207話 侵入は慎重かつ大胆に
あの日、セフィラが去っていく姿をどうしようもなく見ているだけだったことを私は心の中で何度も思い返し、本当はどうするべきだったかと悩んだこともあった。
一度日本に戻った時はもう二度とお前に会えないのだと諦めようともした。
(だが、私は戻ってきたぜ。お前のところまでな)
しかし、このままではまだあいつの下まで辿り着けたとは言えない。目と鼻の先に立っているとはいえ、今の私とセフィラには物理的な距離以上に縮めなくてはならない心の距離がある。
あいつが心に抱えているであろう何かを取り除かない限り、私達の距離は決してゼロになることはないだろうから……。
「ワフワフ(ちょいちょいご主人)」
「ん? なんだ犬」
人がせっかく心の中でカッコよく独白をキメていたというのに。何か問題でも発生したか?
「ワウン?(あれって本当にセフィラさんなんすか? 顔も見えないし、背も高いっすよ)」
まぁ確かに、犬の言う通りバルコニーの上に立つ“女神”はこちらから顔は見えないよう大きめのベールで顔を隠されているし、私達の知ってるセフィラよりも等身がいくばくか高い。私達の知っているセフィラはかなり背が低い方だが、目の前の女神は普通の成人女性ぐらいはあるな。
未だ一言も発しない、話しているのはずっとグラーディオだけだ。これでは犬のように本当にセフィラかどうか疑いたくなるのも当然というもの。
……が、残念だったな、私は騙されないぞ。
「あれは本物のセフィラだ」
「ワウ? ワウ……(なんでわかるっすか? 何かご主人にしかわからない特別な見分け方が……)」
「ああ、あの胸の大きさと形……間違いなくあれは本物のセフィラのものだ!」
「ワン(ご主人を信じたぼくがアホだったっす。さっきまでの期待を返せっす)」
いたいいたい、前足で私の脚のすねをべしべし叩くんじゃない。
「そう怒るな、冗談だ」
ま、胸の大きさも理由の一つではあるが、他にも等身に対して腕が短すぎるというのもあるな。えらく厚手のロングスカートのドレスだし、上底でもしてごまかしてるんだろ。
だが、本当の理由は別にある。
「ちと遠いが、先ほど女神の中の魔力を確認したら、セフィラにしか……いや、セフィラとクリファにしか見られない特徴を発見した」
「ワウン?(特徴? それにクリファさんもっすか?)」
「あいつらは普通の人間のような魔力回路を持たない、その代わりにある中心一点の魔力からいくつかに伸びる魔力の線があるんだ」
そしてその線の先にはひときわ強い輝きを放つ魔力の塊が存在している。セフィラには三つ、クリファには一つとそれぞれ数は違ったが。
私はおそらく、これはあの二人の“女神”に残されている誰の手にも渡っていない『七美徳』と『七大罪』だと考えている。
大罪の方は勇者に倒されたマーモン以外の大罪保持者の存在を私は確認しているので、誰にも渡っていないものがクリファの中に残っているのではないだろうか。
セフィラの方は……犬と星夜とケントで三つまでは確定してるが、それだと数が一つ合わないのがどうにも引っかかるところではあるが……。
その辺は今考えてもどうしようもないか。
「ワウワウ(んじゃあれが本当のセフィラさんだとして、どうしてあんな正体を隠すような恰好してるんすかね)」
「ま、理由は大体想像つくけどな」
あの姿は本当の女神であるセフィラを知っている者なら疑問に思うかもしれないが、そうでない者にとってはどうでもいい……むしろあれの方がいいだろう。
セフィラの本来の姿は結構ちんちくりんのお子様(胸以外)だからなぁ。信者ならそこまで動揺しないだろうが、ちょっとは思うとこあるかもしれないし。魔導師ギルドの連中が見たら「あんなのが女神かよ」とか言いそうだ。
だから、背丈に疑問を持たせず、顔も見せず喋らせもしない。これなら信者も何も疑うことなく女神を崇められるし、魔導師達も特に疑問を口にすることもない。
まさに今この状況に置いて誰もが望む"女神"がそこに誕生するということだ。
(……ま、私はそんな見せかけの理想の"女神"なんかより、偉そうで自信たっぷりなのにちょっと抜けてるとこのある本当の"セフィラ"の方が何倍も好感が持てるけどな)
