#5 バニシング・ポイント(5)

◇アンダーグラウンド◇


 シドからすれば、その持久力は驚異的だった。

 なんせ、彼の城で一日中かけっぱなしにしているインダストリアル・ミュージックの音圧に長時間耐えられる人間は自分以外に居ないと思っていたのに、その予想を覆されたからである。


「――おい、いつまでそこで腐ってるつもりだ」


 なので、彼は仕方なくその『耐久』中の男に声をかける。その後、ハラペーニョピザのげっぷをひとつお見舞いしてやる。

 ……だが、腐れ縁の彼の友人は、背中を丸めて頭を抱えたままピクリとも動かない。


「くそっ、くそっ、受けなきゃよかった、あんな仕事……俺の手に負えなかったんだ」


「何をブツブツと言ってやがる」


「お前になんか分かってたまるかよ……」


「分かってほしいからここに来たんじゃねえのか。何の仕事なんだ、はっきりしない奴だな」


「馬鹿いえ、言えねえから『あんな仕事』ってんだろうが」


 シドは呆れた。ため息ついでにもう一度ゲップを吐いて、言った。


「なんでもいいよ。お前もハッパ吸うか? それか出て行くかどっちかだ」


「てめえってやつはなんだってそんな……くそっ、俺みたいにシリアスになればもっと――」


 ……いい加減に鬱陶しかった。

 シドは自分と違っていくぶんか痩せ型のこの男を追い出すべく、重い腰を上げようとした。


 ――その時、窓の外で。

 何かが、光った……ような、気がした。


 二人はそれまでの会話を隅に押しやって、顔を見合わせた。

 それからホコリまみれのカーテンを開けて、窓の外を見た。


 何か、光を放つものが、黒い尾を引きながら……空を斜めに突っ切って、落ちていく。

 友人は一言、極めてプリミティブな感想を漏らす。


「………………隕石?」


◇アンダーグラウンド◇


「ああああああ、うるせええーーーー!!!! ここはMI6じゃねーんだぞ!!!!」


 LAPD、SCC署内。けたたましく、いたるところで鳴り響く電話の悲鳴。

 我らがキーラ・アストンはしびれを切らしてお怒りだった。テーブルに足を起きながら怒鳴っている。熱いコーヒーがこぼれて彼女のお気に入りのストッキングにぶっかかったのも良くなかった。とにかく彼女は機嫌が悪かった。


