#6 バニシング・ポイント(6)
トレントはその瞬間、確かに見た。スタンリーが消えるのを。
彼は一瞬目を閉じ、鎮魂する――目を、開ける。
「――ッ、くそッ……!!」
ヴォルカンは佇んでいる。そこに居る。トレントは通信する。前方、後方のバン両方に。
「聞こえるか、両車、ここから離脱だッ――」
ヴォルカンは――。
こちらを、向いた。うっそりと、トレントの側を。
まるで、猛獣が獲物を狩るかのように。
『し、しかしッ、街の出口はもう目前で――』
「いいから行けッ!!今すぐに――ここよりもずっと遠くへだ!!ヤツの居ない、ずっと遠くへッ!!」
『…………くそッ!!』
通信が切られる。がたん。大きく車両が揺れて、真下でタイヤが悲鳴を上げる。バンが振動して、大きく轍を形成しながらUターンする。泥が、土が跳ね跳んで、かなり無茶な軌道をする。だがそれも、すぐに行われた。全てはヤツから逃げるため。二台の車は急旋回――そのまま背を向けて、立ち尽くしている者たち全てから背を向けて、逃走を開始する。仲間の死を、そこに置き去りにして。
――バンは完全に、後方へと戻り始める。元の道を辿る。ジグザグに蛇行しながら――。
『――……小癪な』
ヴォルカンは、腕をゆっくりと前に向ける。その先に、遠ざかる二台の車。
ちりちりと、熱を帯び始める――が。
彼はそこで、バンを攻撃しなかった。
◇
「
叫びと共に衣服が翻り、飛びかかった。ウーである。
地面を蹴ると同時に宙に浮かび、それによって蛮刀を懐から展開。2振りの凶器を回転させながら、ヴォルカンに向けて躍り掛かった。相手はゆっくりそちらを見た――。
「キイイイイイエヤアアアアーーーーーーーーッ!!!!」
裂帛の気合いと共に蛮刀は投擲される。
まっすぐな銀色の光――装甲に突き刺さった。鋭い金属音。だが同時に、異常。異臭。ウーは目を見開く。蛮刀は装甲にぶち当たるや否や、溶解し始め、地面に落下したのだ。
「ッ…………!!」
敵はこちらに手を向ける。消し去られたスタンリーが脳裏に浮かぶ。そうはさせるか。ウーは両腕を手前にたぐり寄せる。すると溶けた蛮刀が手前に引き寄せられ宙を舞った。
ワイヤーで接続されていたのだ。そのまま空中でダンスを踊るようにしてワイヤーをひねる。
装甲が持ち上がり、腕が上に上がった。敵は反応しない。だが――ウーは着地した。彼は見た。
足から生まれた土煙。そのはざま、装甲と腕の隙間。明らかな、生身の腕。黒い生地のようなもので包まれているが。それが、そここそが。
ウーはさらに、しゃがみこんだ姿勢のまま蛮刀を懐からひねり出す。あいての懐に潜り込んだ形――腕はねじり上げられたまま。そこだ、行け――。
『くだらん』
だが。
その時、相手の、釣り上げられた腕が、燃えた。
炎に包まれた。同時に、そこを縛り上げていたワイヤーがことごとく燃え落ちる。一瞬の出来事。だが明確に知覚する。腕が自由になった。ウーに向けて、
「――っ!!」
その腕が、炎を浮かべて、迫る――。
鋭い金属音。ウーの真正面で、炎のちらつきは停止した。
彼は顔を上げる。
腕は止まっていた、彼の目の前で。更にその前に居る者により影が出来ていた。
「このっ……野武士もどきがッ……」
チヨだった。大股に開いた状態で、そのカタナが行く手を阻み、こちらに伸された手のひらを、完全に受け止めていた。
そのグローヴのような機械的な掌と、カタナがぶつかりあい、悲鳴のようなきしみをあげる。
助けられたという感覚は、ウーにはなかった。そんな暇はなかった。
「っぬああああッ!!」
チヨは濁った叫び声をあげて、腕を思い切りひねった。するとカタナが閃いて、銀色の閃光が目の前を踊った。
『……』
相手の腕が跳ね、上へと弾かれた。同時に敵は一瞬、ほんの、ほんの僅かに……体をよろめかせた。後方へ。
