#3 バニシング・ポイント(3)
「トレントが来るまで持たせろッ!! 密集しろ、早く、早く!!」
革命派の兵士たちが、バンの周囲に集まった。取り囲んで、ほうぼうから襲いかかる砲火に立ち向かう。
穏健派の行動は実に迅速だった。既に多くの手駒が動き出している。バンがある入口に向かって大勢の者達が駆り出されている。彼らはためらうことなく発砲し、その殺意をこちら側に向けてくる――抵抗者は構える、撃つ。寂れた街路で、銃撃戦が始まった。
みすぼらしい身なりの者達が逃げ惑い、その狭間を炎が上がる。ドラム缶が倒れ、その中から薪が転がる。一人、また一人と――倒れていく。悲鳴。銃声。倦怠が恐慌に変わっても、人々にとっての感情は『負』から動くことはない。
「がああああッ!!!!」
突如――バンを守っていた一人が、悲鳴を上げて崩れ落ちた。対象を失ったAKが宙を舞い地面を穿った。前方の廃墟の影に敵は隠れているがそこからの銃撃ではなかった。仲間は周囲を見る。血が地面ににじむ。どこからだ――。
続いて……もう一つ、悲鳴。また一人、仲間が倒れた。その間も前方からの銃撃は続く。まだか、このままだとジリ貧だ、早く発車させなければ、でなければ――……。
「――…………ッ」
……思考はそこで断ち切られた。
彼の脳天は、その時点でぶち抜かれたからだ。上空から。
「ひひひ、うようよ湧いて出てきやがった」
『穏健派』の一人、『カンガルー足』のモリソンである。トタンの屋根のあらゆる場所を飛び回りながら、両手に構えたウージーを地面に向けて乱射する。そのたびに地面に巣食う蟻共はなすすべなく撃たれ、地に伏していく。
何度も何度も、こちらに向けて飛んでくる攻撃。それらは全て、アウトレイスとしての脚力によりあっさりと回避される。縦横無尽――バンを守るように湧き出てくる者達は銃口を懸命に彼に向けるが、なすすべなくやられていく。
◇
――そして、別のエリア。
路地裏より、バンを守るべく出動した者達。突如彼らの進行は止まる。
「おい、どうし――」
青紫になった顔がぐるりとねじ切れながらこちらに向け、倒れ込む。
悲鳴を上げる前に、身体が硬直する。というより、何かに締め付けられて動けなくなる。
……すぐ近くで、息がかかる。
「抱きしめてやるよ。うんとタイトに」
……まもなく彼は、モヒカン女――グローヴの伸び縮みする身体に締め付けられ、死んだ。
どさりと落ちる死骸。彼女は身体を鞭のようにしならせながら降り立つ。そして、視線を――自らの姿を目撃し、狼狽える者達に向けた。それから彼女は舌なめずりして――彼らに向けて、その身を躍らせた。
◇
「くそッ、くそっ……」
ジョエルは息を切らしながら、逃げている。
もはや安全な場所はない、分かっていたことだ、常にそうだった。しかしここまでではなかった。今まで膨らみ続けていた風船が、急に弾けたような……なんだこれは。あちらこちらから銃撃。もう戻らない。今までの日々は戻らない。幼い心が悲鳴を上げて、それだけのことをぎりぎりのところで理解していた。
路地のはざまをぬって、少しでも音のない世界へ、静寂のある世界へ逃げていく。今よりいい暮らしなんて望んでない、ならせめて、今と同じ暮らしを――。
彼の疾走は遅かった。彼は、老婆を引き連れていた。道に迷い、銃撃に巻き込まれそうになりながら、恐怖で顔を抑えながら狼狽えていた老婆だった。放っておくわけにはいかなかった。だから今、知らないしわくちゃのかたまりの手をひっぱって駆けている。後ろでぜいぜいと息が聞こえる、胸が詰まる。この行いを姉は許してくれるだろうか――。
後方で、大きな爆発。
咄嗟に彼は老婆を庇おうとしたが、駄目だった。彼は所詮十歳だった。
