259話 欲張りな狼


「オッラァ!」


 あれから……『龍の山』到着から三日が過ぎた。その間、俺は神器を手に入れるため何度も龍神のジイさんに挑んでる。

 ただ結果は見ての通り……。


「そんな力任せの攻撃が通るとでも思っているのか」


「ぐはっ! ……チクショウ」


 今日も朝からずっと挑み続けてるってのに、俺は未だ一撃も入れられずこうして地べたに転がっちまってる。

 何度も剣を折られ、何度も打ちのめされ、何度立ち上がろうとも届かない……。


 俺が知らない領域の強さ……。俺はまだ、そこにたどり着く答えを得ることができていない。


「さて、そろそろ腹が減った。午前の挑戦はここまでだ、メシを食いながら体を休めておけ」


「おいジイさん、俺はまだ……」


「我がメシにすると言っているんだ。おい小娘ども、メシの支度と、ついでに小僧の怪我の手当てでもしておけ」


「は、はい!」


 ここ数日でリィナ達もすっかり食事担当だ。食材なんかはジイさんが用意してくれっから問題ねーけどよ、流石にここまで何の収穫もねえのに付き合わせちまってっからなんか申し訳ねえぜ。


「うわ、今日も凄い痣だらけ……。すぐ手当てするからね」


「ほら、早くこれを飲みなさいな」


「ああ……すまねぇ」


 これもジイさんが用意した飲み薬。よくわかんねーが、特別な栽培をしたルコの実っつー果実の絞り汁にこの山の頂上にのみ生える薬草を混ぜたもん……って聞いても俺にはチンプンカンプンだけどよ。

 ま、こいつを飲むと体内の魔力に力がみなぎって怪我の治りも早くなる。今の俺にはそれだけわかってりゃいい。


「……」


「そんな不安そうな顔すんなってお嬢さん。こんな試練、とっとと終わらせてやっからよ」


「え、ええ……本当、早くしてくださらないかしら。このわたくしにこれ以上食事の支度をさせるなんてやめてほしいですわ」


 なんかお嬢さんの雰囲気が暗えから元気づけようと思ったんだが、慣れないことばっかで疲れてたのかもな。

 そもそもお嬢さんはヴォリンレクスの貴族のお嬢さんだしな。そりゃこんな辺境の地で慣れない生活させるのも酷な話だ。


「お嬢様、リィナ殿、そろそろ食事の支度に参りましょう」


「そうだね、それじゃあ支度してくるからカロフは安静にしてて」


 リィナ達がいなくなり、俺の周りには静かな空気だけが流れていた。

 周囲には誰もいねえ、だから……。


「俺には一体……なにが足りねえってんだ」


 お嬢さんにはああ言ったものの、今の俺にはこの試練を突破する根拠なんて何一つ持ち合わせちゃいねえ。

 俺にできることはただひたすらに龍神のジイさんに挑むしかねえ。でもそれじゃ……今の俺のままじゃ何も変わらねえんだ。


「あら、弱音なんてあなたらしくありませんわね」


「ってお嬢さん!?」


 くそっ、誰もいねえと思ったから言葉に出したってのに。めっちゃ恥ずかしいじゃねえか。


「てかなんでいんだよ。リィナ達と一緒にメシの支度してたはずだろ」


「……ちょっと、話したいことがあったから。抜けてきましたの」


「話したいって……俺とか?」


 俺の問いに視線を合わせず頷くお嬢さん。その表情は、ここ最近よく見るあの不安そうなものへと変わっていた。

 そのままお嬢さんは俺の隣に腰掛ける。これはつまり、顔を合わせて話したくねえ内容ってことなんだろうな……。


「カロフ……わたくしはあなたが好きですわ」


「い、いきなりなんだよ直球に。ま、まあお嬢さんにそう言ってもらえんのは俺も嬉しいけどよ」


 けどお嬢さんにしちゃ違和感あんだよな今の告白。いつもならもっと遠回しに伝えてくるっつーか、攻撃的ってか。

 そいつはおそらく不安から来るものなんだろうが、お嬢さんの抱えてる"不安"はいつまでここに足止めされんのかってことだけだけじゃなく……多分、別の問題も。


「……リィナは、強いですわ。言葉で伝えずともあなたへの信頼で愛を示し、愛されてると実感してる。でも、わたくしは弱いから……こうしてあなたから言葉を返してもらわなければ不安で仕方がない……」