――それを見逃すチヨではない。彼女はそこで大きくしゃがみ、飛び上がる。よろめいたヴォルカンが、彼女に視線を巡らせるような動きをした――その時にはすでに。
彼女の身軽な体は、跳ね上がった男の腕の上に乗っていた。
たたた、たん。
軽快な音を立てながらその線を駆け。
「ッ…………エエエエーーーーーーストォーーーーーーッ!!」
彼女のカタナの切っ先は、そのまま、敵の装甲と首筋の隙間にねじ込まれようとした。
やったか。
一瞬思ったそれは、次の瞬間。
『痒いな』
すぐさま、打ち砕かれる。
装甲の全面に、炎が迸った。まるで正面から噴き上がったかのように。
驚愕し、熱さに反応したチヨの動きが宙吊りにされる。それで終わりだった。
ぐりん。
ヴォルカンは体をねじって、一瞬の炎によって無防備になったチヨの腕を、もう片方の腕で強引に掴む。彼はそのまま、彼女の体を、勢いに任せて、地面に叩きつけた。
短い悲鳴を上げて、彼女はバウンドしながらウーの傍らに投げ捨てられる。受け身もろくにとれない。泥だらけで起きあがる彼女。目が合う。前を向く。
『……』
巨大な影。圧倒する巨躯。
その腕が、こちらに向いていた。その掌の中央部がゆらめいて、熱を、炎をチャージしているのが見える。次にアレを食らったら――。
轟音。
炎は止まった。
はっとして顔を上げる。鬼は体をよろめかせる。腕が下がる。足がたたらを踏む。装甲の表面が波打つように衝撃を受け止める。
続いての轟音。何度も、何度も。
そのたび、ヴォルカンは揺れた、揺れた――。
チヨは顔を上げた。
ミランダが銃を構えていた。長大なライフルを構えて、威力を確認していた。だが、よろめかせるだけで精一杯だと悟ると、自分に視線を向けてくる敵に対し、次の手に移った。
敵は小さな炎を掌の中に作り出し、ミランダの居る方向へ飛ばす。花びらを吹かせるほどの気安さで。
それは彼女を穿たなかった。
着弾の瞬間、彼女は鳥に変形。そのままライフルは二つに分割され、彼女の脚部へとそれぞれ懸架される。
――着弾。
バラック小屋の一部が激しく炎上する。それは町中に張り巡らされた線やケーブルを蔦って、次々といたるところを延焼させていく。
「……っ!!」
ミランダは、チヨ達の傍らに。鳥の形態を一部だけ保った、キメラ的な形態。ほんの少し前に手に入れた、彼女の力である。その銃口が、猛禽の前傾姿勢とともに二つ、敵に向いている。
『…………』
ヴォルカンはゆっくりと、彼女達を見る。
その背後に、炎が激しく揺れる。
チヨも、ウーも、立ち上がる。それぞれの武装を構え直し、敵と対峙する。
炎は次々と至る所に乗り移り、その橙色の版図を広げていく。戦場は、まさしく煉獄と化す。ケーブルにかけられていた粗末な衣服が燃え落ちて、その傍らでドラム缶がいくつもへしゃげながら崩れていく。熱い――熱い。
敵は、彼女達を見た。彼女達三人も、敵を見た。
その時息を飲んだのかが誰であるのかは、もはやどうでもよかった。
だが、その場にいる誰も彼もが、思ったのだ。
ここで――ここで、この鬼を止めなければならない。
でなければ、取り返しのつかないことになる。
誰も彼もが、その脅威を、焦燥を感じ取り、無言のうちに了解したのだ。
『――来い』
ヴォルカンは首をわずかにかしげ、その腕を手前に寄せる動きをした――挑発。
それを受けて、チヨとウーが一斉に飛びかかった。
ウーがかたわらの炎を蛮刀に着火させて地面を駆け、そのまま彼の斜め左から斬りかかる。炎の刀が装甲の上で閃く。
その場で身体を回転。刀身が傘のように円を描きながら、斬撃を刻む。
僅かに、装甲が揺れる――やったか。
だが、そこに……炎。
ほとばしり、飛来し。ウーの行く手を遮るだけではなく。
