263話 神器“ムルムスルング”
「あたしは……もう、ドラゴスのことなんて……」
それ以上、精霊神の言葉が続くことはなかった。
あるいは、本心をひた隠し嘘の言葉を並べることもできただろう。だが彼女はそうしなかった。
その理由はきっとオレ達にはわからない。だが推測はできる。
「あなたも、その人と別れたことを今も後悔している。しかしよりを戻すにはあまりにも時間が経ちすぎてしまった」
「人づてにしか話を知らないのに随分と知ったように話すのね」
「失礼、確かにオレはフローラの親子で過ごした時間も、限の前世からの関わりも聞いただけでしかない。だがそれでも、フローラの願いを、限の思いやりを、オレは叶えてやりたい」
もちろん、オレ自信が元の世界に残してきた家族への想いをフローラに重ねているという理由もある。
だがそれ以上にオレは自分が大切だと思える仲間の願いが、想いが、報われてほしいと心から願うようになっていた。
ミーコがヴォリンレクスでかつての同胞と再会した際、その表情にはこれまで見せたことのない"喜び"を感じさせた。それはきっと、オレ一人では引き出せなかったものだ。
そういった幸せをオレは、オレの仲間と積み重ねていきたい。
それこそが、オレがこの世界で自分自身を見つめなおした先に見つけた、"本当に自分のやりたいこと"なのだから。
「ママ……一緒に、パパに会ってみようよ。それでもしパパがママにひどいこと言うようだったら、その時はあたしがパパにガツンとお説教してあげる!」
「……まったく、あなたはおかしな子ね。あんなに父親に会いたがってたのに、味方してあげないわけ?」
「それはそれ! これはこれ! あたしにはパパもママも、どっちも大事だもん!」
そんなフローラのお気楽ぶりに皆先ほどまでの緊張感はどこにもなく、呆れながら柔らかな表情を浮かべていた。
これでもう、精霊神も頭ごなしにこちらを否定してくることもないだろう。
「そうね……それじゃ、ここまで何百年も育児放棄してあたしに任せっぱなしだった恨みつらみをぶつけさせてもらいましょうか。こんな手のかかる子をあたし一人に押し付けた文句をね」
「そうそう……ってママ! なんで文句の内容があたしなの!? 別にあたしそこまで手のかかる子じゃなかったでしょー!」
「いや、それに関してはオレも精霊神に同意させてもらおう」
「……です」
「ええー!? 二人までなんでよー! あたしの味方でしょー!」
それこそお前が先ほど語った、『それはそれ、これはこれ』だ。だがそんな手のかかるフローラだからこそ、精霊神が今まで踏み出せなかった一歩を後押しできたのかもしれないな。
これでフローラ達家族の問題も少しづつ前進していくだろう。
あとはこちらの問題だな……。こちらも一筋縄ではいかない、そんな予感が……オレに一抹の不安を与えていた。
「うんうん、上手く話が進んでママもハッピー、あたしもハッピーで万々歳だね。それじゃ早速パパのところに……」
「ま……まだ、よじ……終わてな」
「ありゃ? そだっけ?」
「神器の件をまだ済ませていないだろう」
そもそも本来の目的はこちらでありフローラの件は副次的なもの。オレ達にとってはどちらも重要ではあったのでその限りではないが。
限から明かされた終極神という世界の危機、その対抗策の一端の回収はなにより重要なことだと。
「それに解決したからといってそのまま第三大陸に直行というわけにもいかない。一度ヴォリンレクスに戻り報告は済ませる必要もある」
「でもでもっ! その神器を持ってるのがママなんだから……ママが一緒に来てくれればそれで全部解決! なんだ簡単じゃん!」
フローラにしては賢い言い分。どうも自分の欲求が絡むと頭の回転は速いようだ。
だが、その考えにはオレも至っていた。神器所持者の精霊神が協力しそのまま力添えをしてくれるなら……と。
だがそれは……。
「ことはそう簡単な話ではない……そうですね」
どこか思い詰めたような、覚悟したような顔つきの精霊神に問いかける。
