#2 虚空のスキャット(2)
密閉されたトンネルからの脱出を画策するキムを出迎えたのは、起き上がり、復活したクリフトンだった。全身がボロボロで、満身創痍といってもよかった。それなのにやつはそこに居た。異常なまでのタフネス。驚愕する。
そして――もう一度、決意する。こいつを、今度こそ、倒さなければならない。
「クソが、糞が糞がクソがッ!!」
クリフトンは咆哮する。その声は空洞の空間に反響して、むなしく返ってくる。
「なんで俺まで閉じ込められなきゃならねえんだ! 奴は俺たちをその程度にしか考えてねぇってのか――……」
足元からこみ上げてくる嫌な感覚。
見下されている――自分たちは、天から、ハイヤーグラウンドから見下されている。ふざけるな、ふざけるな。俺たちを舐めやがって。
だが、足がすくむのは何故だ? 理由は簡単だ。分かっているからだ。
……自分たちが、奴らにかなわないということを、こうしてありありと見せつけられたからだ。
「……ま、たぶん。そうなんじゃないっスか。うちらも、あなた達も。ハイヤーグラウンドからすれば、面倒くさい化け物ってのに過ぎないんでしょう」
向かい側から声。
「黙れってんだ、ちくしょう、もう厭だ、俺はてめえとも戦わねえ、いいか、戦わねえぞ。脱出するんだ。ここから…………オエエエエエッ…………」
しゃがみ込み、嘔吐する。
彼の口から再び砲塔が生えると、それを封鎖された瓦礫の山に向けて――放った。
轟音。煙が立ち込める。
しかしながら、それが晴れても、あらわれるのは、変わらぬ灰色の壁のまま。
「…………」
「だから、やめといたほうがいいって言ったんス。うちらの攻撃で簡単に突き破れるのなら、そもそも封鎖なんてしないっス」
「な…………あ……………」
彼はそのまま、激昂してキムに襲いかかってくるものと思われた。
しかし。
「…………」
――……彼は岩場の上で膝を抱えて、うつむき始めた。
「あ。いじけた」
「……そういえばお前」
奇妙な時間である。殺し合っていたはずなのだが、こうなれば敵対すら無意味に思える。
「俺を攻撃した電撃。アレで、壁を破壊できねぇのか」
「んー。無理っスね」
あっさりと。
キムもまた対岸に座る。
「なんでだ」
「なんでって。この際だから言っちゃいまスけど、うちの力は電撃を直接生み出すわけじゃないっス。あくまでその場にある電気をバイパスして、増幅して、対象に伝えるだけ」
「何だと。それなら、どうして…………」
――クリフトンはその時、問おうとしたことがあった。
だが、何かがそれを抑制した。
聞くのはやめておいたほうがいい、と虫が知らせたからだ。
「……どうして、ここで壁が壊せねぇんだ。電気は通ってんだろうが。トンネルにも」
「照明程度はね。でも、そんな弱い電気、増やしたってタカが知れてるっス」
「……使えねぇな」
「お互い様っスよ」
……沈黙の時間が流れる。
そのはざまにキムは考える。
第八機関のこと。そして、自分のこと。
――……そのたびキムは、心の奥底から、どろりとしたものが流れるのを感じる。
ミランダは言った。
未来のことなど、今は考えなくていいじゃないか、と。
……駄目なのだ。それでは駄目なのだ。
自分の目的は現在にはない。未来にしかない。
復讐は、この先の自分が現在を重ねていった先にしか達成できない。
――ズレている。決定的に、皆とズレている。苛立つ。分かっていない。誰も、何も。
自分がここに一人で居るのは、何かの象徴であるようにさえ思える。
……自分は皆と一緒に居る。だけど、致命的なまでに、目的が違う。だから自分は……違うのだ。自分は孤独。だからこそ、ここにいる。苛立つ。苛立つ。
……あぁ、煩わしい。
「――ちょっと待て。お前」
声がする。
顔を上げる。呆然としたクリフトンの表情が、そこにあった。
こちらを指差して、青ざめている。
「お前……俺は、お前を知ってるぞ…………」
「え?」
――うずく。背中がうずく。
笑顔を、急遽顔面に貼り付ける。不気味に見えていなければ、いいが。
「てめえは、嘘をついてる」
