界の勇者様を全力でサポートするのが我々の与えられた役割。ですので、どうか我々を信じてついてきてはいただけないでしょうか」


「は、はい……わかりました」


 それ以外に僕に選択肢はなかった。だって僕はただの学生で、未知の世界に戸惑うことしかできなかったから。

 導を与えられてしまったら……もうそれを辿ることしかできない子供だったから……。


 それから神殿を案内されて、豪華な部屋に豪華な食事と凄い好待遇でもてなされた後、この世界のことを教えてもらった。

 ……いや、正確に言えば"女神政権の主観"がほとんどな世界の現状だったけど。


「それじゃあやっぱり、その魔王マーモンというのを倒せばいいんですね。よし! 早速向かいましょう!」


「それはなりません」


 話を聞いた僕は早々に魔王討伐に乗り出そうとしたが、パティオンさんに引き留められてしまう。

 なんでも女神の力を持つ異世界人は常人よりも強い肉体は持っているが鍛えなければ宝の持ち腐れ。それにまだ僕の持つ"女神の力"の詳細もわかっていないと。


 この時の僕は、正直浮かれていた……。特別な力を持つと言われ、それこそラノベの主人公のような展開が待っているんだろうと。

 朝起きて、学校に通い、つまらない授業を受けて、友達と特に意味もない話題で盛り上がって、家に帰って、ご飯を食べて、勉強して眠る。

 そんな退屈な日常から抜け出して夢のような冒険物語が始まるんだと、そんなのんきなことしか……考えていなかった。




「これが、僕の力?」


 それから数週間、僕は女神政権の下で強くなるための指導を受けながら女神の力の覚醒のための訓練を続けていた。

 そして、ついに目覚めたその力は……。


「“希望”……ですか?」


「はい、間違いありません。おめでとうございます、ノゾム様は異世界人に与えられる力の中でも特に優秀な力をお持ちのようです」


 “女神”より与えられる“七美徳”の力。その中でも特に戦闘に役立つだろうものは“希望”か“勇気”の二つだけらしく、僕はその片方を有していたとのこと。

 そんな僕の持つ力の詳細は……。


「今、パティオンさんに流れてるエネルギーみたいなものがそれってことですよね?」


「ええ、ノゾム様のお力を感じます。では、今度は自身に意識を集中してみてください」


「はい……おお! す、すごい! 力がみなぎってきた!」


 これが“希望”の力、力の譲渡だ。僕の生命力ともいえる力を分け与え味方を強化することができ、その逆に生命力を与えてもらうことで僕自身を強くすることが可能となる。

 ただしこれにはお互いの信頼が必要で、誰かれ構わずってわけにもいかない。


「これで今後の方針が決まりましたね。ノゾム様にはこの先多くの従者との信頼を深めつつ、ご自身のお力も高めていくこととなるでしょう」


「いや従者って言われても……」


 言い方が大げさだと思ったけど、この後パティオンさんが何一つ冗談を言ってないことを僕は思い知らされる。


 後日、神殿内の大きな広間に連れてこられると、そこには三人の男女が片膝をついて僕達の到着を待っていた。


「パティオンさん、この人達は……?」


「彼らはノゾム様の従者となる者達です。あなた様のお力が判明後すぐに我々の信徒兵の中でも選りすぐりの三名を選定いたしました」


 そう言って紹介されたのが、魔力を闘気として振るう前衛の戦闘力に優れた男性の戦士リュガ。五つの属性を操ることのできる女性の魔導師セレナ。回復魔術に精通し、多くの薬学の知識も持つ女性サラーサ。もちろん全員人族だ。

 彼らはこの短期間で僕のために集められ、僕と共に魔王を討伐するため命をかけるという。この時は正直、いたせりつくせりな状況でちょっと困惑した。


 でも僕はこれを、「これこそ異世界特有のご都合展開だ!」なんてすぐにのんきで甘い思考で何一つ疑問を持たずに受け入れてしまう。

 ただ、そんな好待遇だったからこそ僕は調子に乗って軽はずみな発言をしてしまったんだ。


「そうだ! せっかくだし冒険しよう!」


「はい? 冒険……ですか?」


「うん、ここで特訓し続けてるだけってのもなんだか味気ないなって。僕ももっとこの世界のことを知りたいし、みんなと一緒に旅をすれば信頼関係も生まれる。それに、もしも旅先で強い人と出会えたら仲間になってもらうのもいいじゃないかな。強い人が多ければ多いほど僕の力も増すんだから」