彼を、ぶっ飛ばした。それは受け身でもあったが。
しかして、その時には既にチヨが飛び上がっていた。転倒した彼を足がかりにして、重い衝撃を彼に与えつつも、炎を散らしながら真上へ。
「芦州一刀流――」
……ヴォルカンは見上げる。腕をかざす。そこに再び炎が凝集するが――。
間髪入れず、彼の身体に再び衝撃波が殺到する。
くぐもった轟音が何度も響いて、彼の身体は揺れた、揺れた。
ミランダだった。その異形を死角から急降下させながら、懸架した二丁のライフルを放つ。連続して、爆撃の如き銃撃を浴びせてくる。彼の足元はふらつき、よろめく。彼女の射撃の方向に身体を合わせようとするがうまくいかない。
銃撃を続けながら、ミランダはヴォルカンの周囲を旋回する。地面ギリギリ――何度も泥を抉り、バラックを斬り裂いて、墜落しそうになりながらも……銃撃をめぐらせていく。足元を重点的に。
跳弾が周囲に飛んで、炎がさらに広がる。布が燃えてガラスが裂ける。
そして。
「――ドラゴンダイヴっ!!」
真上から、チヨが降下し、その切っ先を鬼めがけて振り抜いた。
『……』
だが。
それは――効いていなかった。
瞬間響いたのは、大きく鉄板を殴りつけたような、鐘が鳴ったような、鈍い音。
チヨは着地していた。
その切っ先は、たしかに装甲を斬り裂いたはずだった。上を見る。
斬撃の軌跡は確かに、彼の真正面の装甲に縦一列に奔っていた。
そう、ただ単純に――。
効いていなかったのである。全く。
相手は大きくのけぞっていた。さしもの衝撃を、全て受け流すことは出来ていなかったのだ。その貌が――真下で驚愕しているチヨを見た。
仮面の奥に、非情な瞳が、見えたような――気がした。
「何ッ――……」
背中にひやりと冷たいもの。
目の前の、ヴォルカン――のけぞったその指先に、小さく、炎のつぶて……。
それは真っすぐ伸びて、爆ぜた。
「ッ……ああっ」
目の前で広がって、衝撃と痛みと熱さが同時に炸裂する。
チヨはそれを、まともに受けた。
咄嗟にカタナでガードを行うが、無駄だった。
後方へ、大きく吹き飛ぶ。その後ろにはミランダ。驚愕の顔もろともにぶっ飛ばされて、瓦礫の山の中に突っ込んでいった。その上を、崩れた小屋の残骸が積み重なり、更に雑然とした轟音を響かせる。
……全ての攻撃は、徒労に終わった。
『……貴様らでは。かなわない』
その声が、威圧するように響いた。
チヨ達は立ち上がる――既に、満身創痍。
一瞬だ。ほんの一瞬の戦いだ。それでここまで――。
ミランダがチヨを抱え起こして、自分たちを圧倒する存在を見た。
彼は未だ、クレーターからほんの離れたところに居た。
奴は、殆ど動いていない。彼は台風の目だった。周囲を破壊しながらも、自らはつとめて冷静だった。
「……――おい。おい」
チヨは呼びかけた。
すぐ近くに、フェイが居た。彼女はぐったりとしゃがみこんだまま動けない様子だった。
「お前の力ならば……奴を止められるのではないか」
「ちょっと、チヨ。フェイはこんな調子で…………」
「試したさ。とっくに」
フェイは……チヨを見ずに、言った。
「……――何」
「なぁ……
フェイは顔を上げて、諦めたような笑顔を作った。
……――それが、物語っていた。
「あいつは。アウトレイスじゃない」
「……――!!」
では、奴は一体――。
◇
「あたしらの出る幕じゃないね、こりゃ」
グローヴ達は、高所からその戦いを見ていた。火は、そこまでは登ってきていなかった。
クリフトンたちも含め、既に戦いからは逃げている。
「奴め、吾輩の戦いを邪魔しよってからに」
「無茶苦茶しやがって……俺たちを巻き込む気だったじゃねえか」
「クソが、俺はトレントの野郎に気絶させられたんだぞ!!」
「まぁ、しょうがないさね……」
