#4 バニシング・ポイント(4)
「抗争?」
キムが開いた画面の中でグッドマンが告げた二文字。
皆、集まっていた。
『そう――抗争だ。場所はグラウンド・ゼロ。街を実質的に取り仕切っている“穏健派”と呼ばれる勢力に、“革命派”なる分派が反旗を翻した状態にある』
「でも、あの場所で起きていることはあたしらもノータッチって話じゃなかった? ずっと小競り合いが続いてても、それが外に漏れて『世界の危機』に繋がることはないからって…………」
そう、あそこはそういう場所なのだ。警察さえ容易に手出しができず、見て見ぬ振りをするしかない聖域。
そうなっているのは――というより、そういうふうに出来てしまうのは、触れさえしなければ、アンダーグラウンドそのものに何の影響もない場所だからだ。まさに広大なる虚無――多くの者達は、その場所をないものとして扱っていた。今までずっと。
『そう。だが今回、風向きが大きく変わった。穏健派が、大きく均衡を崩そうとしている』
グッドマンは画面の中で汗をぬぐって、言った。
『彼らは――ハイヤー・グラウンドに対し……反乱を企てている』
……一同に、驚きが走る。
今までそんな事を考えた奴は、大勢居た。
だが、誰も実行には移そうとしなかった――そんな気力は、あの『大去勢』で根こそぎ奪われてしまった筈だから。
しかし、もし……『アレ』が起きていてもいなくても、何も変わらない環境があったとして、そこに居る者たちが、十年間溜め続けた不満をぶちまける機会を探していたとしたら。
「もし、そんなことしたら……」
『そうだ。――ディプスが、動く』
混沌の化身。街を倦怠の坩堝に落とし込みながらも、誰よりもその破滅を願っている者。
支配と抑圧、その2つのせめぎあいで成り立っているロサンゼルスという街。そのあやういバランスが、少しでも崩れれば……奴は必ず、つけこんでくる。待ってましたと言わんばかりに。
「ちょっとまって。それじゃあ……」
そこで、ミランダがはっとして言った。
信じられないことに気付いた、というような表情。
「は? 何がそれ、じゃ……」
彼女のほうを向いたグロリアの顔が、固まる。気付いたのだ、同じことに。
皆、同じだった。シャーリーも、キムも、チヨも。
……その中で唯一人、瞑目しているのは、フェイだった。
グッドマンは、画面の中で厳かに宣言する。
まるで、自らが、つとめて冷静であると見せかけるように。
『そう。諸君らの任務は――抗争を止めること。より具体的なオーダーを提示する。君たちがやらなければならないのは……穏健派とともに、革命派を鎮圧することだ』
◇
◇
「なによアレは!! なんなのよアレは!! あたしら、そんなことやらなきゃいけないっての!!??」
グロリアは怒り狂いながら、ソファを蹴飛ばした。それから、全く衝撃が吸収されなかったので、うずくまって悶絶する。
「落ち着きなさい、アホ。みっともないでしょう」
ミランダは言った。
「何よ!! そーいうあんたはあんな任務に加担しますって堂々と言えるわけ!?」
「ふざけないで。私だって何も諸手を挙げて賛成してるわけじゃない。ただあなたみたいに感情に直結して怒り狂ったりしないだけよ」
「なぁんですってえ!! 言わせておけばぁッッ!!」
「何よ。やるの? いいわよ。任務の前の小競り合いで余計な体力を消費するのが望みならね」
「ちょっとふたりとも、今そんなこと言ってる場合じゃないっスよ」
「そーいうあんたはなんだってそんな冷静なのよ、キムっ!!」
「ええと、それは――……」
「――――お前たち」
そこに、冷たい水を落とし込むように。
ソファに座り、静かに煙草を吹かすフェイが、言った。
「少し黙れ。来客だ」
……言葉通り。ブザーが鳴った。
「……」
我関せずを装いながら和菓子と茶を貪り食っていたチヨがソファから飛び降り、玄関に。そして、向かい側に誰が居るのかを確認した。