 思い付きだったけど、パティオンさんは考え込むように難しい表情をして、一言「女神様に確認して参りますので数日お待ちください」と言い残して消えてしまった。


 やっぱり無理な注文だったかなと反省したけど、後日急に冒険の許可が下りて、しかも万全の準備まで丁寧に揃えられてたのにはびっくりした。


「先日お伺いしたところ、女神様もノゾム様の提案に深く共感されておいででした。ですので、我々もその意に従い全面的に協力を惜しみません」


 こうして女神政権全面プロデュースの下、僕の冒険が始まった。


 旅先で魔物の襲撃に困っている街の防衛に協力したり、海沿いで新魔族侵略の被害を受けている町や村を助けたり、魔導師ギルドに立ち寄って魔術の向上のため教えを受けもした。


「僕達の連携もかなりいい感じに仕上がってきたね。でも……」


 この度で僕らの信頼も深まり“希望”の力でお互いを補えば新魔族だって敵じゃない。

 そうして僕は、何人もの新魔族を……殺してきた。

 皆は「侵略者に対して情けをかける必要はない」といってくれるけど、僕の手には常に人を殺したという生々しい感覚がいつまでも消えてくれなかった……。


 そんな現実離れした感覚を毎日感じていたせいか、就寝前には決まって元の世界のことを思い出す。あの頃の……僕の穏やかだった日常のことを。


(帰りたい……な)


 ホームシックというやつだったのかもしれない。自分は女神政権のおかげで何の苦労もない理想の異世界ライフを送っているのに、なぜか恋しくなるのは元の世界……そして残してきた父と母の姿だ。

 だが異世界から帰れるのか、もし帰れたとしても自分の血に汚れた手で本当に両親と会っていいものなのか……。


(きっと大丈夫だ。だって……)


 だってこれは、自分に都合のいい異世界召喚なんだから。

 そう自分に言い聞かせて、僕は毎夜眠りにつく。




 その後、中央大陸での僕の活躍が大分知れ渡り、もうこの大陸で得られるものはないと考えた僕はある提案を皆に伝えることにした。

 それは……。


「一度別の大陸の……そう、もっと過酷な環境で鍛えてみようよ」


 中央での修行には限界がある、それにこの大陸では結局新たな仲間は見つけられなかった。

 パティオンさんに紹介してもらった三人が優秀すぎていくら人材を募集しても力不足という結果で終わってしまった。


 こうなったら新天地へ赴くしかない! と僕は意気込んだんだけど、皆はあんまり別の大陸へは行きたくないようで、何とか説得したうえで一番過酷だと言われる第一大陸にだけ向かうことになった。


 そこで僕は……運命の出会いを果たす……。


「はじめまして勇者様。私の名前はリィアルと申します。私を……あなた様のパーティに加えてくれませんか」


 それは、強力な魔物が住むと言われる森の中でこちらの魔力を無限に吸収する魔物、ドラゴグリフォンと対峙していた時のことだった。

 その強さに苦戦していた僕達を颯爽と助けた彼女はその死体の上でにっこりとほほ笑むと、僕達の仲間になりたいと志願してきたのだ。


 その強さに僕はすぐにでも彼女を仲間にしたかったけど、どうも皆はいい顔をしない。理由は、彼女が“旧魔族”だったから。

 女神政権の教義では人族以外はあまりいい扱いを受けてないらしく、さらに旧魔族は新魔族の同族、あるいは配下だと言う人もいるようで。


「だから、私はその間違った認識を払拭するため勇者様と共に魔王を討ち、旧魔族は人族の味方であると世に伝えたいのです。私の魔術はお役に立ちますよ?」


 僕を含め仲間の皆も彼女を前に警戒はするものの動けないでいた。それは、彼女が僕達の誰よりも強いと理解してたからだ。

 強力な身体能力に加え絶大な魔力量にそこから繰り出される多彩な魔術。“希望”で全員の力を僕に集約してもギリギリの勝負になるだろう。


「キミの言い分はわかった。僕達は……」


 結果的に僕達は彼女を仲間に加えることとした。

 でもやっぱり仲間の皆は彼女のことを信用できないらしくて、彼女とコミュニケーションをとるのはもっぱら僕の役目になっていた。


「わかっていますよ、私が信用されていないのは。それでも私はやらなければならないのです。旧魔族が……私の家族が大手を振って誰の前でも歩ける世界を作り出すために」


 彼女には……そんな大きな目標があった。じゃあ……僕には?