……一緒に、その爆発と熱さに耐えかねて、地面を削りながら倒れ込んだ。
土埃。それから無数の炎のチリ。周囲が燃えている。トタンが、ドラム缶が。
顔を上げる……ぞっとする。気配を感じる。誰だか、分かった。
「逃げられねぇぞー、ガキ。そこの婆さんはどうでもいいがな、お前は生かすなって話だ」
煙の向こうからけだるげな声とともに現れたのは――クリフトンだった。
彼は鼻くそをほじってどこかへ投げ、大きなゲップをした。
それから、ドロリとした目を……ジョエルに向ける。
彼は背筋が凍ったが、かたわらの老婆の無事を確認することを忘れなかった。
彼女は小さく震えながら呻いてはいるが、死んではいなかった。
だが、安堵は訪れない。こいつが、目の前に居る以上は。
「あのときは世話になったな、えぇ、おい。俺は靴にはこだわりがあるんだ。あれは合皮じゃないんだぜ。あ、合皮って分かるか? まぁいいや」
彼は……口をがばりと開ける。
その奥から……どろりと、粘液とともに、金属色の何かがせり出してくる。
背中を折り曲げて、ひどく苦しげにそれを嘔吐する。
……上下の歯で挟み込むようにして、それを構えた。
ロケットランチャー。身体の奥から生成されて、吐き出されて、構えられた。
「オエッ……ろうせおまへ、しぬんらからな」
彼の目は半月状に歪んだ。
まもなく、ごぼりとした喉の音とともに、その砲火が放たれる。
ジョエルは、何かを覚悟する、覚悟しようとする、だが、それも出来ない。彼は顔を覆う。いやだ、死にたくない、姉ちゃん、ごめんなさい――……。
――だが。
彼は死ななかった。老婆も無事だった。
爆発は、起きなかった。
顔を上げる。目の前に影がふたつ。
一人は、アイリッシュだった。前方に拳銃を向けている。
そして、もうひとり。
「ゲホッ、てめえ……俺の砲撃をよくも」
「動かない者を狙うことを砲撃と呼ぶのか? 随分と優しい考え方だな」
トレントである。
その左腕の下腕部は――異形と化していた。
無数の金属や瓦礫のジャンクがより合わさり、巨大な一つの腕を形成。それが大きく全面に広がって、砲撃を受け止めていたのだ。まるで金属の濁流に身体ごと飲み込まれるのを、彼自身の意志がせき止めているような――そんな姿。
「と、トレント……」
「アイリッシュ。二人をシェルターへ」
アイリッシュは頷いた。それから呆然としているジョエルと老婆を引き連れて、その場を去っていった――トレントに、場所を任せるごとく。
◇
モリソンの銃撃は止まった。
何か大きな質量の、弾丸の如きものが飛来し――彼の手元を穿ち、ミニUZIを弾き飛ばしたのである。
「なんだぁ……??」
屋根の上に着地。バンの前で、助かった者達が周囲を見回し、そして、近づいてきた足音に安堵する。
「よう。俺と遊べよ。何ゲーム続ける?」
トレントの部下の一人――スタンリーである。その手に、巨大な鉄球が戻った。黒い肌に、引き締まった肉体。その腕が、それをボールのようにバウンドさせる。そして、モリソンを睨みつける。後方で部下たちが体制を立て直す。
◇
「……あら。どうしたの、こんなところで」
グローヴは、絞め殺した男を地面になげすてて、その弾性の身体を元に戻した。
通路の向かい側に、一人の男がゆらりと立っている。
ゆったりとした装束の、アジア系の男――ウーである。
「別に……ただ」
男は……無造作に投げ捨てられた者達を見た。目を伏せて……それから顔を上げる。
「ただ、個人的に……あなたは、前から気に食わないもので」
彼は上着を左右に開いた。
その下には無数の蛮刀。続いて、背中から……蜘蛛のように、幾つもの腕が生えた。そこに、それぞれ刃が握られている。
