#9 ストレンジャー・ザン・パラダイス(1)

 ――激しい炎の中で、いくつものイメージが炸裂する。

 散った。

 一人、ふたり。

 そして……きっと、ああ、もうひとり。アイリッシュ。死んだ。彼女も死んだ。

 何のために?

 目的のため。勝利のため。自分と、兄達が勝利するため。

 では――勝利した後、自分たちはどこに行くのか?


 ……天国だ。

 自分たちは、天国に行くのだ。

 争いも憎しみもない、弱者が生き延びられる世界。

 そこへ行くために――。


 ……彼は。目を開ける。


「……げほっ」


「トレント。ミハイル、目を覚ました」


 傍らで、モニカが言った。

 彼が顔を上げると、彼女はボロボロのレインコートを身にまとっているのが見えた。あのキレイなシスターの姿が見られないことが、少し残念だった。


「……ミハイル」


 兄が駆け寄って、彼の傍に膝をついた。そのまま、その瞳を向けてくる。

 彼は相変わらずボロボロだった。コートのフードを被っているから、余計にそう見えた。


「兄さん、僕は……――」


「ここは……アンダーグラウンドの路地裏だ。グラウンド・ゼロは、脱出した」


 ……それを聞いて、ミハイルは目を瞑った。

 瞼の裏に、すぐに炎が迫って、はぜた。

 暗い空間の中でも、叫びとささやきが聞こえたから、全てが理解できた。

 皆、死んでいった――自分を、送り出すために。

 そう……自分のために、皆、死んでいった。


「脱出して……皆は」


「皆…………――もう、いない」


 兄は、顔を背けて言った。

 最低限言葉を選んでそれか、と心のなかで苦笑する。どこまでも不器用な兄らしかった。


「――僕はどうして、ここにいるんだろう」


「お前の発作を抑える薬を、ドクから在庫分すべて貰ってきた。だが彼は連れてこれなかった……あと数錠。もう車両もない。時間との勝負になるが……」


「そうじゃないよ」


 立ち上がる。

 そこでようやく自分が、薄暗いぬかるみの中に居ることに気付く。

 そのまま、ふらふらと路地裏を歩く――なんだ、この時点で、グラウンド・ゼロよりもよっぽど綺麗だ。

 なら、路地裏の先にある、あの光の向こうに広がっているのは、もしかして――。


「ミハイル、お前……」


「そうじゃないんだ、兄さん」


 そうして彼は――路地裏から、外側の世界へ、顔を出した。


 ……灰色の雑踏があった。

 誰も彼もが、薄汚い自分の身なりを見て、一瞬怪訝な顔をするが……すぐに無関心に覆われて、去っていく。

 喧騒にあふれているが、それ以外のものは何もなかった。肌で感じた。


 幸せも、喜びも。

 その空気の中からは……感じられなかった。


「ミハイルっ……どこで、誰が監視しているか分からない……俺達は逃げなきゃならない。うかつに顔を出すな――……」


 後方からトレントが出てきて、ミハイルを抱きしめ、後ろへ戻した。

 ……影の中へ。


「兄さん……」


「ミハイル……」


「天国なんて、本当に……あるのかな。僕には、薄暗くて、よく見えないや……」


 そう言った。

 すると、兄は……より強く、弟を抱きしめた。


「苦しいよ、兄さん……」


「あるさ。絶対に。なければ作ればいい……――」


「じゃあ、作った後は。その後は一体……どうすればいいの……」


「天国は永遠だ。俺たちは、永遠を手に入れる……それこそが、それこそが……」


 ――トレントの身体は震えていた。

 自分に言い聞かせているのだ。本当に不器用な人だ、とミハイルは思った。


「トレント……そろそろ、ここ、離れるしましょう」


 モニカが後ろから言い添えた。