 ただ異世界にやってきて、魔王討伐を頼まれて、流されるままに僕は何の目標もなく今を生きている。


 そして彼女の言葉の中に含まれていた『家族』という単語から僕はまた父さんと母さんのことを思い出す。

 その想いを抑えきれなくなった僕はついに、今まで聞きたくてもどこかためらって言えなかった質問を皆に聞くことになる。


「ねぇ皆……僕は魔王を倒した後、元の世界に帰れたりしないかな」


 彼らに聞いて答えが返ってくるかはわからなかったけど、パティオンさんから何か聞いてるんじゃないかと思ったから聞いてみたけど……どうやら、それは正解たったらしい。


「最高司祭様から、いつか勇者様からその質問をされるかもしれないとは聞かされていました。ハッキリ言ってしまえば、「その方法はない」とのことです」


「故郷に帰れないのはお辛いでしょうが、我々も女神政権を勇者様の第二の故郷としていただけるよう精一杯支える所存です」


「魔王を打ち倒せれば勇者様は英雄です。そうなれば誰からも慕われる存在として末永く暮らすことができるでしょう」


 それぞれが三者三葉に慰めの言葉をかけてくれているようにも聞こえるが要はこういうことだ……「元の世界のことは忘れてこの世界で生きろ」と。

 もう二度と父と母には会えないのだから諦めろ……と。

 そんなセリフを仲間達はまったく悪びれもない純粋な善意で言っているのだと。


(もう……会えない)


 その夜、僕は一人で心をなくしたように空を見上げていた。手の中に両親と共に小さな頃の自分が写る写真が中に入ったロケットペンダントを握り締めながら。

 気づけば涙が流れ、開かれた手の中の写真に零れ落ちていた。それは、僕の悲しみを誰も理解してくれないことへの虚しさも混じっていて……。


「勇者様は、元の世界に帰りたいんですね」


「えっ?」


「ご家族に、会いたいんですね」


 そんな僕の背後にはいつの間にかリィアルがいて、彼女はそのまま背後から僕を慰めるように優しく抱きしめてきて……。


「辛いですよね、寂しいですよね。ごめんなさい、私にはこんなことしかできませんけど」


 その温もりは、この世界に降り立ってから初めて感じた本当の優しさで……。


「辛いなら、辛いと言ってください。帰りたいのなら、帰りたいと言っていいんです。泣きたいのなら……私が、あなたの涙を受け止めますから」


「う……あああああ! 父さん、母さん! ごめんなさい、ごめんなさい……。僕、僕はもう……」


 僕は彼女の腕の中で、もう二度と会えなくなった肉親への謝罪と哀愁を枯れるまで出し尽くすのだった。


 でも、本当に衝撃だったのはすべてを出し尽くして落ち着いた後だった。

 僕は恥ずかしさから彼女の顔を見れずに押し黙っていると、不意に彼女の方からとんでもない提案を持ちかけられて……。


「なら、魔王を討った後に私と一緒に元の世界へ帰る方法を探しませんか?」


「え? ……ええっ!」


「これ内緒なんですけど、私の故郷に古い魔術の資料が沢山あるんです。それを基に世界を巡ればきっと方法だって見つかりますよ」


 それは願ってもない提案だった。魔王を倒した後のことなんて考えてなかったし、僕だって戻れるものなら戻りたい。それに、できることならこの世界を隅々まで見てみたいって願望もある。

