第∞章 仮初めの終わりと本当の始まり

172話 仮・エピローグ


 目を開けると、目の前に広がる光景は土や自然に囲まれたファンタジーの世界ではなかった。

 大地はコンクリートに覆われ、目に入る自然は人工的に植えられた木や植物ばかり。

 辺りには常に排気ガスの匂いが混じっており、空を見上げても……星の輝きは鈍って見えていた。


 そう、私は……。


「帰って……きたのか」


 そうだ、ここは私がこの世に転生して15年生きた世界。そしてこの場所は……。


「私が特異点に吸い込まれたあの道路だ」


 あの日、なんの前触れもなく私はこの頭上に現れた渦に吸い込まれ未知の世界……ではなかったが、この日本とはまったく別の世界に飛ばされることとなった。

 そして数多の冒険を経て、ついに私はここに戻ってきたのだ。


「ワン!」


「うおっ!? ってお前か犬、びっくりさせ……」


 そこまで言いかけたところでふと気づいた、犬の話す言葉がわからなくなっていることに。


「……まぁ、当たり前だよな」


 もともと私が犬の話す言葉理解できていたのは使い魔術式による魔力の感覚補助によるものだ。

 この世界には魔力がない……だからこうなるのも当たり前のこと。


「そういえば……」


 なにか違和感を感じたので自分の体を確認してみるが、よく見れば常に持ち歩いていたはずのケルケイオンとアルマデスがどこにも見当たらない。

 手荷物のバッグや着ているものはそのままだというのに。


「ワゥ~ン……」


 犬もどこかしょぼくれた顔で落ち込んでいる。戦闘形態になろうとしてもなれなかったとかそういうとこだろうか。

 とにかく……。


「家に……帰るか」


「ワウ」


「……お前も来るか?」


 そういやこいつはもともと捨て犬だったんだよな。転移してからずっと一緒にいたからもうすっかりこいつの飼い主気分だったが。

 うちは基本ペット禁止だからどうにか納得させないとな。……まぁそれよりも。


「一年間も家を空けてしまったからな……」


 私の大冒険はあの日から一年間も続いていたのだ。だから私が家に帰らなくなって一年……流石に心配かけすぎただろう。

 まずはその辺の説明から……というとこかね。






「……」


「ワン?」


 ついに、帰ってこれた……我が家だ。

 私の体は一年経った今でも慣れ親しんだその帰路を覚えており、一切の寄り道をせずにまっすぐ自宅へと足を運んでいった。

 家の鍵も持っている、あの日から私のかばんの中にはこの日のためにすべてを大切に保管しながら持ち歩いていたのだから。


ガチャ……


「ただい……まー」


 ……変わらない、この場所は一年経っても変わらず私の知る無神家のままだった。

 私が行方不明になったせいで両親が自暴自棄になってるのではとも考えたが……どうやらいらない心配だったようだ。


「しかし、やけに静かだな?」


 確かに夜ではあるがこの時間ならまだ父さんも母さんも起きているとは思うのだが。電気もつけていなかったようだし出かけてでもいるのだろうか?

 そう考えながら久しぶりの我が家を散策していると……。


ガタッ!


「……ッ! 誰だ!」


 つい反射的に臨戦態勢に移ってしまう。まぁ今はケルケイオンもアルマデスもなく、魔術も使えないから適当なファイティングポーズなだけだが。


「なにか物音がすると思ったら、やっとうちの不良が帰ってきたってとこだね」


 そう愚痴りながらラフな格好で火のついてないタバコを加えながら居間に入ってきたのは……。


「ありゃ、姉さん?」


 それは我が今世の姉にあたる人物である 無神 神無むじん かんな であった。

 大分前に語ったとは思うが、その雰囲気はどこか以前アステリムで出会ったサティを思い出させる。


「母さん怒ってたよ。まったくあんたは妙に大人臭いのに真面目だか不真面目だかわかんない子だってね。ま、あたしもそう思うけど」


 いや怒ってるで済むのか、長く家を空けていたというのにそれでいいのか?

