#10 ストレンジャー・ザン・パラダイス(2)
軌道エレベーターは、空を駆け上がっていく。
シャーリーが見下ろすと、街が遥か下に広がる。騒がしい街路が、人々が、粗雑で猥雑なビルディングが、それらすべてが遠ざかり、うごめく縞模様へと変化していく。
彼女は戸惑った――自分はどこに向かっているのか。
自分自身の記憶の所在に無自覚な以上、透明な少女にあったのは困惑だけだった。ロサンゼルスはいつからこうなったのか。こんなものが、いつからあったのか。そして、街を取り囲んでいる――あの『壁』はなんなのか。
それは――『ザ・ウォール』の姿。
林立するどのビルディングよりも高く、威圧感たっぷりにそびえ立つ黒檀の壁。雲を超えて、霧を超えた先、その輪郭が僅かに見える。黒檀の境界。あんなものは、なかったはずだった。かつては。
「わたし……どこに行くんだろう。どこに、向かうんだろう」
――乗客は、他に居なかった。
西日に照らされて、上空へ向かうワゴン。まどろみのような黄金の光に包まれる、ガラス張りの空間。その中で、シャーリーの前に影が色濃く映し出された。その中に、不安の色が差し込む。だが、どうしようもない。彼女は、両腕で身体をかき抱いた。
……エスタに、はやく会いたかった。
しばらくして。
エレベーターは、『上』という階にたどり着いたことを示し、停止した。
ドアが開く。シャーリーは、外側に解放される。
フロアには、誰も居なかった。無人のエントランスが広がるだけ。
その構図は、『地上』と変わらなかったが……違うのは、そこよりも遥かに清潔で、同時に、遥かに静謐であったことだった。
……歩みをすすめる。足音が妙に響く。
ゲートにたどり着くと、ポーンという甲高い音がして、自動的に開いた。
シャーリーは、外に出ることができた。
自動ドアを抜けて――出口へ。
その向こう側には、黄金色の光が広がっていた。
地上の時点で、西日が広がっていたが……ここは、それ以上に光が広がっていた。
その、過剰なまでのあたたかな光に違和感をおぼえながら……一歩踏み出した。
――そして。透明な、空っぽの少女の向こう側に。
その光景が、広がった。
◇
シャーリーが、『天上』へたどり着いた次の日。
フェイたちは、行動を開始していた。
「まずは……3手に別れる」
スモークの広がる事務所内部。病院の屋上では(多少)気を使って(最低限しか)吸っていなかったそれは、ここでは欠片の呵責もなく吹かせることが出来るというわけだ。皆、めいめいタバコを吸っていた。そうでもしなければ、身体の痛みと、あの敗北感、屈辱に勝てそうもなかったからだ……皆、据わった目をしていた。
「大丈夫なの」
「確かに、孤立するリスクもあるが……おそらく、ひとかたまりになったほうが、奴らには……特に、『評議会』には好都合だ。我々を一挙に拘束できるわけだからな。それよりは、散り散りになり、それぞれ連絡を取り合いながら動いたほうが良い」
「……なるほどね」
「敵は強い……そして……勝てるとは、限らない」
その事実。
これまでのようにはいかない。
今までのような『正義の味方』ごっこは、もはや通じない。
彼女らは『負けた』のだ。
「しかし、正面切って相手取らないからこそ出来る立ち回り、というものは確実に存在する。我々がすべきは、大きく分けてふたつある。そのうちのひとつは……」
「シャーリーちゃんの……捜索っスね」
「そうだ。何故、姿を消したのか。皆目不明だが……場合によっては、あのじゃじゃ馬娘にロメロスペシャルをくれてやれ。そして、きつけにきついラムを」
フェイはにやりとした。皆も、少し笑った……チヨ以外。
「じゃあ、もう一つは?」
「ある意味……現状では、こちらのほうが重要かもしれない」
フェイは、深くアークロイヤルをふかし……呼吸し、言った。
「――……『革命派』の保護、だ」
「……!!」
「フェイ、それは……――」
「そう。評議会はいい顔をしないだろうな。だが、やらねばならない。なぜなら、我々がすべきは……この戦いを終結させることだ。そうなれば、どちらかを滅ぼす、という簡単な答えで良い筈がない。彼らはこの街のどこかを逃げている。逃げ続けている。いずれは見つかってしまう。そうなれば最後だ。『穏健派』が勝利し、グラウンド・ゼロの戦いは、身の程を知らないバカが少し反抗的になった、というだけの話になってしまう。我々が何もできなかった、という事実とともにな。そいつを……許すわけにはいかない」
