217話 託された希望
私達の目の前に突如現れたのは、この世で最も強き存在。
ボロ布に包まれてはいるが、その隙間から覗く体は人間のような骨格であるにもかかわらずすべての種族の特徴を抱合しているように見えながらもこの世のものとは思えない神々しい姿を持つ存在。
この世のすべてを超越した存在、“幻影神”。
それは私達には見向きもせず、ただ目の前の『世界を終わらせる存在』へと驚異的なまでの敵意を向けており……。
「―― !」
気づいた瞬間にはその場を飛び出し、目の前に浮かぶ奴へと飛び出し拳を振り上げていた。
「ふむ……物は試しだ、一度変えてみるか」
その一瞬、自分の存在がブレたような感覚に気づくと、すでに自分の体勢が先ほどまでと変わっていることを認識する。つまり、奴による平行世界改変が行われたということだ。
これで奴は無限ともいえる防衛策や反撃を選び取ることができる。それに対し幻影神は……。
「―― !」
何も変わらない、幻影神だけは改変前と何も変わらない様子でその拳を振り下ろしていく!
「やはりと言うべきか、いくら事象の内側を改変しようとも事象の外側が核であるお前には関係のないことということだな」
大気が震えるほどの激しい衝突……しかし、幻影神の攻撃は何重にも重なる亀裂の防御により奴には届かない。だが幻影神はあの亀裂に触れたというのに何の影響もない。
いや、影響がないどころか……。
(幻影神の拳が青白い光を纏って……亀裂を消しているのか)
「ほう、これは流石に対処せねばなるまいな」
その拳を危険だと判断したのか、奴が背後から亀裂を伸ばすと幻影神は弾かれるように後ろへと飛び退いて距離をとる。ここまで警戒しながら戦うとは、あの幻影神であっても奴は一筋縄ではいかない存在ということなのか。
しかし、幻影神のあの拳……私が[UnLock]を発動した際の腕に宿る光に似ている。もしかしたら、本質的には同じものなのかもしれない。
「ね、ねぇムゲン、これってあたし達は助かったって思っていいの?」
「どうだろうな……幻影神が奴とどれだけ渡り合えるかどうか」
というよりも、現時点でこの世界において最強の存在である幻影神が勝てない相手となれば、もう誰も奴に勝てる存在はいないということにも繋がる。
そうなれば奴はこの世界を消滅させてしまうだろう。どこにも逃げ場なんてない。
「この世界側の“写し身”がこうして※※の前にいるということは、どうやら最初の事象の穴は塞げたようだな。だが、新たな事象の穴はこうして完成し※※が意思はここに現界した。もはや塞ぐことはできない」
事象の穴というのはもしや……『幻影の森』で見たあの亀裂のことか。なるほど、あの亀裂はもともと今回と同じように奴がこうして現れるために作られたもので、幻影神はそれをずっと塞ごうとしていたのか。
おそらく命あるものがあれに近づけばその生命力は奪われ、現界のためのエネルギーとして使われる。幻影神はそれを阻止しており、だから最初にあの森に入った時は生命の気配を感じなかったというわけだ。
「その道を押さえられ別の手立てへと移行したが、※※の干渉に気づいたお前の管理者の抵抗により事象内時間で1000年以上もの流れを必要とすることとなった。結果はこの通り、※※が写し身の働きによりこうして意思のみだが現界した」
「―― !」
[だが、この世界はまだ生きている]
[我々はまだ負けたわけではない]
幻影神に呼応するようにスマホにメッセージが現れ、まるで奴と会話するように文章が刻まれていく。
「ここまで中心事象内の維持状態が下部にまで落ちた今、すぐに修正することは不可能。もう策を講じる暇もあるまい」
「―― 」
[まだ策は残されている]
[まずは貴様をこの事象内から追い出せればいい]
やはり幻影神を通してメッセージの主は奴と会話をしている。こうしてメッセージとして表示しているのは私にもわかりやすく伝えるためか。
しかし、幻影神を裏から操り、会話からして奴と最初から敵対していたと思われる存在。メッセージの主の正体はやはり……。
「追い出す……か。たかが写し身ごときにそれが可能だと思っているのか。確かにお前の写し身はこちら側の写し身よりも遥かに力を持つが、本体である※※に対抗できるほどのものではないだろう」
「―― 」
[貴様はまだいくつか欠落している]
「それはお前も同じこと。もともと大きなカケラを六つも欠落しているというのに他の『体現者』のカケラも回収していない。加えて、※※は今もこうして小さなカケラを回収しているところだ」
そう言いながら奴が開いた手の中には小さく燃える黄色と緑色の炎のようなエネルギーが揺らめいていた。
あれは……そうか、先ほどリヴィとベルフェゴルから奪い取った“大罪”か。
そうだ、ベルフェゴルはどうなった!
