#5 チェイシング・イエスタデイ(3)

フェイわたしは……死ぬだろうか」


 診察中、血を吐いた。

 ソファの向かい側の彼女は、欠片も動揺しなかった。


「そうね。そのまま、力を使い続ければ……確実に」


 黒人の、馴染みの医者。

 煙草を吸って、灰皿に押し付ける。短い診療時間中、何度も繰り返された動き。


「気休めはなし、か?」


「それで満足する間柄でも無いでしょう、あなたと私」


「ふっ……それもそうだ」


 部屋の向こう側では、仲間たちの喧騒が聞こえてくる。

 朝から元気なことだ。そいつがなによりである。


「まぁ、それが嫌なら……せいぜいあのうるさい子達に頼ることね」


「それも嫌だと言ったら?」


「後は乾いていくだけ。好きにしなさいな」


「……そうだな」


 灰皿から、吸い終わった煙草を取り出して咥える。医者はその動作に文句も言わなかった。


「で。あの子達には……言ってないの?」


「言っちゃいないさ。ただの一言も。『わたしは、ただの風邪だった』」


「それじゃ説得力がないわね。過労とでも伝えておくわ」


 彼女は立ち上がる。白衣がひるがえる。

 ハイヒールの音が……響く。去っていく。そこに声を掛ける。


「なぁ――また呑もうや」


 彼女は、立ち止まった。

 振り返らずに、言った。


「生きてたらね」


 ……ドアを開ける。

 ドクターは去っていった。


 フェイは煙草の灰を見つめている。未来に対して流れない時間。過去になっていく炎。ただ、燃えカスになっていくだけの……――。



「フェイっ!!」


 怪物たちに呑み込まれるようにして戦う。そのさなか、グロリアが叫んだ。血を吐いた彼女に。


「よせ」


 チヨが――それを制止する。

 信じられない、というような顔で、グロリアが彼女を見た。


「なんでよ、今あいつ――」


「いいか、グロリア」


 チヨがカタナを振るう――敵の肉が裂ける。

 血が噴き出す。

 だが死んではいない。絶叫しながら泣き叫び、横たわる敵。胸の悪くなる光景。すぐさま別の怪物が襲ってくる。迎え撃つ――その中で、続ける。


「奴の……フェイ・リーの『言葉』を、儂らは聞いていない。ただの一度も」


「フシギいいいいいいいいいいいいいいっ!!!!!!!!!」


「……――ぬあああああああっ!!!!」


 電動カッター男の脚部を切断し、無力化する。そのまま地面に叩き伏せる。


「チヨ……」


 皆が、彼女を見た。

 血に濡れる藍色の装束。視線は、まっすぐ前に。フェイに。


「チヨさん…………」


 キムが、何かをいいたげに前に進み出る。


「目を逸らすな。ここが――奴の、そして我々の分水嶺だ」


 戦いは続いている。



「何故……」


 スキャッターブレインは驚愕していた。

 彼女は――血に染まるコマを盤上に叩き込んだ。震える手で……。

 もはや『捕食』ではない。


 いつかのように、それは一対一の『勝負』に成り下がっていることを、彼は認めざるを得なかった。

 こんな敵は、かつて居なかった。

 ここまで追い込まれてもなお、戦うことをやめようとしない者を、彼はこれまで見たことがなかった。


 盤上を見ろ。向こう半分は血に染まっている。彼女の白いワイシャツは真っ赤なまだら。単純なゲーム上のスコアにおいても、向こう側はこのままだとストレートに敗北を喫する。一時的に追い込まれたが……そもそもの素養が違うのだ。スキャッターブレインは、小さい頃からこのゲームとともにあった。


 だのに、これはどういうことだ?

 ――それは『戦慄』と言っても差し支えがなかった。

 だから、言葉がつい、口から溢れる。


 傍らで下僕の女が動揺しているのにも、彼は気付かない。

 彼女が既に――ある小細工を、遅効性の小細工を仕込んでいることにも、彼は気付かない。


 ほんの少し……ほんの少しだけ。

 


「何故そこまでして戦う――? そうまでして守りたいものがあるとでも言うのかね??」


「ああ……」


 フェイの脳裏に浮かんでいるものは、彼には想像できない。

 ……それは、炎の向こう側に消えていった女と、その仲間たちの姿。


「あるさ……フェイわたしの、守りたいもの……」


 変わらない。

 四年前から、彼女の目に映るものは、何も変わってはいない。


フェイわたしの守りたいものは――……彼らそのものだ……」


 彼女たち、ではない。

 その言葉を。


「室長……」


「フェイ……!?」


 皆、聞いていた。

 戦いのさなか、しっかりと。彼女の意思を。


「彼らが世界のために戦い、そして笑い合う世界。それそのものだ……他には何も要らないっ……――!!」


 それは。

 これまで決して語られなかった、フェイ・リーの心の奥底に秘められた叫び。


 今ここで明らかになる。誰かに聞かせようとしているわけではない。自然と漏れているのだ。なぜなら、彼女は今、過去を見ているのだから。炎にまかれて消えていった者達の残像を目で追っているのだから。