――皆の背筋が、伸びた。
なぜなら、その決断とは……第八機関そのものを、危機に追いやる可能性があるからだ。評議会がこの戦いに対していかなる決着を望んでいたとしても、そこに第八が介入し、結末を捻じ曲げるのは『予想外』のはずなのだ。なぜなら、『第八機関が革命派を殲滅する』ことこそ、本来のシナリオであるから。
「……そいつは、我々がすべきことなのか、という疑問があるよな、皆」
フェイは、皆を見回して、言った。
「もはや我々のこれまで、そのすべては嘘だと分かってしまった。掲げていた正義が、建前となってしまった……正直言って、失望を隠せない。泣きたい気分だ」
皆、黙っている。
「だが……それを、これまでの我々が残した『もの』が許すかといえば、別の話だ」
誰かの背筋が伸びた。
「事実がどうであれ、我々は確かに、この街の危機のたび立ち上がり、戦ってきた。そして、勝利の暁には、酒を飲み大騒ぎをしたものだ。その日々は、決して嘘じゃない。確かにここにあった、過去であり、現実だったはずだ……誰も、それを否定することはできない。ゆえに……宣言しよう」
めいめいに向かい、宣誓した。
「第八機関は、これまで通り――正義の味方であり続ける。その上にたつものが、誰であろうと。なんであろうと。我々は、やりたいようにやるのだ」
それが……決め手だった。
彼女は言った。
「この街は狭いようで広い。隙間ならいくらでもある」
3手に別れる。そして、それぞれの目的のため、動く。
「行くぞ、皆」
そう、それで……動き始めたはずだった。
だが、その中で……確かに、埋めようもない虚無を抱えている者たちが居た。
動き始めた彼女たちは、その動静に注目しきることが、できなかった。
◇
空は桃色だった。それは、天を隠す『おおい』がなかったからだ。
雲がカフェオレのクリームのようにゆっくりと流れていくさまも、はっきりと見ることができた。それも、地上では見られないものだった。大気も、まどろんでいるようだった。少し肌寒いものの、不思議と息が苦しくはなかった。高いところに来ているにも関わらず。それが奇妙でならなかった。
町並みは――シャーリーが八年間記憶している、あの住宅街からあまり変わっていないように見えた。
ゆるやかなカーブを描く幅広い街路――それぞれのはざまに、低い屋根の建物が連なり、それぞれに庭が大きくある。ガレージには磨き上げられた車が並んでおり、それらは坂の上にゆるやかに顔を突き出していた。
棕櫚の木は地上と変わらず、至るところに生え揃っていたが、地上のそれとは違い、どこか誇らしげに、まっすぐであるようだった。
そんな中を、歩いていく――歩いていく。
ピンクの空の下、街路をさまよう。
車は通らない。『閑静な住宅街』という言葉は、こういうときに使うのだろうか。
しかし、それでも妙だった。そこはあまりにも静かだった。子供の声や、エンジン音すら、まるで聞こえない。あるとすれば、棕櫚が僅かに揺らめく葉の音ぐらいのものだった。あとはもう、桃色の真下に、情景がへばりついているだけだった。ひどく書き割りめいていて、現実感がなかった。
――もしかしたらここは。本当に天国だったりするのかもしれない。
ごっそりと記憶の抜け落ちた透明な少女は、夕暮れの影を引きずりながら歩き、そんなことをぼんやりと考えた。
だが、それは間違いだった。
なぜなら、人が居たからだ。
……そう、目を凝らせば、至るところに存在していた。
庭で日光浴をしている者。
ペットを散歩させている者。
洗車している者――皆、居た。居たのだ。
だが、あまりにも『存在感』が希薄だった。ただ影だけを背負い、背景と同一化されていた。それは情景に落とし込まれたシミのようだった。
「……――」
シャーリーは歩き、そのなかで、彼らと目があった。
「……」
みな、こちらを見た。
だが、少し一瞥するだけで、去っていった。あとはもう……影があるだけ。
「ここは……本当に」
――本当に、自分がかつて住んでいた、ビバリーヒルズなのか?