 トレントはうなずいて、嘘っぽく冷静になった。

 それから、3人で移動を開始する。


 ……自分は、黙っておこう。

 兄に従おう。

 今はそれだけで十分だと――ミハイルは、そう思った。

 それはどこか、制限時間を知っている爆弾を抱えながら、知らぬふりをしているような気持ちだった。



 日没近く、ジャクソンは、部下たちを集めた。


「あああああ、畜生、クソっ、くそっ……!!」


「ひっ、やめっ、あががッ……――」


 クリフトンは怒りを撒き散らしながら、部下を殴りつけていた。

 グローヴ達は、思い思いの位置に座りながら、その様子を冷淡に見ていた。

 ……彼女たちにとっては勝利のはずだった。


 だが、この街のありさまはどうだ。

 ――『コラテラル・ダメージ』としては、少々お釣りが付きすぎるのではないか。

 誰一人として、楽しい酒を飲んでは居なかった。


「俺の判断が遅れちまった。お前らには、つまらねえ思いをさせたな」


 さしものジャクソンも、現状には満足していない様子だった。


「あんたのせいじゃないぞ。連中が予想外に粘ったからだ」


「俺達がもっと早くに片付けていりゃ、こんなことにはならなかった……」


「あのゴミどもが……――!!」


 ハンセンは憤り、カクテルの入ったグラスを握りつぶした。

 破片が皮膚に食い込んだが、彼の強靭な筋肉は、出血を妨げた。


「吾輩はもおおおおおおーーーーう我慢できんぞ!! 連中をあまさず見つけて!! 我が筋肉の贄にしてくれるッ!! なぁ、お前たちッ!!」


 ……皆、返事はしなかった。

 だが、気持ちは同じだった。


 ――あの、夢見がちな連中を。

 この街に居ながら、天国なんてものを夢見ている連中を、殲滅する。

 そうでなくては、大事な顧客を怒らせる。


「――……お前ら。次は容赦なしだ。いいな」


 ジャクソンが立ち上がり、皆に言った。


「トレント。および腐れシスターを、草の根を分けてでも見つけて、殺せ」


「……あの、妙な連中は。オレたちの間に割り込んできた、あの連中」


 モリソンの質問に、ジャクソンが答える。


「決まってるだろ……――あいつらも、おんなじだ。大事な取引相手の邪魔をさせちゃあ、いけねえよ」


 それで、決まった。

 ――しばらくして。

 『穏健派』の尖兵たちは、グラウンド・ゼロの外へと散っていった。


 ……『希望』などという世迷い言にすがる愚か者達に、冷や水を浴びせるために。



 ダウンタウンに構える、LAPDの『お得意先』である大病院。

 例のごとくヤクでぶっとんだ患者が緊急搬送されているのを横目で見ながら、クリス・カヴィルは駐車場に停めたダッジ・チャージャーの傍でジタンを吹かせていた。


 もう、夜は更けていた。

 闇が――この街で起きていることを、全て覆い尽くしていくのだ。


 しばらくして、エントランスからキーラの姿が見えた。疲れ切った表情を浮かべてこちらに向かうのを確認すると、クリスは運転席に戻る。


「ご苦労さん」


「まったくだぜ……ああ畜生、浴びるようにテキーラを飲みてえ」


 キーラが助手席に座りながら、頭をおさえて言った。

 彼女が煙草をくわえる。クリスはライターで火をつけてやる。

 そいつをながーーーーくふかせたあと、キーラは呟いた。


「……連中、今は寝てるよ。それまで散々抵抗したけどな」


「へえ。そりゃ見学したかった」


「アホか。奴ら目を覚ますなり、シャーロット・アーチャーはどこだと騒ぎ立てた。仕方ねえから電話させたんだ。そしたら通じないとさ。よくよく聞いたら意味不明だ。戦場から逃がしたはいいんだが、その後の居場所が分からない。なんだそりゃって話だ」


