#7 ゴールデンタイム・ラバー
彼の敗北と共に、戒めが解かれた。
壁を、天井を覆っていた襞は、まるで蔦が枯れ落ちるようにぼろぼろになって落ちていき、風化していった。
そして、その狭間から、ボトボトと落ちてくる。
スキャッターブレインに食い尽くされてしまった化け物たち。その抜け殻が。
「ガ、ア…………」
チヨ達の目の前で、残っていた連中も動かなくなり、倒れ込んだ。
彼らはみな、その役目を終えた。
「……これは」
キムが、唖然とした声を上げる。
「……」
フェイは、盤の向かい側で立ち上がり、煙草を吹かせる。
――たくさんの抜け殻が転がっている。
周囲を見回すと、光景の何もかもが違っているのがわかる。
蔦のようになった脳の襞はボコボコと粟立ちながら消えていき、結果として彼の居城、その本当の姿が明らかになる。
そこは、使われていない廃坑だった。
――広大な地下に広がる空間。コンクリートの柱で支えられた虚無の空間。暗黒のそこかしこで、水の滴る音。その他にはなにもない。ただ冷たい灰色と闇があるだけ。
「……アンダーグラウンドが出来てすぐ。急激な人口流入に対応するため、地下鉄道を広範囲に拡大する計画が立てられた……でも、4年前を境に増加は一旦停止し。こんな暗渠が各地に形成された。噂には聞いていたけれど……」
「……なるほど、そりゃ、使わなきゃもったいないわよね」
ミランダとグロリアが呆れたように、感心したように言う。
そこには――どこか、哀れみのようなものがあった。
……これが。
たったこれだけが、スキャッターブレインの居城であり、王国だったのだ。
こんな寂しい場所に彼は――自身に忠実な人形だけをかき集めていた。
「寒い場所だな……」
チヨが、ぼそりとこぼす。その傍らで、シャーリーがキムを抱き起こしている。
「アアア、アアアアアアアア…………」
狂った女が、気を失っているスキャッターブレイン……今はもう、ただの痩せ細った男にしか見えない――に駆け寄ってくる。その胸に顔を埋めて、ひきつるようにして泣いている。フェイはそれを止めなかった。
「――フェイ」
チヨが、彼女に近づいてきて、質問する。
「教えろ。バラのつぼみとは、一体なのだ」
……フェイは、口を開く。
灰がタバコの先からこぼれ落ちる。
◇
――スキャッターブレイン。
本名は不詳。4年前より。
彼の脳は、地下の広範囲に伸びていた。そして、地上に侵食していた。
その証拠。
……今、ひとつのビルが、肉色の蔦に呑み込まれていた。
誰も彼もが不気味に思って、とうに無人になった廃墟だ。
絡みついているそれは、彼の脳の襞に違いなかった。
それは迷路のように複雑な模様を描きながら、ビルを越えて、先へ先へと伸びていた。
建物から地面に潜り、更にその先へ。
――辿っていくと、その脳の先端がどこへ向かっていたのかを見ることができる。
「……」
セントラルパークの一角に、誰も近づかない領域があった。
そこは、不気味な肉の襞がミミズのように蠢いている場所だった。何度も警察が駆除に向かったが、なかなか功を奏しなかった。
それは、今の今まで――『塔』の最下端部分に伸びており、僅かに剣心に触れるあたりで止まっていた。
……意味すること。誰も知らない。
スキャッターブレインは、確実に近づいていた。
その思考の先に、完全に捉えていたのだ。ハイヤーグラウンドを。
――ただ、僅かに距離が足りなかったに過ぎない。
だが、そのような感傷も、もはや意味をなさない。
触手が、枯れ落ち始めていた。アンダーグラウンドの各地で……役目を終えたのだ。
未練がましくセントラルパークに這っていたそれも分解され、地面のシミと消えていく。
フェイ達が地下を去って数時間後には、地上にスキャッターブレインの脳の痕跡は一切存在しなくなった。
◇
「雪橇だよ」
「えっ……?」
「それが、『バラのつぼみ』の正体さ」
フェイ達が勝負を片付けてからしばらくして、どこから嗅ぎつけたのか、警察が地下にやってきた。そして、事態の処理をはかりはじめた。
――愚連隊にしか見えぬ制服姿の彼らは、フェイたちを恨めしげに見たが、誰も何も言わなかった――事態の深刻さを理解し、それを解決した彼女たちに、感謝を抱いているのもまた事実だったからだ。