そのまま彼女は少し考えるように目を閉じ、再び開くとオレ達の一人ひとりに顔を向け、語りはじめる。
「確かに、神器“ムルムスルング”の所有権はあたしにある。でも今は……持ち出すことができないの」
「どゆこと? ママってばむつかしく話すからわかんないよ。パパが出てっちゃったのもそれが原因なんじゃないの」
「うぐっ……この子は、なんでたまに痛いところを的確に突いてくるのかしら。とにかく! 神器はある場所に固定されてて、そこから力を使うことはできるけど根っこを動かすことはできないってこと。わかった?」
「ん~……うん、わかったわかった」
これはハッキリ理解できていない時の返事だな。精霊神もそれを察してか呆れている。
フローラに難しい話を理解させることが難しいからな。そういうのを理解するのはオレの役目だ。
「以前限から、新魔族メフィストフェレスがこの大陸に仕掛けた罠を抑え込んだのはあなたの操る神器の力だと聞いた。それも、固定された場所とやらから神器の力を行使したということだと?」
「ええ、この大陸程度ならあたしの魔力に乗せて飛ばすことが可能だから」
「えーっと、ママの魔力って花粉を操るってやつだよね?」
「それに神器のエネルギーを乗せることで効力を引き延ばしたり、集めて武器や盾にもできる。これがあたしの使い方ってだけだけどね」
いまいち理解が及ばないな。いや、精霊神の説明はどれも説得力に足るものだったことは確かだ。
だが、今の話では神器の全体像が見えてこない。
オレがヴォリンレクスで確認した二つの神器にはそれぞれ定まった形というものが存在した。ステュルヴァノフなら鞭、アーリュスワイズなら衣というように。
だが、今の精霊神の説明では影も形も出てきていない。魔力に力を与えるという性質は理解できたが……。
「まさか……そのムルムスルングという神器には形が存在しないのか?」
「あら? もしかしてインくんからどういうものか教えてもらってた?」
「いいや、限からは詳細は所有者から聞いた方が理解できるという理由で聞かされていなかったが……まさか形ないものだとは思わなかった」
あいつも人が悪い。神器の詳細は聞けばわかるというが、ここに到着すればフローラが自分の目的を優先して先走るのは目に見えていた。もし二人が和解できずとも、オレはどうにか先に神器を手にしまた何度でも二人に和解の機会を作ろうと考えていた。
しかし、フローラと精霊神がいがみ合ったままでは神器の詳細などわからず、手にすることもできない。あいつは最初から二人の仲をオレに取り持たせようとしていたということだ。
その件に関しては、オレとしても望むところだったので恨みはしないがな。
「それで、その神器の正体はやはり……」
「お察しの通り、神器“ムルムスルング”の正体は超高濃度のエネルギー粒子の集まりよ」
定まった形を持たないエネルギーか、確かにこれは所有者以外には操れない代物だ。
問題は、今それを持ち出すことができないという話だが。
「よくわかんないけど、持ってけないなら持ってけるようにすればいいだけなんじゃないの?」
「そんな簡単にできるものじゃないの。あれは今ある機能を維持するために同調させて、外すことができないから」
「機能って?」
「『世界樹』よ。今はこの第四大陸で防衛システムのように働いてるけど、本来の用途は他にある……その力が暴走しないよう神器の力で抑え込む必要があるの」
世界樹か……よくよく考えればこの大樹も謎の多い存在だ。フローラの成長に大きく関わっており、根を自在に操り道にもなり魔導師の侵略から守りもした。
限の話では数千年も前から苗木として存在し、あいつが前世で死したのちにここまでの成長を遂げたとも聞いている。
だが……。
「暴走とはどういうことだ? この大樹がそれほど危険なものというのは初耳だ」
「この話をしたことがあるのは……ドラゴスだけだから。この木と……あたしのお母さんの代から続くあたしの一族の宿命のことは」
