152.5話 光と闇の夢想


 実は、幼少の頃の出来事はほとんど覚えておらぬ。

 あの頃の余はなんというか……そう、常に意識がふわふわしており、自分がどこにいるかさえ定かではない。そんな気がするのだ。


「……」


 ただただぼーっとしているだけだが、身の回りの世話はすべてしっかりと管理されておったし、食べる、寝るなどの基本的な動作は何の問題もなく行えた。

 むしろ問題だったのは、その後だったと言えるやもしれぬ……。

 余は毎晩と言っていいほど夢を見た……それも毎回同じ夢を……。


(……)


 そこは、何もない真っ白な……いや、色などものすらまったくない空虚な空間。ともかく余はそこをなんの感情もなく歩み進めていた。

 しばらく歩いていると、突然分かれ道が現れるのだ。元々道など存在しないはずなので変な言い方ではあるが、とにかく分かれ道だったのだ。

 それは目の前が突然二つに分かれるるような、不思議な感覚……。一方は眩しく温かい光、もう一方は暗く冷たい闇。


―――――――


 眩しい光の方からは、余に語り掛けるような"何か"を感じはするがハッキリとはわからない。


為すべきことを為せ……お前は我であり我はお前……我々は……


 暗い闇の方からは、言っている意味はわからぬが余の心に重くのしかかる"何か"が絶えず聞こえてくる。


 ……どちらかを選ばなくてはならない。そうしなければならないことは余にもわかってはいたのだが、どちらを選べばよいのかわからずその場に留まってしまう。

 そうして時間は過ぎ、余は"また"どちらも選べずに意識を取り戻していく。


 だが、目が覚めようが余の頭の中には夢の出来事が脳裏に焼き付いてはなれない。

 そのほかに印象的だったことがあったとすれば……そう、父上がそんな余を見てはなにやら複雑な表情をしていたということだろうか。

 今でこそ余になんの関心も示さない父上ではあるが、この頃はよく余のことを気にかけていた……ような気がする。おぼろげだがの。




 朝起床し、感情なく一日を過ごし、夜寝て、夢を見る。そんな変わらない日常が何日も続いた。

 だが、変化は突然に現れる。


 また今日も変わらない夢のはじまり……そう思っていたのに。


あなたは、あなたでいたいですか?


 いつもだったら何も聞こえるはずのなかった温かい光の方から聞こえてくる声が、その日はハッキリと聞こえたのだ。

 対して暗い闇から聞こえる声は、いつもと変わらない。

 この時余ははじめて困惑した……そうだ、思えばこの時から少しづつ感情というものが余に芽生え始めたと言ってもよい。


 だからこそ余は思ったのだ、もっといろんな感情を知りたい。この世界に一体どれだけ余のまだ知らない感情を呼び起こしてくれる何かがあるのかと。


だったら、この手を取って


 やがて光は人のような形となり、余に手を差し伸べてくる。だが同時に、もう一つの……闇の方が気になってそちらの方を向く。

 そちらも人のような姿となっており、どこか光の方を忌々し気に見ているような……いや、顔など存在せぬからそんなことはわからぬのだが。

 この時すでに余はあの暗闇に対して何か恐怖を抱いておった。だからこそ余は光の方へ手を伸ばした。


 そして、伸ばした先から光に包まれていくと同時に余の夢は……文字通り"終わり"を告げるのだった。






「なるほど、つまり余こそがこの帝国の正当な皇子というわけなのだな?」


「はい、その通りでございます。しかし殿下……その話し方はいったい……?」


「うむ、絵本などの書物では偉い者はこういう喋り方をするものだのだ。余はそう学んだのだ」


「あの、殿下……それは物語のお話で……」

「殿下が急に感情豊かになられたからまずは幼児向けの絵本からと思って持ってきたんですけど……。これは失敗だったのでしょうか」


 あの最後の夢から数ヶ月。余はこれでもかというほどに知りたい疑問を次々に使用人達に投げかけては答えさせていった。

 その時に参考資料として様々な本を読み与えられたリ聞かされたりしたのだ。おかげで様々な知識を得ることができたぞ!


 最後の夢……そう、まさしくあれは最後の夢だった。

 あの日を境に余はあの夢を見ることはなくなり、こうして次から次へと何かを知りたいという気持ちが溢れて止まらぬ。

 余の突然の変わりように使用人達は最初混乱しておったようだが……うむ、あやつらはよくやってくれた。こうして余がこの帝国の次期皇帝だという自覚を知れたのだからな!