……クリス・カヴィルが部下に檄を飛ばしている。それを遠目に見ながら、フェイは煙草を吸い、言葉の続きを放った。
「幼い頃、彼の――自宅の納屋にあった、赤いソリだよ」
「それがどうして、バラのつぼみなんて名前を……?」
「彼は、幼少の頃から両親の愛を受け取れずに育ってきた。そんな中、唯一父親から買って貰ったそれだけが、自分と両親をつなぎとめるよすがだった。やがて彼が大人になって……ゲームの世界にのめり込むようになっても、彼は捨てられなかった。きっと、何度も捨てようとしたんだろうが……駄目だったらしい。その証拠に、ほら」
フェイは、暗闇の空間に指を指した。
「汚え、なんだこりゃ」
そこでは、警官が朽ち果てたロッカーのような場所から赤いプラスチックの塊を取り出していた。周囲にホコリが舞い、顔をしかめる。
それこそが、フェイの言っていたものに相違なかった。
「結局、彼はどこかであれを抱えていたというわけね……それが、決定的な心の傷になった」
ミランダが、憂うように言った。
「そういうことだ。それを隠すためにも、彼は己の力を振るうことに執心するようになったというわけさ。まぁ、よく出来たお話だよ……これで、おしまいだが」
フェイは肩をすくめて、その場に座り込んだ。
「おい、揺らすなよ――」
「こいつは死んじゃいない、気を失ってるだけだ……こいつはS級の厄ネタだ、一班の隊長でさえ手に負えるかどうか――」
スキャッターブレインは鋼鉄のバンドのようなもので拘束され、まるで重大な化学薬品であるかのように慎重に警察車両に運び込まれている。
その様子を、フェイ達は見ていた。
戦いは終わった。またしても世界は救われた。
……しかし、戻ってこない命もある。
あの干からびた死体達は、もう二度とゲームをすることが出来ない。
スキャッターブレインにどのような過去があれど、彼が人の命を奪った以上、『気の狂ったアウトレイス』として処理される未来が待っている。
……結局の所、それだけが真実である。
重い疲労感のようなものが立ち込めていた。
今回の立役者であったキムも座り込んで黙っている。
皆、これからどうすべきか決めあぐねていた。達成感のようなものは、今日この日に限って、無いように思われた。
◇
「――そういえば」
その理由を皆が探し当てる前に、シャーリーが口を開く。
「皆さん、言ってませんでしたっけ。ここにギャンブラーを集めるなら、きっと賞金が出るはずだって。どうします?」
……その言葉に。
フェイ達が、顔を合わせた。
「……」
生気が、満潮のように押し寄せる。同時に、焦燥感も。
それは彼女たちに、電撃のごとく行動を起こさせた。
「……――!!」
重い疲労のさなかにあった彼女たちは、今はもはや完全に復活していた。
「どわッ!?」
「なんだてめえら、用が済んだらとっとと帰りやがれ――」
「うるせええええ!! 金、金ッ……!!」
「どこかにあるはずよ、どこかにっ……」
彼女たちは実に醜い亡者と成り果てて、状況の処理を行っている警官たちを弾き飛ばしながら、『キープアウト』の向こう側へ強引に突撃した。
そこでは一人の豚鼻の男が、横並びになっている巨大な金庫のような場所にうずくまり、何やら証拠品を集めていた。
グロリア達は、そこへ殺到した。
「金だああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「どわあああああああああああああああああ!!!!!!!??????」
のちに――警官である彼は語った。
それはまさに……今まで見たどのような第八機関よりも邪悪な姿であったと。
目を光らせ、口から瘴気を発しているようにすら見えた、と。
◇
「……金だぁ??」
――超過勤務の疲労を無理矢理ブラックコーヒーでごまかしている彼は、鬱陶しそうに顔を上げて、応じた。
「そうよ、金よ――スキャッターブレインなら……隠し持ってるはず……」
「んなもん、ねぇよ、とっくにな」
「…………は??」
凍りつく。
彼は顎をしゃくって、金庫の跡を示した。
……金庫の入り口は破壊され、その中身はカラだった。