「んじゃあよ、お嬢さんは俺のこと信頼してねーってか? んなことねえだろ。俺はお嬢さんやカトレアのやつも、俺が試練を突破できるって信じてくれてるって思ってるぜ」


 カトレアはちと疑問に思うとこもあんが、こんな俺を本気で好きだと言ってくれたお前らのことを何より信頼してんだ。だからきっと、今も信じてくれてるはずだってな。

 むしろ、一番俺のことを信じれてないのは他でもねえ……。


「ち、違いますの。カロフのことは信じてますわ。でも……」


「でも……なんだよ?」


 慌てて否定するお嬢さんだったが、それっきり言葉に詰まっちまって周囲にはまた静かな空気が流れるだけになっちまった。

 ただお嬢さんの息遣いから何か言いたいことはあるが言葉にできねえって感じだ。

 だったら俺には、待つことしかできねえ。


「ねえカロフ」


 そうして、待ち続けた末に聞かされた言葉は。


「いっそのことすべて忘れて……どこかに逃げてしまわない?」


 思ってもみなかった、あまりにも後ろ向きな提案だった。


「なっ……! なに言ってんだお嬢さん! すべて忘れて逃げるってまさか……」


「も、もちろんリィナやカトレアも一緒にですわ! 二人にも反対されるとは思いますけど」


「い、いや、それも重要だけどよ……。そうじゃねえ、なんで逃げる必要があんだよ! 今さっき俺を信じてくれてるつったばかりじゃねえか」


「ええ、わたくしはあなたを信じています。ですが、カロフはどうなの? 自分自身を……信じられてますの……」


「それ……は……」


 ったく、なんであっさりと全部見透かされちまうんだよ俺ってやつは。

 俺は特別でもなんでもない。ごく普通のただの亜人族で、それが偶然ムゲンと出会って流れで英雄なんてもてはやされてるが……それでも俺はなんの才能もねえちっぽけな存在なんだ。


 それでも、俺を信じてくれるお前らがいるならって……。


「実は、わたくしもわたくし自身を信じられませんの」


「え……?」


 俺はそのお嬢さんの言葉の意味が理解できなかった。

 俺が俺自身を信じれてねえってのは事実だ。だがお嬢さんが自分自身を信じられねえってのはどういうことだ。


「わたくしはティレイル家の一人娘ですわ。ですがわたくしが女性である以上、家督を継ぐ権利はわたくしの婚姻相手にある。カロフ、もしわたくしと婚約したとして、家名を継ぐ気はあるかしら?」