「おい! しっかりしろよ! こんなところで……やられてんじゃないよ……」
戦いは幻影神に任せることにしてベルフェゴルが落下した場所へと駆け寄ると、そこには悲惨な光景が待っていた。
そこにいたのはサティとレイ……そして亀裂に貫かれたことにより大罪の力と生命力を奪われたベルフェゴルが地面に力なく横たわっていた。もうほとんど意識もなく視点も定まっていない……。
そんな父親を前にしてサティはただ涙を浮かべながら必死に声をかけることしかできなかった。
「この馬鹿親父! なんでアタシをかばったんだよ! アタシがあんな挑発に乗っちまったから……だから、死ぬのはアタシのはずだったのに……」
「サ……ティ……。我には……もはやお前以外に……生きる意味などありは……しなかった」
「だったら! だったらなんで……あんたはアタシの前から姿を消したんだよ……」
それは、サティがずっと知りたがっていた心の痛み。彼女の人生の中で常に欲していた"家族の愛情"に対する答え。
「我の周りには……常に不幸がある……。怖かった……のだ、我のせいでお前が不幸になることが。だから……遠くから見守ることを……選んだ」
ベルフェゴルがどのような人生を歩んだのかは私達にはわからない。だが、サティを守りたいという強い思いだけは痛いほど伝わってくるのがわかる。
「それでも……! アタシは、あの日ノーリアスの村であんたの背中が消えていくのを見て思ったんだ……『いかないでほしい』って」
それはきっと、サティが何百年もの間その言葉を口に出せないでいた嘘偽りのない気持ち。だがそれは、もうベルフェゴルが助からないことを悟ってしまったがゆえに出た本音だったのかもしれない。
「寂しい思いを……させてしまったようだな……。どれだけ罵倒されようと……仕方のないことだ」
「ああそうだよ、あんたには全然文句言い足りないんだ! だから……だから……また了承もなしにアタシの前から消えたりすんなよ……この、馬鹿親父」
もしかしたら、サティとベルフェゴルの親子二人が再びその縁を取り戻すことは難しくなかったのかもしれない。一対一では素直になれない二人の仲を私達が取り持つことで、時間はかかるかもしれないが幸せな……それこそレイやリア、第二大陸の仲間達と一緒に『本当の家族』となりうる未来が待っていた可能性もあったはずだ。
「確かに我は……お前を突き放してしまった……。だが……お前はそこで大切なものを……見つけた」
そう言いながら虚ろな目で私達を順番に見定め、最後にレイへと視線を向ける。そして最後の力を振り絞るかのようにアーリュスワイズへと手を伸ばすと、一番基本的な形状へと変化させその神器をレイへと差し出した。
「なぜ……これを俺に」
「貴様は……大切なものを守ると言っていた。ならば……その言葉通り……守ってみせろ」
「……ああ、これから先はもう俺がサティを悲しませないと誓おう」
「その言葉……忘れるな」
アーリュスワイズをレイに渡すと同時にその手がするりと力なく落ちていく。呼吸もだんだんと弱まり、瞳からもその輝きが失われつつある。
……もう、ここが限界だろう。
「なんだよ……なに一人で納得してんだよ。アタシはまだ何一つ納得してないってのにさ」
「ああ……サティアン……お前の姿が……霞んで……」
「やめろよ……そんな優しそうな顔。いつもみたいに不機嫌そうな顔しろよ……」
そうサティが憎まれ口を叩くのは、今も腕の中で冷たくなっていく父親の死を認めたくないからなのか。だがその声はいつもの彼女からは考えられないほど弱々しく震えていた……。
「本当に……綺麗になった……な。母さんに……そっくりだ……」
「もうやめろよ……本当に最期みたいじゃないか。もう……」
ベルフェゴルは最後にサティの涙をぬぐおうと手を伸ばし……。
「あ……」
その手はサティの顔に届く寸前に力を失い、残酷な最期を告げるかのように地面へと落ちていくのだった。
「とう……さん? とうさん……とうさん! うわああああああああああああ!」
