#7 バニシング・ポイント(7)

 その地に降り立ったシャーリーは、周囲を一瞥した。

 いや、信じられぬ、というように、何度も見た。見間違いではなかった。

 炎の中に戦場はあって、そこに皆が倒れていた。血塗れになりながら、チヨ、ミランダ達。そして見知らぬアウトレイス。うめいて、息も絶え絶えに。背景と同一化するように、散らばっている。

 愕然とした。ぽつりと、こぼす。


「この人が、やったのか」


 シャーリーは、前を向いた。


「……」


 ヴォルカンは、与えられた衝撃をそらすように顔を少し捻っていた。その表面から、ぱらぱらと破片がこぼれ落ちた。

 瞳が、見えた。欠けた仮面の隙間から。


 それは、傾げられた首の状態で、シャーリーに向けられる。

 冷たい目。

 ぞっとするほど鋭く、何の感情も宿っていない。

 だが、それ以上にシャーリーを硬直させたのは、そこにあるのはアウトレイスではなく、あまりにも人間的な瞳であるという事実だった。

 これは――この男は。人間。自分たちとは、違う――。


「シャー……リー……お前でもかなわない……もうそいつは、容赦してくれない……逃げろ」


 力ない声。

 そちらを向く。炎で縛られたフェイが居た。


「どうして、そんなことに」


 ぎょっとして尋ねる。


「一体何があったんです。こいつから、何を聞かされたんですか」


 だが、フェイはがっくりとこうべを垂れる。

 当然周囲の皆も、答えられる者は残っていない。

 厳然たる事実――ここで残っているのは、二人だけ。


 シャーリーは拳をふるわせながら頭を振って、ためらいを払い落としてから前を向き、ヴォルカンに聞いた。


「名前分かんないですけど。そこのあなた。一体何をみんなに言ったんですか。一体どうして、こんなことをしたんですか」


 無駄だと分かっていた、どこかで。だが、聞くしかなかった。


『――言っても分からぬから、攻撃したのです。私はある真実を伝えるため、ここに来た』


 少しあきれたような口調で。

 シャーリーにダメージを与えられたことを意に介している様子はなかった。利は、まだまだ彼にあるようだった。


「真実? 真実って……なんなんです」


『――今。それをお聞きになりたいですか』


 その問いかけに、シャーリーは再び周囲を見た。

 戦場がある。

 苦しい暮らしを送っている人々の住処が燃え、蹂躙され、灼熱の坩堝に落とし込まれている。このまま放置しておけば、広がっていき、やがて、全てを飲み込むだろう。

 ……シャーリーの中にこみ上げるのは、怒り。


「それをボクに教えたら。あなたは止まってくれるんですか」


 返ってきた答えは。明々白々。


『いいえ。このグラウンド・ゼロに巣食う革命派すべてを、我が炎で根絶やしにするまで。私は帰るわけにはいきません』


 あっけないほどに、一番聞きたくない答えが、あっさりと返ってきた。


「そうですか。だったら――」


 シャーリーは長く息を吐いて。

 ――右手の機構を、構えなおした。

 彼女の、ザインの力。


「あなたを倒して、全部聞く」


 勝てる見込み。

 今、あるわけではなかった。

 目の前の存在は、これまでの事件の中に現れた者達とは明確に違う。こいつは、この男は――今ここで、本当に、明確に、自分に立ちふさがっている。倒すべき敵などこれまで現れなかった。だが、今は違ったのだ。


『そうでなくては、シャーロット・アーチャー……甲斐がない』


 仮面の奥で、声が漏れた。ほんのわずかに、喜色が混じる。シャーリーは、無視をする。呑まれるな、ペースを保て、落ち着け――。


 沈黙。数十秒。

 燃え落ちる瓦礫の音。向かい合う。呼吸――シャーリーから、一方的に。


『……』


 ヴォルカンが、装甲のカーテンの隙間から、黒く細い腕をつきだした。

 そして、手招きした。

 それが、合図だった。



 足元で地面がえぐれて、彼女は駆け出した。

 右腕を後方へ後方へ引き絞る。赤いマフラーが風を受けてたなびく。勢いのままに――咆哮する。


「ッおおおーーーーーーーーっ!!!!」


 ヴォルカンは目の前。1メートル、30センチ……今だ。

 彼女は……翔んだ。

 地面を蹴り上げて、上空へ。逆光を浴びながら、滞空。マフラーがたなびく。

 奴は真下に居る。首を上げる。上げきれない。

 そのまま――。

 ……シャーリーは、右腕を振り下ろしながら……急降下した。


 右腕の機構が作動。大きく後方へ引き絞られ、そのままピストンのように稼働。前方へと、ヴォルカンの装甲に向けて、矢のように突きこまれる!!

