#3 虚空のスキャット(3)

 夜である。

 寂れたモーテルはLAに数多く存在するが、ここは特にそうだった。スキッド・ロウにある店。電飾は剥がれ、表通りにはゴミ箱から溢れたタブロイド紙の切れ端が吐瀉物と一緒に飛んでいる。野生のアライグマと一緒に街をさまようのは、テロドの客とフェアリルの商売女だった。ひどく蒸す夜だった。


 入り口から受け付けに入る。おんぼろのスピーカーからは、風情もへったくれもなく延々と80年代のけばけばしいヘビーメタルが流れていて、その狭間を縫うように、カウンターに置かれたテーブルから夜のトーク番組が流れる。それは一応市内の局であったが、大して知りもしないアンダーグラウンドの事情について訳知り顔でコメンテーター同士が語り合うという、まぁ、なんというか……特定の層の溜飲を下げるために存在するものだった。よく聴けば不快であるが、BGMであればボサノバ程度の気休めにはなる。そんなものだ。


『えー、ごほん。先日のグラウンドゼロでの火災事件についてですが――皆様はどう思われますか』

『これは明らかな市の怠慢でしょうな。あの土地を取り潰して、労働者の住居にするだけでこの市の財源は回復する。それは間違いないのに、なぜ取り組まないのか』

『さぁねぇ。おおかた、そこに隠したいものでもあるんじゃないですか?』

『なんだねそれは。君、態度がわるいぞ』

『そうだな。奥さんに黙って通ってるお楽しみクラブとか、そんなところ?』

『バカバカしい』

『オット、本当にバカバカしいんですかね?なぜならあんたは――』

『なッ、貴様、なぜそれを……この、許さんっ』

『ああっ、まただ……一旦、一旦CMです!!』

『お知らせです。パサデナ・遠泳クラブでは現在、水棲モロウの皆さんの権利回復のためにデモンストレーションを……――』


 頭からネジの生えたテロド、人呼んで“カーロフ”は、くだらないアウトレイス同士のいさかいを聞きながら、カウンターに足を載せてあくびを噛み殺す。スニッカーズの食い過ぎで歯がボロボロ、おまけにそばかすだらけ。叔父から貰った仕事は、楽なのは良いが、深夜勤務の関係上、不健康極まりない。

 それでもこの仕事を手放さなかったのは、殆どの時間をこうして漠然と過ごすことが出来る、という素晴らしい特典付きであるからだったが……。


 ――彼は、ドアがきしんで、開いた音を聞くと、一気に不機嫌になった。

 噛んでいたガムを吐き捨てて、くしゃくしゃの帽子をかぶり直す。

 一応の受付の体裁を整えた上で、来てほしくない客を出迎える。


 ……珍妙な連中だった。

 先頭は、奇妙な日本のキツネの面を被った小柄な女。その後ろに続くのは、いずれもボロ布を被って、よく姿が見えない連中だった。

 面倒なことになった……せめて、足がそそるフェアリルの美女ならいいものの。日本のキモノというやつは、下半身を殆ど隠してしまうからよくない。


「空いてるか。部屋」


 ……想像よりもずっと低く、鋭い声が仮面の奥から聞こえたので面食らった。少女ほどの体躯から飛び出すとは思わなかった。

 更に彼が面食らったのは、その少女がカタナらしい何かを腰にさげていて、袖口から見え隠れする腕に多量の生傷が刻まれていることだった。


 ――話にならない。こんな奴を泊まらせれば、何かあった時、責任は俺になる。

 彼はお仕着せの職業倫理を行使することに決めた。


「おいおい、SMプレイならよそでやりな。ここは娼館じゃないんだぜ。それに後ろのガキ、えらく疲れてる。病院のほうが百倍良いんじゃないか」


 だが、その少女――少女であればだが――は、仮面の奥で、くぐもった声を出した。


「――『チヨ』と言えば分かる。部屋に四人だ。いいから鍵を渡せ」


 えらく横柄だった。

 ため息を付いて、言葉を返す。


「ダメだな。警察からのお達しでな。俺も嫌なんだが、怪しいやつは連絡しろってことになってる。――……ということで後ろのお前ら、フード取れよ。顔見せろや」


 少女の身体が、一瞬硬直する。



 仮面の奥から、部屋の隅を見た。

 壁に貼られた手配書。後ろで身動ぎする少年。

 生死問わず――トレント。モニカ。ミハイル。

 ……やむを得ないか。

 チヨは、疲労と痛みを押し切って、腰の長物に手を添えた――。



「おい。そいつらは俺の古馴染みだ。通してやれ」


 緊張を打ち砕いた声。

 見ると、受付の奥から、大柄の、バッファローの角を持った黒人の男がのっそりと顔を出した。赤いタキシードを着た洒落者である。一見すれば、ディナーショーで一芸を披露していてもおかしくない出で立ちだ。