「…………――――げっ」
「『げっ』て言った! キム聞いた!? チヨが『げっ』て言ったわよ!!!!」
「…………フェイ。通すのか、あやつらを」
それはまさに、三日前のマクドナルドを胃に流し込んだ末、棚を見ても胃薬が見つからなかった時のような表情だった。心底嫌悪していた。
「そうだ」
フェイが、答えた。
……しぶしぶドアを開ける。
「――出迎えるのが5秒遅い。ピザのデリバリーとはわけが違うんだぞ」
シャドウズの、フレイ・アールヴヘイム。及びその部下の黒服たち。
かけらの遠慮もなく、フェイ達の城にどかどかと上がりこんできた。
――グロリアは彼女らに堂々とファックサインを突きつける。チヨが制止する。フェイは立ち上がり、一応の歓迎の意を示した……らしい。ミランダは殺気立った目を彼女らに向ける。
(あの……コーヒーとかお出しした方がいいんじゃ……)
(たわけが。いらん)
シャーリーとチヨが小声でそんな会話をしている中でフレイは更に前へと進み、口を開いた。
「そう。貴様らがすべきことは任務の遂行だ」
――どうやら、会話を聞いていたらしい。
あるいは、グッドマンの情報がそちらにも伝達していたか。
手元のストップウォッチをカチカチと鳴らしながら、彼女は周囲を威圧する。剣呑な眼差しがいくつも向いたが、まるで気にする様子がない。そのまま続ける。
「現地には我々が車を飛ばす。お前たちのマシンでは鈍足だ」
「あんった、いちいちそういう物言いしか――……」
「なんだ、お前たち。まさかとは思うが」
フレイが、彼女たちを『見下ろして』言った。
「まさかここにきて、アイデンティティのゆらぎを感じているのか。だとすればとんだお子様気分だな」
その一言に……場所が、凍りついた。
誰も反応ができなかった。
それはある意味で、図星とも言えるものだった。
――反乱の鎮圧。その言葉だけで言えば、たしかにそれはこの街を守ることに繋がる。
だが、その実態は、実態は……。
――皆、知っている。グラウンド・ゼロで築かれている社会が、ある一部の勢力が全てを支配する、ハイヤーグラウンドとアンダーグラウンドの戯画化であるということを。分かっている。だから、そこに、支配され、抑圧された人々が居るということも知っている。その彼らを『鎮圧』せよという命令――……。
目を背けていたわけではなかった。そのはずはなかった。
だが、まるでそうであるということを突きつけるようにして、フレイは続ける。
「考えてみるがいい。お前たちのことについてだ」
シャーリーはおずおずと、彼女たちにソファに座るように示したが、フレイはにべもなく拒否した。シャーリーは肩を落とした。キムが慰める。フレイはソファの周囲を歩き、グロリア達を威圧するようにしながら続ける。
「お前たちはそれぞれ、異なる目的や事情を抱えてこの第八機関に加入した。そして数々の任務を遂行してきた。であるならば、このような状況に遭遇することも想定できていたはず」
――誰も言い返さない。
それに満足したわけでもなく、ただ反応がかえってこないことだけを確かめてから、彼女は続ける。
「目を背けていたのは、お前たちだ。この街は極めて危ういバランスの上に成り立っている、ということに――それに気付いていなかったわけでもあるまい。だがお前たちはただ、溺れていたのだ。正義を行う共同体としての心地よさに」
これまでの物語。
フェイの始めた、新たな第八機関の物語。
もしそれが、なんの大義名分もなく、ただ流れのままに、街で起きたことを解決するだけで終わっていたとしたら。
その先に来るかもしれない破綻に気付いていても、目を向けようとしていなかったとしたら。
「理解しろ――幼年期は終わりだ。正義とは、行為で示されるもの」