 ……衝撃。

 轟音。鋼鉄をぶっ叩いたような、まさにそんな音が響く。

 シャーリーは、彼に斜めから突き刺さった形。そのまま……一瞬停滞。

 その右拳は確かに、カーテンのように広がった装甲の一部に突きこまれた……。


 だが、すぐに。


「――――あっっっっっっっっっつあああああああッ!!!!」


 右拳が、炎に包まれた。

 シャーリーは悶絶しながら、そのまま地面に墜落する。むざむざと尻もちを突きながら倒れ込む。

 彼女はバタバタとそのまま転げながら、拳を包んだ炎を必死にかき消そうと苦しんだ。

 そしてようやく消える。


(やはりか……)


 あの硬い装甲も、炎と同じ効果があるのでは、勝機が――。

 フェイは諦観とともに顔を背けようとしたが、はっとする。

 気づいたのだ。


 ――ヴォルカンは、後ずさっていた。シャーリーから、わずかに。

 それはほんの少しだったが、彼女の攻撃を受けたことによるものであることは間違いなかった。


 そして、それ以上に。

 ……攻撃を受け止めた装甲の一部が、小さく……傷ついて、凹んでいた。

 それは間違いなく『ダメージ』といえるものだった。


「……――まさか」


 シャーリーは……ゆっくり立ち上がる。


「ちょっとは……効いたかな」


 前を向く。


『……あなたは』


 ヴォルカンは、困惑していた。

 自分が、ダメージを受けたという『事実』に。

 おそらくこれまでも、数えるほどしかなかったのだろう、そんな機会が。

 それが今、ここにきて――はじめて。

 目の前のシャーロット・アーチャーによってなされたのだ。


「この力……ディプスの力。あなたが何なのかは……分からない。だけど、分かることがある」


 シャーリーは右腕を突き出して、宣言した。


「ボクの力は破壊の力。ボクが思っている限り、力はどこまでも強くなる……そんな気がする」



『――なるほど……』


 ……たっぷりと間をおいて、ヴォルカンは言った。

 その『間』に含みがあることを知ってか知らずか。


「――行きます!!」


 シャーリーは再び駆け出した。

 先程と同じだ。まっすぐに奔って、まっしぐらにヤツのもとへ。拳が唸る、マフラーがたなびく。


 ヴォルカンは、もうされるがままにはならなかった。

 彼は片腕をかざした。その掌の先からじわりと炎が染み出し、形を作る――だが、シャーリーの疾走は止まらない。炎は拡大する。そのままいけば、確実に餌食になる。


「正面から――」


 フェイは思わず叫んだ。

 二度同じ手が通用するわけがない、一体どうするつもりだ――。


 どうもしない。シャーリーは特攻をかける。

 炎が迫る――。


『……む』


 だが。ヴォルカンは、違和感をおぼえる。

 彼の手はその時、こわばった。開いたまま動かない。

 何よりも、炎が、そこで停まった。

 理解不能な、だがはっきりと分かる感覚。


 ――腕が、何かによって固定され、宙吊りにされている。


「――ッ……!?」


 シャーリーもまた、炎の消失に違和感を持った。だがそれで止まるわけには行かない。このチャンスを逃さない。駆けて、右腕を引き伸ばして、そのまま……。


「っ……りゃああーーーーーーーッ!!!!」


 足を軸に。真正面から、殴り込んだ!!