「しかし、ボス……」


 受付は彼の低い声を聞くと、不意に、歯切れが悪くなった。


「いいから。あと、ひどい顔だ。洗ってこい。脂が目とキスしてやがるぞ」


 カーロフは何かを言いたげだったが、有無を言わさぬ上司の調子に、それ以上何かをする気をなくしたらしい。何度も狐面と、その後ろに連なる影法師の連中を見ながら、少し後ろに引き下がり、その場を牛男に任せた。


「久しぶりだな、チヨ。また厄介事か? フェイに押し付けられたか」


 ビッグ・ジェイ・サリバンは、金歯をニヤリと見せながら、旧知の客をからかう。


「いや。今度は……儂の判断だ」


 くぐもった声に、沈痛な響きが混じる。


「へえ。あんたらは彼女の指示でだけ動くと思っていたが」


 黙り込む。

 ただ事ではない何かを抱え込んでいることの証左。

 もっともそれは『いつものこと』なのだろうが、今回はどうやら輪をかけてヤバいらしい。


「まぁいい」


 抽斗からカギを出して、投げる。仮面の少女は、受け取る。


「一番ボロい部屋しか空いちゃいないが。自由に使ってくれ」


 ……少女は、小さく、静かに頭を下げた。

 僅かな動作だったが、サリバンにはそれで十分だった。

 これ以上の礼を求めるのは、酷だろう。

 彼はカーロフに指示して、少女たちを部屋に案内するように伝えた。

 仮面と、その後ろの影法師たちが階段へと消えていく時、サリバンは後ろを振り返って、努めてほがらかに言った。


「こいつを借りと思うのなら、今度カンフーを教えてくれよ」


「……一つ言っておくぞ」


 少女が立ち止まって、言う。


「なんだ」


「日本のはカラテだ。いい加減覚えろ」


「……あいあい」


 肩をすくめて答えると、彼女たちは、奥へ消えていった。



 ……通された部屋はひどいものだった。

 広さは十分で、三人並んで寝転ぶだけのベッドは用意されていたが、シーツのそこら中に虫食いがあるし、端のスプリングは飛び出している。おまけに、部屋の隅の鏡は割れており、歩けばそこらじゅうでギシギシと音がなる。前の客が残したらしい三流のポルノ雑誌の欠片が至るところに散っていた。


 それでも、グローヴからの襲撃を逃れて、隠れるようにして逃げてきたチヨ達にとっては、ようやく与えられた休息の時だった。


 モニカがミハイルを支えているうち、まずチヨとトレントは部屋にカメラのたぐいが仕掛けられていないかを確かめた――トイレに盗撮用のものが一つある以外は、問題なかった。続いて、順番にシャワーを浴びて……ぐったりとしているミハイルを、丁寧にベッドに横たえて……途中なんとか仕入れてきたクスリや氷嚢をあてがった。青ざめて、ぜいぜいと息をしながら汗を流しているが……しばらくして、痩せぎすの少年は眠りについた。今では、苦しげながらも、なんとか寝息を立てている。


「……」


 トレントは、気を利かせてクーラーボックスにサリバンが用意していたらしいバドワイザーをごくごくと飲み、その缶を握りつぶして、部屋の隅に捨てた。向かい側にはチヨが座っている。彼女もまた、日本酒が良かった、とは言ったものの……重々しくのしかかる疲労を洗い流すため、缶を呷った。窓際ではモニカが座り込んでぬるい風を浴びつつ、外を絶えず警戒している。


「………………気まずい」


 ぼそっと……モニカが漏らした。

 実際そのとおりだった。

 疲労困憊していることを加味しても、トレントとチヨはずっと黙っていた。モニカは何度も口を挟もうとしたが、自分は気の利いたことを言えるタイプではないことを思い出し、小さくトレントに悪態をついた上で、懐からジップロックを取り出して、プルーンを咀嚼した。


「……お前たちは」


 虫の羽音。サイレン。野良犬の声。

 生暖かい8月の夜風の中で、チヨが口を開いた。


「――我々のことを、なぜ関知していた。とりわけ、シャーロット・アーチャーのことだ」


 ……口々に彼女のことを希望と呼び、そして気づけば、トレントたちと共闘していた。それは、成り行きという言葉では済まされない不可解だった。今のうちにクリアにしておくのは当然であるように思われた。何故なら、第八機関は――警察と、その他一部の人間以外、誰も知らないはずだったから。