「それで、どうしたんだ」


「……まあ。不可解には変わりないしよ。こっちでも探しとくって言った」


「お前……!」


 クリスがガタン、と身を揺らす。


「しょうがねえだろ。あいつだって第八だぞ。そのへんほっつき回って騒動増やされちゃかなわねえ」


「まあ……確かにそうだが。それから、あいつらは」


「奴ら、コレまで見たことねえくらい重傷だ。散々好き勝手言った後、ぷっつり倒れて動かなくなった。公園帰りのガキかよ」


 クリスは一瞬笑ったが……すぐに、それをやめる。

 キーラの表情が、思慮に沈んでいる。


「……キーラ」


「グラウンド・ゼロで起きたこと。お前は分かってるよな」


「――オフレコでな」


「……沈黙は金、って奴か」


 キーラは座席を思い切りリクライニングさせて、後方に大きくもたれかかる。

 紫煙が車内に充満し、所在なげにさまよった。


「――……評議会。あの炎は間違いない。ヴォルカンの野郎だ」


「……」


「勝つことは出来なくても。オレたちが、もっと早く動けてりゃ、こんなことには……」


 彼女の拳は、震えていた。


「だが……課長が」


「分かってるさ。オレ達が動こうとした時にはすでに、身柄を押さえられてた……」


 ――市長の、命令。

 おまえたちは、関係ない。

 おまえたちは、グラウンド・ゼロで起きたことの一切に関与できない。

 おまえたちは街を守る、だが、グラウンド・ゼロは街ではない――。


「……分からなくなるなぁ、クリス。オレ達が、なんのためにバッジ見せびらかせてるのかってこと。こんなもんなけりゃ、オレ達はただの愚連隊で……」


「――浴びるほどテキーラ飲むんじゃなかったのか?」


 クリスは言った。


「……」


「俺たちの肩書きの重さも、その鬱陶しさも、誇りも、あの時教えてくれたのはお前だ。そんなお前にそんなこと言われちゃ、お前のことを抱きたくなっちまう」


「なっ……はあっ!? ばっお前、何言って――……」


 キーラは不意に身を起こし、茹で蛸のように赤面した。


「冗談だよ。とにかく、俺たちに出来ることをやろうぜ。まずはシャーロット・アーチャーを探すんだろ? それは『ここ』で起きたことだ」


「……そうだな」


 クリスが、エンジンをかける。


「迷い猫を探すのは、探偵の領分なんだけどな」


「あの嬢ちゃん、そんなのにおさまるタマか?」


「かはは、言えてる」


 ……キーラは、快活に笑った。


「……とばしてくれ。夜ごと」


「――了解だ、隊長」


 それから、キーラのダッジ・チャージャーは、闇を切り裂きながら、テールランプを光らせて、去っていく……。



 グラウンド・ゼロでの、致命的な敗北。

 その次の日。

 妙に冷え込む朝だった。


 フェイは、病院の屋上に置かれている灰皿――誰かが持ち込んだのだろう――の近くに座り込み、病院着のままアークロイヤルを吹かせていた。


「……」


 柵から見える光景は、二日前と変わらないアンダーグラウンド。

 いつも誰かがどこかで何かを起こし、その騒音がBGMとなって灰色の街を彩る。


 そう、いつもどおり。

 新聞には何も載っていない――グラウンド・ゼロは無視され続けている。そこで大勢の人間が死んだことも、何もかも。

 きっと、フレイ達が『頑張ってくれた』のだろう――。


「……呆気ないものだな」


 そして、もう一件。

 フェイの胸の中でしこりになっていること。


 ――シャーリーに、連絡がつかない。

 彼女に何かがあったのだ。それは間違いない。

 では――ヴォルカンが、自分はともかく、シャーリーにまで重要な意味を見出そうとしているのはなぜか。そもそも、なぜ彼女は居なくなったのか。

 ヴォルカンが居るのだ、事務所に戻ってのんびりしているなんてことは考えられない。 


 謎が深まっていく――そして、躊躇いも。

 ……自分たちは、どう動くべきなのか。

 そもそも動くべきなのか。革命派の連中はどうしているのか。無事に逃げ出しているのか。


「…………ああ。マズい」


「そりゃあ、マズいでしょう。私もあなたも、病み上がりなのよ」


 声がかかる。

 振り返る――。

 フェイは、少しだけ表情を和らげる。


 そこには、皆が居た。

 ミランダ、グロリア、キム、チヨ。



 体が重い。

 ニコチンを入れれば、余計にそうだ。

 皆、黙っていた。黙って、外を見上げていた。互いに隣り合い、互いに背を向け合い。

 病室から抜け出した最悪の患者どもが5人集まって、前日の敗北感を分かち合っていた。


 ……沈黙が流れる。

 時折、吸い殻が灰皿に押し付けられる音。

 それが、延々と繰り返される……。


「……負けたな」


 ぼそりと、一言。

 チヨだった。彼女の手にはもう、カタナはない。

 そこにない何かを掴もうとするかのように、何度も握って開いてが繰り返されている。


「……ただの負けじゃない」


 ミランダが続ける。


「私達の……これまでの敗北よ」