 腕が、拳を受け止めた。

 だがそれも一瞬だった。炎の装置が組み込まれているとはいえ、素手。かたや、人智を超えた力の宿る機械腕。ぶつかりあったときの力の差は歴然だった。

 シャーリーの拳が、掌を……破砕した。炎を吐き出す輪郭が、真正面から破壊される。


『――何っ』


「っうおおおおおおおっ…………!!!!」


 風が舞って、シャーリーの髪がゆらぐ。その中で叫ぶ。ヴォルカンの動揺。

 そのまま、突き進む――腕ごと。ヴォルカンが後ろへ、後ろへ。

 同時に、ぷち、ぷち、ぷち……何かが千切れていく音が、ヴォルカンの腕に発生した。

 それに、気付いた瞬間。


 衝撃による突風。


『――――ッ……』


 ヴォルカンが、大きく後方へ後ずさった。周囲の瓦礫が風に舞い、前方に轍が形成される。


 シャーリーは息を荒く吐きながら、残身する。ゆっくりと、右腕をおろす。ひどく、じんじんと痛む……これでもまだ、相手は……膝すらも、ついていない。そして、じわじわと削られているのは、こちらだ……未知の困惑が、緩慢に……不安に変わっていく。


『……』


 ヴォルカンは破壊された掌と、腕を見た。

 何か細い、光るものが、断ち切られた状態で、取り巻いていた。


 それがなにかは、気付いていた。じろりと前方を見る。

 シャーリーではない。

 ――そこに現れるはずの、もうひとり。



 ふわり。

 小さな影が、シャーリーの真上を舞った。

 視線で追いかけると、それは、彼女の隣に着地する。


「……」


 ホコリを手で払う、長い裾の衣服。この場には似つかわしくない――あるいは、この街そのものに、まるで似合わない出で立ち。


「……貴女は」


 困惑が戻った。

 ……シャーリーがそちらを向くと、シスター……モニカは、相変わらずのポーカーフェイスで彼女を見た。


「お久しぶりでございますですねー、ガキ」


 その緊張感の欠片もない平凡な口調に、調子を崩される。


「ガっ……というか、覚えてるんですね。記憶処理も受けてない……」


「あー、モニカさんめちゃくちゃ追いかけるしてた眼鏡の人がそんなこと言ってましたですねー。モニカさん華麗に逃亡中なう、です」


「…………な、なるほど」



 フレイ・アールヴヘイムはくしゃみをした。

 体調管理は万全のはずだったので、違和感があった。

 風邪ですか、などと余計なことを詮索される前に、前もって部下達を睨む。

 彼らはサングラスの奥で困惑を示した。

 ……それで納得した。彼女はとことんまで、合理性の人なのだ。



『参ったなぁ』


 二人の会話を切り裂くようにして、ヴォルカンが言った。

 シャーリーとモニカは会話を打ち切って彼の方を見る。

 ……ヴォルカンはゆっくりと、彼女に身体を向ける。


『――上でどやされるではないですか。私が』


 少し、おどけたような口調だった。それが余裕を示していた。

 ……二人は見つめ合った。

 倒すべき相手が同じであることを、その瞬間……諸々の立場を超えて、理解し合った。


「とりあえず。共闘でございますですねー」


「ええ……そうみたいです」


「だったら、話はやいです」


 モニカは指を曲げ伸ばししながら、パキパキと鳴らす。もうシャーリーは見ていなかった。視界には、ヴォルカンしか映っていなかった。

 ヴォルカンと……その周囲で燃え盛る、彼女の大切な街しか。


「じゃあポイントマン、しくよろでございます。モニカさんがスキを作るので」


「……」


「いいですね」


「――了解ッ!!」


 そうしてシャーリーは、三度目の特攻を仕掛けた。


 ――もしかしたら。

 もしかしたら、シャーリーが、この男を。

 その瞬間まで、フェイの中にはその気持ちがあった。



 だが、その希望は……やすやすと、打ち砕かれることになる。




 ダッシュでシャーリーは駆けた。モニカはその後方から大きく振りかぶって鋼線を発射する。


『何度来ようとも同じだ』


 ヴォルカンは無事な側の手をかざして、炎を生み出す。シャーリーの正面から。彼女は止まることなく、真っ直ぐ彼に向かう――そして、放つ。

 だがそれは途中大きくそれる。彼女の傍らに着弾し、大地を燃やす。炎があらぬところに広がって、赤い海を作る。


『む……』


 放つ、何度も。だがそのたび、指先に違和感。炎はシャーリーに浴びせられることなく、全く別の場所を燃やす。操られている――気づく。これは、あの女の……ワイヤーの仕業だ!!