グローヴは、諦めたようなため息をこぼす。
「次元が違うんだ。あの男は……空から降りてきたんだからさ」
手間が省けたのは良いことだが……眼下に、炎が広がっている。
損害が高く付くぞ、と思った。
なるほど、ジャクソンが自分たちだけでやろうとしていたのはこれが理由か。
戦いから無理やりログアウトさせられ、冷めてしまった心で彼女はそう考えた――。
◇
『小虫どもが、想像以上に粘るな。
ヴォルカンは既に、チヨ達を見ていなかった。
『――連中を追わねば。いや、それも不要か? 我が主は、どこまで想定しているのか』
彼は呟きながら、その鈍重な足を先に進ませる――『小虫ども』を、無視して。
ウーは、立ち上がる。
すぐそばに落ちているものがあった。拾い上げる。小さな布切れ。
スタンリーの好きだったNBAチームの刺繍が施されたハンカチだった。
「……――ッ……」
彼はそれを腕に巻いて、ヴォルカンを睨みつける。
チヨも。
ミランダも。立ち上がった。
そして――ヴォルカンを見た。
敵はゆっくりと、彼らを眺めた。炎の粒がパチパチと弾けて、周囲を舞っている。その中でその姿は、圧倒的な威容を誇っていた。勝てるはずがない。
だが――だとしても。彼らは。
「う……おおおおおおーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!」
3方向から、傷だらけのアウトレイス三人が、一斉にヴォルカンに挑みかかった。
それぞれが、それぞれの獲物を抱えて向かう。
怒涛――ウーが斬りかかる。背中の腕から縦横無尽の斬撃。何度も何度も、装甲に炸裂させる。まるで効いていない。動きすらしない。全て吸収される、溶解する。だがその合間を縫うようにチヨのカタナがひらめいた。二人は知らずのうちに共闘していたが、互いにそれに気付いていなかった。斬撃が嵐のようにヴォルカンに降りかかる。だが彼はその場を動くことなく、全てを受け止めながら――まるで堪えていない。
……銃撃。足元を狙うように。ミランダが、異形の鳥が、もつれながら飛んでいる。そのまま連続射撃。ババババババババババ。斬撃の為のスキを作るように。
確かに効果はあった――ヴォルカンの足は何度か揺れて、その体も少しばかり回避のために動かす必要があった。しかし――振り出しに戻る。
「ッ……」
何度も、何度も。
チヨとウーに向けて、小さな炎の花が差し向けられた。掌から。
それはほんの僅かにはぜて、たったそれだけで彼らは吹き飛ぶ。瓦礫の中に埋もれる。
繰り返す、何度も――斬撃、銃撃。まるで効かない。炎の中を攻撃が、徒労が続く。
悶えるような熱さの中、時間が溶解し、間隔を失っていく――。
「このッ――……!!」
フェイはタバコを飛ばした。それはヴォルカンの周囲を舞い、彼の力を吸い取るべく動いたが、やがてしおれて地面に落ちる。まるで意味をなさない――彼女のザインの力は、アウトレイスにしか通用しない――……。
『貴女には話すべきことがある。どうかおとなしくしていてください』
「そうはいくかッ……――チヨ! ミランダ、ここまでだッ……」
声をかける。
彼女たちが、顔を上げた。
「もう、限界だ――逃げろ! こいつの狙いは
叫んだ。
……二人の顔が一瞬呆然となり、続いて困惑し、最後には。無視を決め込んだ。
「無理だ、フェイ……――それは、無理だ」
「どうしてだ、室長の命令だぞ、聞けないのかッ――……」
「こいつが、それを許しそうにない」
『そう――そのとおりだとも』
そうして、チヨは再びぶっ飛ばされて崩れ落ちた。
「チヨッ――!!」
「逃げるなら貴女が先よ、フェイ……貴女が生きなきゃ意味ないでしょうッ!!」
ミランダが一喝した。
「しかし――……」
……言ってから、気づく。
しかし、なんだ?
