#11 ストレンジャー・ザン・パラダイス(3)
家屋の隙間から流れていく景色はやはり桃色で、美しいと言ってもよかった。
その後ろから、怪物たちが追いかけてくる音が聞こえる。
ふたつは、まるでかけ離れているようで――シャーリーは、ひどい現実感のなさを感じていた。それは、いまだ自覚しきっていない自分の記憶の空白ゆえだけではなかった。この場所……彼女は知らないが、ハイヤーグラウンドというこの場所自体が、夢の世界のようだったからだ。
「数ヶ月前から居なくなったって聞いて、俺、ずっと心配してたんだぞ。どこ行ってたんだよ、お前!」
「それは、ええっと……――」
「あいつらはみんな『堕天者のことなど忘れろ』って言って無視してやがる、だけど俺は! お前のこと忘れたことないんだからな。ええっと……とにかく、無事で良かった、アーチャー!!」
前を走る少年は、自分の知らないことを当たり前のように言ってくる。彼が自分にとってのなんなのか、まるで分からないまま――彼はまくし立てていた。
……釈明の必要がある、と不意に思った。
今この場でなくては、と思った――何故かはわからないが。
「あの、わたし……」
「なんだよ、謝罪なら今じゃなくていいんだぞ!!」
「わたし、記憶喪失で。たぶん、なんだけど…………その、あなたのことも、よく覚えてなくって……」
そこで。
少年は。立ち止まった。
「…………」
そして、言った。
「ワッッッッッッッッッッッッッッザファッッッッッッッッッッッ!!!!????」
心からの感想だった。
見開いた目と口を見る限りでは、浅黒い少年の顔は、まるで子犬のような幼さがあった。
「いけね、こういうこと言ってるから疎外されんだよな……いけね、いけね……」
「ええっと……アーサー…………??」
遠くから音が聞こえる。
だが、彼は立ち止まり、家々の隙間の暗がりで地面を蹴り、所在なさげに手をぶらぶらさせ、ジーンズ越しに尻を掻いた。
それから……遠慮がちに顔を上げて、言った。
「こういうの、多分お前……君には失礼な質問だと思うんだ。君は良いやつだし、その、つまらないジョークを言うタイプじゃないってのは分かってるから……でも、信じられないんだ……それ、マジな話?」
「……たぶん。確証はないけど」
「……そうか…………そうかぁ~~~~~~~~~~~~~っ…………」
彼は叫んで顔を手で覆った。
それから、不意に。
「きゃっ……!?」
シャーリーを、壁におしつけた。
「こういうことしてもいい仲だってことも……忘れちゃったのか?」
彼の顔が、すぐ近くにあった。影が自分に覆いかぶさる。
その表情は思いつめていて、ほのかに赤くなっていて……切なそうだった。
……シャーリーは、胸の鼓動を聞いた。
どこか、過去のある地点で、自分たちがそのようなことをしていたような……そんな気がした。
二人は、向き合った。
「えっと…………」
だが、その空間は破られた。
生け垣をバリバリと切り崩す音が聞こえると思うと、二人が振り返った先に、怪物たちが居た。こちらの暗がりに顔を突き出して、その恐ろしい風貌をにいっとねじまげてきた。
「っ……!!」
シャーリーの中で、再び何かがうずいた。
……自分は。ああいう怪物たちに対して、何をしていたのか――……思い出せそうな気がする、しかし……。
「くそ、こっちだッ!」
アーサーは、再び手をとって、引っ張った。
「AAAAAAAAAARRRRRRRRRGHHHHHHHHHH!!」
再び、咆哮。
後方から迫るのを聞きながら、逃亡が再開された。
今度はもう、狭い場所に逃げ場はなかった。
二人は、路地を抜けて、広い道に出るしかなかった。
ピンク色の空の下へ、再び……。
そこでは、誰も隠れることができない。
かつてシャーリーが居た場所とは、違い。
◆1 Days After
出力改造をほどこしたスズキ・カタナが、ダウンタウンのサウス・オリーブ・ストリートを疾駆する。
駆け抜けていく情景は普段と何も変わらない。あいも変わらず薄汚れた喧騒が、嫌になるほど広がっている。絶え間ない暴力沙汰に痴話喧嘩、それから薬物のたぐい。異形のフリークスたちはめいめい仕事帰りの体を引きずって家路につくか、いっぱい引っ掛けて帰るかを考えている頃合いだ。
そんな中――座席に乗るチヨは、とてもそんな気持ちにはなれなかった。もっとも、消えてしまいたい気持ちはあったが。