「さっきからずっとですよ、これ」


「いったいなんの電話なんだ、ジョニーボーイ」


 耳をほじりながら無理やり起き上がり、部下に問う。

 ――そもそもSCCに電話なんてものを持ち込むのがいけない。必要なのは課長オヤジのぶんだけのはずだ……そんなことを思いながら。

 すると部下は――言った。


「ええ、それが空から隕石がどうのって。どうせまたどこかの馬鹿が小火騒ぎを――」


 ……その一言。

 キーラの中で、怒りと苛立ちが一瞬でおさまった。

 その代わりに現れたのは、『それなりの地位を持った警官』としての顔だった。


「ど、どうしたんで……? コーヒー飲みます?」


「お前……そりゃ、洒落にならねぇぞ」


「えっ」


 驚き役が板についてきたな、と言ったのはクリスだったか。

 それも仕方のないことだろう。この街では、ろくでもないことばかり起こる。


「分からねぇのか――空からってことはな、つまり……




 シャーリーは、シェルターを少し出た地上で、フェイとの通信を切った。

 ……後は、彼女の決断である。自分たちは、それを信じるのみ。

 あの日、あの地下カジノで見た背中を、自分たちは信じることにしたのだ。

 ――とはいえ。


「で。ここからどうするの」


 後ろからの、アイリッシュの問いかけに答えるだけのものを、彼女は持ち合わせていないわけで。

 ……シャーリーはしばし考えたが、やはり、格好のつく答えは見当たらないらしかった。


「うーーーーん………………どうしよう…………??」


 振り返って苦笑い。

 そこには、呆れ返った顔のアイリッシュと、彼女の部下らしい者たちが居た。


「あんたら、意外と行き当たりばったりなんだね」


「……というかなんでボクのこと知ってるんですか」


「そいつはね、教えられない」


「なんですかそれ、まあいいや」


「いいんだ……」


 シャーリーは考える。これまでの状況。先程見た光景。

 その中から、さぐる。


「最適解、最適解……」


 そして、思いつく。


「そうだ」


 ぱあっと開いた笑顔を、さっき出会ったばかりの女に向ける。

 相手はいささか気圧されたようだった。

 だがそれが、自分が翻弄しているせいだということに、当のシャーリー本人は気付いていない。


「あなた達を、ここから逃がせばいいんですよ。そうすれば、戦いは中止になる」


 それは、あまりにも突飛なアイデアだった。

 そして何よりも、あまりにも……無謀だった。


 瞬間的に、アイリッシュの中に湧いたのは……当惑と、怒りだった。その思いをぶつける。目の前の『希望』とやらに。


「馬鹿言うんじゃないよ! そんなこと出来るわけないっ。第一、あたしらは戦わなきゃ、あいつらと。でなきゃ――」


「――、本当は」


 覆いかぶさるように、シャーリーは言った。

 穏やかな、奇妙なほど穏やかな声音。


「……――ッ!?」


 アイリッシュは一瞬、ぞっとしたものを感じた。

 目の前にいる少女は、なんの激情にも襲われていなかった。

 驚くほどに、何も変わっていなかった。まるで、憑き物が落ちたような。


「どういうこと――」


「あなたの手――震えてます」


「……!!」


 思わず――手を袖に引っ込める。

 なぜなら…………その通りだったからだ。

 トレントにも、気付かれていないことを願っていた。

 ずっとそうだった、ずっと――。


「このっ、この…………」


 一度自覚し直すと、それはいつまでも抑えられないような気がしていた。袖の上から何度も拳を殴ってみるが、一向に収まる様子がない。戦慄するように、震え続ける。


「ほら、やっぱり。それが物語ってる。貴女――――本当は、


 彼女は、まるで変わらない表情で指摘した。

 それも、その通りだった。


「あんたは……」


「あなた達がやろうとしていることはあまりにも無謀で、多くの人たちを巻き込む。それに、ハイヤーがアンダーを支えている現状がゆらげば、暮らしを守るどころか、何もかもが総崩れになる。だから、リスクがものすごく高い。そんな、ところですか??」


「……――――!!」


 ――ああ。

 ああ。

 その通りだ。その通りじゃないか。

 アイリッシュは、目の前に居る存在が、漠然とした『希望』を与えられた一人の少女から、違うものに変化していくのを感じた。

 それは不安を、いらだちを超えて……一つの感情にたどり着く。


 ……畏敬。

 これが、シャーロット・アーチャーなのだ。

 彼女の傍らで、部下の一人が唾を飲んだ。同じ気持ちだった。


「……仮に。仮にそうだとしても。あんた等の言ってる『逃がす』が、うまくいくかどうかなんて――」


「だけど。やってみなきゃ分かんないですよ、そんなの」


 シャーロット・アーチャーは、もたれていた壁から身を起こす。


「えっ……?」


 彼女は目の前を見ていなかった。

 もっと広く、遠い場所を見ていた。


「だって、きっと。おんなじことを考えているのは。ボクだけじゃあ、ないんですから」



 刃が衝突し、火花が散る。

 互いの顔がぶつかる寸前まで近づく――ウーは呆れていた。


「あなた、頭がおかしくなったんじゃないですか」


 戦闘のさなか、突如持ちかけられた話に対して、である。


「たわけが。儂からすればお前等の気狂いだ。いいからやられたフリをしろ。そうすればここからお前たちを逃がすことができる。そうしてほとぼりがさめるまで――」


「そこからどうするんですか、まったく……」


「それはフェイのコネを使い倒すんだろうが、たわけが」


「たわけたわけって……しんじられない、あなた方はどうして――」


「『がた』とはなんだ。お前たちが儂らの何を知っている?」


 口角泡を飛ばす。

 その後ろに――一人、女。グローヴが居た。

 ……彼女は、いつの間にか状況から阻害されて久しかった。


「あの。あんたら。あたしのこと忘れてない?」


「「うるさいっ!!!!」」


「ええと……ええ……」



 スタンリーは……何度も鉄球を女に向かって投擲する。

 彼女は猛禽の姿となり上空を駆け巡る、回避する――そのはざまに、銃撃を投げ込んでくる。回避する。そして、その位置に再び銃撃。顔を上げるとそこにはカンガルー野郎。だが彼は自分だけを狙っているわけではなかった。女がひらりと身をかわし、モリソンの銃撃が地面を穿った。彼にとっては女も標的らしかった。