「な…………あ…………??」
グロリアも。ミランダも。キムも。動きができなかった。
チヨとフェイは、興味がなさそうだったが。
「どういう……?」
「知るかよ。お前らが知らねぇなら俺達だって知らねぇ。火事場泥棒なら、後でうちの第一班が捜査に当たるだけの話よ。ほら、邪魔だ、帰った帰った」
呆然。
求めているものは、そこになかった。
脱力し、座り込む者達。
「……そういえば」
シャーリーが、口を開いた。
そもそも彼女はこの事態に何のショックも抱いていないらしかった。
「なによ、シャーリー……」
「ボク、見たような……」
――そう、彼女は見たのだ。
あの、喪服姿の奇妙な女が、スキャッターブレインを倒した騒動のさなか、枯れ木のようになった彼の主人を抱きかかえて、暗闇の中へと静かに消えて、そして二度と戻らなかったさまを。
「……あ…………??」
再び呆然。
信じられない、という複数の目が、シャーリーを凝視する。
「あんた…………なんでそれ…………言わなかったの…………あたしらに…………」
「いや、その。ボク、困ってないですし。お金に」
あっさりと。
シャーロット・アーチャーはそう言った。
「…………ふ」
そして。
「「「ふざけるなあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」」」
叫びは爆発し、彼女たちの生気は斜め上の方向に蘇ることとなった。
――結果として。
第八機関は、任務を達成した。
……しかしながら、彼女たちの期待していた『上乗せのギャランティ』はまったくもって手に入らなかった。
それに、フェイ、キムの両名は――暫くの間、第八指定の病院にて安静を命じられる羽目になったのであった。
◇
「……」
怒りに満ちた彼女たちの動きを、シャーリーは後方から見ていた。
今回の任務の中で、彼女はずっと後ろに居た。
エスタが絡まないと、ここまで自分は冷静になれるのかと――どこか不思議でもあった。
彼女は、フェイを見ていた。
自身の胸の内を語り、その全てをさらけ出した彼女。
霧に包まれていたその人物像が、ようやく輪郭を帯び始めた。
だから、前にいる彼女は随分とリアルに見え――また、その身長が思いの外低いことも発見した。フェイ・リーは、そこに居た。
……少なくとも、今回の件は、ハッピーエンドで幕を閉じるのだろう。そんな気がしていた。
フェイは自らの心を語り、ようやくその内側を、皆と通じ合わせた。
それでいいじゃないか。
だが……。
シャーリーにだけは、そうは思えない。
知らず知らずのうちに、そのブルーストライプシャツの背中に、重ねていた。スキャッターブレインを。
――あいつは。
あの異常な男は、過去を全て葬ろうとした。全てを現在の事象の上に並べて、世界中を侵食しようとした。そんな絵空事を、彼は本気で実現させようとしていたのだ。バカげた話だが、彼にとっては至極真面目なことだったのだろう。
では、貴女は。
フェイ・リー。
スキャッターブレインは、過去を直視できずに死んだ。
では、貴女は、過去をどうする? 貴女はまだ、完全に過去に決着をつけていないのでは……?
それが何かを招くかもしれないということに、貴女は果たして気付いているのか?
「……っ」
知らずのうちに、シャーリーは拳を握りしめていた。その内側に汗が滲んでいる。不快な感触。フェイの過去。そして……自らの過去。
それまで先延ばしにしていたものが、目の前にやってくる感覚。
――では、自分もいずれは。
それが何を意味するのか。
……シャーリーは、考えるのをやめた。
そうだ。
――今はただ、祝福しよう。
フェイ・リーが、帰還した。
それだけで十分じゃないか。
「こらあああああああシャーリー!!!!! あんたのせいだろおがあああああ!!!!!」
「ちょっ……ボクですかっ!!??」
「あんたのせいであたしらはッ、あたしらはッ!!!!」
「グロリアさんッ!! シャーリーちゃん顔青くなってます!! 顔!!!」
どうせ今夜は、うんと酒を飲まされるのだから。
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