グロリアが突っかかった。立ち上がり、彼女と向き合った。
「何様のつもりで――」
「私は知っている。この街の全てを。だからこそ言える。何が正義かということを。均衡を守らねば、街が死ぬ。それが全てだ」
「……そんなこと、」
グロリアは言葉を返そうとした。だが、何も言えない。
沈黙――痛々しいほどの。
黒服の男たちが、街の壁のように見えた。
「――お前たちの言う通りかもしれないな」
声。振り返る。
……フェイだった。
無言で、グロリアを下がらせる。
そして、言葉を継いで、フレイと向き合った。
「フェイ……」
「お前たちシャドウズの言う通りだ。皆はともかく……
フェイだからこそ言えた言葉だった。
彼女は自分自身の命を削って、その答えを得た。
人知を超えた勝負の果てに。
ゆえ、そこには重みがあった。誰もが黙り込むしかなかった。
「だからこそ――引き受ける必要がある。この任務を」
しかし。
――彼女だけは違った。その一人だけが。
「……それでいいんですか」
前に進み出たのは。
シャーリーだった。
「シャーリー……ちょっとあんた――」
グロリアが、彼女を制止しようとした。だが、ミランダが止めた。
彼女は続ける。向き合って、また、まっすぐに目を向けて。
今度のフェイは、目をそらさなかった。
「それでいいんですか。あなたはそれでいいんですか。あなたは自分の意志で戦うことをボクに教えてくれた。そんなあなたが、自分の意志に背くことを良しとするんですか」
「ちょっとシャーリー、あんた……状況分かってて言ってんの、それとこれとは違うでしょうが」
「そうだ、たわけ。落ち着け」
「ボクは――納得がいきません」
まるで、責めるような口調。
……フレイは呆れたように引き下がり、手元のストップウォッチを見た。
……まただ。またこいつらは引き裂かれる。そうして均衡を乱す。いつまでもまとまらない、仮初の結束。ああ、醜い。既に29秒のロス――。
「……シャーリー」
フェイは、静かに、諭すように言った。
「ならお前は、すぐに選べるか?世界と、彼女……エスタ・フレミング、どちらをとるのかを」
「それは……」
シャーリーは、そこで言葉に詰まった。
それから……おずおずと、後ろに引き下がった。
それで終わりだった。今回は、彼女の負けであるらしい。
キムが肩を落とすシャーリーの背中を撫でている。
それを見て、フェイは苦笑する。
それから再度、フレイに向き合った。
氷のような黒服の女は苛立っていたはずだったが――その感情を、おくびにも出さなかった。
――互いに、互いが嫌いというわけだ。
フェイは内心で、更に笑った。
「なぁ、タイムキーパー殿。一つ聞いていいか」
そこで、フェイは……声を、低く落とした。
「…………――――グッドマン、どこにいる?」
◇
「……何がいいたい」
フレイの一言。
それは、周囲のメンバーも同じだったが――たった一つ、気付いたことがあった。
……フレイが、ほんの僅かに、身動ぎした。
まるで、氷にほんの少しヒビが入ったかのように。
それで分かった。彼女は今――求めようとしているのだ。
『真実』を。
「思えば……今の第八について、知らないことが多すぎる。おかしいと思った。アリス達が去ってから、何もかもが変わったように思える。だが、しかし――自分はあれから、本物のグッドマンに会っていない。彼はどうしたんだ? ちゃんと運動しているのか? オフィスは今もあのままか?」
ヒビが……広がっていく。
フレイは、ほんの少し……顔を背けたように、見えた。
「お前たちが――我々の全貌について、知る必要はない」
それが……決定打だ。
皆の間に、静かな電撃が走ったようだった。
間違いない――こいつらは、何かを……間違いなく何かを、隠している。
彼女たちは感じ取っていた。
あの地下カジノ事件以来、何かを変えていかなければならないということを。