「そんなこと急に言われてもよ……俺はこの国の騎士であることを誇りに思ってるし」


 要するにお嬢さんの話は、この国の騎士をやめて自分のとこに婿入りするかどうかってことだろ。そうなりゃ当然、俺は国を離れてヴォリンレクスの貴族になっちまう。

 皇子さんとかは喜ぶかもしんないけどよ、俺の帰るべき場所はやっぱり……。


「わたくしも、同じように家名に誇りを持っていますわ。だから、決して絶やすわけにはいきませんの」


「そいつは……立派なことだと思うぜ」


 ここでようやく俺にもお嬢さんの言いたいことが理解できた。

 そうか、あの夜リュート村で偶然聞いちまったあの会話はそういうことだったんだな。


「あなたへの愛と家名の誇り、わたくしにはどちらも大切なもの……。なのに、わたくしにはどちらも両立させられる自信がありませんの」


 それはどちらも信じてるからこそ。俺のことを信じてるからこそ俺はこの国を捨てないと確信して、家督を守るには俺と共にはいられない……。


「だから、逃げようってか」


「家の跡を継ぐことも、英雄であることもすべて忘れ、この大陸のどこかで穏やかに暮らす……そんなことを、考えましたの。たとえそれが叶わない願いだと理解してても」


 もし俺がお嬢さんの提案を受け入れて逃げ出す選択をしたらどうなっちまうんだろうか。

 まずなんにも言わねえでいなくなるわけにもいかねえだろうし、ヴォリンレクスにいるあいつらに一報を送る必要はあるよな。

 あいつらなら俺達がいつまでも帰ってこねえと必ず捜しにきちまうだろうし。


 そして次に……俺はすべてを諦めることになる。

 ガキの頃から目指してた騎士への憧れも、これまで得てきた信頼も、これまで費やしてきた力の使い道なんかもそうだ。

 あと何よりも……俺が今何よりも求めている親父の死に際、その真実さえも。

 だが代わりに平穏は手に入る。ムゲン達には精一杯の謝罪を伝えて納得してもらうしかねえけど。


 そう……きっとそこには、穏やかな暮らしが待ってる。


「確かに、楽しいかもな。リィナとお嬢さんとカトレアと……みんな一緒にいりゃ退屈もしないだろうしよ」


「でしたら……」


「でも済まねえな。俺はもう……決めちまったんだ」


 俺は、逃げるつもりはねえ。俺にはお嬢さんの言い分も理解できるし逃げ出すって提案も悪くねえって感じてる。

 けどよ、俺は決めてんだ。あの夜お嬢さんの苦悩を聞いちまった時から。

 どんだけ打ちのめされても、どんな説得をされようと、たとえ自分に自信がなかろうと。


「その意思だけは、ぜってぇ曲げないってな」


「カロフ、それは……なんなの?」


「ここじゃ言えねえな。ただ俺がお嬢さんに頼みてーことは一つだけだ。そのまま俺を信じ続けてくれ。そんだけだ」


「わかり……ましたわ」


 きっとこの答えはこの試練の中で明かすことになる。俺の決意を証明するために。

 ただ今は、そいつを胸に秘めて……。


「そんじゃ、メシを食いにいこうぜ」


 試練の続きに挑むため、まずは一発腹ごしらえといこうじゃねえか。




「ふう、ごっそうさん。さあジイさん、とっとと試練の再開といこうじゃねえか」


「せっかちか小僧だ。焦る気持ちは理解できなくもないが、がむしゃらに挑むだけでは何も変わりはしないぞ」


「うっせ、それでも俺はやんなきゃいけねえんだよ」


 昼食を済ませ、俺は再び試練に挑むため剣を取って立ち上がる。

 しっかし焦りか……まあ傍から見りゃ今の俺は焦ってるように感じられるだろうし実際その通りでもあんのは否定しねえ。

 だが俺にとってはそれだけじゃねえ。この試練の中で俺はいくつもの答えを出さなきゃならない。それを一刻も早く見つけるためには、今は一分一秒すら無駄にしたくねえんだ。


「カロフ、本当に大丈夫?」


 リィナ達も心配そうに視線を俺へと向けている。ただそれでも無理に引き留めることはしてこねえ。

 唯一お嬢さんだけは顔を背け俺と目を会わせようとしない。さっきのことが気まずいのかもしんねえが。


「お前らはそこで、信じて見守っててくれ。そんじゃ、いってくるぜ」


 今ここで言葉を交わす必要はねえ。俺の伝えたいことはきっとこの先の戦いの中にあんだからよ。


 どうやら龍神のジイさんも文句を垂れながらもしっかり試練の準備はできてるみてえだ。


「ほう、今回はまた随分と煌びやかな剣を手に取ったものだな」


 俺の手にあるのはこれまでとは違い豪華な宝飾が意匠された煌びやかな剣。

 そういや、これまで手にしてきた剣はどれも剣技に合わせた形や俺の戦闘スタイルに最適な形を選んできたってのに。


(どうして俺はこの剣を選んじまったんだ?)


 こんなもん俺の趣味じゃねえってのに。こういうキラキラしたのが似合うのはもっとお嬢さんみてえな……。


「コロコロと得物を変えて優柔不断な奴め。男なら一つの意思を貫いてみせぬか」


「はっ、俺は融通の利かずにただ一本の武器しか振り回すしかできねえ頑固なジイさんにゃなりたくねえからな。たとえ優柔不断だろうが、手に余る限りは受け入れるつもりだぜ」


「ハハハ言いおるわ小僧が。ただ……今日はいつもよりキツめに痛めつけられたいらしいな」


 おっと、流石に考えなしに言い過ぎちまったか。てかジイさんも結構短気だよな。

 どうやらそれなりにマジでくるみてーだし、俺も早速。


「いくぜ、『獣深化(ジュウシンカ)』!」


 これまでも幾度となく行ってきた『獣深化(ジュウシンカ)』だが、ここ数日はこの状態がまるで息をするのと同じように体に馴染んでる気がする。

 その理由は……。


「さて、まずは軽く一発……ぬぅん!」


「それぜってぇ軽めの一発じゃねえだろ!」


 これだ。

 ジイさんの攻撃はどれもが正確で強力無比の一撃。それゆえに回避は難しくどうにかして受け切るしかねえ。


 まずはこの地面を走ってくるアホみてえな威力の斬撃を。


「ぐ……おおおおお!」


 こっちも剣を盾にして鍔迫り合いのように受け止める。

 それでも勢いはまったく衰えることなく俺の体ごと押し込んで進んでいく。

 だがこれでも獣深化の踏ん張りでようやく吹っ飛ばされずに済むって話で、いつもの状態なら押し込まれることなくボロボロにされちまう。


「ッ!? ここだっ!」


「ほう、僅かでも勢いが衰えた一瞬を見極め方向を反らしたか。まあ何度も見せてやってるからな、その程度はできるようにもなるか」


 この一発だけで何回リタイアさせられたと思ってんだ。

 とにかく獣深化を維持してねーと耐えきれねえ攻撃が多すぎた。だから……。


「こいつを受け切ったら次は……俺の番だ!」


 攻撃を受け流した瞬間に俺は高速で移動しジイさんに近づく。

 確実な一撃を与えるため俺は『獣人剣技』の構えを取る。すでに何度も破られてる技だが、今の俺には戦いの中でこの技を磨き上げていくことしかできねえんだ!