 ただ、それはつまり……。


「キミと二人で旅をするってことに……なるんじゃないかな」


「私と一緒は、お嫌ですか?」


 こうして僕は、人生初の恋に落ちた。




 それからは毎日ドキドキしっぱなしで、今までの悩みも乗り越えられるくらい充実した日々だった。

 第一大陸を冒険する中、彼女と共に過ごせるだけで僕はどんな障害でも乗り越えられると思えるほどに。

 他の皆にはあんまりいい顔はされなかったけど、彼らも彼女と共に冒険することに対する不満はもうなくなったようで、より一層魔王討伐に近づいた気がする。


 そんな中、僕の使っていた武器が長い戦いでボロボロになって、新しい武器を探している際に手に入れた情報が。


「この大陸の砂漠のどこかに世界でも最高純度の魔石が眠る地が存在して、それで作った武具ならまさに勇者にふさわしいものが出来上がるぜ」


 と町の鍛冶屋に言われて僕達は早速その地を目指すことにした。

 場所は僕達がリィアルと出会った森に入るのとは別の道を通ることでたどり着くことができ、さらに奥まで進めば目的の地らしいけど。


「あつっ……! 勇者様、我々にはこの先に進む術がありません!」


 まさに灼熱の地獄とも呼べるような砂漠を前に仲間達は先へ進むことができないでいた。

 ただ一人を除いて……。


「ならば、私一人でも先へ進み勇者様の武器となる魔石を必ず手に入れてみせます」


 リィアルだけは自身にのみ纏わせられる魔術によってこの熱を防ぐことができた。

 だが、そうなると彼女一人を危険な目に遭わせてしまう。


「駄目だ、僕も行く! “希望”の力を最大限に活用すれば僕だってこの砂漠を超えられるはずだよ!」


 こうして、僕とリィアルははじめて“希望”の力で繋がれ、驚異的な能力の向上によって二人で砂漠の中心までたどり着く。

 そこで待っていたのは、今まで見たこともない種族で。


「コレハ珍しいお客がヤッテきたもんだネ。ワタシに用がある……ッテわけでもなさそうダ」


 カタコトのような言葉で僕達を出迎える、強力な水の精霊の姿だった。

 彼はアクラスといって、なんでも“炎神”という強大な精霊の暴走を抑えるためにこの地に宿っているらしい。


 僕らは彼にここへやってきた目的を伝えると……。


「そういうことナラ、案内するヨ。ワタシも久々に人間と喋る機会が得られて嬉しいからネ」


 でもなんだか僕はアクラスの喋り方が凄く気になって、彼に少しだけ英単語をを教えてみることにした。

 そうすると、彼はその喋り方をとても気に入ったらしく。


「ワーオ! なんだかベリーベリーしっくりくるヨー! サンキューノゾム! ユーは面白い人だネー!」


 思った以上に似合い喜ぶアクラスに僕達はとても気に入られ、凄く純度の高い魔石とそのほかにも役立つ素材を沢山プレゼントして歓迎してくれた。

 思い切って仲間にならないかとも誘ってみたけど、やっぱり彼はここを離れられないらしく、深々と謝られて逆にこっちが申し訳ない気持ちになってしまった。


 だけどこれでようやく、僕達は魔王と戦うための最後の準備に進むことができる。


「ここまでこれたのもキミが僕に力を分けてくれたからだよ。本当にありがとう」


「いいえ、アクラスさんとここまで仲良くなることができたのは勇者様のおかげです。それに……本当は一人で砂漠を渡るのも心細くて、勇者様がついてきてくれて私、とっても嬉しかったんです」


 なんというか、とても恥ずかしい。ここは灼熱の第一大陸でありながらとても涼しい場所のはずなのに顔から火が出そうなほど熱くなっている。

 ただ、そんな僕達を見てアクラスはちょっと思うところがあったようで……。


「二人ともサ、なんでそんな呼び方がヨソヨソしいんだイ? ラブラブならもっと親し気に、ネイムで呼び合いなヨ」


「ら、ラブラブって! 僕らは別にそんな関係じゃ……。えっと、彼女だってそんないきなり馴れ馴れしくされても困るだろうし……」


「私は……別に構いませんよ」


「え……」


「私は勇者様ともっと親しみを込めて呼び合いたい……です」


 そこまで言われてしまえばもう、拒む理由はどこにもなかった。

 だって僕も、僕も彼女のことをずっと名前で呼びたいと思っていたんだから。


「ノゾムさん……で、いいでしょうか」


「うん、僕も……リィアル……さん」


「ふふ、私にさんはつけなくても構いませんよ」


 こうして、僕とリィアルの仲はより一層深まって、アクラスもそれを祝うように飛び回ってこの地での探索は終わりを迎えた。


 そうして武器も出来上がったところでパティオンさんから「魔王軍の動きが活発になり始めている」という報告を受け、僕達はついに魔王マーモンの住まう第五大陸へと旅立つことになる。