それが今、始まろうとしている……自分たちが、新たな領域に踏み出そうとしている。
他ならない、フェイの先導によって。
今、その変革の断片に触れている。
そのままだ、そのまま――。
……ひとりが、肩をふるわせた。
この先にあるものを掴んだ時、我々はどこに向かうのか――――。
「なるほど。ならば、仕方ないな」
フェイは肩をすくめて、いつもの調子で、冗談っぽく笑った。
そこで、終わった。
誰かが落胆のため息を付いた――それで終わった。
すかされた。何かに手を伸ばしたが、その先に届く直前で、振り払われた格好だった。
「――だが、覚えておくといい」
フェイは振り返った。フレイを、威圧する。
「お前たちが……
二人はにらみ合う。
……殺気の如き沈黙が流れる。誰も口出し出来なかった。
――それから、たっぷり数十秒後。
「……ふん」
肯定とも否定ともとれぬ返答。
フレイは、フェイから離れ、ドアに向かった。
彼女たちを見ることなく、告げる。
「下に我々の車がエンジンを温めてある。ASAPで向かえ。40セコンド以内だ」
……彼女は去った。部下たちが、一瞥すらせず、黙ってついていった。
また、嵐が去っていった。
「…………やるしかないの、本当に。フェイ」
問い。
彼女は頷いた。
諦めのような、呆れのような……やり場のない、怒りのような。
「――くそッ……!!」
シャーリーが、ソファの端を殴った。
チヨはただ黙って、カタナの鞘を握り込んでいる。
「策はある……――どこかに」
フェイが、背中を向けたまま、絞り出した。苦しげな声。
「だから……
グロリア達は……顔を見合わせた。
――逆らえるわけがなかった。
……握られた彼女の拳の隙間から、血が垂れ落ちるのが見えたからだ。
◇
◇
激痛を振り払いながら、クリフトンは起き上がる。
直前に何をされたのかをはっきり覚えているのは、きっと恨みのせいだ。
「……クソが」
色んな所から血が出ている。身体にゴミが付いている。最悪の気分。
――今からトレントのところに行って報復を? いや、おそらくはかなわない。
その分析ができるだけ、クリフトンは冷静だったが……それが余計に、彼を惨めにさせた。
――ちくしょうめ、きんたまが痛くなるまで女をファックしてやる。これが終わったら。ちくしょう。
そう思って、彼は歩き始める――。
すると。
「……!!」
路地の角を曲がったところで出会ったのは、金髪の女だった。
きれいな金髪に、でかい胸と柔らかそうな尻。青い瞳。
――そそる身体をしていた。その驚いたような表情も、また、よかった。
「驚いた……」
俺は夢を見ているのか――。
彼の口が、欲情に歪む。まさにその直前。
「ねえ、キスしましょ」
――彼女は接近して、口づけをされた。そのなめらかな舌が、口内にねじ込まれる。
「……――」
恍惚の中に、彼は居た……――が。
すぐ、身体の自由がきかなくなったことに気づいた。目の前に女が居ないことには気付いていない。
それからクリフトンの腕は、わけ知らず動いて……自らの腹を、思い切りぶん殴った。
「ぐうっ」
……彼は小さく呻いて、口の端から泡を吹いて……再度、倒れた。
グロリアは、咄嗟の行動の犠牲? となったデブの男を見下ろしている。
「あれっ、こいつってどっちなんだっけ……まぁいいや」
――彼女はくよくよ考えないのである。どんな時も。
そして、すっかり伸び切った不幸な男のことをすっかり忘れ、仲間の心配をした。
◇
――刃の閃く音。同時に、金属同士がかちあう悲鳴の音。
小さな粒子が路地裏ではじけ、花火のように広がった。
「……お前は、一体」
ウーは蛮刀に力を込めて、問うた。
グローヴに向けて振り下ろされた凶器が、突如現れた『それ』に阻まれた。
日本のキモノを着た銀髪の少女に。
「……」
