186.5話 父と娘のすれ違い


 ……アタシは親父のことがそんなに好きじゃなかった。それは、今も昔もそんなに変わらない。


「た……ただいま~。お父さん、寝てる~……?」


 その日は、アタシが初めて家の外を探検した日だった。親父の家は第六大陸でも特に辺境の場所に一つだけ建っていた小さなお城で、アタシらはそこを住処に二人きりで暮らしていた。


 母さん……母親の顔はアタシは知らない。アタシがモノごごろつく前に亡くなったらしいけど、その理由をアイツは教えてくれなかったから。


「よ……よし! 父さんはもう寝ちゃったみたいだから、このままコッソリ部屋に戻って……」



「こんな時間まで……どこに行っていた」



「……!?」


 その声に反応するかのように家中の明かりが灯って、アタシの姿はしっかりと丸見えになっちまった。

 それで……アイツはいつも通り暖炉の前の安楽椅子に腰かけて振り向かないまま話しかけてくるんだ……。真っ赤に燃え建つような髪の毛だけを覗かせながら。


「え、えっと……その……」


 正直、親父は怖かった。笑わないし、口数は少ないし、表情はいっつも怒ってるみたいで話しかけるのにも一苦労。ま、この時はアタシが幼かったからってのもあるだろうけどね。


「……」


「あの……一度お外で……遊んでみたくて」


 アイツの考えなんてまるでわからない。何を話しかけても返ってくるのはほとんど無言の圧力だけ。


「食事はどうした」


「え? あ……おうちにあった保存食をいくつかと、あとは森に少しだけ生ってた木の実があったから……」


「……そうか」


 アタシの身を心配するでも、勝手なことをしたことを怒るでもなく、アイツはただそこで無関心に座っているだけ……。アイツには親としての自覚がないんだ。




 だけどその翌日の朝、アイツは突然に……。


「これから外に出る。支度を済ませたらついてこい」


「え……?」


 今までアタシを外に連れ出す気なんてこれっぽっちもなかった親父が突然こんなことを言うもんだから一瞬頭ん中が真っ白になっちまった。

 ……でも、この時は正直ちょっとだけ嬉しかったんだ。あの無関心だった親父がアタシのことをちゃんとかまってくれてるんだって。


「ねぇねぇお父さん、今日はこれからどこに行くの?」


「……」


 けど、浮かれていたのはアタシだけだったんだ。この時アタシは外の世界の……本当の"家族"ってものを知らなかったから。無知ながらも、きっとこれから、どこにでもあるような本当の『父と娘』の生活が始まるんだと期待しちまったのさ……。


 でも違ったんだ……アイツは……。


「……ついたぞ」


「うわー、綺麗でおっきな水たまりだー! アタシ知ってるよ、あれって湖って言うでしょ?」


「……」


「あ、湖の前に何かある! アタシよりちょっと小さいお石だー、地面に埋まってるよ。それになんでこの辺りだけ土が盛り上がってるのかなー?」


「それは……お前の母親の墓だ」


 それを言われて、アタシはまた一瞬何を言われたのかわかんなかったよ。

 親父はアタシに特に勉学や教養を身に付けさせることもなかった。……けど、人の"命"の重さや"死"の恐ろしさ、悲しさだけは嫌というほど教え込まれた。


 だからアタシは目の前のその石碑が自分の母親の墓標だと理解した時……怖くなった。

 そして、どうして親父はこんなところへ自分を連れてきたのか。その答えは……今になってもわからないままさ。


「お、お父さん?」


 ただ、この時静かに目を閉じて黙とうを捧げていた親父の表情は今でも印象に残ってる。


 暫くして、アイツが目を開けるとすぐに墓標に背を向けて歩き出して……。


「行くぞ」


 それだけ口にして足早に湖から去っていきやがったんだ。この時はまた、アイツが娘のことを本当にどう思っているのか不安がぶり返してきちまった。

 でも、本当にアイツが何を考えているのかわからなくなったのは、この後だ……。


「足にでもつかまっていろ」


「う、うん……」


 墓が見えなくなった辺りでそう言うと、アイツは常に羽織ってる真っ黒なマントでアタシもろとも全身を包み込んだんだ。そうしたらなんとあら不思議……。


「あ、あれ? ここどこ? 目の前のあれはなーに?」


 一瞬のうちにアタシ達は小さな村の前まで移動していた。この時は訳が分からなかったけど、今のアタシにならわかる……これこそがムゲンの求めてる転移術ってやつだったんだろうね。


