Interlude

 君に一つ、おとぎ話を聞かせてあげようと思う。


 でもこれは、決して楽しいだけの物語ではない。

 これは残酷で――同時に、限りなく真実に近い。

 だから、どうか、どうか。

 引き返すなら、いまのうち。



 そう――端的に言えば、『彼』は、地獄の中に居た。

 煉獄ではない。誤魔化しようのない、地獄。


 来る日も来る日も、彼の身体には本来有り得べからざる負荷がかけられた。

 不快な装身具を身にまとわされ、わけのわからないプラグを全身につなげられた。

 食事は無機質な栄養素のみ。おおよそ人間としての尊厳など剥奪された空間の中に、彼は居た。白無垢の、地獄。


 連中が最悪なのは、意思だけは彼から奪わなかったこと。

 だから彼は常に苦痛の中にいたし、それを忘れる手段も与えられなかった。


 しかし、だからこそ――彼は。

 立候補した。己の意思で。

 とある『実験』の人柱に。

 地獄から抜け出す最後の望みを――彼はそこに託したのだった。


 彼が旅立つことになったのは、遥か空の上――無限大の虚空。漆黒。

 宇宙だった。

 彼を歓待する者は誰もおらず、無機物のような科学者どもは、何の感情もなく、彼を空の彼方へと送り出した。

 しかし、そんな中で彼らにふと湧いた最後の情の一欠片なのか――『彼』は、私物の持ち込みを許可された。ただ一人で乗り込むことになるロケットに、たった一つだけ、自分の好きなものを持ち込むことを許された。


 彼は、麻痺しきった頭で考え、考え……答えを得た。

 地球を発つその時、彼の左脇に携えられていたのは、絵本だった。

 それこそ――『星の王子さま』だったのだ。

 彼がその物語に感じ取ったのは『真実』の二文字だった。

 そこに描かれていることこそ、この世界が真に必要としているものだと思ったし、世界がそれを拒否するのならば、そこに彼はいられない――そう思ったのだった。


 だから彼は、宇宙へと旅立った。

 この世界が――あの物語のようにシンプルで純粋で、美しいものであることを願った。


 だが、世界は美しくなかった。

 窓越しに見た成層圏は、彼にはうっすらと張り詰めた地獄にしか見えなかった。

 ああ――ここは美しくない。

 ならば、真の美しさとは。

 真実とは、宇宙にしかない。

 そこにあるはずだ。

 自分の求めているすべてが。

 そこにいこう――そして、キレイにしよう。でたらめだらけの世界で汚れきった、自分の体も心も。


 彼は期待と祈りを抱いて、宇宙に飛んだ。


 美しいものと、そうでないもの。

 その2つだけがあるはずの、無限大の漆黒へ。



 だが。

 宇宙は――彼の思っているような場所ではなかった。


 そこには終わりがあって、明確な意思があった。


 彼は――その声を聞いた。

 聞いてしまった。

 彼だからこそ、可能だった。

 人の身でありながら、人を超えてしまった彼だからこそ。



 宇宙で得たメッセージを携えて、『その存在』は帰還した。


 そのときには既に――『彼』でも『彼女』でもない超越者が、ただ一人居るだけだった。


 もう、王子様にも、少年にも、なれない。



 故にその存在は決断する。

 ならば己は、煉獄を作り出そう。

 その中で生まれいづる、王子と少年に全てを託すために。


 それさえ叶わぬのなら――。

 ああ、その存在は願うのだ。


 その願いさえ叶わぬのなら。

 汚泥まみれのこの星よ、滅びてしまえ。



 魔人が、街に降り立った。

 その存在が、そこにいる全ての者達の運命を変えた。


 呪いと悪罵を交響曲のように聞きながら――魔人の中には、一遍の物語が流れている。

 

 星の王子さま。

 その中に入り込めないのであれば、自分は完璧な形で、それを作り出すだけだ。

 この地上に。

 

 そのためなら、いかなる犠牲も払ってやる。私を誰だと思っている。


 我が墓碑銘の名は『混沌』――二元論より生まれ、煉獄へと堕ちるもの。



 ああ、まさに――その名のごとくに。

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