彼女は、彼を見た。睨んでいるのか、それとも、もともとそんな視線しか送れないのか。
いずれにせよ――彼女がやったことは、ウーの攻撃の妨害だった。
「……」
二人には知り得ないことだが。グローヴは情報を理解していた。
――ああ、このゲイシャガールは、要するに、『第八』ってやつの……。
彼女は小さく「へえ」と笑い、その場から引き下がる。
そして、二人の衝突を見物する――高みから。
「――なぜ、戦う。敵は大勢。天から見下ろしているぞ。勝ち目は、万に一つもありはしない」
「そうとは限らない――」
「お前たちは大去勢を知らない。あの時、どれほど圧倒的な『力』がこちら側に刻み込まれたか――」
「それでも……我々は、やらなければならないのですよっ……!!」
「仮にお前たちが勝ったとして。その先にあるのは秩序なき世界だ。それでもいいのか」
「それでも――それでもです、我々は――」
◇
飛来する鉄球を、ミランダは撃ち落とす。
だが、それが精一杯。
鉄球は縦横無尽に駆け巡りながら、彼女を追従する――速い。
「どうしてなの――どうしてあなた達は戦うの。勝ち目があるかなんて、分かりはしないのに……」
「うるせえぞッ!! 分かってたまるかっ……」
「何を――」
「曖昧極まりねぇ『未来』よりも、『今』を選んで、その中で必死になって生きていかなきゃならない奴らの気持ちが、外野気取りに……分かってたまるかっ!!」
「――ッ……」
「てめーらぁッ!! 俺を無視してんじゃあねえぞっ!!!!」
放置プレイに怒り狂ったカンガルー足のモリソンが叫び、飛び上がりながらウージーを乱射する。そのまま力を脚部に溜め込み、折れ曲がりかけている電柱を足がかりにして、対峙する二人に向けて飛んできた。そのまま撃ちまくりながら飛びかかれば、そこのバスケ野郎とその女ごと一網打尽に――……。
「「うるせえええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!」」
スタンリーとミランダは同時に振り返った。驚いたモリソンの顔がそこにあった。二人は同時に攻撃。ライフルと、鉄球。それぞれが一斉にカンガルー男に向かい……そして、地面を八の字状に穿つ射撃を物ともせずに、彼に炸裂した。
――モリソンが、盛大にふっ飛ぶ。
◇
……キムはといえば、街中をこっそりと駆け巡り、それぞれの場所に巡らされている電線を確かめていた。
結果は――絶望的。そもそも考えてみれば分かることだ。ここで、『外側』と同じ種類の電気会社が契約しているなどありえない話。そうなれば、キムの能力は制限されてしまう。もし、穏健派、革命派それぞれの拠点に繋がる電気があって、そこに干渉しうる余地が存在していたのなら、争いを止める一助になっていたかもしれないのだが。
……彼女が干渉できるのは、あくまで『外の』電気だけである。理由は色々だが、今は事実だけが大事である。
彼女は、今回の一件で、自分があまり役に立てそうにないことを感じていたが、それ以上に、自分だけが知っているしくじりの解決をしなければならないことを悟りつつあった。
「まずいなぁ……あの名前は露骨すぎたか……」
◇
なぜ。
なぜ、出会ったこともない人々を助けたというだけで、ここまで感謝されなければならないのか。
なぜ、こちらの名前を、シャーロット・アーチャーという名前を知っているのか。
そして、自分のことを『希望』と呼ぶのか。
その疑問は、頭の中に植え付けられて、離れなかった。
だが、今それは、どうでもよかった。
「これは――……」
目の前に広がっているものが、答えだった。
たまたま助けた者たち。自分を救世主だなんだと崇める、奇妙な、みすぼらしい格好――アンダーグラウンドで見慣れている者たち以上の――に連れられて、彼女は、そこにきた。
……薄暗い、シェルターのような場所。