「……この場に集まりし勇士の数こそ女神様が如何に崇高な存在かを表している。そのことに関して女神様も大変お悦びだ。……さぁ、時は満ちた、今こそ真に正しい世界のために新魔族を討ち滅ぼしましょう」
と、どうやらいつの間にかグラーディオの長ったらしい話も終わりのようで、最後に一礼すると同時に隣の女神はとうとう一言も発することなく部屋の奥へと引っ込んでしまう。
演説の終わった広場には未だ女神を拝めたことに感動する信者や会話をしながら離れていく魔導師と様々だ。
「ワウ……(それで、これからどうするんすかご主人……)」
「決まっているだろう……このままセフィラに会いに行く」
この街にいることが確定した以上、黙って見過ごすわけなどない。広場の前にそびえ立つ神殿のような建物、おそらくセフィラはあの中のどこかにいる。
時刻はそろそろ夕刻に差し掛かるといったところか。演説を聞きに来ていた者の行動に統一性がないことから、この後すぐに部隊を整えて新魔族と戦いにいくとは考えにくい。明日か、早くても夜になってからだろう。
セフィラが戦地に赴くかわからない以上チャンスは今しかない。
「早速経路を探して侵入する。ここからはスピードが肝心だぞ犬」
「ワウ! ワウーン!(了解っす! セフィラさん救出作戦本格始動っすね、燃えるっすー!)」
「救出……とはちと違う気もするがな」
あいつの問題をどうにかしたいとは思っているが、セフィラ自身がそれを望んでいない以上これは私のただのエゴでしかないのだから。
「ワウン。ワウワウ(そんなことないっすよ。セフィラさんには助けが必要だけど自分でも気づいてないだけなんす。だから、ご主人がやろうとしてることは間違ってなんかないんす)」
「……まったくお前は、本当に犬かどうか疑いたくなる考え方してんな」
だけど……そうだな、犬の言う通りだ。私はあいつが助けを求めているからいくんじゃない。あいつの笑顔を見るためには私がどうにかするしかない。
そう思ったからこそ……私はこの世界に戻ってきたんだ。
「そんじゃ、悪い奴らに捕らえられてるお姫様を救い出す王道ファンタジーを始めるとするか」
えー場所は変わりまして、現在私は神殿の裏側までやってまいりました。これよりこの中に侵入したいところではあるが……。
「流石に警備の数も多い上に防衛設備もしっかりしてるな」
神殿をぐるりと取り囲むようにそびえ立つ壁には不法侵入者を感知する魔術が施されている。時間をかければ一部分の無効化はできなくもないが、時間が惜しい今の状況では最終手段だな。
正面は信者で一杯だ。今は人気の少ない裏側のため『
「壁から立ち昇るように魔力が放出されてるな。おそらく壊してもそこから感知されてしまうだろう」
「ワウ~。ワウワウ(厄介っすね~。ぼくも最近魔力見れるようになったんでわかるっすけど、炎が燃え上がるみたいなイメージで出てるっすね。よじ登りでもしたら完全にアウトっすよ)」
お前もどんどんこの世界に順応してるな……。いつか普通に魔術使いだすんじゃないかこいつ。
それはそれとして、犬の言うように魔力が燃え上がるように上へと伸びているのは確かだ。
だが、決して方法がないわけではない。この防衛網には文字通り"穴"がある。
「てことで合体するぞ犬」
「ワウ……(えっ、いきなり何言って……)」
「せーの、『
「ワウ!? 『ワウン』ガウ『ガウガウン』!(え、ちょ!? わわ、『
ピカー
「はい完成(ご主人……こっちは心の準備できてないんすからいきなりはやめてくださいっすよ)悪いな、こっちとしてもパパっと済ませたいんだ」
犬と合体したのにはもちろん理由がある。
「よーし、跳び越えて神殿内部へと侵入するぞ(待つっす、説明も求むっす)説明も何も……そのまんまの意味なんだがな」
ここを跳び越えて内部に侵入する。これがシンプルで一番手っ取り早い方法だ。他の案を考えている時間ももったいないしな。
「(でも壁の上には感知の魔術が仕掛けられてるっすよ?)だから、感知が届かない場所まで跳んで内部に侵入すればいい(ファッ!?)」