 ヴォルカンの瞳は、後方のシスターを睨みつけた。彼女の表情は変わらなかった。仮面の奥で、歯噛みが聞こえた。


「っおおおおおおッ…………――――!!」


 咆哮。

 声の側を向く。

 赤いマフラー……たなびく。

 その拳が、迫る――。


 装甲に、衝撃。炸裂した拳が、ヴォルカンの身体を大きく揺らした。

 たたらを踏み、後ずさる。そのまま、また赤いマフラー……たなびく。炎が、向かない。手は、未だに鋼線の支配下にある――……そして。


「どりゃあああああああああああ!!!!!!!!」


 シャーリーの拳が引き絞られ、続けざまに、次の一撃。

 衝撃――そして再び。咆哮のさなか。もう一撃。

 もう一撃、もう一撃、もう一撃――もう一撃!!!!

 シャーリーの右拳が、何度も何度も、ヴォルカンの装甲を殴りつける。何度も、何度も。

 そのたびヴォルカンの身体は衝撃を受けて、後方へ、後方へ。効いている、確実に。

 ――だが。


『……』


 装甲に、ヒビ――だが、炎が亀裂にほとばしり、そのダメージを埋めた。

 同じことが、シャーリーの拳を受けた各所で起きている。

 ヴォルカンは炎に守られ……そして、回復する。

 ぶち、ぶち、ぶち。鋼線が焼き切られる音。


「……ッ!!」


 戦慄を感じ、すんでのところで後方へ飛び退く。

 かざされた腕から炎がはしり、地面を穿った。周囲に紅蓮のさざなみが起きる。

 ――シャーリーはそうして、あらためてヴォルカンを見た。


「くそっ……らちがあかない」


 ヴォルカン――いまだ健在。

 受けた傷は炎で補修されてしまう。どれだけ単純なダメージを与えても、すぐに無効化する。おまけに……。


 右腕を見る。

 相当部分が、焦げ付いていた。金属の焼けるような匂い。じくじくと痛む……激しい熱さ。こちら側の限界は、確実に近づいている。

 どうすれば、どうすれば――……。


『さぁ、終わりにしましょう……シャーロット・アーチャー。おとなしい貴女のほうが、よほど素敵で可憐だ』


 掌をかざす――炎が生まれる。

 駄目だ、今度アレを喰らえば、もう……。

 シャーリーは思わず目を瞑った。


 ……その時。



 弾丸の音色が複数響いて、シャーリーの傍らを駆けた。

 それは吸い込まれるように、ヴォルカンの装甲を直撃する。

 ほんの少しだけ、彼は後ずさる。前方を睨みつける。炎が舞って、すぐに弾丸が燃え尽きる。無駄か――。

 しかし、間髪入れず。

 なにか鋭いものが風を切りながら、再びシャーリーの真横を通り過ぎ……まっしぐらにヴォルカンの装甲に向かい、そして、突き刺さった。

 ……弾丸が炸裂した場所と、同じ。

 ――ヴォルカンは向きを変えて、見た。


 チヨと、ミランダ。

 息も絶え絶えに、上体だけを起こして……武器を構えていた。

 だが、それが一定の効果を上げたことを確認する前に、再び気を失い、倒れ込んだ。


『……――』


 何の意味もない、無意味だ――ヴォルカンは己の装甲に与えられた傷を見た。僅かな弾痕、そして突き刺さったカタナ――無駄な抵抗だ、本当に無駄な――……。


 ――その時には既に、シャーリーは意図を汲んでいた。

 故に、ヴォルカンの懐に迫っていた。

 痛む拳を引き絞る。


『何――』


「そこだぁーーーーーーッ!!!!」


 二人の力を、無駄にはしない。

 その一心で、右拳の一撃を浴びせた。


 カタナは溶け出していたが、未だに突き刺さっていた。

 その柄の末端に、拳を浴びせた。

 刀身が、更に奥へと食い込んで。


『ッ――!!』


 装甲のうち一枚を、完全に叩き砕いた。



「やった――……」


『おのれ――……何度やっても、同じこと――』


「そんなことあるもんかッ! この一撃、無駄にはしない……うおおおおおおおッ!!」


 シャーリーは拳を振りかざした。

 ヴォルカンは……掌を前に向け、炎を滲み出させた。


 そう、そこからは先程までと何ら変わらぬ拳の応酬と、対応する装甲による防御。モニカの鋼線がヴォルカンの自由を奪い、シャーリーが何度も右の機構を炸裂させる。何も変わらない。ヴォルカンは後ずさるばかりで、まるで『本体』にダメージが行く気配がない。そう、たしかに、印象だければそうだ。何も変わらない無駄な抵抗――。