「……嘘? 嘘なんか」
「ここを破壊出来ねぇなんて、嘘っぱちにもほどがある……お前にはその力がある、あるはずだ……」
「何を、根拠に」
立ち上がる。
声が震えているのが分かる。誰の? 自分のだ。それからフラフラと、クリフトンに近付いていく。
彼は青ざめて、後ずさる。だがその後ろには、壁があるのみ。
「ずっと考えてたんだ。その力。どこかで、つながるような気がしていた……分かった。お前の力は、お前だけのものじゃない」
「何が言いたいんスか。うち、バカだから分かんないんスよ」
「とぼけんじゃ、ねぇぞ……つまりだ、てめぇは……てめえの力は、遺伝だ……肉親同士の力は似るってのを聞いたことがある……ピンと来た。知ってるぞ。お前……姓、『ジンダル』だろ」
……そこで。
キムは停止した。
そして待った、彼が、決定的な一言を口にするのを。
「そうだ、やっぱりだ。ふざけるな、出来るはずだ。両親の力を継いだお前なら出来るはずなんだ、ここを破壊するなんて…………だって、お前の、お前の両親は、この街の電気として、犠牲に――……」
……それで、終わりだった。
キムの顔が、影に覆われて、目だけがうつろに光った。
腕が伸びて、クリフトンの顔を掴んだ。
彼は口を開こうとしたが、もう片方の腕が伸びて、それを塞いだ。両腕が、彼をガッチリと止めていた。
……どこに、こんな女のどこにこの力が。一体どうやって、何をする気だ。募る疑問は、彼女の正体を考えればすぐに行き着く。この女の潜在能力は底が知れない。何故なら、なぜならこの女は……。
「それ以上。口を開くな」
凍りつくような低い声。
――キム。目の前。
「が、あがががが……」
「貴方は話しすぎた。人には触れられたくない部分がある。それを平気で蹂躙する貴方は――…………もう、生きていては、いけない」
瞬間。
クリフトンは、抵抗しようとした。
だが、もう遅かった。キムは電気を生み出さないはずだった。彼女自身からは、電撃攻撃など、出来ないはずだった。
だがその時確かに。
――バリッ。大きなひび割れたような音がして、キムの身体から、クリフトンに電撃が通った。
クリフトンの身体は、芯から電気に侵されて、焼け焦げた。
――意識を永久に失うその瞬間彼はやはり、その女の事を考えていた。これまでモノにしてきた、貧民の女どもよりも、ずっとずっとアツい女。それがこいつだったんだ。俺はずっと満たされなかった。グラウンドゼロにいる限り永久に。届かないと思っていた。だがここでようやく届く。俺が待ち望んだ、心底いきり立つ女に出会えた。自分はあの掃き溜めから逃げ出せた、悪いなジャクソン、俺は、俺は――……。
――おれは、うんめいから、はずれられた。
……。
…………。
電気が『通って』、キムの足元に、黒焦げになったクリフトンの死骸がぱさりと転がった。彼は死んだ。キムが、殺害した。
……明確な『死』を相手に与える。
そう。出来るのだ。自分には。
「っははははははははははは、あはははははははははは…………やっちゃった、やっちゃったなぁ…………」
瓦礫に背中を押し付けて、思い切り笑ってみる。ひどく喉が痛い、いやな笑い方だった。声は反響するが、聞き届ける相手は誰もいない。
暗闇の中で、ひとり。
――だけど、それで良かったのかもしれない。誰も自分を見なかった。あんなふうに人を殺せる自分を、あのメンバーの誰も……。
……いや、待て。
ブレーキが掛かり、思考が転回する。
何故ホッとしている? 自分は何故安堵している。お前にはそんな資格などありはしない。お前は彼女たちとともに過ごすには相応しくないはずだ。だから、そんな郷愁など捨ててしまえ。そこの、黒焦げと共に。
……知らず、涙が出ていた。それすら流れるままにして、キムは、空っぽの笑いのまま、呟く。
「組織の未来なんてね。うちには知ったこっちゃないっスよ。うちはね……復讐さえできりゃ、それでいいんスよ。あんた、それを分からなかった……だから死んだ、死んだんスよ…………ふふ、ふふふふふ…………」
そう、何も変わらない、自分は。
――本当に?