「へえ……」
グローヴは……蠱惑的に、舌なめずりした。
まもなく、二人は激突する――。
◇
「てめえ……」
クリフトンとしては予想外だった。
まさか自分が奴と出会うとは――だが、狭い路地だ。負ける道理はない。
彼は背中をかがませて、喉の奥を無理やり震わせる。
そうして再びやってくる嘔吐感――殺意に変える。
そのまま前方に向ける。
トレントは動かない。撃ってくれ、と言わんばかりに。
「てめえはもう、終わりだぁ!!!!」
クリフトンは叫び、口内のロケットランチャーを……発射した。
――そう、たしかに、それで終わりだった。
「……」
トレントは冷静だった。
前方に機械の腕を振るった。
周囲のいたる所にある瓦礫やトタン、廃材が剥がれ落ちながら、前方に突き出された腕に吸収されていった。そして、爆発が迫る前に、更に巨大な機械の腕となった。既に、路地裏を埋め尽くすほど巨大な。緩慢な時間――クリフトンはまだ、爆発の絶頂に居る。
一秒後。
爆発を貫いて、その巨大な機械腕は空間を埋めるがごとく突き抜け、クリフトンを思い切りぶん殴った。それで、終わりだった。彼は小さなうめき声を上げた後、盛大に後方へ吹き飛んだ。ゴミ溜めの中に頭から突っ込んで、動かなくなった。
◇
「指示が出た。いよいよだ」
通信である。ミハイルの格納されているケージを、移動させなければならない。
部下の一人がコンソールを操作。駆動音。
……そして。檻の中に居る彼と、目があった。
――彼は微笑んでいた。天使のように、自らの運命を受け入れる如く。
「…………神よ」
懺悔の声とともに。操作が完了する。
まもなく。
ミハイルの檻は地下から分離し、一つの装甲車へと変形した状態で、地上へと躍り出た。そして街路を爆走――現在待機しているバンと合流するべく走り出した。
◇
トレントは背を向ける。
機械の腕が解除され、地面に大量の瓦礫とジャンクが転がる。もとの腕が戻った。
クリフトンはまだ生きているらしかったが、もうどうでも良かった。
格の違いは、一瞬で決定的に刻み込まれたのだから。
彼は……翻って、先を急いだ。
◇
粗末なコンクリートと鉄筋づくりのシェルターに、人々は押し込められていた。痩せ細った若者から老人まで。空調もなく蒸し暑い、照明すらろくにない空間。何人かが肺を病んでいるらしく、痛々しい咳をしている。だがそれでも、ここは地上よりマシだった。
もともとは穏健派に命じられて好物採掘を行うための場所である。スペースは十分ある。奴らもここまでは攻めて来ない。そもそも、連中にとって市民は――無関係であり、無関心の対象なのだから。
「ここなら大丈夫……ここから離れないで」
アイリッシュは、弟にそう言った。
老婆は既に、奥側の安全なところにやった。光が上から差し込み、そこから銃声が幾重にもかさなって聞こえてくる。アイリッシュはそこに戻らなければならなかった。
ジョエルは何か言いたげな様子だったが、それを抑え込むようにして、肩を抱いて言った。
「少なくとも連中は……無抵抗な子どもを狙うことはない。絶対に」
我知らず、苦い顔になっていた。アイリッシュは自分を恥じる。
「どうして……?」
――その声に、彼女は答えられない。
「なぁ…………俺達は、本当に、大丈夫なのか……」
埃っぽい空間から声が上がった。
「戦いは終わるの? 私達は無事なの。あなた達は……」
至るところから、声、声。
……アイリッシュに向けて。あるいは、トレントたちに向けて。
「……ッ」
決定的な答えは、出ない。
だが、そのかわりの答えを、彼女は、彼女たちは持っていた。
立ち上がり、力なき者達のために告げる。
「大丈夫。希望は、ある」