なんだと言うのだ?
足元から、力が抜け落ちていく。不意に訪れた感覚。
この先。どうすればいいのだ。
自分は、第八の、上からの指令なしで、何を、どうすれば良いのだ。
そして――アリスからの呪縛を断ち切った状態で、一体何を拠り所にして、生きればいいのだ?
思考が飛躍している、とは思わなかった。
だが、彼女は――気付いてしまった。
「――――…………」
自分の中に欠如している、あまりにも巨大なものに。
「
◇
「どりゃあああーーーーーーーッ!!」
乱入してきたのはキムだった。その両腕が電撃で覆われている。彼女はそのまま突撃し、装甲の正面を思い切り殴りつけようとしたが――。
「熱っっっっっっっっっっっっっっっつ!!!!!!」
ヴォルカンは彼女の足を引っ掛けて転倒させた。それで終わりだった。彼女はチヨ達のところへ。
「お前、何しにきた」
「いや、加勢しようと思って……」
「というかお前、この街に電気は通っていないと言っていた。どうやってそれを――」
「今はそんなのどうだっていいでしょ、ほら早くッ攻撃を――」
『一人増えても……同じことだ』
「どわああああああああ!!!!」
攻撃。炎。チヨ達はなすすべなく……蹂躙されていく。
「とっとと逃げなあんたたちも!! 出る幕はないんだからッ――」
グロリアも居た。彼女は逃げ遅れた者たちを抱え起こして、その場から離れさせていく。炎の巻き添えを喰らわぬよう、戦いを見ながら。動けない者は能力を使って無理やり起こす。それを繰り返していく。できるだけ多く。できるだけ確実に。その中でも、彼女は歯噛みして感じ取る。
――この戦い、私達は、負ける。
炎の、波状攻撃。
ごくわずか、小さな炎が彼女の指先から生まれ、それが鞠をついたように小さく地面を跳ねて、爆発する。ヴォルカンはそれを何度も繰り返しているだけだった。何度も。
だが、それを受けて――チヨが、ミランダが、キムが、ウーが、吹っ飛ぶ、地面に倒れる。
ぱちぱちと燃える周囲。その照り返しの中心に居るヴォルカン。前方に色濃い影を投射しているその姿は、まさに悪鬼と呼ぶにふさわしいものだった。
炎の中……いくつもの満身創痍が呻き、倒れている。立ち上がろうとしても……駄目だった。
まるで、かなわない。
『……さて』
ヴォルカンはいよいよ、彼らに身を翻そうとした。
「――待て…………ッ」
立ちふさがる。
フェイだった。
彼女はまだ、戦える状態にあった。
目の前に立って、おぼつかない足取りで対峙する。炎の熱さを背中に感じながら。
『おや。フェイ・リー殿。身体が震えておいでだ。戦う力は残されていないのではないですか。貴女の力はわたしには通用しない――もう何度も試したでしょう』
どこか呆れた口調。子供のイタズラを叱るような――フェイの引きつり、緊張した面持ちとは、まるで釣り合わない……立場も、力の差も。
「それでも……行かせるわけには…………」
――本当にそうか。
本当にここでこいつを足止めしたとして、自分は何をすればいい。何を指標にすればいい――――……震える内心を隠すように、フェイは強がって立った。
『……仕方ない。手荒な真似はしたくなかったのですが』
「何を――……」
『そこで大人しくしているといい。貴女はまだ、死ぬわけにはいかない』
彼は、指先から炎を発射した。
今度は弾丸ではなかった。空中で奇妙に裂けて、縄のような形になり、フェイに食らいつく。
「――ッ……」
拘束だった。炎による。
そのまま勢いに押されて、吹き飛ぶ。
「ぐあッ……」
焼け落ちてむき出しになった建物の梁に、フェイは拘束された。炎の縄が、荒々しく彼女の手足と胴体に食いついて、その身柄を完全に固定した。