腰に差しているのは、バレンシア街で急遽手に入れたロングソード。とてもじゃないが、かつてチヨが使用していたものとは格段に質が落ちる。それもまた、彼女を気落ちさせていた。
後方で、フェイが風を浴びながら言った。
「
「……それは、お前の考えた諺か?」
「さてね。今頃は墓の中じゃないか」
……突っ込む気力もなく、チヨはため息をつく。
滲むのは無力感。折られていた。カタナと共に、気持ちが。
……今まで自分は、ただの一本のカタナだった。ひとつの殺意だった。
それは誰かのもとで正しく振るわれることで、威力を発揮していたはずだった。
だが――それも、まやかしと分かった。
……フェイの上に立つ者たちが、評議会そのものであったと知った時、彼女の中の何かが大きな失望に変わり、そして、絶望的な無気力へと追いやったのだ。
「――チヨ」
後ろに座って腰を回しているフェイが、小さく言った。
耳を凝らさねば、聞けなかった。妙に細い声だった。
「
「……それで」
「だが、逆に言えば……それまでは、その事態になるまでは、お前に矢面に立ってもらわねばならない。そして、カバーをしてもらわなければな。か弱い、病気がちの
「……」
チヨは、そこで言った。
耐え難いほど屈辱的な言葉。
「――今の儂に。お前の援護など……出来る、自信がない」
……しばらく、フェイは黙っていた。それから、返す。
「誰が、戦いだけに限定した? 言ってるのは、お前と
「……?」
「――正直言ってな。お前たちに大見得を切ったはいいが、随分とヒヤヒヤだったぞ。そして今もなお、自分を信じきれていない。ぶっちゃけ、ガクブルものだ」
突然の告白。
「知っているかもしれんが、
「……それで」
「それでお前が要る。お前の手厳しい批判が、批評が要る。お前は最高に空気が読めない。だから、自信喪失気味のわたしに、大きくアッパーカットをかましてくることを、密かに期待している」
「……どういうことだ」
「まだわからないか。こういうことだ」
――風の中、フェイは、言う。
きっと、自分の後ろで、彼女は、あの笑みを浮かべていた。
「もう、信じるな、などという綺麗事は言わない。わたしのことを、信じてくれ。評議会なんかよりも、ずっとずっと弱いわたしを。せめて――お前がこの後立ち直れると信じている、わたしの半分ぐらいは」
――チヨは、たしかにその言葉を、聞いた。
妙に胸に残った。拭いきれなかった。こびりついた。
なんと返すべきか、迷った。
――しかし。
「…………ッ、頭をおさえろっっ!!」
チヨは叫んだ。車体を大きくドリフトさせた。フェイが振り落とされそうになった。
次の瞬間である。
アスファルトがひび割れて、巨大な質量が目の前に着地した。
瞬時に煙と轟音。周囲に突風が巻き起こる。チヨはドリフトが間に合わなかった。二人で横転する車体に巻き込まれ、倒れ込む。立ち上がる――周辺に悲鳴。逃げていく人々が居た。
煙が晴れる。姿があらわになる。
「我が名はぁ!!!! ハンセンでああああああるっ!!!!!!!!!!」
筋骨隆々の大男――ハンセンである。
「あいつ……」
「『穏健派』のメンバーだ」
チヨの後ろで、フェイが言った。
「こんなに早く……!!」
ハンセンは向かい合う二人を笑うと、歯をむき出してにいっと笑った。突然の襲来に驚いた人々が往来を逃げ回り、悲鳴を上げている。その状況そのものを楽しんでいるようだった。街路は彼らのためにスペースを開けていた。空間がバトルフィールドになった。
「知っているぞぉ、貴様らが一体何を企んでいるのかぁっ!! この我輩にはまるっとお見通しだぁ!!!! これ以上先へは行かせないからなぁ、がははははっ!!!!」
腕を振り、準備万端という様子――チヨは、先程までの憂いの気持ちを一度隅へ追いやる。ロングソードを抜き、構える。
「フェイ。お前だけでも……先に行け」
「そうしたいところだが……果たして、こいつがそれをさせてくれるかどうか……」
フェイは煙草を吹かせた……苦笑する。
参ったな。ここまで早く情報が出回るとは――。
そして、向き合うチヨとハンセンから視線を外すと……。
――ストリートの隅に、見知った顔があった。
「……――」
ブティックの角に、フレイが居た。こちらの姿を『観察』していた。
――その様子が、全てを物語っていた。
……評議会と第八機関に繋がりがあるのであれば。当然彼女たちも、そうに決まっているのだ。
「……チヨ。お客さんがもうひとり居るらしい。
「……」