そこに、たくさんの人々が押し込められ、震えていた。
ホコリが充満した、生臭い匂いの漂う空間。茶色とセピア色と肌色に覆われた人々、子供と老人がほとんどだが……そこに居る。すすり泣き、咳込み、呻き、絶望を口にしている。小さく、か細い声で。ハエとカラスが近くに居た。後ろの、自分を連れてきた者たちが、そいつらを追い払った。
「皆。ここに来るしかなかった。戦うことも、かといって、穏健派のもとで暮らすための金も材料も持ち合わせていない、弱い者たちは。皆……ここに。ここで、怯えているしかない。全てが終結するまで」
「――それしか。本当にそれしか、なかったんですか」
「ここに居る人達に、手段なんて選べないよ、シャーロット・アーチャー……俺達は、外には出られないんだから」
「だからって……だからって、あんな無謀な……」
「『だからこそ』だよ――だからこそ、君が必要だった。ディプスの力を宿した君こそが、上に通じるための唯一の方法であり、賭けだと……俺達は判断したんだ」
――どうして、そこまで知っているのか。
他の第八メンバーが居たのなら、それを問い詰めるように言っていたかもしれない。
だが奇妙なことに、フェイ・リーであれば、それを要求しないだろうという……奇妙な確信があった。
「賭けって……それにベットされてるのは、この人達じゃないんですか」
責めるような口調で。
だが……責めきれない。目の前に広がる、希望のない人々。
彼らを見ているうちに、シャーリーは揺らいでいく。
「でも――あんた達が居ることで、戦局は変わりつつあるよ」
後ろで女の声。振り返る。
「アイリッシュ……来てたのか」
「その子来てたなら呼びなよ。あたしの仕事は、その子をとっ捕まえて、監視することなんだから」
「すまない……」
アイリッシュは詫びる仲間を無視して、シャーリーの目の前に。
「ふーーーん……」
「なっ……なんですか」
「意外と若い。これがあたしらの希望? ほんとに?」
――そのあまりにもぞんざいな言い方に、流石に心がささくれる。
しかし不平を口に出す前に、アイリッシュは振り返って、問うた。笑みが消えている。
「――それで。この状況見て、どう思う?」
「どうって……――」
「聞こえてたよ。無謀だなんだって」
「……」
「ンなもん、百も承知なんだよ、こちとら…………っ」
アイリッシュは頭を抑えて、壁に背中を押し付けながら叫んだ。
「ああああああああ、あああああああああーーーーーーーーーーーーーッ…………ムカつくムカつくムカつくムカつくっ!! なんだよ、結局外の力に頼んのかよッ、トレントのアホ、ボケ、インポ野郎ッ――」
「おいアイリッシュ、トレントのやつのナニはなかなかのもんで――」
「うるさいっ!! ユーモアが分からねーのかよ、ボケっ……あああー、あああー……ああああああああ………………っ」
「ちょっと……」
シャーリーは近づいて、アイリッシュに問うた。
「ごめんね、急に……ちょっとね、駄目なんだわ、色々。たださ、これだけは言っとかなきゃならないんだけど……」
彼女は顔を上げた。泣き腫らした目をしていた。だが……もう、拭っていた。直感的に、強いひとだ――と、思った。
「あんた多分、どうしようって考えてる。二者択一。でもね、あたしらには、常に一つしか道がない。もう一つは、朽ち果てていくだけの道。ただの廃線。もう一つが、『行動する』こと。うちらは、そっちしか選べない。どちらかを選べるだけ、あんたらはマシ。『選べない』奴らよりも、何倍も、何十倍も。地面の高さは一緒だけど、あんたらの居る場所のほうが、天国に近いと……あたしは思う」
「……」
「ねえ……悪いんだけど。自分で自分が最低だって思うけど。それでも、言わせてもらうね。あんた、目の前にこれだけ病人が居ても、希望の椅子に座る気がないの?」