 その前に、リィアルがどうしても故郷に挨拶していきたいということなので僕達は先にそちらへ向かうことに。


「へ~ここがリィアルの故郷なんだね」


「あまり表立って暮らせないのでこんな辺鄙な地ですけれど、ここには……」


「姉さん!? 戻ったのね! 詳しい説明もなしに出ていっちゃうからみんな心配してたのよ!」


「あ、ノゾムさんごめんなさい。あの子はへーヴィ、私の妹なの。ちょっと村の皆にいろいろと説明しないといけませんから、少しだけ待っててくださいね」


 それだけ言うとリィアルは妹の下へ急ぎ向かってしまった。

 少し皆で待ちぼうけ……かと思えば他の仲間はどこかへ連絡を行ってたみたいで。


「あれ? 皆どこ連絡してるの?」


「最高司祭様への定期連絡ですよ。少々寄り道していくと報告したらあまりいい顔されませんでしたけどね」


 そうだよなぁ、もともと僕が修行の旅とか言い出さなきゃもっと早くに魔王と対峙してたはずだし。こんなに予定を引き延ばしちゃってパティオンさんには悪いことをした。

 けど、それをわかってここまでついてきてくれた皆にも感謝だ。最初こそ任命で僕の補佐を務めていただけかもしれないけど、今では気を許せる大事な仲間だ。

 それに、あんまり他種族をよく思わない女神政権の彼らがこうして旧魔族であるリィアルの故郷に嫌な顔ひとつせず同行してくれたことも、皆が彼女を仲間と認めてくれたようでとても嬉しい。


「ごめんなさい皆さん、それでは第五大陸に出発しましょう」


「え、もういいの?」


「はい、私の意思はちゃんと伝えましたから」


 見れば、村の住人総出でリィアルを送る態勢が出来上がっている。

 一番前にいる先ほどの妹ちゃんは……ふくれっ面でなんだか僕を睨んでいるような気がする。お姉さんを取ってしまった気になってなんだか申し訳ない。

 魔王を倒したら、またリィアルと一緒にここに来たいな。あの子にはあんまりいい顔はされないだろうけど。




 そしてついに……僕達は最後の戦いの地、第五大陸の魔王城へと乗り込む。

 襲い来る新魔族の軍勢を振り払い、多くの罠を掻い潜り、すべての死力を尽くして僕達は魔王を……。


「皆の力が……“希望”がっ! 今僕の中で一つになってお前を討つ! これで最後だ、魔王マーモン!」


「ば、バカな……この俺様がぁ……。こんな……こんな小僧にいいいいい!?」


 “希望”の力で一つになった一撃によって、ついに僕達は魔王を打ち倒した。

 これにより新魔族の戦力はガタガタになり、その勢いで女神政権は第五大陸に残ったすべての残党を第六大陸まで押し込むことに成功。

 まだ完全に脅威が去ったわけじゃないけど、少なくともこれで人々が新魔族の侵略に怯える日々は終わりを迎えた。


 そして僕達は、第五大陸で最後まで支援し続けてくれたベルディーナ王国の王都で盛大にこの勝利を祝おうということで呼び出されていた。

 正直、僕はすぐにでもリィアルと一緒に元の世界に戻る方法を探す旅に出向きたかったけど、彼らの好意を無駄にしないようこれだけには出席することにした。


 そう……こんなものに出席しなけば……あんなことにはならなかったのに。


「ノゾム様、おめでとうございます。ついに魔王を討たれましたね」


「パティオンさん。こちらこそ、僕のわがままでこんなに時間をかけてしまって申し訳ない」


「いえいえ、おかげさまで取り返した街の復興も順調です。魔王が住んでいた地には女神政権に身を置いていたもともとの王族が戻ることにもなりましたし……と、これは勇者様にする話ではありませんでしたね」


 しばらくパティオンさんと世間話をして、仲間の話題になったところで皆が見当たらないことに気づく。

 リィアルも人族だらけのパーティーに出向くのは気が重いということであてがられた部屋で休んでいるはずだけど……。


「あ、そういえば僕達に協力してくれた旧魔族の彼女の要望は聞いてもらえましたか。彼女の協力がなかったら魔王を倒すのも難しかったと……」


 ……そこで、いつの間にか会場がシンと静まり返っていることに気づく。周囲の視線は誰もが僕達に注目して……まるで何かを待っているように口を開かない。


「彼女の要望……旧魔族の待遇、でしたか」


「そ、そうです。魔王討伐に協力した彼女は人族に友好な……」


「穢れた他種族の要望など受け入れられるはずもないでしょう。そう! 魔王が消えた今こそ! 崇高なる我々人族が美しき世界を穢す他種族を狩りつくす時代がやってきたのです!」


 その一言に、会場が湧き上がる。誰もがパティオンさんのその意思に賛同し、当たり前のように他種族をどう狩ろうかなどと……笑いながら語り合っている。


 その事実に僕は戦慄した。つまり僕は今までそのために……そんなことのために戦っていたのだと理解したから。

 そして真っ先に思い浮かぶのは……僕が最も愛する旧魔族の彼女の存在。


(嘘だ……嘘だ……!)