戦火の音が、絶えず聞こえる。背中から。
誰かが言った。
では、その希望とは何か、と。
その問いに対し、彼女は――。
◇
スタンリーは鉄球をバウンドさせながら地面を駆け、四方から襲いくる銃撃を避け続けた。そして、スキを見て投げつける。ボール大の鉄球はモリソンによって回避され、鉄の屋根を吹き飛ばす。だが陥没した鉄からすぐに意思を持つかのように起き上がり折れ曲がり、再び彼に向かって飛びかかった。
モリソンは舌打ちしながら、脚部の機構を用い、更に空中を跳ね回る。それから銃撃、銃撃。いくつもの電線が弾けてスパークする。
その真下――バンを守る部下たち。
「――後続は」
トレントが、スタンリー達の戦いを横目に辿り着いた。その隣には、いつの間にかモニカも居る。
「もう、間もなくですッ!!」
部下の一人が言った。
彼は振り返る。
街路を跳ね回るようにして、もう一台のバンがこちらに向かってきた。
「……」
トレントは頷く。拳をギュッと握る。
「運転しろ」
部下の一人に命じる。彼は狼狽えながらも、空になった前方のバンに乗り込む。そして。
「発車だ!」
命じる――駆動音。
バンは泥を蹴散らしながら動き出した。
トレントは助手席側に飛び移る――後続の車が、すぐうしろに。モニカはその上の屋根に乗る。移動開始。スタンリーとモリソンの周囲で、バラックが次々と破壊されていく。その中で、混沌を突っ切るようにして――動き出す。グラウンド・ゼロの外に向けて。
「そのままだ……そのまま行け」
蛇行しながら、トレントはバンを走らせた。
だが、雑然とした街路をしばし行った先で。
一人の男が道をふさいでいた。道の真ん中に立っていた。
ライオンのような髪の男――ハンセン。穏健派の一人である。上半身をむき出しにして、隆々の肉体を誇示するかのように両腕を広げた。バンの真正面で。
「トレントっ!!」
彼は笑っていた――向かってくる車に対し、微塵も臆していない。その筋肉が脈動していた。
「構わない。そのまま轢け」
部下の肩を持って告げる。
「しかし、」
「行けッ!!」
部下はアクセルを踏み込んだ。バンは一気に加速――そのまま、男を轢いた。
と、思われた。
車体ががくんと揺れる。タイヤが地面を削る感覚。前を見る。
ハンセンは、その両腕で、バンを真正面から受け止めていた。強引に、速度が落ちていく。
「ふははははは!! そんなもので我輩を止められると思ったかぁ!!」
哄笑。
「と、トレントッ……受け止められたっ、これ以上先へは……」
ハンセンの両腕はバンのフロントにがっしりと食い込み、指先から車体が凹み始めていた。凄まじい力。そして、その車両も……徐々に完全停止に近づいていた。
だが、トレントは冷静だった。
「――モニカ」
彼は耳元の通信端末にそっと告げた。
「……アイアイ」
モニカは状況を冷静に観察していた。
彼女は後続車両の上で立ち上がり、前方に、投げかけるようにして鋼線を発射した。
「ぶわははははははははははははははは!!!!!!!!」
ハンセンの爆笑。
――鋼線は、その後方、建物の屋根の上に備えられていた給水タンクを絡め取った。
……そのまま、手前に引っ張る。
タンクがめきりと音を立ててその場から引きちぎられ、こちら側へ。
「はははははははは、そんなものかぁ!!!!」
「――そうかな」
ぼそりと、トレントは言った。
「……あぁ?」
ハンセンが、聞き返そうとした。
だが――その暇はなかった。
後方から迫る給水タンクに彼は気付かなかった。
……激突。
車体とタンクの質量にまともにぶつかり、ハンセンがぐえっと悲鳴を上げた。
バンそのものにも大きな衝撃があり、揺れが激しかった。だが、無事だった。後続車両も同様に。