サティの悲痛な叫びが響き渡る。だが、私達には今の彼女を慰めることなどできない。その心の痛みは……私達にはきっと計り知れないほどだから。
「……ッ!」
「待てレイ! ……何をするつもりだ」
誰もがベルフェゴルの死を嘆く中、レイは一人立ち上がり背を向ける……その手に神器“アーリュスワイズ”を携えながら。
「決まっている! 奴を殺す。ベルフェゴルより託されたこの神器で!」
レイは誰よりも人のためにその怒りを振るえる男だ。そんな男がサティへ深い悲しみを生み出す元凶となった存在へと怒りをあらわにするのは当然だ。
さらにその手に神器を手に入れたとなれば、戦わない理由がない。
だが……私は今ここでレイを奴と戦わせるわけにはいかない。
「駄目だ、お前をこの先にはいかせない」
「止めるな! サティのあんな姿を見て俺が抑えられるわけもないだろう! それに、この神器があれば奴と戦える!」
「確かにその神器を100%使いこなせれば対抗できる、だがそれは無理な話だ。なぜなら……神器はまだお前を主人と認めていない」
「ワウ(それって……)」
そう、レイはベルフェゴルから神器を渡されただけであり、神器自体がレイを選んだわけではない。
ベルフェゴルは神器に選ばれたうえで使いこなすための修練も積んでいた。だからこそ奴と渡り合うことができたのだ。つまり、アーリュスワイズをまともに使うことのできないレイでは……。
「くそっ! なぜだ……どうしてベルフェゴルの時と同じように動かない!」
「レイ……これが現実だ。わざわざ死にに行くような真似を私は絶対にさせない」
「だが……それだとサティがあまりにも救われない」
「レイ……私だってサティのために何かしてやりたい。だが……」
ガァン!
私達が自身の無力さに痛感する中、空中では未だに死闘を繰り広げる奴と幻影神が互いににらみ合っていた。
その光景を目の当たりにして、レイも自分の実力ではあの中に飛び込むことすら不可能だと理解したんだろう。拳を握りながらその悔しさを全身で打ち震わせている。
「今は生き残ることを考えるんだ。ここでお前が死んだらそれこそサティをまた悲しませることになるだろう」
「……そう、だな。だが、俺達はこの戦いを見届けることしかできないのか……」
空中での戦いはさらに激化していく。もはや人間の領域を遥かに超えたその戦いは一言で表せるものではない。
「―― !」
「それほどまでに※※が憎いか。だがその程度の因果力では※※をこの次元から追い出すことなど不可能だぞ」
幻影神の拳の勢いは依然としてとどまることはないが、そのすべてを亀裂によって防がれていく。奴も亀裂による攻撃は幻影神と捉えてはいるが侵食することはできず傷を負わせることもできない。
お互いに決め手に欠けるというところか? ……いや、奴はまだ表情に余裕が残っているか。
「お前の思惑はわかっている。この写し身に※※の因果力を行使させることで不完全なこの身には過ぎた事象因子による拒絶反応を起こさせようとしているのだろう」
「―― 」
「ならば、先に事象のカケラを集めることに専念することにしよう。それに対しお前はどう動く」
あいつ、また私達に向けて大量の亀裂を差し向けてきやがった! 狙いはやはりセフィラやサティ達のなかにある力か。
サティは今動ける状態じゃない。セフィラと犬もサティに付きっ切りで同じことだ。幻影神を超えて迫るこの攻撃……彼女達の前にいる私達が何とかするしかないか。
「レイ、使える限りアーリュスワイズで防御を! 私は[UnLock]で何とか……」
「―― !」
[君達はそこを動かないでいい]
私達が持てる力で亀裂を対処しようとする前にそんなメッセージが表示されると、幻影神の背中から青白く光る六つの翼が広がり、私達とセフィラ達に向かう亀裂をすべて消し去っていく。
なるほど、私達を守りながら戦う余裕はあるってことか。
「幻影神か……初めて出会った時にはすさまじい恐怖を感じたが、味方となるとこれほど頼もしいとはな」