 僕は無我夢中で走り出していた。きっと彼女は無事だとそう信じて……信じて……信じた結果が……。


「あら? 来てしまったのですね勇者様。ちょうど今、処理(・・)が終わったところですよ」


「ノゾ……ム……さ……」


「嘘……だ……」


 与えられた部屋で休んでいるはずの場所に他たどり着くと、そこには壁に寄りかかって胸から血を流す……無残な姿になり果てたリィアルと、そんな彼女を囲む返り血にまみれた三人の仲間の姿だった。

 その光景を僕は目の当たりにしても信じられなかった。だって三人は旅の中でリィアルとあんなにも親しくなったのに……。


「警戒心のない我々なら楽に処理できると思ったのですが、意外とてこずりましたね」

「最高司祭様の言いつけ通りにして正解でした」

「穢れた魔族と共に過ごしたのもすべてはこのため。苦労しましたね」


 皆は彼女を殺したことを……なんとも思っていなかった。ただ与えられた任務をこなしたと、それだけのことだとまるで普通のことのように。


「この女の報告を聞いた時、悩みましたよ。驚異的な力を持つ他種族が仲間になりたいと志願してきた……これをどう利用し処理すべきかを」


 いつの間にか僕の背後にはパティオンさんが立っていた。そして淡々と、これまでのいきさつを語っていく。


「確かに強き力を勇者に集約すれば魔王を倒せる確率は上がる。しかし魔王を倒すために他種族の力を借りたなどあってはならない事実……。だから、私は彼らに命じたのですよ、信用を得て魔王を倒したのちにここで処理するように……と」


「う、嘘だ……いくら不意打ちでも、リィアルがこの三人に後れを取るなんて……」


「そうですね、普通ならそうです。でも……勇者ノゾム様、あなたの“希望”を使えば不可能ではないんですよ」


「“希望”? そんな、この力は僕の意思でしか譲渡することは……え!?」


 少し酔っていたせいで気づかなかったけど、いつの間にか僕の“希望”が三人に向けて力を与えている。

 どうして……。


「少しズルをさせていただきましてね。初代最高司祭様から受け継がれたこの道具を使えば、他人がその力を操作することができるのです」


 それで、僕と話している間ずっと僕の力を三人に送っていたのか。リィアルを……亡き者にするために。


「……貴様らあああああ……がっ!?」


 急に湧いてきた怒りに僕はパティオンへ掴みかかろうとするが、リュガに押さえつけられ抵抗もできない。力が……湧いてこない。


「もう忘れたんですか? ノゾム様の力はこちらで管理してるんですよ。あなたにはこの先、新魔族の残党を殺しつくし、人族栄光の象徴となってもわねばなりません」


「誰が……そんなもの……」


「あなたが何と言おうともう遅いのです。すでに世界中の人族主義による他種族狩りは始まっています。そこで死んでいる女の故郷もすでに標的……いや、もう狩りつくされてるでしょうね」


 リィアルの……故郷? そうか、この三人があの時嫌な顔せずついてきたのは、あの時女神政権に報告していたのは……。

 僕は彼女だけでなく、彼女の大切なものまで壊す手助けをしてしまったんだ。


「もう一度言いますノゾム様。あなたは我々人族の象徴となっていただきます。それができないと言うのなら……」


「死んでも……嫌だね……」


「……そうですか。では、使えない傀儡はここで処理しましょう」


 押さえつけられて、動けない。背後でゆっくりと剣が抜かれる音がする。僕の息の根を止めようと、構えられている。


(どうして……こんなことになってしまったんだろう。僕はただ……キミと一緒にいられればそれでよかったのに。キミとずっと愛し合っていられれば、それで……)


 最後に思うことはリィアルのことばかりだった。目の前に写る動かなくなった愛しい人をもう一度抱きしめることもできないのかと、ただただ後悔しながら……僕は死を覚悟して……。