「…………」
バンが僅かに後退する。給水タンクは地面を数度跳ねて、止まっている。
ハンセンは棒立ちで気絶し、そして……倒れる。
「――行くぞ」
確認してから、部下に言った。
気を取り直して、バンとミハエルを乗せた車両は、彼らを避けて、前に進んだ。
――整備されていない、荒れ地同然の街路。
いくつもの蛇行を重ねた先にゴールはあった。ゆえに、まだ疾走を続ける必要がある。
◇
「…………おのれ」
ハンセンは起き上がる。恨めしげに、遠ざかっていく車体を見た。
地面を一回殴ってから、完全に立ち上がる。そして、クラウチングスタートから、爆発するように追跡を開始した。
◇
路地裏で、グローヴとウーが激しく打ち合っているのを見た。
しなる身体と、四方から襲いかかる斬撃。狭い通路。決着は当分先であろう。だが、それでも作戦としては上々だった――彼らは、トレントが告げずとも、『時間稼ぎ』を買って出てくれたのだ。
「……
モニカが、ためらうようにして、トレントに通信した。
彼女としては珍しいことだった。不安を感じている……彼女なりの。
「
声が返ってくる。
「
「
トレントは、厳かに答える。
道は複雑で、遥かに暗い。
「Zní to tak, jak je,
それが答えだった。分かっていたことだった。
モニカは……ふっと、諦めるように笑って、呟く。
「
「――なんと言った?」
「いや――……」
そこで、会話は断ち切られた。トレントが打ち切った。
「――ぶはははははっ、先程は冷や汗をかかせられたぞッ!! だが悪くなぁい!!」
ハンセンだった。車体の真横に追従して、駆けていた。
その脚部から帯のようなものが展開され、バネのように彼の疾走を手助けしていた。すぐに気づく――それは筋肉だ。身体から筋肉を展開し、操作している。それが彼の力。跳ねながら、追いついている。
「ッ――」
トレントはすぐに助手席から出て上へ。そのままモニカに通信。
「モニカっ! お前の力では相性が悪い!!こいつは俺がなんとかする――車を、進ませ続けろ!!」
二台目に控えていた彼女はハンセンと目があっていたから、交戦を覚悟していた――だが、即座に思考を切り替える。
『了解――』
腕を前へ。一台目の、助手席へと鋼線を伸ばし、そのドアフレームにがっちりと絡ませる。そのまま屋根を離れ、大きくスイングして、強引に助手席に乗り込む。入れ替わるようにして、トレントが、ハンセンと向き合った。
そのまま――彼は両腕を広げる。
流れていく景色の中から次々と、鉄のジャンクや破片が彼に向かって飛来してくる。まるで吸い寄せられるように。それは彼の両腕に集まり、一対の巨大なアームを形成していく。ハンセンは獰猛な笑みを浮かべながらそれを見守った――そして、形成が完了してから初めて、口を開いた。
「……ぬあぁッ!!」
叫び、飛びかかる――トレントに。巨大なジャンクの塊が対応、迎え撃つように豪腕が唸る。ハンセンもまた、その腕を振るった――その皮膚がめくれてはがれ、その内部から筋繊維がむき出しになり……一つの赤黒い複腕となった。
――衝突する。車上で。
「ひッ――」
運転手が悲鳴を上げる。モニカは動じない。後方を見る。
……後続車両はついてきていた。ならば自分は、信じるだけだ。
トレントの戦いを。
疾走するバンの真上で、鉄の腕と、赤黒い複数の腕が激しくぶつかり合う。その運転も安定しない。泥だらけの道、うねりにうねったルート。いくつもの鉄骨が梁のように突き出ている。通り過ぎるたびに、それを回避せねばならなかった。
何度も、鈍重な音が響き、火花が散る。
ハンセンは狂喜を浮かべながら腕を振るった――だが対照に、トレントはあくまで冷静だった。