 つまりは――三すくみ。それぞれが、それぞれを狙う。

 鉄球が跳ねて、銃撃とかち合う。

 弾きあう。そしてさらに奥へ。追うように、鉄球を操作する――。


 ……と、ここまでで彼は奇妙な感覚をおぼえていた。

 女は、積極的に自分を倒そうとしているわけではないことに気づく。

 だが、それならなんのために。

 確かなのは……自分が徐々に、女を追う形で、街の端へ、端へと走っているということ。


 モリソンもまたそれを追うように追従してくるが、それはもう副次的なものだった。彼の戦意の大半は、女に持っていかれていた。

 ……女の動きは。自分との戦いとは、別の意図が隠されている。


「――……そうか」


 女は。自分を、戦いから遠ざけようとしているのだ。

 それがなぜかはわからないが――戦場を、グラウンド・ゼロの外へ……外へと、運び出そうとしているのだった。



 そして、共通の『意図』をもって、フェイのもとへ急いでいたのは、キムとグロリアだった。


「フェイの考えてることが『あれ』なら――……」


「室長の考えてることが『あれ』なら……!!」


 二人は走った。

 ――フェイであれば、そうする。

 その思いを胸に抱いて、向かっていた。考えていることは一つであり、共犯だった。



「フェイ」


「フェイさん」


「室長」


 それぞれの声が、重なって聞こえた。

 フェイは――我知らず笑った。

 考えていることは同じだった。後は、そのやり方をこちらから伝えるだけだ。


「諸君――聞こえるか」


 そうして、いつもどおり、彼女は。

 アリスの居た頃のように。あるいは、それよりももっとうまく。

 ――世界を、救おうとした。




 しかし、まさにその瞬間――『それ』が、グラウンド・ゼロに舞い降りた。




 まず起きたのは、強烈な突風だった。


 巨大な質量がぶつかった時に生じる、地の底から響く低音とともに、土埃を巻き上げながら湧き上がった風。それはフェイの目の前に迫りつつあったバンを大きく煽った。


「うわあああああっ……――」


 運転手は思わずブレーキを踏む。バンは大きく半円を描きながら、車体をやや浮かせながら強引に停止。車内が大きく揺れる、悲鳴を上げる傍らで、モニカは見ていた。煙の向こう側――。

 後方の車も大きく揺らいでいたが、なんとか停まった。その中でミハイルが顔を上げ、不安そうな表情を見せる――何が起きている?