「……答える義理があるのか」


 ……トレントは濡れたような縮れた前髪の下で、うっそりと顔を上げて、重々しく言った。


「儂らは、お前たちを助けた。それ以上の理由が要るか」


「だが……その行為を、信用するべきかどうか。俺は未だに悩んでいる」


 そして、沈黙。

 仮面を外した銀髪の少女と、黒髪の胡乱な大男。互いがにらみ合う空気は、おそろしくどろりと濁っている。


「……しーらない」


 モニカは呆れて視線から二人を外した。

 一触即発の雰囲気が作り上げられてしばらく……チヨが、再び口を開いた。


「儂らは――平等ではない。情報も、状況も」


「……」


「儂らは、皆、生きている。隔離されたが、あいつらはあの程度で死にはしない。シャーロットの奴はともかく。だが、お前たちは…………死んだ。三人以外」


 トレントが、ぎろりとチヨを睨みつけた。

 普通であれば、それだけで縮み上がり、小便を漏らすだろう。

 だが、向かいの和装の少女は、驚くほど冷静だった。

 自分が言えた柄ではないが……一体どれほどの修羅場をこの少女はくぐり抜けてきたのだろう。モニカは、知らず、自分の喉をゴクリと鳴らしていた。

 ……しばらくして。


「いいだろう、答えよう」


 トレントが言った。

 モニカはほんの少し、胸をなでおろす。


「俺達にはその義務がある。借りを返す」


「……ほう」



「――俺たちは、反乱の機会を伺っていた。穏健派に対し。だが、そのための契機がなかった」


「……」


「しかし。数週間前、俺たちに回線上で接触してきた奴が居た」


「回線上で……?」


「そいつは――『ロッテンベリー』と名乗り…………お前たちのことを、我々に伝えた。第八機関という存在が、俺達の助けになるだろう、と」


「…………なんと」


 チヨは流石に驚いて、缶を取り落した。もう、カラだった。


「ゆえに、俺達はお前たちを利用することに決めた。お前たちの力を借りて、穏健派に反旗を翻す。それが、真相だ」


「…………――無茶苦茶だな」


「俺からすれば、お前たちのほうがそうだ。なんだ、あの情報は。あれもこれも、お前たちがたった数人で解決してきたなどと。悪質な冗談だとしか思えなかった」


「今でも……それを疑っているのか」


「いや。もう、そんなことは……『どうでもいい』」


 ぴくり、と、チヨが反応する。


「すがれるものであれば、なんだっていい。少しでも、俺達の行為を保証してくれるなら。何だって構わない。そう信じて……お前たちを利用することにした」


 ……向かいで、少女が唸った。なにかを言おうとして、それがうまく形にならなかったときの声だった。


「聞けば聞くほど無茶苦茶だ。そもそもそのピカードというのは何者だ。なぜ、誰も知り得ない我々の情報を持っている……それはどこから来た……疑問が尽きん。だが」


 ……言葉を切って、チヨはずいっと前に出て、まっすぐトレントの目を見た。

 それから、言った。


「それ以上に、わからん。お前たちは……――何故、戦う」


 それは、ようやく届けられた、本質的な問い。

 いずれ、言われるであろうこと。

 ……モニカの背筋が伸びた。とうとうこのときが、と思った。

 ミハイルをそっと見た。苦しげだ。焦りが募る。

 トレントは、黙っていた。


 だが、そこで……ゆっくりと、口を開き。言った。


「決まっている――天国のためだ」



「天国……だと?」


 あまりにも突飛な単語が聞こえた。

 それゆえ、チヨは耳を疑って、硬直した。


「……懐疑的らしいな」


 トレントが言った。


「当たり前だ。そんな言葉を、お前のような大男から聞くことになるとは――」


「俺はクソ真面目に言ってる」


 ぴしゃりと。

 顔を見た。

 ……確かにそうらしかった。


「ならば」


 チヨはもう一缶酒を飲んで、ドンとテーブルに置いた。


「その意味を、教えてもらおうか」


「……いいだろう」


 トレントも、同じことをした。


「俺達はずっと。地獄に居た。権利を消され、恵みを消され……やがて存在を消された。どれだけ生活苦や重税を叫ぼうと、誰も汲み取ってくれない。何故なら俺たちはグラウンドゼロ……存在しない者だからだ」


