218話 『終極神』


 アーリュスワイズを吸い込み、薄い緑色に輝き始める幻影神のその翼は、明らかに他の翼とは動きが変わり始めていた。

 変幻自在に動く翼は先から無数に枝分かれし、触手のように周囲に広がる亀裂を消し去っていく。


「事象のカケラを一つだけ取り戻したか。だがそれでどこまでやれる?」


「――※※※※!」


 再びうねりを挙げて襲い来る亀裂の波が幻影神の緑の翼と激突する。その衝撃は先ほどと同じように互角……いや、幻影神の翼は衝突しながらもその形を変化させ亀裂を包み込もうとしている!


「その程度の小細工で優位に立ったつもりか?」


 だが、奴はそれを予測していたのか、新しく生み出した亀裂をまるで鎖のように使い翼を変化し始めた枝分かれ部分を縛り動きを封じてくる。

 これでもまだ幻影神に分が悪いというのか……。


「ムゲン、俺達にできることはもうないのか!」


「やれるだけのことはやった。私達にできることは……もうない」


 もはや私達にできることはこの戦いを見届けることしかない。私達の……いやこの世界の運命はすべて幻影神の勝利にかかっている。


「――※※※」


 あれは……鎖に捕らえられた部分を切り離し、翼の破片を遠隔的に操作しているのか。

 そしてそれは一直線に奴の……というよりも奴の背後にあるあの巨大な亀裂に向かって飛んでいく。


「なるほど、事象の内側に入り込み※※の因果律を直接乱すつもりか。しかし、浅はかだな」


 だが、その攻撃は狙いを定めていた巨大な亀裂から現れた無数の亀裂に捕らえられ、消滅させられてしまう。幻影神の中で唯一勝っている要素が緑の翼だけであるのに対し、奴はあの巨大な亀裂から大量の亀裂を生み出せるため攻撃の密度に差がありすぎるか。


 ただ一見劣勢にも見える幻影神だが、圧倒的な力で押してくる奴とは違い細かく精密な動きを駆使し被害を最小限に抑えながら戦っている。


[奴の写し身は事象内での自由を優先したためベースが通常の人間とそう変わりはなく、その器に奴の意識が収まっているだけだ]

[それゆえ使える力も制限されている、勝機は少なくはない]


 いいね、こういう負けているのに余裕を崩さない姿勢は私好みだ。

 幻影神にアーリュスワイズを与えたことは予想以上に大きな効果をもたらしたのがメッセージの文面から伝わってくる。

 それにどうもメッセージの主は何かを待っている。詳細はわからないが、それが切り札となりえるのか……。


「だけど、この状況どう巻き返すよ」


[すでに次の手は打たれている]


 緑の翼を抑え込まれ、このままでは変わらず追い込まれていくかと思われたが、よく考えれば幻影神は先ほどからその翼だけでしか戦っていない。

 そして幻影神の本体をよく見れば、他の翼は先ほどより強く輝き、その輝きは体内を通り右の拳へと流れ込んでいる。


「まさか、あれを……」



「――※※※※※※!」



 その私の考えの通り幻影神が拳を突き出すと、十分にため込んだそのエネルギーを吐き出すかのように巨大な衝撃となり、周囲の亀裂もろとも奴を飲み込もうと放たれていく。


「これは……やったか!?」


 って言いたくもなるよな、こんなもん見せられたら。私だって相手が奴でなかったら迷いなく勝ちを確信していただろう。

 だが、奴を私達の常識内で推し量ることはできない。これだけやってもまだ……。


「それがその写し身で使える因果力の限界のようだな」


 奴は涼しい顔で変わらずその場に立っていた。その周囲にはこれまでで最大規模の数の亀裂が奴と巨大な亀裂を取り巻くように渦を巻いている。

 はたから見れば竜巻のようにも見える亀裂の渦は、巨大な亀裂から常に生成され続ける無数の亀裂によって止まる気配がない。


 今のが幻影神のにおける最大の攻撃だとしたら、もはやあの壁を突破することは不可能……。それでもまだ、手があるというのか。


「さて、次はこちらが扱える最大の因果力を見せてやろう。何もかも消し飛ばされぬようしっかりと守れ」


 竜巻が大きなうねりを挙げてその勢いを増していく。そしてその中から数か所、大きな塊のように亀裂が集中し……。


「まさか……またあの波をぶつける気か!」


「ああ、しかも今度は一つじゃないときた」


 幻影神の全力でやっと打ち消せる程の強大な波が今度は無数に襲い掛かってくる。加えて、奴の口ぶりからして私達も標的にするつもりだ。

 一つの波で手一杯だった幻影神にあの数の波を抑えることはできるのか。


[あれを防ぎきるにはこちらも因果力を集中させねばならない]

[できるだけ一つに固まってほしい]


「あいよ。レイ、バラけていては幻影神は守り切れない、サティ達のところに戻って固まるぞ!」


 私の呼びかけにレイもこくりとうなずきサティ達の下へと走り出す。私もその後を追うように走り出すが……。


(……念のため、発動させておこう)


 スマホを操作し、右腕に[UnLock]を起動させておく。残り魔力残量は少ないが、いざという場合にあの亀裂を防げるのは幻影神以外に私しかいない。

 無駄に力を消費するだけで後の対抗手段を失うことにはなるが、ここはメッセージの主の待つ秘策を信じ、全力で守り切ることを選ばせてもらう。


「喰らい、飲み込み、世界を終わらせよ」


 まるで呪詛のような奴の言葉と同時に五つの波が竜巻の中から飛び出し、私達もろとも世界を喰らおうと襲い来る!