「問おうッ――貴様らは何のために戦う!!」
――腕と腕がかちあって、鍔迫り合いを起こす。その中で、ハンセンが顔をぬっと近づけて言った。
トレントは……小さく、しかし確信を込めて、返答する。
「自由と……希望だ」
「あぁ!? なんだそれは――随分とつまらんな!! 泥の中から星を見上げることがどれほど愚かか、お前には分かっちゃいないのだッ!!」
「――……つまらないのは、お前だ」
「何っ……!!??」
「俺達の街から――星は見えない。常に、空が覆われている。俺達が見ているものは……違う。俺の、俺達の希望とは……――」
◇
暗い車内の中で、ミハイルは膝を抱えてうずくまっていた。何度も何度も、脅迫的に檻が揺れる。だがそれは、彼をおびやかしはしなかった。その表情は――凪いでいた。
「希望……」
◇
「どうしたどうしたぁ!!」
モリソンの銃撃は続いていた。縦横無尽にジャンクの街を駆けながら、確実にスタンリーの力を削り取っていく。自らも銃撃を回避しながら、鉄球を投げつけるが――効果がない。なぜなら。
「ぐあああッ――」
すぐ近くで、仲間が銃撃に倒れた。
「ファッ…………ク」
――こちらには守るべき者がいる。向こうには、空の上にしか居ない。
だがそれでも彼は膝をつかなかった。
十年前にこの街で災厄に巻き込まれ、NBAへの扉を閉ざされた時は頭に浮かべもしなかった二文字が、今の彼を突き動かしていた。
「――希望」
◇
「くッ――」
閉所での戦闘は、少なくともスタンリーよりは向いているはずだった。
だが、グローヴは予想以上に強かった。ウーは大きく後ろに下がり、前方を睨む。既に至るところに負傷。
「おやおや坊や、あたしの抱擁が気に入らないのかい。お望みなら、まだまだ抱きしめてやるってのにさ」
「お言葉ですが。結構です……我々には、もっと……大事なものがある」
再び腕を展開。その先に、蛮刀を光らせる……既に、相当の刃こぼれを起こしている。
「あっはっは、あんたらが? 一体何さ、そいつは」
「――……希望」
◇
そう――希望である。
空から来るものでもなく、街の外からくるものでもなかった。
それは、間もなく現れた。
◇
「ッファアアアアアアアアアック、あの鳥あたま、途中で投げ落としやがった、くさッ、ここどこよ、ちょっとここゴミ溜めじゃないのよッ、最低ッ、くっっっっっせええええッ……」
一人は悪態をつきながら、金髪を振り乱して立ち上がる。
「ひどいものね……」
一人は上空から、スコープを覗き込む。
「……」
一人はカタナを構えて、建物の屋上から地上へと躍りかかる。
「うへえ、ぜんっぜん電気通ってない……ここは駄目だ、空気確定だ……」
一人は影に隠れて、街に流れる電気を調べている。
更に一人は――煙草を吸いながら、ゆっくりと街路を歩いた。
――その先に、二台の車と、交戦中の二人のアウトレイスをとらえる。
彼女の目が、細まった。
そして――。
◇
「あんたは…………」
一人は、その少女に助けられた。
赤いマフラーが、眼前で踊った。
彼女は、ゆっくりと立ち上がる。そして向かい側のならず者たちを睨む。
「あの、すいません。なんとなくですけど……悪いのって、向こうですか? それだけ教えてくれません?」
◇
アジトの奥で、一台のコンピュータ画面が点灯していた。
そこには差出人の名前とともに、一つのメッセージが表示されている。
『差出人:“ロッテンベリー”』
『希望はある。信じろ。その希望の名は――シャーロット・アーチャー』
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