 ――一瞬、グロリアが言い返そうとしたが。その表情のまま固まって、下を向いた。

 誰もがそれを、事実だと認めていたのだ。


「なんか……色んなことが、嘘っぽくなっちゃったっていうか」


 キムが、言葉を継いでいく。


「うちらの関係って、なんか……学園祭の準備してる時間みたいな感じだったんスね。なんか、色々冷めちゃうと……何のために頑張ってたのかって思っちゃうっス」


 それは当然――ヴォルカンから告げられた事実に基づいた言葉だった。

 てひどい言葉だったが、誰も反論できなかった。

 そのまま、更に沈黙。

 ――沈黙。


 しばらくして、ミランダが――皆を見た。

 見ていられない、と思ったらしかった。それか、やけに静かなのが落ち着かなかったのか。いずれにせよ彼女が、口火を切った。


「私、結婚するわ」


 皆が――一斉に、彼女の方を向いた。

 きゅうりに驚いた猫のような顔が並ぶ。

 そして……爆発。


「「はあああああああああ!!!!!!!!!!??????????????」」


「け、結婚って、ええ!?」


「いつの間に、いつの間によ!? 騙されてるんじゃ――」


 勝手に騒いでいるキムとグロリア。顔を見合わせるフェイとチヨ。

 彼女たちを諌めるように、ミランダはため息をついて、言った。


「――将来の話よ」


 ……そこで、沈静化する。


「…………将来??」


「そう、将来よ。ちょっとキム、露骨にガッカリしてるでしょ貴女。何を想像してたのか知らないけど」


 あらためて、続ける。


「そう。私、思ったのよ――……私らの関係が永遠だって、誰が決めたの?」


 皆の顔が上げられる。

 不意に投げかけられたその問いを無視できる者は居なかった。


 考え込む者。はっとする者――それぞれ居た。

 ミランダは更に続けた。


「それは、この世界? でもその世界がまやかしだったなら、それは誰も決めてないことになるんじゃないかしら」


 グロリアが、前に進み、歯切れ悪く返答する。


「でも、あたしらはフェイを信じて――……」


「いや……――もうそんなのはいい。お前たちで決めろ」


 振り返る。

 フェイだった。当の本人から、その言葉が告げられたのだ。

 グロリアは何かを言おうとしたが、またしてもうまくいかなかったらしかった。

 ……ミランダが、皆を見回した。

 そして、言った。


「こういうのはどう、みんな。私達の関係が永遠じゃなくって、思惑もバラバラなら、それでいいじゃない。とっとと終わらせて、解散して好きなことしましょう」


 わずかなざわめきのようなものが、さざなみとなって広がった。


「私。再婚するわ。忙しくて、ウェディングドレスだって着たことないの。いい男を見つけて、子どもを作る。それが夢。あなた達は?」


 ……しばらく、皆考えていたようだった。

 ミランダの言葉は、効果があった……彼女が考えている以上に。


「あたし……故郷に戻ること、かもしれないっス」


 キムが前に進み出て、言った。


「そして、二度と自分みたいな奴が出てこないようにする……ことかも」


 振り返る。


「室長は?」


「……フェイわたしか?」


 驚いたように。


「答えづらいっスか?」


「いや…………」


 フェイは、しばらく考えてみる。

 それから言った。


「……大学で、政治学でも教えてみたいものだな。一度ぐらい」


「それか、ギャンブラー?」


「……ふふ、それも悪くないかもな」


 彼女の視線は、そこから……グロリアに。

 ……彼女は。

 …………彼女は、肩をすくめた。

 それだけで、何も言わなかった。

 なんだか、少し妙な感じだった。

 ……また、沈黙が流れる。

 キムが、ちょっと慌てて、チヨに聞いた。


「そうだ。チヨちゃんは……どうなんスか」


「…………儂は」


「……あ」


 キムは、聞いてから、まずい、と思った。

 グロリアが小さく、アホ、と罵った。


 ……銀髪がうつむく。

 普段はそこにあるものが、ない。


「……――儂がここにいるのは。ここであれば、正しい力が振るえると思ったからだ。だが、その力の源が……嘘で塗り固められていたのなら。儂は何をすればいいのか、分からない」


 吐き出すように。


「……あれは。師匠から貰ったカタナだった。アレがあれば、多少はマシだったかもな」


 それから……彼女は顔を上げて、もう話は終わった、とでも言うように皆を一瞥して、再び外を見た。


 ……明確に落ち込んだのは、その一瞬だけだった。

 ある意味、彼女の意地だった。


 ――また沈黙が流れる前に。


「それでいいのよ、多分……みんな」


 ミランダが、進言する。


「バラバラで、いいの。でも、またつるみたかったら、それは好きにすればいい。ただ私達はもう、使命だとか世界だとか、そういうものに縛られて動く必要はないのよ。私達は――私達のために戦って、未来を作る。きっとそれが、必要なのよ」


