269話 天空の楽園


 それは、目を疑うような光景だった。

 旧魔族という存在は人族主義による他種族差別において最も迫害された種族であり、それこそ多くの歴史書に『生き残りが存在する可能性は極めて低い』と記されるほど稀有な種族のはず。

 だがここに集まっている旧魔族はそんな説を否定してしまうかのようにぞろぞろとその数を増していく。10……20……この様子ではまだまだ居るだろうな。


 そしてこの光景に誰よりも衝撃を受けたのは他でもない……。


「なん……で。旧魔族の生き残りは、あいつ……へーヴィだけのはずじゃ……」


 私も旧魔族の生き残りに関しては思うところがあるがミネルヴァは私以上だろう。

 私達が以前出会った旧魔族の生き残り……へーヴィ。私にはヘヴィアとしての印象が強いがミネルヴァは彼女と数百年にわたってその憎しみをぶつけ合った宿命の相手だ。


「うわっ! ちょっとムゲン、これどういう状況?」


「なんか、見たことない種族の人が沢山いますね」


「我は……見覚えがあるな。なるほど、そういうことか……」


 起き上がってきた三人の中で唯一旧魔族の姿を見たことのあるアポロだけがいち早く状況を察したようだ。

 まぁ放心するミネルヴァの様子を見ればそりゃ察しもつくか。

 というか……。


「セフィラは旧魔族を見たことないのか?」


 仮にも人族主義の大本ともいえる女神政権のトップだったのだから多少は他種族のことにも理解があるんじゃないかと微かに期待はしてたんだが。


「そりゃずっと籠りっぱなしだったから見る機会なんてないわよ。エルフやドワーフを初めて見たのもムゲンと知り合ってからだし」


「ワウ……(それも逆に凄いっすね……)」


 アステリムで二千年生きてて他種族を初めて見たのがここ最近って……いや、それだけ初代最高司祭である“虚飾”が女神を外界と接触させないよう手を尽くしたということだろう。……そういうことにしておこう。


「そんなことより……どうすんのよこの状況」


 どうしたもんかね……。旧魔族はぞろぞろと集まってはくるものの、一定距離よりこちらへは近寄る気配はない。

 ただ、攻撃の意思は感じられない。侵入者を撃退するために集まったというよりは興味本位で見に来たといった意味合いが強いか。その証拠に誰も武器などは持たず軽装で、年齢も老若男女様々だ。


「敵意はないようだから、あんまり刺激したくはないな」


 かといってこのまま硬直状態というのもよろしくない。

 どうにかこちらに敵対心がないということを伝え穏便に済ませたいところだが、あれだけ派手に侵入しておいて素直に信じてもらえるだろうか。


「ねぇ、おねーちゃん達はどうしてあたし達と肌の色が違うの?」


「え……?」


 そんな硬直状態は一瞬で崩れ去ってしまう。いつの間に近づいたのか旧魔族の少女が一人、ミネルヴァの服の裾を掴みながら疑問を口にしていた。

 あまりにも……純粋無垢な表情で。


「だ、ダメよアンネ! 戻ってきなさい!」


 この子の母親だろうか、呼び戻そうと岩陰から必死に叫んでいる。我が子を想うあまり飛び出そうとしたようだが他の者に止められ、代わりに数名の男性が今にも飛び出しそうな勢いだ。

 だがアンネと呼ばれた少女がこちらにいるからか不用意に飛び込んでは来ない。

 この状況がどう変わるかはこの少女……そして問いかけられたミネルヴァの対応によって決まるだろう。


 ここまでの状況に困惑し放心していたミネルヴァだが、徐々に落ち着きを取り戻したのか表情にいつもの冷静さが戻っている。

 そして少女に目線を合わせるようにその身を屈め……。


「……わたし達はね、"人族"なの」


「ひとぞく……ってなあに? あたし達とは違うの?」


 人族という言葉に疑問を抱く少女だが、それは彼女だけに止まらなかった。大人の旧魔族でさえその名称に聞き覚えがなく互いに確認し合う姿が見受けられる。

 つまり、ここでは種族という概念すら存在していないということだ。おそらく自身を指す"旧魔族"という名称すら彼らは知り得ない。

 それほどまでに彼らは外の世界から隔絶され生きてきたのか……。


「おねーちゃんは、あたしと違うの?」


「どうかな……。ねぇ、アンネはお母さんのことは好き? 大切な人達は……いる?」


 優しく語り合う二人を私達も旧魔族の人々も緊迫しながら見守っている。


「うん! あたしママのこと大好きだよ! それにお友達も大人の人もみーんな好き!」


「そう、わたしもお母さんのこと大好き……。そして大切な人達のことも。だから、わたし達はそんなに違くないの。肌の色や他にもちょっと違うところはあるかもしれないけど、大切な人が好きって気持ちは一緒でしょ」


「ほんとだ! あたし達一緒だねおねーちゃん!」


 よかった、どうやら二人は分かり合えたみたいだ。他の旧魔族も二人の微笑ましい様子を見て警戒心が薄れたらしく、ホッとした表情を浮かべている。


「それじゃ、お母さんが心配してるから一緒に戻ろう」


「はーい!」


 ミネルヴァのおかげでなんとかこの場は収まったな。少女と共に旧魔族の集団へと向かうミネルヴァの後を追うように私達も揃ってついていくことにした。


「ねーねーおねーちゃん。あのおっきな人はおねーちゃん達とも違うけど、やっぱりあたし達と一緒なの?」


「おっきい……ああ、アポロね」


 先ほどの説得でも流石にその疑問にだけは払拭しきれなかったか。

 まぁ確かに私達五人の中で唯一アポロだけがまったく姿が異なるからそういう疑問も出てくるか。


「そうね、アポロはわたし達とも別の龍族で姿かたちも全然違う。でも……そう、一緒よ。姿は違ってもわたしはアポロが好きだし、アポロもわたしを好きでいてくれる、そう信じてる」