炎は熱かったが、焼け死ぬほどではなかった――だが、彼女は動けなくなった。戦場から少し離れた場所で、宙吊りとなった。
その視線の先に、ヴォルカンと……その周囲に散らばっている者たちが見える。
完全に、俯瞰の位置となった。
――傍観者のような。
「き、さま……何を……」
『貴女には真実を伝えねばならない。ゆえに、そこで見ていてください。無知とは甘露でありながら……同時に、毒薬でもあるということを』
ヴォルカンは手を真上に伸ばす。その先から炎が浮かぶ。
「何を――……」
放出。
火の玉は上空に舞い、そのまま――。
◇
「――――っ…………!!!!」
トレントは気配を感じ取る。だが遅い。
まもなく。
上空から降り注いだ炎が、一台目のバンに直撃。
轟音とともに、完全に車体を破壊した。
――その内部に眠っていた、モニカの成果ともどもに。
◇
遠くの爆発音。何が起きたのかは理解した。彼はいともたやすく、やってのけた。
彼は腕をおろして、フェイに背を向ける。
そのまま、歩みを進める。
「よせ、やめろ……――」
その先で、起き上がっていた。チヨ達が。自分の得物を支えにして、立ち上がる。
まだ彼女たちは死んでいなかった。だが、勝てる目も残されていなかった。
しかし、彼女たちは――諦めていなかった。
銃器を、凶器を構える。
「やめろ、よせ――かなわない」
フェイの身体は動かない。
抵抗しようとすればするほど、そこに炎の荒縄が食い込む。激痛。焦げる音。
だが、それでも。
駄目だ。このままだと、このままだと自分は。
本当に、傍観者になってしまう。
「やめろッ――……!!」
しかし。
――チヨ達は、戦いに赴いた。
フェイの叫びは、かき消えた。
◇
「くそッ……」
どす黒い煙に咳き込みながら、彼は一台目の残骸を見た。2台目の運転手の悲鳴が聞こえるが無視をする。炎の向こう側、ぐしゃぐしゃになったバンの瓦礫。その中から、モニカが這い出てくるのが見えた。
「トレントッ……――」
その視線が、何もかもを物語っていた。
――トレントはうなずく。
モニカは背を向けて、バンだったものから飛び降りて遠ざかった。
「……――車を出せ」
……無事な一台。中に、ミハイルが居る。だから、大丈夫だ。まだ勝算はある。
『で、でも――……』
「俺達が生きてることが、最大の抵抗だ――……出せッ!!」
叫んだ。
タイヤが悲鳴を上げて、バンを出した。
その場から――戦線から、離れていく。
◇
轟音。悲鳴。
遠くで上がる、炎と黒い煙。
「ちょっと――トレント、それってどういうこと――……」
アイリッシュが端末に何度も叫んでいた。
「……」
シャーリーは拳を固める。
彼女から離れて、背を向ける――。
「待って」
声がかかる。立ち止まる。
後ろを振り向く。
余裕のある顔つきを見せようと思っていた。
だがうまくない、うまくいかない。シャーリーは、己の不器用さを恥じた。こういう時、どうやったら皆を安心させることが出来るのだろう……作れるのは、笑顔の手前の引きつった表情だけ。拳の内側が汗ばんでいた。
「その…………ごめん」
アイリッシュからの言葉は、予想外だった。
なんと返せば分からなくなった。
「――へっ……?」
彼女は俯いていて、随分と暗い表情をしていた。慌てて何かを言おうとするが、付け焼き刃では何も浮かんでこない。
「えっと、何が……?」
「あたしら。あたし等の都合で、あんたを――」
「…………――」
……。
…………。
なぁーーーーーんだ。
そんなことか。
シャーリーは胸がすっと軽くなる。
遠くからの音。はやく駆けつけなきゃ。腕がじんじんと痛い。それが告げている。
すぐに行け。お前の力を使う時。だから行け、今すぐに――。