「――※※※※!!」


 幻影神は翼を最大限にまで広げ、その衝撃を受け止める。その中でも緑の翼はその形を自在に変え、波が集中する場所、受け止められ弾き漏れた亀裂の対処を行い抵抗しているが……。


「――※※  !?」


 奴の力があまりに強すぎるのか、受け止めきれない亀裂に傷つけられるように幻影神の体や翼が欠けていく。そのせいか、心なしか幻影神の力も弱まっているようにも感じられる。


「その不完全な写し身でどこまで持つ? どうあがこうが、この波が止まることはない。いずれお前の事象は※※の中へと取り込まれるだけだ」


 この波が永遠に続くというのなら、奴の言う通りこのまま続けても何の意味もない。だが、傷だらけになろうとも幻影神は決してその守りを崩そうとはしない。


 そうだ、幻影神がその守りを崩すというのならそれは……私達自身がこの世界を諦めたということにほかならない。

 だから……。


(私達が諦めなければ……この世界は終わらない!)


「む、ムゲン!? 亀裂がこっちに落ちてくるわよ!?」


 翼の守りで抑えきれずに漏れ出した亀裂の破片が私達めがけて襲い来る。


 私にはまたこの世界で守りたいものができたんだ。そして今度は私自身が幸せになる未来のために……この拳で守ってやる!


「おおおおお……ッらぁ!」


 青白い光を纏った私の拳は亀裂を消しさり、私達は窮地を出する。しかし、スマホの魔力残量を見る限り使えてあと一回……頼む、どうかこの最後の一撃を使うまでに奇跡よ起きてくれ。



「――   ※ !」


「存外粘る……しかし、どれだけ耐えようともいずれは……むっ?」



「これは……波が収まっていく」


 何が起きたのかわからないが突然波の勢いが弱まり、力を失ったかのように一本ずつ消えていく。それだけじゃない、奴を取り囲んでいた亀裂の竜巻も徐々に収まっていき、ついにはハッキリと再びその姿を私達の前に晒すこととなった。


「……どうやらこちらも使える因果力を過信しすぎたようだな。写し身の中へと入るだけで充分だと思ったが、やはり事象を欠落させたままでは限界というものがあるか」


 よし、どうやら奴は自分の力の限界を把握していなかったみたいだ。ほぼ確定的だった敗北の結果を覆せたのは大きい。

 だが……。


「――  ……」


 先ほどの衝突でもう幻影神はボロボロで地面に降り立ってしまっている。その声にももはや先ほどまでの覇気が感じられない。

 私の[UnLock]も使えてあと一回のみ。もうこちらは満身創痍だというのに、奴は自信の限界を把握しただけでやろうと思えば同じことをもう一度仕掛けることもできる。


 残された希望は未だ謎のままであるメッセージの主が待つ"何か"だが……。


「それはいつになったら来るんだよ」


 と、思った矢先に。


[焦るな、先ほどもう一つの戦いが終わりを迎えた]


「もう一つの戦い?」


 それがメッセージの主が待っていたものだというのだろうか? ただ、それがどのような結果をもたらすのか私にはまったくわからない。

 もたもたしていたらまた奴が動き出して……。


「どうやら、お前達にとって残念な知らせが増えたようだ」


「!?」


 突如奴が私達に語り掛けてきたため警戒を強めるが、どうも攻撃を仕掛けてくるわけではなさそうだ。

 私達の方ではなく、真っ直ぐどこか遠くを見つめている。


「この……感覚は」


 最初はわからなかったが、その感覚が近づいてくるにつれて何か嫌な胸騒ぎを感じ始めていた。

 何か、とても不快感を覚えるエネルギー……そうだ、これに似た感覚を私は知っている。


「※※に欠けていた事象の一つである“虚飾”がその役目を終え本来あるべき場所へと還ってきたのだ。これによりこの事象内に産み落とした三つの体現者の事象が戻ることとなる」


 今向かっているのが奴の事象の一つ? ということは、リヴィやベルフェゴルからその力を回収するのと同じなのか。

 いや、奴は最初に"大きな事象"と"小さな事象"を分けていた。奴の言う“虚飾”というのはおそらく大きい方……。


「あれさえ戻れば、すぐにでもこの世界は終わりを迎えるだろう」


 そうだ、この感じはダンタリオンの最期やベルゼブルが侵食の力を使い始めた時と同じ感覚だ。つまり、あれらは奴が自身の顕現のためにこの世界に産み落とした力だということか。