 それともう一つ変わった点を挙げるとするならば、父上の余を見る目の変化だろうか。

 それまで疑惑の目で余を見つめていた瞳が、急に厳しいものに変わったのだ。

 まるで……そう、あの夢で最後に見た暗闇の人型から感じたような……。


(いやいや、気のせいであろう。きっと今までボケっとしていた余が今更やる気を出したので、そんな者に次期皇帝が務まるのかという余へのおしかりに違いないのだ)


 なんでも将来偉い人間となるには『えいさいきょういく』なるものをもっと早くから学ばねばならぬはずだったのだ。

 だが、余はすでに長い間それをサボっていたといえるだろう。となれば父上のあの顔も納得のいく。


「ぬおーっ! こうしてはおれん! 次期皇帝として恥じぬ人間となるため、もっと精進せねば!」


 と、意気込んでみたはよいものの……勉学に剣術、魔術の才能とどれをとっても上手くいかぬ。

 軍事国家の皇帝として必要な軍事知識すらまともに理解できないという始末。


 そして、そんな余を父上は見てはたった一言……。


「やはり、出来損ないの失敗作か」


 それだけを呟いて去っていく。

 やがて父上は余の様子を見に来る回数も減っていき、ついには見向きさえもされなくなってしまった。


(やはり、余が次期皇帝として相応しくないからなのだろうか)


 だが余は諦めなかった。この国では1000年以上前から代々皇帝の第一子がその後を継いできた歴史がある。

 余の代でその偉大なる歴史を止めるわけにはいかぬのだ!






 だが、そんな余の快進撃もそう長くは続かなかった。

 新しい自分を見つけはじめた余の下に、一つの訃報が届けられたのだ。


「殿下、皇后様が……お母上様が、亡くなられました……」


 その時はまだ、使用人達がどうしてこんなにも悲し気な表情で余に哀れみの目を向けるのかがわからなかった。

 まだ人の死というものを理解できておらぬうえに、余は自分の母親がどんな人物なのかも知らなかったのだから。


 葬儀はそれからすぐに行われた。

 この場に参列した誰もが涙を流し、棺の中でピクリとも動かない女性に対して悲しみの念を送っている。


「おかわいそうに、この若さで亡くなってしまわれるとは……」

「元々お身体が悪かったとはいえ、こんな急に逝ってしまわれるだなんて」

「まだ殿下も幼いというのに。ああ、おいたわしや」


 国の重役や属国の要人が棺を取り囲む中、皇子である余が現れたことを察した者達が静かに道を開けていく。


「この人が、余の……母上……」


 そこに眠るのは美しい女性の姿であった。死してなお周囲の者に安らぎを与えてくれるような、そんな温かさを感じる不思議な女性であった。

 ……そう、まるであの夢で見た光のような温かさと安らぎを感じさせるような。


 残念ながら、余が母上の御顔を拝見したのはこの時だけだったため、もうほとんど覚えておらぬ。

 それにこの葬儀では、それよりも印象強く残っていることがあるのだから……。


ギィィ……


 皆が悲しみ喪に服している中、重苦しく軋む音と共に扉が開かれそこから最後の参列者が姿を現す。

 この葬儀の場に似つかわない漆黒の鎧を身に纏い、重々しい雰囲気を漂わせながらこちらへと向かってくる一人の男……。余の父上、ンタリオン・ディルクライド・ノーブル皇帝陛下そのひとであった。