「へー、好き同士なんだね!」


「うむ、そうだぞ童女よ! たとえ姿が異なろうとも我らの好き合う気持ちは永久不滅! そしてネルよ、信じてくれているのは嬉しいが我は問われれば迷わず好いていると答えるぞ! いや、むしろ聞かれずとも何度でも答えようではないか! ハッハッハ!」


 相変わらず気持ちのいいくらい正直すぎる性格で安心するというか聞いてる方が恥ずかしくなるというか。

 ミネルヴァももう何もツッコむ気力もなく呆れた表情をしているしな。……若干嬉しそうに見えなくもないけど。


「しかし、やはりこの姿は彼らに少々畏怖を抱かせてしまうようだな。ならばこの場は我も姿を合わせるとしよう」


 そう言うとアポロの体が発光し始め、みるみる小さくなると人の形に留まり姿を現す。


「わー、おんなじになったー。でもまだちょっと違うね?」


「ハッハッハ、たとえ人の姿を象ろうと龍族の証たるこの角と尾は隠せぬのでな。だがこれで幾分か警戒されることもなかろう!」


 それでも二メートル以上はある巨体だけどな。まぁ以前はこれに加えて全裸のおまけつきだったのでそこからは大分改善したと言えなくもないが。


「ああっ、アンネ!」


「ただいまママ」


「もうママを困らせちゃダメよ」


 少女も無事母親の下へ戻れたようだし、あとはこちらの番だな。

 母子と入れ替わるように一人の旧魔族が申し訳なさそうな表情で前に出てくる。この場の代表的な立場の人間だろうか。


「先ほどは申し訳ない、あなた方の素性も詳しく聞く前から敵意をむき出しにしてしまって……」


「いやー仕方ないってのはこっちも理解はしてるさ。私達のような訪問者なんて今までいなかっただろうし警戒されるのは当然のことだ」


「ええまぁ……下界の存在がこの島を訪れることはこれまで一度もなかったと聞いていましたから、正直冷静な判断ができませんでした。それを、あの子と彼女が触れ合う様子を見て必ずしも害をもたらそうと訪れたわけではないと理解できました」


「下界……って単語やあんたの口ぶりからすると、地上にも自分達と似たような存在がいるのを知ってるみたいだが?」


「この島も常に雲に囲まれているわけではありませんから。ただ、確証は一つもありませんでした。たまに晴れた日に見下ろすと、我々と似たような都市の形が小さく見えることがあるので」


 なるほど、つまり彼らもこの島では都市型の生活様式で暮らしており、それが自分達にとっての普通だと認識しているからこそ下界にも同じような生活がある可能性に行きついたわけだ。


「そういえば、ここに入った時から気になってましたけど……天井には雲がかかってないんですね」


「あ! 言われてみればそうじゃない!? わざわざあんな雷雲の中抜けなくたってあそこからゆっくり穴でも開ければよかったのよ!」


「残念ながらそれは無理だな、あそこは重力の層が厚すぎる」


 どうやらこの島を覆う重量の壁はその中心……ここからでも見えるあの一際目立つ居城から集中して上空に伸び、そこから球型に広がっているようだ。

 つまり重力エネルギーが集中しているあの部分から壁を破るのはいくらレオンが繊細なコントロールを得たからといっても不可能に近いと言えるだろう。


「おや、我々の住まう都市の方向が気になりますか?」


「ん? ああ、あっちに都市があるのか」


「ずっとここで立ち話もなんですし、このまま我々の都市へ案内しましょう。皆も納得しているようですし」


 いきなり居住区へご案内か。知らないものへの警戒心はあるものの一度信頼できるとわかれば誰もが友好的に接してくれる。

 つまり、それだけ"脅威"に対する認識が薄い場所なんだ……この、天空の楽園は。

 争いもなく、魔物にも襲われることもない。外界と接触できるはずもないこの場所では過度な発展も起きることなくゆっくりと、ただゆっくりと平和に刻が過ぎていくだけ。


「ここの人達は……平和な世界しか知らないのね」


「ミネルヴァ?」


 そうつぶやく彼女の横顔はどこか寂しそうであり、辛そうににも見えるようだった。


「おねーちゃん、あたしの家連れてってあげる。お花がいっぱい咲いてるんだよ」


「そうなの? それは楽しみね」


 少女に手を引かれるとミネルヴァから暗い表情は消え、すぐさま優しい微笑みへと変化する。

 何か……思うところがあるんだろうな。そもそも旧魔族はミネルヴァの人生にとって大きな意味を持つ存在だ。

 変に思い詰めてなきゃいいんだが……。


「安心しろ盟友よ、ネルの問題は我の問題。何かあれば我が支える」


「アポロ……だよな、こういうのは一番頼りになる旦那の役目ってなもんだ。頼んだぜ」


「うむ、言われずとも。……それに盟友には他に気にしなけばならぬものがあるだろうからな」


「ああ、サンキュな」


 天空の島の上に旧魔族が住んでいるという予想外の展開はあったものの、私達の当初の目的が変わったわけではない。

 ハッキリと感じ取れているわけではないが、この視線の先……あの巨城のどこかに神器がある。

 そして、それを扱う者も……。


「ムゲンー! 何してんのー、皆行っちゃうわよー!」


「おっと、悪い悪い今行く」


 考え事は後回し。まずは彼らの住む都市というのがどんなものなのか、見極めてから今後のことを考えようじゃないか。


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