「そのために、表面的な関係で居ましょうってこと?」


 すかさず揚げ足をとったのは、グロリアだった。皮肉な口調。


「そういうことよ。――……だってこれは、カーニバルの準備の時間なんでしょ?」


 ……ミランダは、笑顔を。グロリアに向けた。

 彼女は虚をつかれたように固まって、ほんの少し、頬を朱に染めた。

 なんだか、自分がバカを見たようだった。

 皆を見て、更に続ける。


 ミランダは……どこか、清々しい表情をしていた。

 ……今の状況を、楽しんでいるかのように。


「いつか覚める、夢の時間。だったらそれを、愉しめばいいじゃない。一緒にバカやって、楽しけりゃ。それでいいじゃない」


「ミランダさん……なんか、キャラ違うくないっスか…………」


「そう? 私は変わらないわよ」


 ……しかし、皆。その言葉に、何かを考えていた。

 グロリアも、チヨも……うつむきながら、言葉を咀嚼していた。

 ゆっくりと。

 ――他ならぬ、フェイも。



 そうだ――それが皆の望みであるのなら。

 それでいいのではないか。

 ならば、このわたしも。

 ……わたしの、思うままに。



「そうでしょ?フェイ」


 皆が――彼女を見た。

 だから、フェイは……答えた。


「そうだ――…………そうだな」


 それから……頬を、ぴしゃりと叩いて、外に顔を向ける。

 大声を出す。


「よーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーし、決めた」


 皆を見て、言った。


フェイわたしも、好きなようにやる。それで今、フェイわたしがやりたいこと。何か分かるか」


 その言葉とともに……チヨ以外の皆が、笑った。

 いたずらを企む、子供のように。


「退院するぞ、諸君」



 カリフォルニア・メディカルセンターの婦長であるラチェッド・フレッチャーは胃痛に悩まされていた。といってもそれは勤続十年の賜であり、ずっと続いていることだったが。

 彼女は、給湯室で、その日何杯目か分かったものではないブラックコーヒーを牛飲していた。


 そこに、部下のヒステリックな叫び声が駆け込んでくる。


「ふ、ふ、ふ、婦長―――――――――ッ!!!!!!!」


 採用2年目の若造である。こいつの妙に甲高い声も、彼女の胃に障った。

 ということで、怒鳴り返す。


「コラソン、なんなのよ一体ッ!! 私は今休憩中なのよッ!!!!」


「それが、それどころじゃないわけでして――」


「何がそれどころなのかしら、そんなに何かがあるなら言って貰おうかしらッ!!」


「それがっ――…………昨日かつぎこまれてきた患者たちが……ロビーで『ヴァン・ヘイレン』演奏してますッ!!!!」


 ……一瞬、意味不明だった。


「………………――――はぁ???????????」




 ……演目は『ホット・フォー・ティーチャー』で、アコースティック・ギグだった。

 もっといえばそれはジャグ・バンド形式で、使用されているのは楽器ではなく掃除用具だった。


「はははははは、いいぞお!!」


「退屈してたんだ、もっとやれ、もっとやれっ!!」


 ラチェッドがコラソンを引き連れてやってきた時には、とうに開演していた。

 ロビーの中心を陣取るようにして、昨日見かけた患者たちが大立ち回りを演じている。

 ……いずれも、女たち。警察と仲がいいらしい。それだけでも不快だった。

 だがそれ以上に……彼女たちの周囲に、暇を持て余したボヘミアンな患者たちが大量に集まって、彼女たちを囃し立てているのが見えてしまった。


「……――何してるの、あんた達」


「……あぁ、婦長どの」


 水バケツをパーカッション代わりにしていた女……ショートの黒髪のアジア系が、顔を上げて、にこやかな笑みを浮かべて言った。


「もしかして、ブラック・サバスのほうが好みだったかな?」


 ……そう。ひどくにこやかな。

 ラチェッドは、しばし……黙り込んで。

 それから、爆発した。


「出てけええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」



 病院の出口から、女たちが歩き去っていく。横並びで。

 そうしているうちに包帯ははがれ、宙に舞っていった。

 後方から、婦長からの罵声。

 それすらBGMにしながら彼女たちは歩き去っていく。包帯の紙吹雪の中で。


「本当に、良かったんスかね、これで」


「構わんさ。キーラはいいことを教えてくれた」


 回想――キーラの言葉。


 “いいか、お前ら。くれぐれも病院で騒いだりバカやったりするなよ。おかしなことやったら追い出されるぞ”。


 その言外の意味に、フェイは感謝していた。

 またいつか、酒を奢らねばならない。


「とにかく――行こうか。諸君」


「ええ。何から始める?」


「そうだな、まずは――……」

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