……先程よりは、ずっと余裕のある表情になって、彼女は言った。
「シャーロット・アーチャー。ぬいぐるみが好き。彼氏はいない。一番の友人は、エスタ・フレミングっていう女の子」
「えっ……?」
今度は向こうが拍子抜けする番だった。それがおかしかった。
「名前――あなたの」
「……アイリッシュ。あたしの名前、アイリッシュ」
それで、十分だった。
「――忘れない」
シャーリーは、それだけ言った。
後に続きそうだった返答は、宙吊りのままでよかった。
シャーリーは背を向けて、アイリッシュに向けて親指を立てる。
――駆け出して、戦いへと向かった。
赤いマフラーが、視線に入った。
どこか呆けたような口調で、アイリッシュは呟く。
「シャーロット・アーチャー…………あたし達の…………『希望』」
◇
ヴォルカンは妙に思っていた。
自分の判断にミスがあったとは思えないが、それでも違和感は拭い去れなかった。
……自分が破壊した車両は、一台。だがもう一台はそのままにした。
なぜ。
それをしてしまえば、何か取り返しのつかないことになるような気がしたからだ。妙な感覚だった。
『……アレには、何がある。あの中には――』
身動ぎする音がして、ヴォルカンは思考を止めた。
彼は周囲を見た。
炎に包まれたグラウンド・ゼロのストリート。至るところで延焼が起きて、住居を、車両を焼いていく。この戦いが終わったところで、復旧には気の遠くなる時間がかかることだろう。
そして、死屍累々。
彼の目の前に――息も絶え絶えなアウトレイス達が転がっていた。
小さく呻きながら、もはや己の武器を支えにして起き上がることも出来ない女達。
彼らはもう――戦力外だろう。向かってくるはずもない。
で、あれば。今の音は。
「…………」
フェイ。彼女だけが、鮮明な意識で、全てを見届けていた。
――傍観者として。
目の前で、仲間たちが倒されていった。
何も出来ぬままに。己の力を使うことも、己の声を届かせることも出来ないまま。
無力、あまりにも無力。
「何が…………狙いだ…………」
『狙いはふたつ。貴女の、第八への再びの恭順を諭す。そしてもう一つは――』
「恭順……? 今までがそうでなかったと言いたいのか?」
精一杯皮肉な調子を込めて言ってみるが、何も響かない。明確だ。
……仮面の奥で、ヴォルカンが小さくため息をついたように聞こえた。
「恭順。恭順だとッ――今までが、第八に忠実ではなかったと、貴様はそう言いたいのか!? だとしたらあまりにも視野が狭いぞヴォルカンとやら。
――違う。
違うだろう。
お前の理想は、どこから来た?
「――…………ッ」
『やはり、そこで止まるか。我が主から聞いている。貴女の状態を』
「状態…………?」
『貴女はずっと、不安定な状態にある。それを、不遜な態度で蓋をしていただけなのだ、と。貴女の言葉はすべて、自分が過去の再現にこだわっているがためのまやかしであるのだと。そう聞いた。わたしはあいにく、細かい感情の機微は分からない。こんなことを言えば、また奴に茶化される…………ああ不愉快だ』
「…………――――ッ…………!!」
「き…………くな、フェイっ…………そんな奴の、言葉、など…………」
かすれた声で、チヨが言っている。
だが聞こえない。心臓の音が、どんどん大きくなっていく。釘を突き刺されていく。
「それでもっ……今回の第八の指令が極めて不鮮明であったことは変わらない。
『なら、お聞きしますが…………そのさきは、どうするおつもりなのですか』
「――――ッ」
その先。
未来。
……自分が、考えぬようにしてきたこと。ついこの間、考えてみてもいいかと、思い始めたもの。
だが今回、そこに、答えはあったか????