 シドニー。デビー。ヴォルフ。ヴァン・ヴィンクル。教授。

 ――アリス。

 皆、消えていった。

 自分の目の前から、消えていった。


 その時から、自分は。

 フェイ・リーは、何一つ……何一つ、変わってはいないのだ。


「世界平和など、どうでもいい。この目に見えるのは過去の夢だけだ。それだけしかいらない。フェイわたしが死んでも、第八機関は存在し――世界を守る、守り続ける……その構図だけが、私に必要なもの。第八機関は……私にとっての……永遠の、覚めない夢だっ……!!」


 次なる手が打ち込まれる。

 皆がその叫びを聞いていた。

 誰にも、何も言えなかった。

 グロリアが、一歩前に出て、口を開こうとしたが……出てくるものは、小さな呻きだけ。シャーリーは愕然とし、チヨは黙り込み、背を向けたままカタナを振るっている。


「何を言っているのかわからないが。随分と独善的に聞こえるな」


 スキャッターブレインは首を傾げながら問うた。


「ああ、独善だとも……!」


 矢継ぎ早に、フェイが返答する。



「あんな……室長、はじめて見た……」


「キム、戦いに集中しろ! スキだらけだぞっ!!」


「フェイさん…………」


「ッキイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!」


「ああもう、こいつらしつこいったらありゃしない……――フェイ……?」


 彼女たちは戦いながら彼女を見ていた。

 ……その口から、『真実』が吐き出されるのを、聞いていた。

 それは、今まで一度たりとも顕にならなかった、フェイ・リーの本心。


 今ここで……明かされている。無意識なのか、それとも聞かせるためなのか。

 ……すべては、この瞬間に結実し。言葉は、矢となった。


「なぜならフェイわたしは、自分のことしか考えていないからだ。甘言をろうし、仲間たちを集めて……世界平和などという絵空事のために戦うチームを結成した。自分が見たいのは、彼女たちが戦い、帰ってくる姿だけ。かつての夢の再現に過ぎないのだから……――それを実現するためには、なんだってやってやる。はぐらかしも、嘘っぱちも……嫌われても、信用されなくても構わない……フェイわたしの作り出した、フェイ・リーの夢の中にだけ居ればいい……!!!!」


「……っ」


 絶句。

 黙り込んだ者達。


「っ……――そんな、じゃああなたにとって、ボク達は……――」


 思わず問いかけたのは、シャーリーだった。


「夢の『素材』だ……」


 答えはすぐに帰ってきた。

 いつもそこにあった白い背中。

 今日はずいぶんと、小さく見えた。


 フェイ・リーという一人の人間が居て……彼女は今身体を病人のように震わせている。限界が近いのだ。力を使ったことで、一気に消耗したということ。

 それでもなお、彼女は戦っている。すべてを見せつけるかのように。


「それだけだ……――罪悪感? ああ、吐きそうなほどに感じているとも……だが、わたしの時間はもう動かない……だからもう、止まるしか無い……」


「っ…………最低だ、最低ですよっ!!」


 シャーリーは叫んだ。

 グロリアたちが彼女を見た。

 戦いの最中、二人のザインが、同じ方向を見ながら話す。


「そうとも、最低、最低なんだ、フェイわたしは。だがお前たちは……フェイわたしにとって……」


「――そんなの、迷惑です」


 断ち切るように言ったのも、シャーリーだった。


 ……フェイは、黙り込んだ。

 その言葉が、あまりにも意外であるように思えたから。

 過去は、いまだに自分の中でちらついている。閃光のように。

 それが今、この瞬間――ほんの少しだけ、消えた。


 ……何故だ?

 何故、そんなことができる?

 同じザインだからか?