「ママのお母さんってことは……あたしのおばあちゃんってこと? それにしゅくめーなんてあたし知らないもん」
「あたしだって、最初はそんなものまったく知らなかったし知る気もなかった。でもある日……世界樹があたしに語り掛けて、そして見せたの。お母さんがあたしに託した想いと未来に起こりうる最悪の可能性を……」
最悪の可能性、その言葉にオレは嫌でも気づかざるを得なかった。それこそ、今まさにオレ達が直面している危機そのものではないかと。
「終極神という人智を超えた脅威、それを予見したということか」
「インくんの手紙に書いてあったね、『終極神』……。同じものかはわからないけど、あたしが見たのは世界が消滅していく光景。そして、お母さんが世界樹を託されて人語を理解する精霊になったこと」
「その二つの光景が同時に見えたということは、それらには密接な関係がある……つまり世界樹は終極神に対抗する術を持って生まれたものと考えるべきだが……」
「そうも考えられないのよね。これの苗はあたし達が世界神を封印する前にお母さんに託された。もし"世界リセット"が行われていたら『世界神』は健在でその終極神とやらに狙われることもなかったかもしれない」
「なるほど、ということは……もともと別の用途として生み出したが、終極神という存在が現れたことで新たな使い道を考案した可能性がある」
「ええ、あたしもそれを考えていろいろと調べようと手は尽くしたんだけど……」
「もーーー! ママも星夜もごちゃごちゃ難しいお話ばっかでわかんないー! 結局あたし達は何をすればいいの! 重要なのはそこでしょ!」
……それもそうだ。次から次へと疑問が湧き上がり重要なことをほったらかしにしていたな。
確かにこの疑問はこの世界に過去に起きたことを人づてに聞いただけのオレが理解するためには知識が足りなすぎる。
この話を理解し活かすのはオレでは役不足だ。もっと適任な人物に任せるべきだろう。
そして、今ここでオレがやるべきことは一つ。
「神器を世界樹から引き離す方法はないのか。オレ達には、あれが必要なんだ」
与えられた任務をこなす。それ以外は、後回しでいい。
「そうよね、あなた達はそのために来たんだものね。ごめんなさい、あたしもちょっと熱が入っちゃってたみたい」
「あ、あたしそれ知ってるよ。年取っておばちゃんになると無駄にお話が長くなる……ってママ、なんであたしの頭にそんな拳を押し付けていたたたたた痛い痛い!?」
「どうしてあなたは余計なことばっかり覚えてくるのかしらね~」
両の拳でフローラの頭を挟み、万力のようにねじり込んでいく精霊神。笑顔の内に凄まじい怒気を感じるが、これも親子のスキンシップといったところか。
長命な種族でも年齢は気にするということだ。オレも言葉選びには気を付けるとしよう。
「さて、フローラへの折檻もほどほどにして、本題に入りましょう」
そう言って精霊神が指を パチン と鳴らすと、世界樹が急に輝き始める。その光は徐々に世界樹から離れていくにつれ大量の小さな粒へと形を変えていく。
さらに精霊神が手を振ると、光の粒子はその指示に従うようにオレ達の頭上へ広がり、まるで満点の星空のように漂っていた。
「わー、きれいだね~」
「これがムルムスルング。今は視認しやすいよう粒子を集めていますが、細かく散布すれば肉眼では捉えられないでしょう」
ただ綺麗なだけではない。意識を集中すればわかるが、あの粒一つひとつに強大な、ただの魔力とは異なる圧倒的な存在を感じる。
「ただ術式に魔力を与えるだけなら誰でもできる。でも、この粒子は重ねた術式の性質を爆発的に高めるほど"濃い"魔力で人智を超えた領域へと昇華させるの」
人の領域では届かない……つまり繰り手の魔術そのものが神器そのものとなる神器。どんな性能になるかは操る者しだい、実に特殊な神器ということか。
ゴゥン……
「わわ、地震だよ」
突然一帯に起こる地震にフローラが慌てふためく。