『すべてを失ってなお最後に思うことは"愛"! 素晴らしい、"愛"を知らぬ者が"愛"に目覚め、いつまでも愛しき彼女を想い続ける! そんなあなたにこそこの神器“テルスマグニア”は相応しい!』


 それは、知らない人の声だった。だけどその声が聞こえた次の瞬間、地面からボコボコと……真っ黒な泥のようなものが湧き出ては宙に浮かび球体へ形作っていく。


「な、なんだこれは!? 剣がへし折れて……!」

「ま、魔術も効きません! それになんだか体も重くなって……」


 それが重力の負荷だと気づくと急に、僕の頭にこの力のすべてが流れ込み、まるで自分を使えと言わんばかりに語り掛けてくる。


「だ、ダメッ……! 体、潰れそう!」


(潰れる……か。そうだな、それがいい。僕も今、貴様らを……潰してやりたいと思っていたところだ!)


「ば、バカなっ!? なんだこの力は、女神のものではな」


ぐしゃ


 僕の意思に同調するように黒い球体からエネルギーが発され、滅茶苦茶な方向から無数の重力に押し潰されると、パティオン、リュガ、セレナ、サラーサの四人は断末魔を挙げる暇もなく体を圧縮されその命を散らす。

 血の一滴すら残さず、ミクロ粒子になるレベルまで潰れた彼女ら四人の姿はもうどこにも存在しない。


 そして、この場に残されたのは僕と……。


「リィアル……」


 もはやピクリとも動かず冷たくなっていく彼女を前に、僕も生きる気力を失いかけていたその時だった。


(お願い……この子を……守ってください)


「え……?」


 それは、リィアルが最後に残した魔力の思念だった。彼女の体を詳しく調べると、その残された膨大な魔力は彼女のある部分に集約され何かを守っていた。

 そのある部分とは……子宮だった。


「まさか……そこに僕とキミの子供が」


 まだ生きている。生まれてくる我が子を守ることこそが、彼女の残したたった一つの願い。

 だけど、今の僕ではいずれ尽きる魔力のゆりかごをどう守ればいいのかもわからない。


『彼女の故郷に向かうといいですよ。そこには私が……まぁとある凄い"魔"の使い手が残した多くの魔術が残されてます。体外受精の受精卵を守る装置なんかもそこにありますよ』


「この声は……」


 この神器、テルスマグニアが僕の下に現れた際に聞こえた声だ。

 リィアルの故郷……そこに行けばこの子を助けられる。


「だけど……その前にまずはやらないといけないことがある」


 僕はリィアルの体を抱え歩き出す。何をやるかって? ……決まっている。


「この腐りきった街の住人を……誰一人として生かしておくわけにはいかない!」


 会場の人間も貴族連中も、女神政権も、街の一般人でさえ! この街の思想が人族主義に汚染されているなら……すべてを消し去ってやる。


 ……時間はかからなかった。もうこの街には誰もいない無人の廃墟と化した。

 そしてこれからは……。


「行こう、リィアル……」


 テルスマグニアの力により大地ごと地面と切り離し、僕は街全体を上空へと浮かび上がらせた。




 しかし誤算だったのは、まだ慣れていない状態でテルスマグニアの力を一気に使いすぎたため数日間眠ってしまったということだ。


「……はっ!? お腹の子は!」


 起きて一番に確認したのはそれだった。幸いまだ残された魔力は尽きずその命を守り続けている。

 僕は安堵して再び雲に隠れながらリィアルの故郷を目指した。


 だけど、たどり着いた先で見た光景は……。


「そんな……リィアルの故郷まで……」


 それは人族主義の国によって他種族狩りに合った無残な襲撃の跡だった。生き残りはいない……。

 集落を襲ったその国はなぜか壊滅していたが、僕にとっては彼女の夢が打ち砕かれたことの方がショックが大きかった。


 ……だから、僕は決意したんだ。


「世界中の旧魔族は……全員僕が助ける」


 助言の声が導いた旧魔族の墓の地下に眠る研究室から、僕は体外受精の装置と長寿の法を手に入れた。

 そしてリィアルの遺体をその地に埋め、彼女の残したすべての願いを僕が受け継ぐと誓い、再び空へと飛び立つのだった。






 これが、勇者であり愚者であったワシのアステリムで経験したすべてのこと。

 ワシはこの空をいつまでも飛び続けよう。リィアルの願ったこの……楽園のために。


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