「小さいおうちが沢山並んでるよ、煙突からも煙が出てる。それに……」


 数こそ少ないけどそこには何人かの村の住人が村の中を歩き回っていた。この時初めて自分と親父以外の人間を目にしたから当時のアタシはそりゃもうビビりまくってたね。


「お、おお……! まさかそこにおられるのは……ベルフェゴル様ではありませぬか!?」


 親父の姿に気づいて一人の老人が目を輝かせながら走ってきたんだ。さらに、それに続くように村の住人がわんさか集まってくるもんだから本当にびっくりしたよ。あとで親父が有名人だと聞かされるまで終始アタシは怯えっぱなしさ。


「本当にお久しぶりでございます。辺境の地にお隠れになったと聞き及んでおったのですが……なぜこのようなところに?」


「お前達には迷惑をかけて本当に済まないと思っている……。だが一つだけ頼まれてほしい。我が娘を……この村で預かってくれないか」


「……え?」


 その時の衝撃は……アタシの中で今でも忘れられない記憶として心に刻み込まれてる。

 アタシをこの村に預けるってことは、すなわちアイツが父親としての責任を放棄したのも同じことだと。子供だったこの頃はそこまで難しく考えてなかったけど、アタシは親父に"捨てられた"んだって思った……。


「も、もちろんあなた様の頼みなら断ることなどいたしませぬが……本当によろしいので?」


「お、お父さん……どうして」


「……すまない」


 それが、幼い頃に見た親父の最後の姿だった。アタシをここに連れてきた時と同じように漆黒の衣に包まれて……アイツはアタシの目の前から姿を消した。




 それから、アタシのノーリアスでの生活が始まった。

 最初はほんとに慣れなかったよ、今まで他人と触れ合う機会なんてまったくなかったっていうのに、いきなり村の人達と触れ合って生活することになったんだから。


 ルイ姉達と出会ったのも、この時が初めてだった。


「おー、お前初めて見る顔だなー! 誰だー!」


「ひゃ!? だ、誰……」


 この頃のアタシは結構臆病で、強くもなかったからいっつも怯えてたよ。そうだね……今思えば記憶をなくした時のミミによく似ていたと思う。


「質問してるのはこっちだぞー、ぶっ飛ばされたいのかー?」


「ひっ……!」


 ルイ姉は今も昔も変わらず唯我独尊な性格で誰に対しても遠慮がない。

 逆にアタシは一応親父の知り合いということで紹介された爺さんの陰に隠れちゃうほどびくびくしてたけどね。


「おいじじいー、その失礼な奴をこっちに引き渡せー、アタイが直々に教育してやるー。隠すとためにならんぞー」


「これこれルイファンや、この子はお前さんをバカにしようとこんな態度を取っているわけではない。ただ何も知らずに放り出されてしまっただけなんじゃ……。だから、教育するなら優しくしてやってくれい」


 爺さんもアタシのことを気の毒に思っていたんだろうね。親父の頼みとはいえいきなり人の子を無期限で預かってくれと言われて困惑しないはずもないだろうし。


「なんだー、それならそうと早く言えー。おい新入りーよく聞けー、アタイの名はルイファン。この村で一番強いんだぞー、だからアタイがこの村の王様だー、よく覚えとけー」


「えっと、サティアン……です」


「ならサっちんだなー。しっかしへっぴり腰だなーサっちん。そんなんじゃ強くなれないぞー。もっと胸を張って……ほら行くぞー、みんなにサっちんのこと紹介してやるー」


「わっ!? ひ、引っ張らないで~……!」


 これが、アタシに初めて友達ができた瞬間だった。それからルイ姉に引っ張られて連れられた先で出会ったのが……。


「おーいお前らー、新入りを連れてきてやったぞー」


「あらあら、ルイさんってば嬉しそうね」


「というかあの後ろのやつ誰だ? この村に僕達以外の子供がいるなんて珍しいじゃん」


「ねーさまと手を繋いで……羨ましいのです」


 そこにいたのは、アタシと同じような背格好の子供達だった。歳は……アタシらは長く生きるから「大体近い年齢だろうな」って感じただけだけど。ルイ姉が一番年上だってことを知った時は驚いたけど。