規模は小さいが小刻みに震える地面にミーコは尻もちをつき、オレは直立し続けることができず片膝をついてしまう。
……おかしい、オレはかつて突然の揺れでも姿勢を崩さないための訓練を受けたことがある。だからこの程度の揺れならば問題ないはずだというのに、オレの体は耐えきれなかった。
おかしい点はもう一つ……この地震、いつまで続いてる。
「と、止まらな……です」
地震が発生してからすでに三分が経過しようとしているが一向に収まる気配がない。しかも揺れの方向が一定でなく上下左右不規則に揺れるこの状況はハッキリ言って以上だ。
まさか、この地震の原因は……。
「そろそろ限界ね」
その言葉と共に精霊神が再び手を振ると、ムルムスルングの粒子は揃って示された方向の先……世界樹へと集まり、包み込むようにその場へ収まってゆく。
「あ、地震収まったよ」
神器が離れれば地震が起こり、もとの場所へ戻ればそれが収まる。これは……もう原因は一つしか考えられない。
「今の地震は、世界樹が引き起こしたものということか」
「世界樹が? 星夜ってば面白いこと言うね。あたしはここに百年くらい住んでたけど世界樹がそんなの引き起こしたことなんて一度もないよ」
「星夜くんの推測通り今の地震は世界樹の影響によるものよ。ちなみに、これまで世界樹の影響で数年に一度は地殻変動が起きてたけどフローラはまったく気づいてなかったわ」
「ええーっ!? そうだったのー!!」
それだけ長い間ここに住んでいたというのにまったく気づかないとは呆れるほどの天然……いや、本当にそれだけのことだろうか?
「いくらフローラの天然が筋金入りだろうと限度がある。以前、フローラは世界樹と強く結びついた精霊だった。もしやそれに理由があるのか?」
「凄いわね、本当に頭の回転が速い。そしてその通りよ、フローラは世界樹と強く同調した精霊だからそこから放たれる魔力の波長の影響を受け流して感じることもないのよ」
「なんかあたし自身も知らなかった自分のビックリ情報が飛び出して仰天なんだけど。それより星夜のあたしに対する評価がおバカだと思われてるのかちゃんとあたしのこと理解してくれてるんだって喜んでいいのかわからなくて複雑な気分」
それをどう感じるかはフローラしだいだ。オレ個人としてはフローラらしさというものを言葉にしたにすぎない。
しかし魔力の波長か。どうも普通の地震ではないと感じてはいたが、あの立てなくなるほどの圧は世界樹の魔力によるものだったということか。
それらを踏まえて、精霊神からまだ話があるようだ。まずは話を聞いてからこの先どうするべきか判断するとしよう。
「この世界樹の……そう、暴走といってもいいわね。実は世界樹の暴走が始まったのは最近なの」
「最近? だが、地殻変動はこれまでも起こっていたという話だったが」
「それは世界樹の成長の余波で起きただけのもの。影響も植物の肥大化のような安全なものばかりだったし」
そうだったな。第四大陸の各地で行われていた豊穣の祭りもそれに関係していたという話だ。
「暴走が始まったのはほんのひと月近く前のこと。あたしにも原因がわからなくて、こうして神器で抑えて通常の状態に戻すことしかできないの。あたしには……世界樹の声がおぼろげにしか聞こえないから」
まさか、この地の事情に最も精通しているであろう精霊神にでさえ解決できない問題……。
だが世界樹の声……か。なんとなく、オレにも精霊神の考えが理解できたな。自分が聞こえないなら、自分よりも聞こえる者が対応すればいい。
「だからフローラ、この問題はあなたが解決するの」
「へ~あたしが……って、あたしがやるのぉ!?」
世界樹の暴走を治めることこそが、神器を解放するために必要なことであり、フローラが母と共に父の下へと向かうための第一歩となる。
オレ達にとって、フローラにとって人生最大の"試練"が今、始まりを告げた。
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