 いや、果たしてそうか。


『っ……!!』


 炸裂する。炸裂する。炸裂する。身体が揺れる、揺れる、揺れる。衝撃が迸る。

 何度も何度も、愚直に殴りつける。そのたび右拳に血が滲み、じわじわと人の拳に戻っていく……そう、攻撃しているのは向こうであるのに、傷つくのも向こうのまま。それは変わらぬはずなのだが。


 ――明らかに、ヴォルカンの被弾が増えていた。

 スキが多くなり、それが、彼の装甲の隙間からわずかに見える生身を晒す瞬間を増やしていた。シャーリーはそこをめがけて攻撃する。ヴォルカンはそれから守るため、さらに抵抗を強いられる。まるでこちらから攻撃ができない。

 ……割れて破壊された装甲の分……今までよりずっと、自分の動きが鈍くなっている。


 後方へ、後方へ、後方へ。

 シャーリーは力任せにヴォルカンを押し込んでいく、押し込んでいく。

 炎が彼女の衣服を引き裂き、重いやけどを作っていく。苦悶の声が漏れる。もう限界だ、シャーリーも。あとほんの少しで、敗れる……それなのにどういうことだ。時勢が、向こう側に傾いている……ヴォルカンはそれを感じる。

 その感情が、彼に言葉を吐き出させた。

 ――それは、屈辱の筈だった。


『何度やっても同じことだ、私には通じない――この私には!!』


 ヴォルカンが、いまだ攻撃を続けるシャーリーに体当たりを食らわせた。


「うあっ……」


 たったそれだけで、彼女はバランスを崩し、大きく前方へと身体を投げ出された。

 そうだ、これだけの相手だ――他愛のない。

 再び、シャーリーとモニカが目の前に。掌を構える、とどめを行う――。


「それはどうかな、ですねー」


 モニカが……言った。


『……何』


 ぴくり、と動きを止める。同時に感じ取る――違和感。


「モニカさん、ここまで来るのに随分時間かかっちゃいました。その理由教えます」


 ……ヴォルカンは、ほんの少し……後ろに引き下がった。


 視界に、自分の傍らに、きらりと光る筋がいくつも見えた。

 それは疑いようもなく、その女の鋼線だった。

 ――周辺に、自分の後方のいたるところに、張り巡らされている。

 同時に、狙いに気付く。まさかこれは。

 ――周囲の空気が、張り詰めたように見えるのは――……。


「こうして、あなたを突き崩すため。トレントには怒られるけど、仕方ないです」


 その言葉と同時。

 モニカが、両腕を大きく後方へ引っ張った。


『――……!!』


 その瞬間。

 モニカが――この場所に来るまで、至るところに仕掛けてきた、建造物に張り巡らされていた鋼線が、一斉に引き倒された。

 それは同時多発的に、多量の建築物による連鎖的な倒壊を引き起こす。ドミノ倒しの如く、次々と。

 気付いた時には遅かった。ヴォルカンが後ろを振り向く。


 ……轟音。

 いくつもの積み重なった薄汚い廃墟が、彼の装甲を飲み込んだ。


 ――嵐のように、一つの大きな土煙が上がる。

 街の一箇所が、もろともに沈み込み、倒れた。



 倒壊した建物の瓦礫が雪崩を起こして、その場所はジャンクの海のようになっていた。煙が猛然と立ち込めて、空気が息苦しくよどむ。

 ……そのうちの一箇所から、瓦礫が噴き上がる。

 腕が伸びる。大きな影が身を揺らしながら、立ち上がる。


『……』


 ――――うまくない。

 咄嗟に浮かんだ言葉が、それだった。

 ヴォルカンは自分の体を見下ろす。

 装甲の至るところが、へこみ、傷ついている。

 周囲に炎をばら撒きながら、彼は立ち上がった。


 そう、ダメージは軽減されたはずだった。

 しかし、無機物は熱さを感じない、当然のことだ。それも、圧倒的な質量を前にしては、こうなるのもやむなしというところか……。

 ――だが、うまくない。あまりにも。このままでは――……。


『――む!!』