魔力が上に伸びているとはいえ限界はある。地上からのジャンプでその限界点を越え、そのまま空を蹴り神殿のてっぺんへと飛び込むというわけだ。
「(無茶なこと考えるっすね~)無茶でもなんでもできるならやるのが私だ(まったくご主人らしいっす。……でもちょっと待つっす)」
納得しかけた犬だったが、どうやらまだ疑問があるようだ。犬の思考はなんとなく流れてくるので言いたいことは理解できるが一応聞いてやろう。
「(そんな勢いよく跳びあがったら逆に目立って誰かに見られるんじゃないっすか?)確かに普通に跳べばそのリスクはないとは言い切れないな」
もしかしたら偶然空を見上げていた誰かに見つかる可能性もあれば、感覚の鋭い者が私の跳躍に気づいて上を見るかもしれない。
これらの問題をどうにかできなければむしろリスキーな作戦と言ってもいいほどだ。
「だが安心しろ犬、私がそんな問題を対処してないと思うか(さっすがご主人、何か策があるんすね)」
私は何の考えもなしに作戦を実行に移す男ではない。……ただ、その考えが何の予行演習もなしのぶっつけ本番で上手くいくかどうかは別だがな。
「誰かに見られる可能性があるなら、誰にも認識できない速度で飛び込めば済む話だ(なるほどっすー……って、え?)」
これも簡単な話だ。たとえずっと空を見上げている者がいたとしても、その者の視界に捉えられなければ何も問題はなくなる。
「(か、軽々しく言うっすけどそんなこと本当にできるんすか!? 言っとくっすけどぼくの『
ま、ぶっちゃけその方法を私が使いこなせるかどうかが怪しいんだけどな。
使うのは、ガロウズの考案した『獣王流』の中でも特に頭のおかしい“俺様ノ章”、その二ノ型である『
止まった時の中を動いているのではないかと思えるほどのスピードを出せるあの技なら確実に誰の目にも留まることはないだろう。
だが近接格闘術を専門としない私はガロウズほど洗練された技を扱うことは不可能……。
「(ご主人、こんなんぜってー無理っす)だろうな」
二ノ型を扱うガロウズのイメージを頭の中で共有した犬も私達で再現することは不可能だと判断したようだ。うん、こんな人知を超えた動きを平然とやってのけるあいつがおかしいだけなんだ。
しかし、ならばどうするか? 実はこれまた答えは単純、つまり専門でないのなら私の専門分野で足りない部分を補えばいいだけのこと。
「二ノ型を使って跳躍する瞬間に魔術を発動し、世界の時間を0.5秒だけ"加速"させる(……ん? んん?)」
もう少し詳しく説明すると、これから使用する魔術はこのアステリムという世界そのものの速度を何百倍にも速めるというちょっと規格外の術だ。
世界の速度を速めるということは、それに属するすべてを加速させることと同意だ。海の波が打ち寄せる速さも、風が吹き抜ける速さも、炎が燃焼する速度も、土が風化するスピードも、雷が落ちる感覚もすべてが早くなる。日が昇り沈む速度さえその対象に他ならない。
唯一例外があるとすれば、それは意思を持ち思考をする生物だ。ただ、生物のスピードは速くなっていないわけではない、自分が今『加速した世界』にいることを認識していなければ、肉体のスピードが加速していようとも頭でそれを認識することができないためその分の齟齬が生まれてしまう。
だが、加速した世界を認識し、その世界と同じ速度で思考し行動することができれば、それは何者にも捉えることのできない存在となる。
「ただ、今回は0.5秒だけだから普通の人間だとちょいと違和感を覚えるくらいだろうな。普通に歩いてたのにちょっとつまずく奴がいる程度だ(ぼくはすでに違和感だらけっすよー)」
やっぱ犬にゃ難しすぎたか。ま、体を動かすのは私だから特に問題はないけどな。
ちなみに聡明な読者ならもうお分かりだろうがこれは時空属性の魔力を使用している。世界の速度をいじるなんて当然禁術なのでこれを使うことはお兄さんと皆だけの内緒だぞ。
「(バカなこと考えてないでやるならとっととやるっす)お前もいちいちツッコまんでいい」
さて、ちとダラダラと説明を挟んでしまったが、やることは単純。ただ跳んでこの中に侵入するだけだからな!