チヨは、フェイを見た。冗談を言っている顔ではなかった。
「……分かった。死ぬなよ」
「もう死なんさ」
それだけ聞き届けると――チヨは再び前を向いた。
フェイは……懐から、拳銃を取り出して構えた。
向こう岸で、フレイが、店の角から去っていくのが見えた。
――H&K・USPマッチ。
警察の呪縛から逃れたいばかりに入手した怪物。ここでもう一度使うことになるとは。
銃弾を込めて、チヨから翻り、フレイを追い始めた。
同時に――チヨとハンセンの戦いが始まった。
◇
……パーシング広場付近の、狭い路地。
グロリアとミランダは、背中合わせで立っていた。
「……ここらへんって言ったの、誰だったっけ」
「これは予想外でしょうが。ぶん殴るわよ」
二人の側、それぞれに来客があった。
「へへへ、お前ら、狭いとこでやるのが好きなのか? いいねえ、そういうのも悪かねえ」
カンガルー足の男……モリソン。
「あんた、相当なやり手だと聞いてるけど。うちらのコンビネーションに勝てるのかね?」
……ゴム女の、グローヴ。
両脇から、それぞれ迫る。
「……どっちをやるの」
「好みの女じゃない。あたしはもっと動物みたいな子がいい」
「……私もお断りよ、あいつ。下品な男は嫌い」
「ええい、考えるのも面倒くさいわ!」
「……同感ね」
「「――両方ぶっ倒す!!」」
◇
――爆発。
巻き込まれたキムが、地面に倒れ込んだ。背中が熱い。砂利が痛い。
……呻きながら、起き上がる。
場所は、ピコ・ブルーバードの高架道路下。
巻き込まれた車数台が炎上し、その中から人々が出てきて、逃げていく。至るところでビープ音が響いている。そのただなかにあって、キムはそいつを見た――敵対者を。
「なんだぁ、あのブロンドじゃねぇのか。俺ぁカラードにゃ興味ねーんだがなぁ……ゲエエーーップ!!」
不愉快な、でっぷりした巨体。
傍らを逃げていくアウトレイス達には目もくれず、彼はのっそりと歩きながら、キムに近づいてくる。その口からよだれが垂れて、煙が立ち上っている。
「まぁ、いねえよりはいいや。お前、俺のデケえモノの肥やしになれや」
「……」
人種差別主義者のクソを相手にする羽目になるとは思わなかった。
少なくとも彼女のボーイフレンド達は、自分がインド系の肌をしていることを知ると、余計に服を脱ぎたがったものだが。アレも大概だが、こちらのほうがもっと不快だ。
そもそも化け物だらけのこの街で、いまだに肌の色原理主義者が居るとは思わなかった。グラウンド・ゼロの中に居ると、倫理観も進歩をやめてしまうのか。
――なにより、自分だけ明確な『逃げ』を選ばなければならないのが嫌だった。
「『お前の力は強いから』って……あたしにもチヨちゃん貸してくださいよ、室長……」
ホコリを払って、つぶやく。
前を向くと……彼女は、セーターを脱いで、薄いキャミソールだけになった。
「あン……?」
さて――どうするか。
キムは……前のデブ男を見て、いくつかの選択肢を脳内にポップさせた。
そのうちいくつかは――他の誰にも公開するつもりがなかった。
……第八機関の、誰にも。
◆1 Days Before
「ハハハハハハハハ、ハハハハハハハハーーーーッ!! くそったれナ街ノ諸君!!!! 破壊、破壊、破壊ダアーーーーーーッ!!!!」
「AAAAAAAAAARRRRRRRRRGHHHHHHHHHH!!!!!!!!!!」
怪物たちは影たちの悲鳴を堪能しながら進軍する。街路が弾け、車が爆発する。後方から。嵐のように。人々が逃げていく――棕櫚が折れ曲がり、地に伏せる。誰かが転倒する。巻き添えを食らう。血が流れる……。
アーサーに引っ張られて、結局メインの街路を逃げることになった。
そのなかでシャーリーは考える。自分はかつて、このような目に遭ったことがあったのではないか。であれば、それはいつのことか。誰によるものか。答えは出ない――。
「あいつらは……あいつらはなんなの!?」
「何言ってんだ、相変わらずズレてんな! 奴らは『ヴィラン』だよ――この街の……『敵』だっ!!」
――敵。
その響きに違和感がはしり、ずきり、と痛みがあった。
「あっ……」
転倒する。
――後ろから怪物。
そう、怪物。彼らは怪物だ。
しかし――なぜ、怪物なのに。
「グハハハハハハハハハ!!!!」
「AAAAAAAAAARRRRRRRRRGHHHHHHHHHH――」
なぜ、怪物なのに、人間のように見えてしまうのだろう――??