 周囲のガラスが割れ、電線が千切れ、瓦礫が舞った。 

 フェイは腕で顔を覆ったが間に合わない――大きく後方へ煽られ吹き飛ばされる。ぎりぎりのところで体制を立て直し、後方で着地。コートを大きく土埃でよごす。


「ぬああああああああああ、あああ???? なん、なん、なんだっ…………」


 ハンセンは顔の皮膚を無茶苦茶に風に撫でつけられ、苦悶しながら後方へ引き下がった。だがそこにいる。着地しながら、顔を上げる。


 誰もが、そこに居る誰もが――土煙の向こうを見た。

 フェイも、ハンセンも、モニカも。


「…………――――!!」


 そして、トレントも。


 煙が晴れていく。

 地面は、周囲のものをことごとく取り払いながら、大きくえぐられ、陥没していた。

 まさにそれは隕石の落下現場のような有様だった。

 だが、そこに落ちたのは隕石ではなかった。

一つのシルエットが現れる。


「奴は…………――――」


 トレントは戦慄する。

 なんだ――なんだ、この異様なまでの殺気は。

 あの影は一体何者なんだ――……。


「ひ、ひっ……あが、あががががががががが…………」


 ふと、下を見下ろす。

 すると、ハンセンが腰を抜かしているのが見えた。

 口の端からよだれを垂らして目の前を凝視し、呻いて、怯えている。


 彼が、かすれた声で言ったことばを、トレントはしっかりと脳裏に刻んだ。


評議会チャプターハウスの…………――『ナンバー付き』…………!!!!」



 ディプスの操作する、チェスの駒。暗闇の中――そっと告げる、声。


「『決断』などさせるものか。大いなる遅延の果て、君は永久に苦しみ続けるんだよ、フェイ・リー……我が愛しの絞りカス……」


 魔人は笑った。

 すべてはいまだ、彼の盤上の上にある。

 今までも。

 ――『彼』を地上に送り込んだことで起きる、これからも。




「ちょっと――どういうこと」


 アイリッシュは通信端末相手に怒鳴った。その声には困惑が滲んでいる。シャーリーは、そこからただごとでない『なにか』を感じた――身を、僅かに震わせる。


『それが――目の前に突然、降ってきたんだよ……なんか、なんなんだ、あ

りゃ……』


「ちょっと、はっきり喋りなッ!!何がどうなってんの!!」


『それが――それがッ……』


 相手は躊躇っていた。何かを。だが――意を決して、言った。


『目の前のそいつ、ヨロイ着込んだ、コミックのヴィランみたいなやつで――』




 周囲の地面のことごとくは全球状にえぐり取られ、巨大なクレーターと化していた。沈黙の支配するその場に、西陽が差し込んでいく――闇が間近に迫り始める。まどろみの時間であるはずのそれは、不気味な橙――血のようにも見えるその赤により、まるで別のものであるかのように見えた。


 その中心。いくつもの硝煙を超えた先に、そいつの姿があった。皆、見ていた。黙り込んで、つばを飲んだ。


 それは、『甲冑』の一言でおさめるにはあまりにも突飛で、あまりにもシンプルで、あまりにも――異様だった。


 煙の晴れた最初に見えたのは、東洋の鬼のような仮面の姿。ガスマスクがいびつに歪んだような、そう、それが人間と言っていいならば、それは『顔』だった。だが多くは、彼を人間だとも、仮面を被った人間であるともすぐには首肯できなかっただろう。彼の首から下にこそ、異様が広がっていた。


 ――それはまるで、ロケットを守る装甲板を無理やり人体に張り合わせ、周囲を囲ったような異常な姿だった。紅蓮色の、一切の光沢のない、それでいて傷一つ刻まれていない硬質の壁。それがマントのように、鬼の身体を包み込み、そのシルエットを消失させていた。他に例えるとするならば、翼で身体を隠しきった猛禽、と言うべきか。いや、それにしても、こいつは――……。


 ブシューーーーーーーーーーーー。

 大きな音が鳴り響く。周囲の者たちが更に息を呑む。

 『鬼』の装甲状のマントの隙間から、排気ガスのように、灰色の焦げ臭い煙が一斉に噴出し、周辺に舞ったのだ。それは彼が落下(したらしい)時に生み出された硝煙のことごとくを駆逐して、塗りつぶした――その存在ごと。