 ……チヨは黙っている。

 アンダーグラウンドは希望のない街。何もかもが灰色。

 しかしそこで何かを声高に叫ぶことは、どこまでも許されている。聞き届けられなくても、自分たちはここにいるということを主張することはできる。

 だが……それすらも、はじめから許されないとしたら。

 トレントの言っていることは、そういうことだ。


 ……チヨ自身も、日々を必死に生きるあまりに、彼らに気付かない側だったのだから。


「なら、お前たちがやろうとしているのは。お前たちの存在を主張することか」


「それだけが理由なら、とうに達成している。街中を見てみろ。とっくに人気者だ。かつてないほどにな」


 トレントは肩をすくめた。

 笑うのが得意ではないのだろう。奇妙な表情に見えた。


「なら、なんのために」


「俺達は……生き直す必要がある。ここにいることを叫ぶだけじゃない。それ以上に、人間として……在り方を再定義するための場が必要なんだ。そのためには、それ相応の権利をもぎ取る必要と、世界をそのために作り直す必要がある」


「そのために、ハイヤーグラウンドに反旗を翻したのか」


「……反旗?」


 トレントは、ビールの缶をグシャリと握りつぶした。

 泡が彼の腕についた。彼はそれを舐め取った。

 ……ただならぬものが、その目に宿る。


「笑わせるなよ……煉獄の住人が」


 その言葉。

 そして、その目。やどり始めた光。

 だが――チヨは気づく。その目にうつるものは……狂気。


「トレント、いけない」


 モニカが制止しようとする。

 だが、もう遅かった。


「俺達は、ハイヤーグラウンドを破壊する。そして、お高く止まったあの場所を……名もなき者たちの天国に変えるんだ」


 それは。

 この街の秩序を全て破壊するということ。

 そして――。


「……たわけがっ」


 立ち上がる。そして、言う。


「お前が言っていることが何を意味しているのか分かるか。それはディプスそのものに立ち向かうことだぞ。それだけではない。お前たちは、大勢の人間を巻き添えにしようとしている」


「それがどうした。革命には犠牲がつきものだ。その後に訪れる平穏のことを思えば、目をつぶってもらうほかない」


「くそたわけが。それをアホだと言っているのだ。ハイヤーグラウンドを破壊する? どうやって。何をする? 核弾頭でも使うのか」


「……」


 そこで、トレントは黙った。そして。


「っはははははははははははは……はははははははははははは!!」


 狂ったように笑った。

 明らかに、酒に酔っているから、だけではなかった。


「……っ」


 狂気。

 トレントの身に滲んでいるのはそれだ。向かい側に座る男にはそれがある。チヨは背中にゾクリとしたものを感じる。一体この男の中には、どれだけの感情の澱があるのだろう……。


「核弾頭、核弾頭ときたか。近からずとも、遠からずだぞ、女……」


 トレントもゆらりと立ち上がる。酩酊の中にあるのは確かだった。冷静さを失い、醜態を晒している。モニカが窓際から身を離して、彼に向かおうとした。だがそれを指で制した。彼は、ミハイルが横たわるベッドの縁にドスンと腰をおろす――。


「そうとも。俺たちは核を使う。核爆発をハイヤーグラウンドに落として、あの場所を破壊し尽くす――……こいつの。ミハイルの、アウトレイスとしての力を使ってな」


 そう言ってトレントはミハイルの上着のボタンを開けて、胸部をむき出しにした。

 ……あえぐやせ細った身体が上下し、その肌の下に、うっすらと青い光が充溢している。

 チヨでさえ、分かった。それは、その恐ろしいほど美しい色は――。


「チェレンコフ……光…………」


「そう。核の花だ。我が弟に宿るのは途方も無いエネルギー。俺たちはハイヤーに行き、こいつのそれを、全開にする」


「っ……――」


 それ以上言わせるわけにはいかなかった。

 チヨはどすどすと歩み寄って、大男の胸ぐらを掴んで言った。


「――この大たわけ者がッ!!」


 怒鳴る。

 だがトレントは動じない。もはや信じ切っていた。自らのドグマを。信念を。


「お前の。肉親だぞ」


「――だから、なんだ。俺たちの間でしか分からないものがある。お前に、何が分かる」


「……にい、さん…………」


 か細い声が、かたわらの少年から漏れた。


「僕たちは……天国に、行くんだよね……僕が死んだら、連れて行って、そこに…………」


 彼はうっすらと笑い、また咳き込んだ。

 トレントは黙って彼の手をとり、握った。


「ミハイル……っ」


 モニカは言葉につまり、口を手で抑えてよろめいた。


「お前のやっていることは――洗脳と同じだ。お前は、自らの歪んだ理想で、こいつを染め上げた。畜生にも劣る行為だ」


「歪んだ理想だと……どこが。何が、そうだと言うのだ」


「勝算が、どこにある。ハイヤーを破壊したらどうなる。その後は。世界が全て、グラウンドゼロと同じ段階に堕ちたら、その後は。考えてはおらぬのだろう。想像してはおらぬのだろう。その後に来るのは地獄だぞ。今以上の……考えろ、天国など来ない。お前のやろうとしている方法では、絶対にな」