「ああ、あいつはこうして今までも戦い続けていたんだ。私達には想像もできない次元のレベルで」
青白い光の翼は自在に動き、絶えず私達を狙う亀裂を一つ残らず打ち消している。そんな幻影神の力に私達は圧倒されるばかりだったが……奴はそんな幻影神を見て何かを悟ったようにニヤリと口角をゆがめていた。
「事象のカケラを大きく欠いた翼か。六つすべて欠落していることがまるわかりだぞ。そんなものでいつまで耐えられる」
「―― ……」
[たとえ欠落していようが、これで貴様を追い出す]
「すぐそこにあるというのに欠落を取り戻そうともしないか。ならば、圧倒的な事象力の差を思い知らせよう」
なんだ、今まで広範囲に私達を狙っていた大量の亀裂が奴の頭上に集まるかのように固まっていく。
それが一つの巨大な球体のように集まると、まるで一つの生き物のように蠢きながら伸び始め……。
「喰らい尽くせ」
「―― !?」
勢いよく幻影神へと襲い掛かった!
幻影神は翼を集中させそれを抑えるが、そのすさまじさは今までの比ではない。次々と襲い来る波のような亀裂に幻影神が少しづつ押され始めている!?
私は居ても立っても居られなくなり、スマホに向かって叫んでいた。
「おい、私達に何かできることはないのか!」
自分達の無力さはわかっている。だが、何もできずに見ているだけなのは悔しくてたまらない。
[君達の力を欠落させる必要はない]
[時が来れば奴を追い返すことはできる]
メッセージの主はあくまで幻影神だけで対処するつもりらしい。しかし、目の前の幻影神は押されており、その翼は今にも崩されてしまいそうだ。
何か秘策のようなものがあるのかもしれないが、どうやらそれにも時間が必要のようだ。
ならば私達がその時間を耐えさせるために何ができるか……。
「くっ……俺がアーリュスワイズを使いこなせれば……」
「焦るなレイ。無理に使用して私達の力を欠けばそれこそ本末転と……」
「どうしたムゲン?」
力を欠く……力を欠落させる。どうしてメッセージの主はそんな風に言った? もしや、私達の力の欠落とは奴にやられることではなく……。
「そうか! どうして今まで気づかなかったんだ!」
「おいムゲン! 一人で納得していないで説明しろ!」
おっと、こんな時だってのにまた悪い癖が出て一人で盛り上がってしまった。だが、突破口を見つけたかもしれないとあってはそりゃテンションも上がるもんだ。
「レイ! 何も聞かずにそのアーリュスワイズを私に貸してくれ! 返ってくる保証はしてやれないんだが……」
「なっ!? いきなり何を……」
わかっている、レイはついさっきベルフェゴルからアーリュスワイズを託されたばかりだ。だというのにそうホイホイと他人に渡して、しかも返ってくる保証もないと言われれば困惑するのは当然だ。
だが今この状況を好転させるにはアーリュスワイズが不可欠であることも違わない。それをレイがわかってくれるかどうか……。
「……お前がそこまで言うのなら何かあるんだろう。だが! これは俺に託されたものだ、その意思までは譲れない」
「ああ、その通りだ」
レイからアーリュスワイズを借り受ける。大丈夫だ……きっと上手くいく。
「そんじゃ……いくぞ!」
そのまま渡されたアーリュスワイズを小さくまとめると、私はそれを勢いよく幻影神に向かって……。
「届け!」
ぶん投げる!
「なに!? ムゲン、お前いったい何をして……」
「いや、思った通りだ」
放り出されたアーリュスワイズは狙い通り幻影神に吸い寄せられるように引き寄せられていき……。
[まったく、何もしなくていいと言ったのに……やはり君はおせっかいのようだ]
それは幻影神の左翼中央へと吸い込まれ、その色と形を変化させていく。
そしてその影響は翼だけでなく……。
「―― …………※※※※※※!!!」
幻影神の真の力の一端を……解放させることとなるのだった。
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