「――ッ…………!!」
◇
グロリアは、街路を駆ける――結局一番はやいのは、穏健派のボスとやらに『入って』、流れを変えることだ。出来るかどうかではない――やろうとするのだ、まずは。
「そこをどいてくださいッ! 我々はその女を倒さねばならないんですっ――分かるでしょうっ!!」
「頭を冷やせ――そんな剣先では、切れるものも切れんぞ……」
――そう言ってウーの攻撃をいなしながらも、チヨもまた悩んでいた。
(どうする、フェイ……お前、本当に――)
◇
キムは、穏健派のアジトを探していた。そこでやらねばならないことがあった。
彼女は、そこに人が居ないことを願った。
◇
「ゲホッあの野郎どもゲホッ、ぜってえ許さねえぞ……」
傷だらけになりながら、モリソンが起き上がる。そこに通信。
「なんですこんな時に! こっちはこれからどうやってあいつを血祭りに上げるか――」
『馬鹿野郎、まだトドメさしてないのか!! はやくしろ!!!!』
――ボスは声を荒げた。思わず、少しだけ端末を遠ざける。
「なんです、なんだってそんな…………」
『マズいんだよ――俺達だけで片付けなきゃ、色々とな……』
「いろいろって……」
『本当にナンバー付きが来やがったら……容赦なくやるぞ。そうなれば、こっちの犠牲も計算しなきゃならなくなるってことだ……!!』
◇
「ッ……――」
そこで、シャーリーは。
溜まっていたものを、一気に放出した。
頭を抑えて、地面にうつむきながら絶叫する。
「うわああああああああああああああああああッ……!!!! ずるい、ずるい、ずるいぞ畜生、そんなの選べるわけがない、くそっくそっ、最低だ、あの人、最低だ――」
唐突な錯乱か。周囲が動揺し、そちら側を向いた。そして、さしものアイリッシュも驚いていた。何か声をかけようにも、できない。シャーリーは地団駄を踏みながら頭を抑えて、絶叫する。
――その中で。シャーリーの中で。
蘇る光景。あのときの二者択一。
――“ならお前は、すぐに選べるか? 世界と、彼女……エスタ・フレミング、どちらをとるのかを”。
顔を上げる。選別すべく、光景を見る。
荒んだ、ホコリまみれの、希望のない空間に詰め込まれた、たくさんの弱き人々。
……選ぶことすら許されず、運命に弄ばれて、そこに居る人々。
――かつて。あなたには分からない、と言葉を突きつけた少女が居た。
彼女もまた、選べない一つの道を往くことを余儀なくされたのではなかったか。
そんな彼女の世界を守ることを、自分は決めたのではなかったか。
……シャーリーは顔を上げる。
回線を開く。
「フェイさん……――やっぱりボクには。できません。ボクはどうやら、この人達を守らなきゃいけないらしい」
◇
「……」
フェイは、シャーリーの言葉を聞いた。
そして目の前に、連なる二台の車。
――彼女の脳裏に、炎の中へ消えていった女が映る。
あの日、あの時、決めたこと。
そして、ついこの間……あの愛おしきバカどもに急かされて決めたこと。
それらを総合するのなら。出す答えは決まっていた。
「そうだよなぁ、シャーリー………………」
フェイは、通信を切る。
そして――前方を、そのはるか上空に広がる光景を睨みつける。
「納得いくわけが、無いよなぁ……――」
それが、彼女の、確かな意思表示だったが。
◇
グッドマンは頭を抱えて一人、呻きながら祈っていた。
「頼む……フェイっ…………従ってくれ…………でなければ、奴が……『奴ら』が、動き始めるッ――――!!!!」
その声は、もう届かない。
◇
その時。
ハイヤーグラウンドの高みから、一つの星が降り注いだ。
それはまっすぐ、グラウンド・ゼロに向けて放たれた。
事態を、収束させるために。
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