 さらに、同時に――彼の背中の隙間から、何かが剥がれ落ちて、宙を舞った。

 パラシュートだった。ひらひらと空中を踊り、やがて空の裂け目へと消えていく。

 それではっきりした――こいつは。


 この存在は。

 たった今、天から舞い降りた。


 誰かが。

 いや、誰もが――何かを言おうとした。

 だが、それは封じられた。

 『鬼』が、アクションを起こしたからだ。最初の一動作を。


 彼は、その足を、装甲の隙間から突き出し、最初の一歩を踏み出した。

 黒い、鋲のひしめいたブーツ。

 地面がえぐれ、踏みしめられる。

 そして、大地が揺れる。

 彼が、装甲の塊が動いた時――それは、あまりにも巨大な存在の鳴動だった。


 彼はどこに向かうのか。

 誰もが、その動向を見ていた。

 ――鬼は、地面を見た。その後、やや顔を傾けて、周囲を見た。

 そして、一言――小さく、言った。


 そう、言ったはずだった。

 だがその声はあまりにもくぐもっていて、妙に残響があり。

 まるでそれは、街全体に響くように、異様に低音が強調されていた。


『――ここは臭いな。空気が汚すぎる』


 何気ない一言だった。

 だが、何もかもが異常だった。

 どうせなら、常軌を逸したことを言ってほしかったと、そう思った者が居たとしても、おかしくはなかった。

 誰もが、その存在をどう捉えていいか分からないのに、そいつは、自分と同じ言葉を話したのだ。


 そうだ。こいつは、人間ではない。

 だのに、アウトレイスでもない。ならば、こいつは、こいつは――……。


「なんだ。あいつ……」


 スタンリーがしゃがみ込みながら、目を細めて言った。恐怖以上に、困惑が上回っていた。

 ゆえに、彼はまだ、幸福といえた。


「……――――ッ!!!!」


 その時既に、モリソンはその脚力を活かして、その場から離脱していた。鬼を、それ以上見ないようにして。


「……――」


 気付いていたのは。彼だけではなかった。

 フェイも。

 その手前側に居る、バンの上のトレントも。気付いていた。そいつの正体に。


 小さなざわめきが、さざなみのように広がって、クレーターの周りを取り囲んでいた。

 気づけば、皆、集まってきていた。あらゆる場所から。

 キムも、チヨも、居た。グローヴを追ってここまで来たらしかった。だが、相手はもう居ない。彼女もまた、モリソンと同様――この場から逃げ去っていた。


 ――鬼は、もう一歩。

 クレーターの坂を、ゆっくりと登っていく。

 足元で小石が転がっていき、底に落ちていった。彼は少しふらつく。バランスを取るのに苦労している様子だった――そこには、『人間味』があった。あってはならないはずの。


 フェイに向かって、ゆっくりと、そのシルエットが坂を登り、やってくる。

 彼は、彼女のちょうど真正面に居た。

 緩慢に――だが確実に、その『影』が、彼女の領域を侵食しながら向かってきた。


 ――鬼の角が、彼女の視界に入った。

 上昇する。上昇する。


「――ッ……!!!!」


 そこまでだった。

 そこまでで、限界だった。

 フェイは身体を震わせて膝をついた。

 そのまましゃがみ込み、口元をおさえる。

 ふるえがとまらない。悪寒が止まらない。

 目を瞑っても、瞑らなくても、『それ』は流れ込んでくる――流れ込んでくる。



 雨事件。

 あの時、街の構造を一変させた存在。

 ビルディングをパズルのように組み換え、警察を、第八を弄んだ存在。

 姿のない敵。あれがなければ、もっとはやく、ミランダの仕事にケリが付いていたはずだった。そして――雨がやんだ時、総てはすっかり片付いていた。崩れたビルなど、何一つなかったかのように。


 スキャッターブレイン。

 強かった――奴は、強かった。

 それが、たった一瞬で。この世から永遠に消え去った。その魂が。拭い去れない過去とともに。

 誰もその瞬間を見ていない。誰もその手法を知らない。

 だが、そこに刻まれたメッセージは知っている。


 そして、フェイも、それを知っている。



 符合する。一致する。

 点と線がつながって、頭の中で閃光となって迸る。ぶちっ、と、血管の切れるような感覚。頭の中に生暖かいもの。


「オエッ…………」


 手を抑えても、その端から吐瀉物がぼとぼとと落ちて、地面にしみる。

 存在は近づいてくる。

 駄目だ、来るな、来るな――。

 影が、近づいてくる。近づいてくる。


 数年前の記憶とともに。

 一つの確信が、彼女の目の前でしゃがみこんだ。


『――フェイ・リー。お迎えに参りました。全てをお話しいたしましょう』


 ――『ナンバー付き』。

 評議会最高戦力の一人。

 

 忘れるはずもない。粘つくような、低音の声。

 ――かつての第八機関メンバーを殺した、そのうちの一人……。



「おい、てめえ」


 場を支配していた沈黙を破る声。

 スタンリーだった。

 彼は立ち上がって、フェイ達の方に向かっていった。

 無論、得物である鉄球を携えて。


『……わたしのことか?』


 鬼が言った。

 その声で、また空気が震え、怯えを伝播させた。

 だが、スタンリーにそれは届いていないらしかった。

 彼は更に進んで、鬼に距離を詰めた。

 それから、言った。


「周りを見てみろ。メチャクチャになったぞ」


 ――確かに。それはその通りだった。


 街路に、巨大なクレーター。それに伴って周辺に広がった衝撃波。見ると、至るところで建築物がへしゃげ、壁材を外に吐き出している。場所によっては、ちりちりと小火が起きている。