……痛み。
「うあっ……」
「アーチャーっ、しっかりしろ、立てるかッ!?」
「腕が…………腕が、痛いっ…………!!」
シャーリーは右腕を押さえてうめいた。
芯の部分が熱を持って、じんじんと脈動するようだった。それは何かを訴えているようで……不安に心が駆られた。
そうしている間にも、やってくる。敵が――。
「敵……敵って何……わたしのいたばしょに、そんな、そんな奴は――」
譫言のごとく。
「何言ってんだ、はやく、早く逃げるぞ――」
「――いえ、お嬢さん。『敵』なら居ますよ」
声がした。
同時に。
――かつーん、かつーん、かつーん。
音。硬質な。踏みしめる音。
「…………?」
怪物たちの進撃が、止まった。彼らは一様に首をひねる。
奥に、二人の人間と有象無象を超えた先に、誰か居る。そして、こちらにやってくる。
「あれは……」
人々は、道を開けた。彼らの通り道を、作った。
静寂の向こうから――白いシルエットが姿を見せた。
道化師のような装束にシルクハットを被った細身の青年。その周囲を、同じく白いスーツをまとった男たちが守り、進む。青年は杖を持っていた。それを地面に打ち鳴らしながら、歩み寄ってくる。
――彼らは立ち止まる。白い影が、怪物たちと向かい合う。
「………………――驚いた」
青年は、一瞬シャーリーの方を見て、言った。
閉じたような細い目が少し開いた。
それから、前を向く。
「まぁ、良いでしょう。下がっていてください。ここからは――」
青年は、革の手袋で、器用に指を鳴らした。
男たちが一斉に横並びとなり、シャーリーとアーサーの前に壁を作る。そのまま、彼らも持っていた杖を前に向ける。それは展開し、長銃となった。
「――我々の、仕事です」
「……ハハハハハハハハ、ハハハハハハハハ!!」
怪物の一人――コウモリ男が、哄笑する。周囲の者たちも、同じように愉快そうな声を出す。
「何ヲ言イ出スカト思エバ、『仕事』ダト!? 我々ヲトメルトデモ言ウノカネ!?」
「そうだと言ったら、どうします」
「ガハハハハハハハ、ソンナ小サクテヒヨワナ身体デ何ヲ――――……
ガハッ!!!!????」
蝙蝠男の胴が裂けて、血が吹き出した。
……青年は、彼の後方に居た。
手に持った杖は、銀色に光っていた。持ち手より先は――刀身だった。
「イツ、ノマニ…………」
……『敵』が倒れる。仲間のけもの達が動揺する。
青年は、刀身にカバーを被せて『納刀』する。
「あなたは…………」
その場に座り込んだまま、シャーリーは、青年に問いかけた。
……彼は、振り返った。
道化師のように、軽やかなステップを踏みながら。
「組織の名は、『
帽子の先を小さく持って、ほんのすこし、頭を下げて、彼は言った。
「我々は……『正義の味方』ですよ、シャーロット・アーチャー」
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