 前方。気配。


「そこだぁーーーーーーーッ!!!!」


 シャーリーだった。

 こちらに向けて駆けて、右拳を唸らせて突撃をかける。


『しまった――……』


 再び、後方へ、後方へ。

 何度も、何度も、何度も。


 そうだ――このままではうまくない。

 このままでは。



「うおおおおおおおッッ…………」


 モニカの機転が、大きく自分を前に進ませた。相手の装甲はベコベコだ。もう、ぶん殴っても熱さをさほど感じない。機能の一部も壊れてしまったのだろう。相手は強大だが、いける。このまま押し込めば――いける!


 右腕。凄まじい痛み……軋む。機構が壊れていく。だが、このまま押し切る。相手は引き下がる、引き下がる。殴る、殴る、殴る――――……!!!!


「このまま……――突っ込むッ!!」


 そうしてシャーリーは右腕を唸らせて、抵抗の出来ぬ相手を打ち据える――。


 ――これは、もしかしたら。もしかしたら。

 フェイですら、そう感じた。

 このまま押し切れば、もしかしたら――と。


 だが。


『――やむを得ん、か』



「な………………………………え………………………………????」


 その瞬間、シャーリーは、攻撃する対象を見失った。


 正確に言えば、目の前から、消失したのだ。

 装甲はそこにあった。仮面もそこにあった。彼女はそいつを殴っていた。

 だが、空だった。ナカミが、なかった。


 ――ヴォルカンが、殻を脱ぎ捨てて、いずこかに消えた。



 何かが、シャーリーの傍らをかすめた。


 ――熱い。

 その瞬間、そう感じた。


 時には、既に。


 ――彼女は後方へ、大きく蹴り飛ばされていた。

 ぶっ飛んで、モニカの傍に崩れ落ちる。


「うっ……うあああああああッ、熱ッ……――――」


 彼女の腹部には、くっきりと焦げ跡が刻印されている。

 悶え苦しみながら、ばたばたと転がる。


「一体何が……――」


 今、たしかにあの子は、奴を攻撃していたはず。

 それがどうして今、自分の傍に戻ってきた?

 モニカは駆け寄ろうとした。


 ――衝撃。

 彼女は感じ取った。


 熱い。

 同じことを、感じた。

 そして、彼女も大きくふっとばされる。

 はるか後方へ、四肢を投げ出しながら……炎の中へ。



「う……っ…………」


 一体何が、起きたのだろう。

 シャーリーは、緩慢に顔を上げる。

 自分のずっと前方に、脱ぎ捨てられた装甲があった。あそこに、奴は居ない。

 ではどこに。


 ――モニカもまた、顔を上げる。

 ……そこに、奴は居た。



 皆、見上げていた。奴を――ヴォルカンも。


「何だ……あの姿は…………」


 そう。

 ――奴は、上空に居た。

 装甲を脱ぎ捨てて、晒していた――真の姿を。



『全く――装甲を脱いだのは何年ぶりになることやら』


 足の底から炎が踊り、その男を空中に固定していた。


 痩せ細った、それでいて確かな『力』のこもっている四肢。

 フリルのような部位のついた、漆黒のレザースーツ。暗殺者に転職したピエロの如き、異様な装束。そして――長く、黒い髪。


 相貌は、まさに道化の如き白塗り。そこに、泪のように頬を伝う漆黒のアイシャドウ。血の色をしたルージュ。その中央で、真下を、シャーリーとモニカを、唖然とする二人を見下ろしている……ナイフのような眼差し。

 彼は、腕を組んだ。


 それから、もう一度――二人を見下ろした。


『ああ面倒だ――自制心というやつは。ここまで来るのに、随分とかかってしまった』


 評議会の№2……――噴き上がる炎ヴォルカン

 まもなく、決着がつけられる。


 誰もが予想し得ない形で。

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