「ねーさま、そいつはいったい何者ですか?」


「今日からこの村に住むんだとー。この村の子供同士みんなよろしくしてやってくれー」


 これも後で知ったことだけど、どうやらこの村にはここにいるアタシら以外に子供はいなかったらしい。だから必然的に一緒にいることが多くなったってことだ。


「あらそうなの、アタシはアリスティウス……言いづらかったらアリスでいいわ。よろしくね」


「ウチはミカーリャです。ルイねーさまの実の妹にして一番の信者なのです。とりあえずテメーねーさまから離れるです」


「さ、サティアンです……よろしく」


 一人はちょっと大人っぽくて、結構親しみやすそうだと感じたアリス。もう一人はちょっととっつきにくそうだけど姉想いなミカーリャ。

 ……そしてもう一人。


「おいリヴィー、お前もちゃんと挨拶しやがれー」


「えー、僕はいきなり余所者を入れるなんて反対だなー。しかも人の後ろに隠れてめそめそしちゃうような弱虫は特に」


「ううっ……」


 そう、出会った時からこういう奴だったんだ。でも確かにこの時のアタシはめそめそしてて気の弱い奴だと思われても仕方がなかったと思う。


「これリヴィや、そんなことを言うでない。この子はベルフェゴル様からお預かりした大切な子じゃ、仲良くせい」


「は? なんだよじいちゃん、それってつまりこいつが僕と一緒に暮らすってこと? やだよ、この次期七皇候補でもあるこの僕がこんなよわっちそうな奴と一緒に暮らしたらこっちにも弱虫菌が移っちゃうよ」


「……」


 その言葉にアタシは何も言い返せなくて、ただただ押し黙るしかなかった。

 でも、それよりも辛いのはその後のセリフで……。


「ってかベルフェゴルって……なに? お前あの男の子供なの?」


「そ、それがどうかしたの……」


「ベルフェゴルと言えば七皇でありながら僕達新魔族の自由を取り戻すための戦いを放棄した腰抜けじゃないか。しかもその後敵である人族の女を娶ったとか……ってことは、うわ! お前人族とのハーフじゃん! うわー……見方によっちゃお前も新魔族の裏切り者だっていうのによく純血な僕達の前に出られたもんだね。お前の父親だってそれを恥じて今までお前を表に出さなかったんだろうに。あ、だから耐えられなくなって捨てられたんだろ。あーあ、押し付けられるこっちにはいい迷惑だよほんと」


「そんな……お父さんは……アタシが嫌いだったから……」


 アタシはリヴィの話を鵜呑みにして絶望したんだ……自分は人族とのハーフだから恥ずかしい、こんな出来損ないの娘をそばに置いておくのはもう耐えられない……って。


「本当の新魔族だったら勇敢に人族と戦うだろうに。お前やお前の父親のような半端者は……」


「うう……ぐすっ……」


「あ、サっちん泣かしたー。お前は本当にクソガキだなー。じじいー、こいつは優しく教育しなくてもいいよなー?」


「うむ、遠慮なくやってくれ」


「やべっ……! 逃げろ!」


「逃げんなクソガキ-」


「ねーさま待ってくださいで……あ、貧血が……」


 この後リヴィのはこってり絞られることにはなったんだが、この時のリヴィの言葉がアタシの心の中にずっと残ってたんだ。

 自分は半端者で、本当の新魔族の仲間じゃないんだってずっと思うようにもなった……。


「スマンのぅ……あ奴はワシの孫なんじゃが、どうにも新魔族至上主義なところがあってな。ワシら穏健派の始原族という古い名も嫌うほどなんじゃ」


 爺さんはそう慰めてくれたけど、アタシはもう以前までのように振る舞えない。それと、親父に対する憤りも一緒に芽生えて……。


「アリスちゃん、あの子の言ったことって……本当なの」


「そうねぇ……この村の人達はそんなに戦いを望まないけど、大きな街に行けば同じような意見を持つ人はいるわ。リヴィの言い方はちょっと過激だとは思うけどね」


「そう……」


 この時アタシの中で何かが変わった。

 アタシを捨てたアイツをもう父親だとは思わないと……自分には母親など存在せず、一人の新魔族の仲間として認めてもらえるよう強くなろうと。






 そして長い月日が流れ……アタシは本当に強くなった。強くなること自体はルイ姉に特訓をお願いしたら「いいぞー」とあっさり受け入れてもらえたので、それからは地獄の特訓の日々だった。