「いくぞ! 『獣王流』“俺様ノ章”、二ノ型『
全身が沸騰するような魔力の流れをすべて運動エネルギーへと変換され……爆発した。一瞬他のすべてが止まったような感覚を覚えるが、このままこれを維持することは命に係わると判断した私は咄嗟に力をセーブする。
このまま足を踏み込めば人知を超えたスピードで跳ぶこともできるが、セーブした状態では誰かの目に留まる可能性もある。
だが私の魔力は二ノ型によってすべて持っていかれた……ならばどうやって他の魔術を発動するのか。
何も問題はない、私の手にはすでに発動条件を満たしたケルケイオンが握られており、今私が跳躍したその瞬間……セットしておいた魔術が発動する!
「発動しろ! 『
カチッ
その時間にしてわずか0.5秒。いや、その0.5秒が何百倍にも加速しているのに0.5秒と表現するのはおかしいのかもしれない。
実際私の感じている0.5秒は世界と共有している感覚ではあるがそれを認識しているのは私だけでしかない。私以外のすべての生物はその0.5秒をコンマ1秒にも満たないまさに一瞬としか認識……いや、認識すらできずにその"
だからこそ、世界は何事もなかったかのように動き続け……私はこうして神殿の頭頂部へと足をつけている。
「(……え? ええ? な、何が起きたっすか!? ぼく達どうしてこんなところにいるっすか!?)成功だな。着地も完璧……とは言えないか(あ、ヒビ入ってるっすね)」
そう、私は宣言通り地面から跳躍してこの場所へと降り立った。ただ、着地の際に力のコントロールがわずかに効かなくなり少々勢いがついてしまった。
この場所も私一人分の重さでギリギリ抜けずに保っているというところだ。
「(でも、こんなにヒビが入る程のだとその衝撃音も凄かったんじゃないっすか……)その点は心配いらん、ケルケイオンのオートマジックに『
保険として一緒にセットしておいたのが功を奏したな。壁を超えるだけだってのにちょっと派手にやりすぎたか。
「それに……体中のほとんどのエネルギーを持っていかれた(そういえば……ぼくもいつの間にかすっごい疲れてるっす)」
体が休ませろとうるさく警告している、犬の分も相まって二倍疲れを感じてるせいもあるかもな。
「とりあえず合体解除するか(そうっすねー)」
とにかくこの疲労感から解放されたく、早速犬との合体を解除したのだが……。
ピシッ……!
「ん?」
「ガウ?(なんすか今の音?)」
うん、忘れてたね、今私達が立っている場所は犬と合体していた"人間一人分"の重さにしか耐えきれなかったことを。
「しまっ……」
バッコオオオオオン!
激しい音と共に地面が崩れ落ちていく。疲労で動けない私と犬は何もできずにそのまま成す術もなく瓦礫と共に落下していき……。
「ぐへっ!」
「ワギュ!(いてっす!)」
そのまま下の……神殿内部のどこかの部屋の中へと落ちてしまった。犬もそのショックか元の姿に戻ってるし。
しかし、やっちまったな。こんなところ誰かに見られたりでもしたら……。
「い、いったい何よこれ! というか……誰かいるの?」
マズい、人の声ということは……誰かがそこにいてこの一部始終を見られてしまったということだ。
(仕方ない、悪いがここは強引にでも口を閉じてもらってもらうことに……)
目撃者である誰かにこのことを喋られるわけにはいかないと魔術で眠らせるか気絶でもしてもらおうとその人物と対峙するが、その人物を見た瞬間私は言葉を失ってしまった。
なぜなら……
「うそ……ムゲン、なの」
「セフィラ……」
そこには、私が最も求めてやまなかった人物がそこにいたのだから。
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