 父上の登場に、先ほどまで悲しみすすり泣きしていた者までもその息を押し黙らせてしまう。

 そして、父上は母上の眠る棺の前に立つと一言だけ……そう、一言だけ言い残し去っていく……。


「所詮は出来損ないの器だったということか」


 余は母上に向けて冷たく言い放つ父上に何も言えず、ただ去っていく後ろ姿を見ていることしかできなかった。

 その背中からは、まるであの夢で見た闇のように冷たさと畏怖を感じるような……そんな感覚を覚えるのだった。


 それからだ、また余が"自分"というものがわからなくなったのは。

 本当に余が目指すべきものとはなんなのか? 父上のような冷徹な王になることなのか……母上は余に何を思っておったのだろうか。

 その答えを持つ者は……誰もいなかった。






 それからまた数ヶ月の時が過ぎるのだが、余は相変わらず魂を抜かれたように虚空を見つめておった。

 だがそんな時だ、余の生活に一つの転機が訪れたのは。


「本日付でディーオスヘルム皇子殿下の専属世話係兼教育係となりましたサロマでございます。どうぞよろしくお願いいたします」


 なんとなんの事前連絡もなしに、余に専属の世話係が配属されてきたのだ。

 しかも、見た目からして余よりも数歳年上なだけの、どこからどう見てもまだ成人しておらぬ年端もいかない少女。


 だが、余は最初に出会ったこの頃、サロマのことを快く思っておらんかった。

 一番気に障ったのがこの無表情だ。何に対しても関心を抱かないようなその姿勢が、なんだか今の余を写す鏡のように感じもやもやしたのだ。


 だからこそ最初は「専属なんぞいらん!」と突っぱねてやろうとでも思っておったのだが……。


「わたくしは陛下より殿下の世話係を命じられておりますので、いくら殿下の命であろうとそれには従えません」


 どうやらサロマは父上直々の任命によって余の世話係を受け持っているとのこと。……父上の命というのであれば、余もこれ以上文句が言えなくなってしまう。

 それに、父上が余に対して何かをしてくれたということ自体が初めての出来事だったので、心のどこかで感動していた。もはやその証でもあるサロマを邪険に扱うことなどできぬ。


 しかし、常に変わらぬその無表情がどこか余は気に入らなく思ってしまい……。


「この庭園を一日で綺麗にするのだ!」

「あー、たまにはいつもの茶ではなく遠国の珍しいものを飲んでみたいのー」

「余の教育係を名乗るというのなら、まずはこの問題すべてを明日までに全部解いてくるがよい!」


 と、少々いじわるな難題をふっかける。あわよくばこれで自分から辞めたいとでも言い出せばよいという思いもあった。

 のだが……。


「庭園の清掃から整備まですべて完了致しました。加えて荒れた気持ちを落ち着かせる癒し効果のある花園も追加したので本日はそちらでゆっくりなさってみてはいかがでしょう」

「こちら第四大陸のとある地域のみで製造されている特殊な茶葉でございます。同時に特産の御茶請けもございますのでご一緒にどうぞ」

「すべての問題を終わらせてまいりました。さて、では殿下のご教育に移りたいのですが……殿下はわたくしに出題した問題にどこまでお答えできるのでしょうか」


 このように巧みにすべてをこなしてしまうのだ。しかも何一つ嫌な顔もせずにあの無表情のままで……。


 余はそれが気に入らず、こうなればと徹底的にサロマを困らせてしまおうと無断で城の外……貴族街の外に踏み出す計画を立てることにしたのだ。

 だが、その結果困ったことになったのはサロマではなく……。


「ぬわーっ! ここはどこなのだー!?」


 はじめて飛び出した下層の民が暮らす街の中で余は迷子になってしまった。

 こっそりと抜け出してきたのでもちろん頼りになる者もおらず……。


「ぬおーん! ぬおーん! 誰か助けてくれなのだーっ!」


 もはやなすすべもなく泣き叫ぶしかなかった。そんな余を気になり目を向ける者もいないことはない……だがそれだけ、誰も厄介ごとに関わりたくないといった風に後を去っていくだけ。

 余がこの国の皇子だと皆が知っていればまた反応も違ったのだろうが、この時はまだ余が皇子であることは一般の者達のほとんどが知らなかったのだ。


「なんだぁこのガキは? わーわーうるせぇ奴だぜ」

「けど結構いいもん身に着けてるじゃねぇか」

「大方迷子の貴族の坊ちゃんってとこかぁ。だったら、ちょっとぐれぇ手ぇ出したところで誰がやったかわからなきゃ問題ねぇってことだな」


「な、なにをする貴様らーっ!?」


 どうやら街の者達は貴族の者に対して良くない感情を持っている者もいるようで、余が誰かもわからずに金目のものを追いはぎしようとにじり寄ってくる。


「なぁに……ちょっと着てるもん全部剥いでその辺に放り出すだけだ。抵抗すれとちょっとイテェ目を見るかもしれねーがな!」


「ぬわーっ!」


 男の一人がナイフを振りかざしへたり込む余に向かって一気に振り下ろす!