 さらにアタシは自分を捨てたアイツとこの身に流れる人族の血への怒りを買われ、ついには七皇凶魔の一角である“憤怒”に選ばれるほどにまで成長した。


「おめでとうございます皆さん。まさかあの村からルイファン以外に大罪を受け継ぐ者が三人も現れるとは思ってもいませんでしたよ」


 んで、アタシとアリスそしてリヴィの三人は『新魔族の自由』を掲げる“暴食”のベルゼブルの下へと集まることになったわけだ。

 ルイ姉の下に就くって手もあったけど、アタシは親父が途中で投げ出した新魔族の自由をこの手で成し遂げてやるんだとこの時はそれで頭が一杯だったよ。


「僕が選ばれるのは当然だとしてもさー……なーんでこの半端者まで大罪持ちなわけ? 人選ミスなんじゃない?」


「ふん、相変わらずの減らず口だねリヴィ。アタシは実力でこの地位を勝ち取ったまでさ。なんなら、今ここでどちらが上かハッキリさせるかい?」


「やだよ……負ける気はしないけど、ルイ姉仕込みの馬鹿力と正面切ってやり合うほど僕も馬鹿じゃないんでね」


 この時にはもうリヴィの実力を上回ってる自身は十分にあった。だからこそ、この先油断してハメられることになっちまったんだけど……。


「二人とも、お喋りはそこまでにしましょう。晴れてアタシ達の上司になった彼からお話があるみたいだし」


「上司だなんて……私はただ単にあなた方より少しだけ長生きなだけです。立場としては同じ七皇、あくまで対等ですよ」


 この男……親父と同じ時代から生きていると言われる最古の新魔族ベルゼブル。正直こいつからは不気味さしか感じなかったけど、親父を見返すことしか考えてなかったこの時のアタシにはそんなことどうでもよかった。


「マーモンが勇者に討たれてから早数百年……ようやく新たな大罪が揃い始めました。これからあなた方には共に新魔族の自由のために戦ってもらうことになります……が」


「が?」


「なんだい、もったいつけないでさっさと言いなよ」


「いえ、大したことじゃないですよ。仕事が始まる前に思い残したことがあるなら数日以内に済ませておいてください……ただそれだけです。これからはいつ、どこでどんな目に合うかわからない立場ですからね」


 つまり今生の別れになるかもしれないから知り合いに挨拶回りしてこいって話だ。

 アタシはもちろんノーリアスの村のみんな、それと今はヴォリンレクスと全面交戦中のルイ姉……に直接会うのは怖いから妹のミカーリャに言伝を。




 そして……。


「……」


 目の前に広がるのは透き通った水と周囲を囲む木々に覆われた静かな森の中にある湖。何年経とうともこの場所は何一つ変わっていなかった。

 あの日一度だけ訪れた時に刻まれた景色のまま……。


「ッ! こんなもの!」


 湖の前にたった一つだけ建てられた墓標……アタシはそれに向かって大剣を振り下ろすが……。


「……なんで、こんな簡単なことができないんだ」


 それは寸でのところで止まり、墓石には傷一つ付けられることはなかった。

 今のアタシにならわかる……たとえ憎しみを持っていようと、顔も名前も知らなくとも、目に見えない繋がりを自分の手で断ち切ることなんてできなかったんだ。


 きっとアタシは……幼い頃からそれを望んでいたのだから。


「そこに……誰かいるのか」


「……!?」


 懐かしい声、幼い頃ずっとそばで聞いていた。その声も、昔とまるで変わらないもので……。


「ナリ……ッ!? いや……お前は、サティアン……なのか」


 そこには以前とまったく変わらない姿の親父がそこに立っていた。だけどこの時のアタシはその声と姿に怒りを覚えていたから。


「久しぶりだね……。でも、残念だけどアタシはもうアンタのことを父親だとも思ってない。アタシは新魔族の戦士……“憤怒”のサティアンだ」


 そう言いながらアタシは決別の証のように剣を親父に向けたんだ。自分に両親など存在しない、純粋な新魔族の仲間として生きてやるんだってね。


 だけど、それを見た親父は特に表情を変えることもなくて。


「……そうか。それがお前の選んだ道ならば仕方がない」


 それだけ言って、あの日アタシを村に置いていった時のように背を向けてこの場を後にしていくだけだった。


 ただ最後に……。


「一つだけ忠告しておこう。ベルゼブルには気をつけろ、あいつは……我らと同じ存在ではあるが、まったく別の存在でもある」


「なんだいそりゃ? ちょっと待……」


 それだけ言い残してもう見えなくなっちまいやがったんだ。

 それが、アイツとの最後の会話で、その姿を見た最後だった。


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