 ま、うちは親も結構いい加減なとこあるし……というよりも今気になるのは。


「てかなんで姉さんが家にいるんだ? もう結婚して新居に移ったんだろ。お義兄さんのとこいなくていいのか」


 私が転移する前、姉さんはすでに結婚を済ませており以前から実家からは離れてたまに家に帰ってくる程度だったはずだ。

 それから丁度連休に新居に引っ越すって話だったはずなんだが……。


「はっ! まさかもう夫婦仲に亀裂が……!」


「んなわけないでしょーが!」


 私のちょっとしたお茶目な冗談に姉さんは阿修羅のような顔で私に詰め寄って首を締めあげてくる。


「ノーノー!? ギブギブ!」


「あたしと祐一さんは変わらずラブラブだから。わかった?」


 やっと手を放してくれた。


「でもお義兄さんもこんな妖怪首絞め女のどこに惚れたんだか疑問……」


「あぁん!?」


「グエー!」




 てなやり取りを数回繰り返したのち、ようやく姉さんの地獄の攻めから解放されることとなった。

 いやぁどれだけ経ってもこういうところが全然変わらないのが嬉しくもあるが勘弁してほしいところでもある……複雑な気分だ。


「というか父さんと母さんは? というより姉さんはどうして家に来てたんだよ」


 久しぶりの家族のやり取りも結構だが、まずは一つひとつ疑問を解消していかないとな。


「はぁ、あんた何言ってんの? この連休は父さんの実家に帰るって言ってたでしょ、あんたは「残念ながらこの連休は女子と遊ぶ予定(の予定)があるから行かないぜ!」って言って母さんが呆れてたらしいし」


「……え?」


「それに、あたしが実家帰ってきてるのだって前に説明したでしょ。新居に引っ越しのために荷物整理するって」


「え? は? いや……ちょっと待ってくれ」


 なんだ……どこか話が噛み合わない。なぜ姉さんは一年前の引っ越しの話をさも今やっているような風で話すのか。

 それに……姉さんの話の中の母さんの様子も……。


「姉さん……一つ聞きたいんだが……」


「どしたの、変に改まって?」


 私の頬から嫌な汗が流れ落ちる。もし、もし私の考えが正しいのだとすれば……。


「私が家を出てから……どれぐらい帰らなかった?」


「どれぐらいって……あんた昨日は学校から帰らずにそのままどっかで泊まったんでしょ。それで次の日の今に帰ってきた。出発時間にバックレるために丸一日家出するなんて、あんたどんだけ実家行きたくなかったのよ」


「……丸一……日だと」


 姉さんのこの様子からして私をからかっているわけでもない。だとしたら、もう答えは一つしかない。


(地球とアステリムでは……時間の流れが違うんだ)