「それは……――」
『ああ、やはりだ。貴女はそこまでのお人だ。…………もういい、面倒だ。許可はおりている。ご安心なされよ、フェイ・リー殿。これより貴女は、確固たる道を与えられる。貴女はそれから、その道を通って進めばいい。どうです。悪くないでしょう』
どこかぶっきらぼうで、ヤケに聞こえたその言葉。
どういう意味だ。
この男は、何を言おうとしている――…………?
『真実を伝えれば、貴女がたは否が応でも現状を認識せざるを得ないという話だ。だからわざわざここに来た』
「真実――……」
『ええ、そうですとも。オウム返しは面倒なので避けていただきたいが……まぁ良いでしょう。良いですか、言いますよ。真実、真実です。よくお聞きなさい』
『第八機関は――――………………』
◇
◇
「頼む……フェイッ…………聞くな。今のお前には、絶対に……絶対に耐えられんッ…………!!!!」
◇
◇
「――――――――――――――――――――…………」
◇
◇
頭のそこが、白くなった。
何も、考えられない。
呼吸が乱れる――……息が苦しい。
「はーーーーーーーーーーーーーーッ…………はーーーーーーーーーーーーーーッ…………」
「フェイ……フェイっ……――」
『ああ……面倒だ』
チヨたちも、その言葉を聞いていた。
だが、フェイよりはまだダメージが少なかった。だから、立ち上がろうとした。足元をもつれさせながらも。再び相手に向かおうとした。
そうでなければ……とても。
とても、今の言葉に、耐えられない。
「ぬッ…………ああああああああっ…………」
『煩いハエ共だ。地上はこれだから嫌なんだ……お前たち、やめておけ。どうせ戦う力など――』
「ええそうよ、あるわけがない、ないけれどっ…………」
「じっとしてられるわけないでしょうが、この糞どもッ……ぶん殴らなきゃ気がすまないっ……」
「殴ったらやけどじゃ済まないっスよ……」
『……全く』
ヴォルカンは、少し苛立った様子で。
チヨたちに、向かい合った。
『――…………少し、骨を折るか??』
今度こそ、再起不能にする。
声に、その意志が滲んでいた。
「よせ、やめろ――……お前たちまで、失うわけには……」
炎が広がっていく。指先から、掌全体にかけて。
ボロボロの仲間たちに向けて――……。
「やめろ、やめろーーーーーーーーーッ…………!!」
その声は、もう届かないはずだった。
はず、だった。
◇
何かが、飛び出してきた。炎を切り裂くようにして。
それはヴォルカンの横合いから突然現れて、何やら重々しい金属の機構を振りかざして――……奴の横っ面に、思い切り炸裂させた。
赤いマフラーが、見える。
『……――』
「…………お前――…………」
「やっぱり……ボクのちからだと、効くんだっ……」
ヴォルカンの仮面。その鉄の拳がぶち込まれた場所に。
ほんの少し、ヒビが入った。
ほんの僅か。数ミリに満たない場所――だが、はじめての、傷。
仮面の奥の瞳が、『彼女』を見て、小さく言った。
『これはこれは、貴女から現れてくれるとは……』
それは、己の力がほんの僅かのみしか効いていないことを確認すると、驚愕の面持ちで着地。相手に向き合った。
『シャーロット・アーチャーああああああああああ………………』
赤いマフラーをはためかせて、彼女は降り立った。
その腕に、ザインの力をかざしながら。
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