 だけど……。


「だがそれでは……やはり我には届かん」


 すでにジイさんの腕はあの雷と同化したものへと変化していて……。


「だったら先にぶち込みゃいいだけだろ! 獣人け……!?」


「愚か者め、雷と同じ速さで突き出される拳より先に一撃を与えられると思ったか」


 ……まただ。持てる力のすべてを振り絞ろうともこうして地面に叩き伏せられ、決して届かない感覚。

 試練が始まってからこれまで何度も味わってきた……自分自身の無力さ。


「少し強く打ちすぎたか。威勢がいいと思えばあっけなく終わったものだ。次に備えて今度はしっかり休むがいい」


「……待てよ、ジイさん」


「む……まだ意識があるとは。今の一撃では確実に……いや、獣深化が解けているな。我の攻撃を凌いだのと何か関係があるな」


 ご名答だが今はそれを口で解説してやる気力もねえ。

 ジイさんの攻撃は俺の魔力を破壊しながら内部にダメージを与えてくる。だから俺はとっさに獣深化の魔力を全部雷の魔力に変えて地面に流してやったんだ。

 自分でも、こんなことできるなんて考えてなかったけどよ。体が勝手に動いちまった。


「まだ……負けてねえ」


 結局獣深化も解除して体の魔力ほとんど空にしちまって……そんなんで戦えるわけもねえのに、それでも俺は……。


「よく受け流したと誉めてやろうと思ったが、結局はただの延命措置。命の取り合いならほんの数秒寿命が延びたにすぎん」


 かもしれねえ。でもよ、もし数秒でも残されてんだとしたら。


「その数秒で……活路を見つけりゃいいだけだ」


「諦めの悪い小僧だな。それでも今のままの貴様では何も得られん。まずは己の無力さを受け入れ、再び挑むがよい」


「……いやだっつったら」


「なに?」


 ここで諦めて、仕方ねえって背を向けて、そっから振り返って戻ってきたって同じところでまた同じことの繰り返しだ。

 だから、俺が何かを得るなら今ここで手に入れなきゃならねえんだ。たとえそれがどれだけ不格好な姿でも。


「貴様、心の奥底ではこのまま続けても無意味だと理解しているだろう。ならばそれに従え、多くを望めばすべてを失う」


「だから選ぶなら一つだけにしとけって? はっ、いやだね、そうやって奥さんも子供も見放した世捨て人みたくなりたくねえからな」


「……我を愚弄するか、小僧」


 結果としてそう聞こえちまうかもな。でもよ、俺は別にあんたを煽るためにこの話題を持ち出したわけじゃねえんだ。

 そう、この話題はきっと……お嬢さんがあんな提案を持ち出したキッカケだろうからよ。


 俺は違うんだって、逃げずに進んでも大丈夫なんだって、証明しなきゃなんねえだろ!


「カロフ……あなた」


「俺はな、手が届かねえからって諦めんのはヤメにしたんだ。だから俺は俺と、俺を本気で好きになってくれたやつ全員が最高に幸せにするって決めたんだよ!」


「愚かな……身の丈以上の欲を求めれば、背負いきれず破滅するだけだ」


「やってみなくちゃわからねえ」


 これは神器を得るためだけの試練じゃねえ。俺が俺の、決意を証明するための試練でもあんだよ!


「俺はこれからもリィナと一緒に騎士をやってくし、お嬢さんやカトレアの家の問題もどうにかする! 親父の真実も聞き出してアリスティウスとの関係にも決着つけて、今ここで神器も貰う! そんでもって最後にムゲン達と一緒に世界を救えば完璧だぜ!」


「はっはっは! 欲張りすぎだぞ小僧が! いいだろう、ならばまず我がその決意を打ち砕かせてもらうぞ!」


 ああ上等だ。大見得切っても俺はあんたに勝つ自信なんてこれっぽっちもねえ。

 だけど俺の決意はあいつらに聞かせちまったからな。俺はもう……負けられねえんだよ!


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