その時流れてきたのは、一人の少女の姿。
銀髪の、和装の少女が、こちらを見つめている。
怒りと悲しみと、それ以上の慈しみを浮かべて。ああ、あれはいつの日だったか。
鬱陶しい、鬱陶しいなぁ。あなたも一緒っスよ。うちには、要らない……第八は隠れ家に過ぎない……。
キムは頭を何度も振って、幻影をかき消そうとした。だが消えない。
だからこそ、更に振った。ヒステリックに。
何度も、何度も。
◇
『ギャリー・ライル議員。ハイヤーグラウンド外遊のついで、うちの店にお忍びで来る。タレコミを恐れてか、外に待たせてる部下以外は誰もつけないで、一人で入ってくる。それで、ここで起きたことはおおっぴらにはしない。だから、頭をぶつけようが……彼は、気にしない』
それが、もたらされた情報だった。添付された画像には、うすらハゲのおっさんが映っている。
手はずまで、きっちり整えてくれた。
――……彼の中に入り込んで、そののち、そのままハイヤーグラウンドへ向かう。それまで、彼の中に入っている。ずっと、ずっと。
潜入任務というわけである。
これまで何度も経験してきたこと、グロリアにとって。
甘い言葉で誘って口づけして、違う誰かに、すっかり成り代わる。
究極の愛とは、その人に同化することだと誰かが言った。
なら自分は、とっくに愛を手に入れているのではないか――。
「……ばっかみたい」
グロリアは笑ってみた。
それから、店に向かう。
「愛なんて、愛なんて……」
――自分はしょせんビッチに過ぎない。
だけど、ほんのり高級なビッチだ。
……届かないものを追い続けている、という意味合いにおいて。
◇
誰にも愛されないということは、誰も愛せないということ。
力を手に入れるずっと前から、グロリアはその価値観を自分の中で育ててきた。それこそが彼女の人生を縛り、支配していた。
友人も。恋人も。
誰一人として、自分には見向きもしない。これから先もずっと。そう思うと暗澹たる気持ちになった。自分は一生、孤独なのだと……そう思っていた。
たまに彼女は、自分より若い男の子に惹かれたり、自分より年上の女性を好きになってみたりした。でもそれは、とてもつらい経験だった。それで彼女は知ったのだ。
――愛するのは、愛されるよりもずっと簡単で。
――愛されるのは。愛するよりも、ずっとずっと、難しいのだ、と。
なら、もう自分には愛など届かないのかもしれない。
このまま、一人で。ずっと一人で。どこにも行かないままなのかもしれない。
そう思っていた。
◇
しかし、あの時、総てが変わった。一夜にして全てが。
グロリアは、誰からも愛されるものを手に入れた。
それは絶大な転換点だった。
――そう。愛するよりもずっと難しいと思っているものが、ひどくあっさりと手に入ったのだ。
ある意味で、それで、狂ったのだろう。
彼女は、愛されることに自覚的になり。
愛されるためには、手段を選ばないようになった。
――店に来るようになったのも、そういう理由。
誰も彼もが、自分の美貌に身体に惹かれてやってくる。金の匂いが漂っていようが、胸と股ぐらにしか興味がなくったって、構わない。皆、自分を必要としている――愛している!!
グロリアの人生は薔薇色になった。名も知らぬ男と、女と、たくさん関係を持った。自分がバイセクシャルであると自覚したのはその時だったのか、いや、実は昔からなのか。分からない。とにかく、同性と積極的に関係を持つようになったのもその頃だ。とにかく――『愛されるなら、なんでもいい』。それが当時の彼女だった。
ビッチと呼ばれようが、なんだろうが、どうだっていい。あなた達が持っていないものを、あたしは持ってるのよ。羨ましいのなら、うちの店に来て。それで、あたしに多くを頂戴――。
……それでいいと思っていた。
自分の人生は、ここで満たされる、と思っていた。
あの時までは。
彼女と、出会うときまでは。
◇
詳しく語るには、あまりにも胸が痛むから。
うまく言語化は出来ないけれど。
グロリアが、店を去る原因となった事件があった。
彼女は大勢から拒絶され、また彼女自身も、大勢から離れざるを得ない状況になったのだ。こびりつくのは石鹸の匂いでも、花の香りでもなければ――血の、においだった。
雨の中、グロリアは――『ゴールディ』は、店を離れた。
……その先に、『彼女』は居た。
彼女は、事件に巻き込まれた自分を助けてやると嘯いていた。
全く好みではなかった。冷たそうに見える黒髪もその目もワイシャツも。ちょっとばかり、キレイな顔だとは思うけど。
あたしなんかに、何が出来るの、と言った。
なかば捨て鉢だった。もう自分にはなにもない。愛されることなんか、何も――。
どうだ、参ったか。どうせあなたも、あたしに何かを求めてやってくる。だけどどうだ、何もなくなったらもうそれまで。ギブアンドテイクでなければ成立しない刹那。それがあたし。