――ひどい非実在感が、足元にぽっかりと穴を開けたようで、彼女の中に不安が忍び込んだ。
そして、彼女の疑問に対する答えは、すぐに出た。
「AAAAAAAAAAAAARRRGHHHHHHHHHHHHH!!!!!!!!」
静寂を切り裂いて、獣の咆哮が響いた。
シャーリーはびくりとして、振り返った。
すると……背景の向こう側から、何者かが追いかけてきた。
影が、逃げていく。そう、認識が確かであれば、自分の真横を通り過ぎて、奥からやってくる『そいつら』から逃げているようだった。「おい、君も逃げなければ危ないぞ」と、そう声をかけられたようだった。
――そいつらは。
化け物だった。
静寂の住宅街を襲撃したのは……ヒトの姿を超越した者たちだった。
合計で、四人。いや、四体だった。
ひとつは、こうもり。巨大な翼を持ち、全身を黒いレザースーツとマスクで覆った者。絶叫しながら飛翔、周囲に突風を巻き起こしながら、こちらに向かってきていた。
もうひとつは、筋骨隆々の大男――しかも、パンツ姿。髪をポマードで固めて後ろに流していた。だが、彼が駆けていくだけでアスファルトが割れ、地面が振動した。
もうひとつ。獣の爪を持つ男。ドミノマスクにバーレスクの仮面を合わせたような奇妙な装束で、指の間から突き出た巨大な爪をひらめかせ、停められている車や標識を切り裂いていく。
最後の一人は、全身を装甲服で覆った上で、顔だけを露出していた。それはひどい火傷で、見るも無残な姿になっていた。彼は両腕にマシンガンを構えていて、上空に向けて撃ちながら迫っていた。彼は笑っていた。
いずれも、支離滅裂で荒唐無稽、バラバラの出で立ちだった。共通点と言えば、正気を失っているということだった。
――『ヴィラン』だ。
――また出た、みんな逃げろ、逃げろ。
そんな声がかたわらでいくつも聞こえて、通り過ぎていく。
化け物たちは、常軌を逸した雄叫びを上げながら、街路の奥から順に、景観を破壊していく。影であった人々はそこから逃げていく、逃げていく。
シャーリーただ一人が、わけも分からず立ち尽くしていた。
あの化け物はなんだろう。人間なのか。一体なんなのか。まるでわからない、彼らはなんなのだ、身体が動かない、おそろしい――。
怪物たちは徐々に迫ってくる。
逃げなきゃ。でも、逃げられない。
……シャーリーの頭の中で、なんらかの映像がいくつもちらついて、その行動を妨害した。
――断片は、いくつもの化け物を映し出した。機械のような者たち、動物のような者たち。彼らと似て非なる、いや、同じか、わからない。
自分はどこかで、こいつらのような連中と会っている? 分からない、自分は、消えた記憶の中で、一体何と出会い、どう過ごしていたのか――……。
記憶が彼女を金縛りにして、動けなくした。
怪物たちは、シャーリーを見た。
「ひっ……!!」
思わず悲鳴を上げて、座り込んだ。もう動けない。奴らはすぐそばまで来ている。殺される、殺される、逃げなきゃ、でも――――……!!
「――こっちだっ!!」
不意に声がした。
とたんに、彼女の手は引っ張られ、引きずられた。
そのままシャーリーは、声の主とともに、その場を離れていく。
少年だった。浅黒い肌の、ポロシャツを着た。
――彼は皆がまっすぐに逃げているのを無視して、横に折れ曲がった。
そして、僅かな人家の隙間を縫って、怪物たちから逃げていく。
「あなたは……」
あまりにも急だった。狭い隙間を、手を引っ張られたままなんとかして走りながら、シャーリーは前方の少年に言った。
すると、彼は振り向いて言った。
「寝ぼけてるのか!? それとも忘れたいほど俺のこと嫌いだった? お前、アーチャーだろ、ずっと探してたんだぜ!!」
――少年は、シャーリーと同い年だった。
……彼女は覚えていなかった。
ハイスクールの時、同じクラスの生徒だった。
彼は、アーサー・リードと名乗った。
その名前に秘められた意味こそ、自分を導くのだということを、まだシャーリーは気付いていなかった。
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