 余は怖くなり目を閉じてしまう。……が、その瞬間、余の体を誰かが抱きかかえその場から飛び退いたのを感じた。


「な、なんだこの小娘!? どっから現れやがった!」


「ご無事ですか、殿下」


 聞きなれた声に目を開くと、そこには余を抱きかかえながら地面に倒れるサロマの姿があった。

 男達も突然の事態に驚き立ち尽くしてしまっており動けないでいる。

 そんな中サロマはゆっくりと立ち上がり、無表情のまま……されどどこか威圧感を感じさせる顔で男達に向き直り言い放つ。


「このお方は我らが帝国の正当なる皇子であるディーオスヘルム・グロリアス・ノーブル殿下その人です。あなた方は愚かにもこの帝国の大いなる歴史に傷をつけるかもしれなかったのですよ」


「なっ……」

「こ、こいつ……じゃなかった、このお方が皇子……」


 サロマの言葉に自分達がしでかそうとしていた事の重大さに気づいた男達の顔が青ざめていく。これは恐怖だ……どんな形であれ、『皇帝に逆らった』という事実はこの国に住まう者ならば誰もがその恐ろしさを理解しているのだから。


「今ならまで見逃して差し上げましょう。今すぐこの場から立ち去り、二度と殿下に危害を加えぬと誓うのなら……」


「ひ、ひいいいぃぃ!」

「もうしませーん!」

「お助けー!」


 まるで蜘蛛の子を散らすように情けない姿で走り去っていく男達。

 そして、この場に残ったのは余と……。


「殿下、お怪我はございませんか? とっさのことでしたので殿下を地面に押し倒すような形になってしまい誠に申し訳ありません」


「よ、余は別になんともないぞ。……そ、それよりも、お主の方が……!」


 サロマの腕を見れば、服が切り裂かれたように破け、そこから一筋の赤い鮮血が流れている。

 もしや余をかばったあの時、男が振り下ろしたナイフが掠ってしまったのではなかろうか!


「わたくしならばなんの心配もございません。この程度の傷など……」


「馬鹿者! 傷を負っておきながら大丈夫なわけなかろう! 余を助けるために負った傷ならばそれは余の責任なのだ!」


 そう、余は助けられたのだ。何もできずに泣き叫ぶことしかできなかった余と違い、サロマは懸命に余を探し、こうして傷を負ってまで余を助け出した。


「と、とにかく早く傷を塞ぐのだ。……何か巻くものを……ええい、こうだ!」


 余は自らの召し物を破り、雑ではあるがサロマの出血を止めるためにそれを巻き付ける。


「殿下……皇子たるあなたがこのようなことを……」


「うるさい! もうこれ以上自分が何も出来ぬのはいやなのだ!」


 母上が死した時でさえ、余は何もすることが出来なかった。自分から何かを成し遂げるということを余はわかっていなかったのだ。

 思えば先ほどの男どもから助かったのも、皇帝である父上の威光あってこそ……余自身に何かがあったわけでもない。


「余は……何もできぬのだ」


「そんなことはございません」


 無力さに打ちひしがれる余だったが、それをサロマは否定する。そして、余の手を取り……。


「殿下は誰かのためにこんなにも必死になれるではないですか。人のために喜び、悲しみ、怒り……様々な思いのお顔をされる。わたくしは、そんな殿下は素晴らしいお方だと思っております」


「余が……様々な思いの顔をする?」


 それは思ってもいない言葉であった。余は、自分がずっと何もないつまらない表情なのだと思い込んでいた。

 しかしそれは間違いであった。鏡写しだと思っていたサロマの無表情を変えたいと思うと同時に、余自身が変わっていっておったのだ。

 そしてようやくわかった……。


(余が変えたかったのはサロマの表情などではなく……)


 変わりたかったのは自分自身だったのだ。自分には何もない、余の隣には誰もいない……そんな自分自身が嫌いだった。

 だがわかったのだ、自分は変われると……そして余を信じついてきてくれる者がいるということを!


「うむ! 決めたぞサロマよ! 余は今より誰からも認められる歴代最高の皇帝になるのだ!」


「それはよろしいのですが殿下……」


「む、サロマよ……専属であるお主には特別に余を名前で呼ぶことを許すのだ!」


 新しい一歩を踏み出すと決めたのならいろいろなところから変えていく必要があるのだ!

 まずはサロマとの関係だ、今まで散々邪険に扱ってしまったからの……。


「そうですか、では……ディーオ様と」


「うむ、それでよい! ではサロマよ、そろそろ城に戻るとしよう! お主の傷もキチンと手当せねばなるまいしの」


 余の目指す皇帝への道のりはここからはじまるのだ! 誰もを照らし出すような……そう、あの夢で見た光のように輝く存在へとな!


「そうですね……では参りましょうか、ディーオ様。勝手に外へ抜け出したお説教も、しなくてはなりませんから」


「ぬえ゛!?」


 そう言って振り向いてスタスタと歩き出すサロマ。

 関係がちょっとは変わったと思ったが……相変わらずの無表情で厳しいところは変わらんらしい。

 だが、最後にサロマが振り向く時、少しだけ笑ったように……余は思えたのだった。


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