 それも大幅に。あちらでの一年がこちらでの一日ということ。

 そう結論付けた私はすぐさま懐からスマホを取り出して今が何年の何月何日なのかを調べると……その結果はすぐに見つかった。


「今日は……私が転移した次の日なのか」


 時間の流れが違った、ただそれだけのことだというのに何か言いようのない悲しさが心の奥からこみ上げてくる。

 あの冒険も、あのいくつもの苦難も、出会った様々な人々も……すべて夢や幻だったかのように思えてしまったから……。


「ワウ……」


「きゃ! びっくりした……限、あんたプチ家出した上に捨て犬まで拾ってきたの? それにその恰好は何なの? コスプレかなにか?」


 ああ、そういえばすっかり犬のことを話すのを忘れていた。……そうか、もう私の旅の思い出は苦楽を共にしたこの犬と、ずっと着ていたこの貰い物の服しかないのか。


「元の場所に返してきなさいよ……って言って、素直に言うこと聞くあんたじゃないか」


「流石姉さん、私のことをよくわかってるじゃないか。こいつは……できればずっと我が家で飼いたいんだ……」


「……まったく、わかったからそんなしょぼくれた顔しないの。あたしも一緒に説得したげるから」


 やっぱり家族っていいもんだ。

 前世でも家族のような関係の者達はそれこそ数多くいたが、やはり血の繋がりというものは何か言葉で表せない見えない絆のようなものがある……気がするな。


「あ、あとあんたお風呂入っちゃいなさいよ。どこ行ってたのか知らないけど臭うから。ついでにその服も洗濯しちゃいなさい」


「あいよー。あ、なんかカップ麺とか冷凍食品ない? ちょっと腹減って」


 久しぶりに我が家の味! と思ったのだが、肝心の母さんがいないのなら仕方がない。

 それなら日本が生み出した最高に文化的な食事を久々に堪能しようじゃないか。


「なんだ、腹減ってるならあたしが作ったげるよ。冷蔵庫にあるもので適当に作っちゃうから」


「え!? 姉さん料理できたっけ、初耳なんだが」


「これでも花嫁修業は一通りこなしたんだから造作もないっての」


 マジか……私の知る姉さんといえば、がさつでめんどくさがりでオラオラ系の唯我独尊ヤンキーだから花嫁だなんてまったく想像がつかんぞ。


「ちょっと待って、先にお義兄さんに連絡して姉さんの料理の味の感想を聞いてから……」


「限ー……そんなにあたしを怒らせたいのかなー」


「私目はお風呂に行って参りますのでお料理の方をどうぞお願い致します。よし、行くぞ犬」


「ワウン」


 危ない、あれはマジギレする寸前の表情だ。我が家の女性は怒らせたら血の雨が降るのでマジギレさせる前に謝るか逃げ出すという暗黙のルールを父さんと作ったのだ。


「いやーギリギリだったぜ。とにかくこちら久しぶりに文明の利器で沸かしたお湯を堪能し……」


ゴトッ


 っとしまった、服を脱ぐ拍子にスマホを落としてしまったらしい。

 地面に落ちたスマホは電源が入っており、その画面には……今までの旅で何度も使用したあのアプリが起動されていた。


[instant magical ver2.00]

 [stun gun]-ERROR-

 [map]-ERROR-

 [wiretap]-ERROR-

 [wall]-ERROR-

 [magical labyrinth]-ERROR-

 [telephone]-ERROR-

 [tracer]-ERROR-


 その中に入っているすべての魔術にはエラー表記が表示されている。これも魔力によって動いていたのだから当然か。

 見れば魔力残量の表示も0%になっている。いかにこのスマホでもこちらの世界で魔術アプリを使うことはできないということだ。

 だが……。


(こいつのverってこんなだったっけ?)


 その一点だけが少々頭に引っかかったが、以前がどうだったかなど確かめるすべもないし、これももう起動することもないだろう。


 そのままスマホをいじっていると、画像一覧の……写真のアルバム部分が目に入る。


(たしか……ここには)


 私ははやる気持ちを抑えながらその項目をタップしていく。すると、画面に映し出されたのは……。


「よかった……これは、消えてないんだな」


「ワウワウ~」


 それは、私がアステリムで様々な地を歩き、多くの人物と出会った証だった。

 カロフとリィナ、レイとサティ、レオンにエリーゼとシリカ、星夜にミーコとフローラ、アポロとミネルヴァ、ディーオとサロマ……。

 このフォルダを開けばいつだってあいつらに会える、そう明るく考えたのだが……。


「……」


 この中には、ある人物が欠けていた。私がアステリムで出会った数多の人々、思い出を収めたこのフォルダの中には……。


「セフィラ……」


 今でも頭に焼き付いて離れないあのポンコツだけれどもどこか憎めない、騒がしくて楽しいあの女神の姿。

 そして、その姿が今ではもう一人……。


「クリファ……」


 私をこちらの世界に送り戻してくれた彼女……たった一晩しか一緒にいなかったのに、最後に見たその姿に対して私は何かを感じていた。

 でも……もう……。


「私には……何もできないんだ」


 そう、私はようやくこの世界に戻れたんだ。時間だって結局一日しか経っていなかったのだし、元の生活に戻るのだってなんら支障はない。

 だから……私の本当の生活は、ここからはじまるんだ……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る