「やってみなければ……分からんだろう」


 トレントの目は、その髪の下で、やはり狂気に満ちている。

 殉教者。

 根拠のない何かに頭の先まで浸かりきり、それを自らの戒律にしてしまった者たち。

 ――チヨは、見てきた。

 自らが切り捨ててきた者たちの多くが、そんな目をしていた。

 彼らは例外なく滅びてきた。なぜなら、時間軸上に、未来を作っていなかったからだ。


 ……未来?

 チヨの中で、疑問が挟まれる。


 果たして儂らに、それがあると言えるのか?

 こいつらとは違うと、ハッキリ言い切れる理由が、何かあるのか?

 自分たちはついこの間、未来を自ら失ったのではなかったか?

 ……それでもなお、『違う』と、言い切るのなら。

 自分が、すべきことは。


「そんな馬鹿げたことを、させるわけには……いかない」


 向かい合って、言う。

 ……息を吸い込んで、吐いて。その言葉を、宣誓する。


「第八機関として――お前を、止める」


「……ならばどうする」


 ゆらりと。トレントもまた、向かい合う。


「戦ってみるか。俺は強いぞ」


「……儂が弱いと、いつ言った」


 モニカは呆れ返ったように口を開く。


「この、ふたりとも、大バカ……こんなところで……」


「モニカ。お前は下がっていろ。これは必要なことだ。どのみち、この時が来ることは分かっていた」


 そう言われるとモニカはため息をついて頭を振って、肩をすくめた。

 それから憮然とした表情になり、拗ねたように窓際に戻る。


「勝手にしくさりやがれ、です。もう知りません知りません。バカふたり、メンタルが学生。ガキの喧嘩」


 ……その時、部屋のドアをドンドンと叩く音。

 チヨとトレントは対立を解いて、警戒する。

 モニカが飛び出して、ゆっくりと……ドアノブをひねり、開けた。


「騒がしいなと思えば、やっぱりか。どうしてお前らは静かに夜を過ごすってことが出来ねぇんだ?」


 サリバンだった。


「悪いが、何かをおっ始めようってなら、ここじゃなくて他所でやってくれ」


 殺気の漂う二人を目にしても、まるで動じていなかった。何度も、このような状況をくぐり抜けてきた者ゆえだ。


「……お二人さん。地下室が広いぜ」


 彼は、そう言った。

 ――……チヨとトレントは、その言葉に従うことにした。



 一体このおんぼろモーテルのどこに、こんな空間があったのかと唸らされる。

 灰色の殺風景な、だだっぴろい地下室。

 廃棄予定のキャビネットやら調度品が端に転がっている以外は、もっぱら鉄くずや瓦礫が装飾するだけ。ひたすら、広さを維持しているだけの空間。

 そこに、二人は今、向かい合って立っている。

 端にはモニカが腰を下ろして、呆れ気味に腕を組んでいる。

 指先の鋼線は部屋に伸びていて、ミハイルになにかあった時、すぐに反応できるようにしてあった。


「……」


「……」


 沈黙。にらみ合う。


「悪いが、止まるわけには行かない」


「好きにしろ。儂もそうだ」


 そう言ったチヨの手は震えていた。

 それを隠すようにして、鞘をぐっと握りしめる。


 ――信念だけで。信じることだけで、どうしてそこまで戦意を持てるのだろう。

 分からない。今の自分にはわからない。

 だが、あの男が言っていたように。ここが分水嶺なのかもしれない。自分の中にある疑問を、氷解させるための。

 自分は戦っている。

 誰のために? 何のために――。


 教えてくれない。誰も。

 その答えは――カタナに、聞くしかない!


 チヨは、構えた。

 トレントは、ゆらりと両手を広げた。隙だらけに見えて、異様な緊張が漂っていた。それこそが、彼の隠された実力を示しているかのようだった。



 混乱した頭を抱えたまま、チヨは、『確かめるための戦い』に赴く――。

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