だが彼女は。
「ただ――……お前の力を借りたい。たったそれだけだ。『正義の味方』には、頭数が足りなさすぎる」
そう言った。
……身体に、電撃が走った。
この女は、あたしに何も求めていない。見返りなんて、これっぽっちも。
何も、特別視しない。ただ、事件の目撃者であり、協力者である。そんな自分を求めただけなのだ。
……あまりのことに、彼女の脳は、それを『バカにされた』と感じた。
だから、食って掛かった。
ふざけんな、あたしがそんな安い女に見えるっての。あたしはあの店で一番の――。
……しかし彼女は。取り合わなかった。ただ一言、何気なく、言った。
「一緒に昼飯を食べよう。中華でいいか?」
そこで気付いた。
――彼女は、自分を見ていないのではなかった。
はるか昔。愛の定義について考えるずっとずっと昔。生まれたての、まだ何も知らない頃の自分。その時の自分と同じような、素っ裸の自分を求めているのだと分かったのだ。
そして気づけば――惹かれ始めていた。彼女に。
自分に何も求めない。ただ力だけを必要としている彼女に。
……この人は、違う。
この人は、あたしの身体には興味がない。ただ協力者として扱っているだけ。
これまでの、誰とも違う……。
その時感じた疼きが、なんだったのか。
それは間もなく、明らかになった。
◇
気づけば、彼女の『事務所』に寝泊まりするようになっていた。
彼女は難航する事件の中で泥酔していた。そして、ぽつぽつと昔話をするようになり、その写真を、見せてくれた。
それは……彼女の、かつての仲間の姿だった。
その人達は、今はどうしているの、と聞いた。
すると彼女は……『もう居ない』とだけ答えた。
それ以上は何も言わなかったが、それで全てがわかった。
……その目。その、遠くを見つめる目つき。
それで、全てがわかった。
再び、身体に電撃がほとばしる感覚!
ああ――この人は。この人は。
あたしと同じなんだ。
グロリアには、分かってしまった。
――この人は、過去を追っている。決して手に入らない何かを追っていて、その見返りなどなにもないと知っているから。だから、こうしてここに居る。
一緒だ。あたしと、こんなみじめなあたしと、この人は、いっしょなんだ。
それが決定打だった。
グロリアは――衝撃的な恋をした。
本当に恋と言える、はじめてのものだった。
一緒になりたい、でもなれない。それでもいい。このヒトの中には入りたくない。
そう思える、はじめてのヒトだった。
だから彼女は、正式に店をやめた。
そうして、自分が巻き込まれた事件が解決を見せた後、仲間に入れてくれと言った。
「いいのか。ここに入るということは、誰からも認識されず、影として生きることを意味する。我々の戦いは、どこにも記録されない。ただ、現象として忘れられていくだけ」
構わない。それでも構わない。
あなたと一緒になれるなら。
あなたは、自分の仲間を、過去の再現のために集めているだけ。かつての栄光を目の前に映し出すために集めているだけ。あたしには分かる。どんなブレイクスルーがあっても変わらない。なんてわがままで、狂っていて、寂しくて。
でも、そんなあなただから、あたしはあなたのために尽くす。
あなたと、あなたの寂しい仲間のために――この身を捧げるの。
そうしてグロリアは――第八機関のメンバーとなった。
届かなくてもいい。かなわなくてもいい。
そう思える心からの恋が、はじまった。
◇
――そうして今。自分は、倒れ込んでいる男を見下ろしている。
くだらない猿芝居に店を巻き込んだ。早く出なくては。
グロリアはそっとしゃがみこんで、その禿げた男に口づけをした。
身体がしびれて、目の前の存在に、自分が置き換えられていく。
いつも通りの感覚。自分が自分でないものになり、そうして心以外が通い合う。
――どんな相手でも平気。自分は
届かない月に吠え続ける、哀れな一匹のけものだから。
だから平気なの。第八がどうとか、組織がどうとか、ハイヤーがどうとか、関係ない。あの人が生きている限り、傍にいられる限り。どうだっていい。
グロリアは、泣いてなどいなかった。
なぜなら彼女は、フェイ・リーと出逢ってから、ずっと幸せなままだから。
◇
ふざけるな、この店はどうなってるんだ。
そう言いながらギャリー・ライル議員は、一通り『たのしんだ』あと、そこを出た。彼自身の力を持ってすれば、店の中で転んで気を失ったことなど、いくらでも訴訟沙汰に出来たが、彼はそうしなかった。
男は不満を抱えながらも、部下に当たり散らして、いくらか気を楽にして……。
そうして、ハイヤーグラウンドに、こっそり向かっていく。
その内側に、名も知らぬフェアリルが一人、紛れ込んでいることにも気づかずに。
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