 だが、スタンリーが問い詰めているのは、それだけが理由ではなかった。


 ――穏健派、革命派。

 それぞれの戦い。ようやく訪れたチャンス。何もかもがかなわなくとも、一番大事なものをかなえるための戦いに、彼は参画する事ができた。


 だが――その、『聖戦』とも言えるものに、水をさされてしまった。

 彼は何よりも、それが許せなかった……。


『……――ふむ』


 鬼は、スタンリーの声を聞いた。

 仮面を僅かに下に傾けた。思案しているようだった。

 答えは、すぐに出た。


『――それが、


「~~~~~~~~~~~ッ……この野郎ッ…………!!」


 スタンリーは、更に前に出た。

 誰もが彼を見ていて、誰もが言おうとした。

 その言葉は、代わりに、彼の長が言うこととなった。


『よせ――よせ、スタンリー』


 トレントの声だった。

 バンの上から叫んだ。

 彼は力を使って、周囲に転がる瓦礫の山から使えそうなものを探した。だがそれは、彼のところに腕を伸ばすには足りない。あまりにも足りない――。


「大丈夫だ、トレント。こいつ……アウトレイスじゃあない。こいつからは何も感じない。こいつは、ただの人間だぜ……――」


 スタンリーは……進む。

 トレントは必死に叫ぶ。


『馬鹿野郎、だからこそだ。逃げろ、逃げろ――』


「逃げるならよ……せめてっ……」


 彼は歯噛みする。

 その足を――疾走させる。

 鬼に向けて。

 ……フェイの驚愕も、彼女以外の者たちも、既に、彼には見えていなかった。


 彼の視界にあるのは過去――将来を期待されていた人間。その未来が閉ざされ、絶望の地に流れ着いた先。ようやく自分を賭けられるものを見つけた矢先。こんなやつに、そいつの邪魔をされてたまるか、たまるものか――彼は、咆哮する。鉄球をドリブルさせながら、迫る。もう、誰の声も――届かない。


「せめてッ……その仮面の下を、見てやらねえとなぁッ!!」


 彼は、飛び上がった。

 そのまま、鉄球を、鬼に向けて投げつけた。



 鬼は、彼の鉄球の動きを見た。

 それから僅かに、身体の向きを変えた。

 ――その装甲板の表面に、鉄球が着弾した。



 ――鉄球は、その瞬間、炎に包まれて、溶け落ちた。

 地面に、どろどろになった鈍色の残り滓が落ちる。



「なッ――――!?」


 驚愕が、スタンリーの口から漏れ出た。

 彼は空中で無防備だった。

 ……ひどく空気が熱いな、と彼は思った。

 それが、思考の最後だった。


 トレントが、そして、彼らを追ってやってきたウーが、その光景を見て何かを叫んでいたのも、彼にはもう、見えていなかった――――。



 鬼は。

 その腕を、スタンリーに差し出して、掌を向けた。





    ボ

                   ッ

                            。





 小さな。

 炎の燃える、音がした。

 空中で、火の花が、開いた。

 そこにはスタンリーが居るはずだったが、もう居なかった。

 地上より永遠に消え去って、燃えカスとして、地面に落ちた。



 ――誰も口を利けなかった。

 誰も行動を起こせなかった。

 仲間が殺されたことは分かっていても、その後どうすべきかの思考を、その後の数十秒間――誰も、分からなくなっていた。


『…………』


 鬼は、何事もなかったかのように、燃え落ちるススを払った。

 そうして、呆然と膝をついているフェイを一瞥する。そのあと。

 

『己をわきまえない者は白痴であると、誰も理解しようとしない』


 彼は誰も見ていなかった。

 ただ彼は、呟いていたのだった。


『我が力は炎。純然たる武。感情も何もかも、影響を及ぼさぬ純粋な武。貴様らとは違う。わたしは徹底的に、『力』を兵器として使ってきた――そして研ぎ澄ましてきた』


 その名が、告げられる。


『我が名は“噴き上がる赤ヴォルカン”――……評議会チャプターハウスにおける、№2。貴様らに勝てる道理はない。これより、状況の終結を開始する』

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