 ダンタリオンは死に際にその力が還ると言った。ベルゼブルはその身自体が奴をその体に入れ込む媒体となった。そして今、私の知らない最後の一つが奴の中へと戻ろうとしている。


「マズい、どうにかしてあれを止めなければ……」


 奴がその力を手にすればもはや手の付けようがない。[UnLock]でどうにかあれを止められないものかとその手を伸ばそうとする……が。


[手を収めろ、もうその必要はない]


 と、私の考えを否定するかのようにメッセージが表示され行動を抑えられてしまう。

 すでにすぐそこまで“虚飾”が近づいてる今、すぐにでもメッセージの主に理由を問いただしたかったが……続けて表示されたメッセージを確認した私は驚きのあまり言葉を失ってしまう。


[もうこれ以上我々が動く必要はない、なぜなら]


「これですべての体現者のカケラが揃った。これより事象のすべてを喰ら……」


[この場における我々の勝利はすでに確定している]


 それは、メッセージを読み終えたのと同時だった。奴の中へ“虚飾”のカケラが吸い込まれ、いざその力を解放しようとしたその瞬間……。



「……な……が……あ゛ぐが……。どういう……ことだ!? ※※が事象の中で何か……別の因果律が抵抗を続けている!?」



 奴がその体を震わせ苦しみだしたのだ。初めて見せる奴の苦しみの表情……まるで何かに取り憑かれたかのように身をよじり、頭を抱えている。


「まさか……これが奥の手か」


[こちらの体現者が奴の“虚飾”を打ち倒した際に仕込まれたこちら側の因果律が奴の事象を破壊している]


 なるほど、誰だか知らんがナイスだこっち側の体現者とやら。

 メッセージの主は最初からこれを狙っていたということだか。力を取り戻すことに躍起になっていた奴を心理を逆手に取り自爆に追い込むことが。


「これは……まさ※※※※※ていたことにより、※※※である※※※※の事象……あ゛あ゛あ゛! 最初からこれを※※※※※※※※※※※※※※※※※※!!」


 また頭に響く……だがこれは幻影神と同じく奴が自分自身の力を制御できていないということだ。


「これで……奴を倒せるのか」


[この程度で倒せるならば苦労しない]

[せいぜい奴が事象内に現界できる力をわずかに削ぐだけに止まるだろう]


 だが、それはつまり奴を現界させるためにベルゼブルが行った世界のバランス崩壊だけではこの地に留まれないということだ。奴が回復するか、この世界のバランスがさらに崩されでもしない限り……。


「が……あ゛※※※※※※゛※゛※゛! いいだろう、この場はおとなしく※※が事象帯に退くとし※う! だがこの……この程度で※※を退けられたと思うな! この“事象の穴”はもはや塞ぐことはできない……」


「あれは……!?」


 奴が苦しむ後ろ……あの巨大な亀裂から"何か"がこちらを覗いている。それはとても強大で……そう、かつて前世で『世界神』と対峙した時には圧倒的な神々しさを感じたがこれはその逆、どこまでも深い禍々しさを感じずにはいられなかった。


[あれこそが奴が現界する真の姿……我々が倒すべき『世界を終わらせる存在』]

[そうだな、わかりやすく名称するならば……『終極神』とでも呼ぼうか]


「『終極神』……」


 あれこそがアステリムの平和を乱した元凶……この世界を救済するためには避けては通れぬ戦い。

 相手は人智を超えたこの世界そのものを喰らい尽くそうかという圧倒的な存在か……面白い、やってやろうじゃないか!


「この先※※は事象の穴を通しこの事象内を破壊する。そちら側の写し身はもはや抗う力を残していない現状ではそれを止める術はもうない……。そう、この世界はほんの少しだけ寿命が延びただけのことに過ぎない」


「それは違うな。この世界には……まだ私がいる」


「……※※が写し身が気にかけていた人間か。たかが人間に何ができる? こうして事象の内側でもがくことしかできないお前達に」


「今はそうやって見下してろ。けどな、私はこの世界を救うと決めたのなら必ずそれを実行する。お前や幻影神の領域にだってすぐに到達してやるさ」


 今回の戦いで私はほとんど無力だった……力の無さを痛いほど痛感した。……だがそれがどうした、力が足りないのなら手に入れればいい、新たに作り出せばいい。

 前世の“-魔法神-インフィニティ”はいつだってそうやって切り抜けてきた。そして……それは今も変わらない。


「覚えとけ『終極神』、貴様にこの世界を喰わせたりなどさせない。この『魔導神』ムゲンがいる限りな!」


「……覚えて……おこう。お前のような小さな事象の粒がどこまで抗えるのか……」


 その言葉を最後に、終極神は入り込んだベルゼブルの肉体ごと巨大な亀裂の中へと姿を消していくのだった。


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