 それとも――。


「シャーリー……?」


 赤いマフラーの少女は、拳を握って舌を噛む。

 それは、誤魔化しようのない心情の吐露だった。

 ――自分は今ここに居る。ひとつの目的のために。そして、それ以上は何もいらないという気持ちで、ここに来た。


 彼女は思い出している。

 最初にこの街に来たことを。

 ……大事な人と出会い、別れ……そして、再び取り戻すことを誓い。その選択にリスクがあることを知り。

 同じ道を進む者にも、全く違う背負うものがあることを知り。


 そのうえで、ここにいる。

 ようやく、足場が固まりそうな気がしていた。

 なぜかはわからないが、そう感じていたのだ。

 近々自分は、完全に自己を確立する。そして、目標に向けてまっすぐ進んでいく。

 そう思うことが出来たのは、そもそも、誰の何がきっかけだったのか。

 誰との出会いがきっかけだったのか。

 その人を見た時、自分は何を思ったのか――。


 ――ジャングルへ、ようこそ。

 差し伸べられた手。差し込んでくる光。その先にいる者達。


「ボクには――」


 その背中に、語る。

 なかば怒りをぶつけるように。

 気持ち悪い周囲の赤色も、騒がしい戦いの音色も、全てが消える。

 見えているのは、一人の背中だけ。


「ボクの目的があります。だからあなたのところにいる。他の皆だって、きっとそうです。それは誰にも譲れないし。譲らない」


 ――ミランダは。

 雨がやんだ後に聞かせてくれた。

 ――キムは。

 こっそりと、隠し事のように聞かせてくれた。

 それぞれの『理由』を。

 ……だから。


「だから……あなたの理想を、押し付けないでください!!」


 それを言うと、すこし心が傷んだ。

 ……だが。

 構うものか。

 シャーリーは拳を握って、言葉を続ける。

 それは独善だ。何故なら、シャーリーもまた、理想のフェイを、彼女自身に押し付けているから。それは分かっている。それでも、願わずにはいられない。

 たとえそれが、重い十字架を彼女に背負わせることであっても――。


「あなたが何を思ったって構わないです。だってボク達は多分、あなたが目指すものには興味がなくて、あなたのやっていることに惹かれて来たんですから」


「ちょっとシャーリー、あんた、もうちょっと言葉を――」


「黙っておれ、グロリア」


「でも、チヨ……」


「やつに……言わせろ」


 そのとおりに。

 シャーリーは、言った。


「だから、あなたはもう……――何も、隠さなくても、嘘をつかなくてもいい。あなたは、あなたのままでいいんです。あなたが何を願おうと、少なくともボクは……やりたいようにしかやらないし、出来ないんですから」


「……――!」


 チヨは、そんなことを平気で言えてしまうシャーリーを見た。

 ハイヤーグラウンドからやってきた、謎多い少女。シャーロット・アーチャー。

 今まで……そんなことを、まっすぐフェイに言ってのけた奴は誰も居なかった。茫漠とした暗黙の了解のもとで、共に居た。

 しかし……もしかしたら、それでは駄目なのかもしれない。この先、我々が先に進んでいくためには。

 もしそうなら、本当にこの少女が――何もかもを変えるための、鍵であるのかもしれない。


 ……キムとの約束。思い出す。

 ――今こそ。それを果たす時なのだろうか。

 わからない、チヨにもそれは分からない。

 だが、気づけば彼女は。


「そうだ――それでいい、このクソたわけが!!」


 フェイに向けて、叫んでいた。


「……――癪で癪でたまらないが、どうやらそのようだ、フェイ。お前はお前でしかない。お前は、最低な女だ。だが……――それでいい」


 敵が襲ってくる、奇声を発しながら。


「チヨさんっ!! 後ろっ!!」


「――っ」


「シイイイイイイイイイイイイイイイアバアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!??????」


 その瞬間、ドリル七節男は眼窩の高速回転する錐をチヨにぶち込むため、長い身体を飛び上がらせて特攻した。しかしそれはかなわない。彼は身体に熱いものを感じた。そう、斬られた――居合。チヨは、振り返らずに彼の胴を一閃したのだった。


「アバ、アババッ……――」


 ――何、死にはしない。

 更に正気を失うことは間違いないだろうが。

 ……カタナの血を振り落として、斬新する。


「シャーロット・アーチャー……」


 名前を呼ぶ。


「……かつて言ったお前の言葉、嘘でないのなら。お前を信じる。キムが信じたように。そのかわり、お前が信念を曲げるなら。お前を斬る」


 呼ばれた少女はチヨを向き、ゴクリと喉を鳴らした。

 だが、一秒後には強い語気でうなずいた。


「……分かりました」


 それで十分だ。

 チヨは、彼女のそばを通り過ぎ――盤面に向かい合う女の背中へ。


「そして……そのお前が、フェイを信じるというのなら。儂もまた、奴を信じざるを得ない。だから……」


「……」


 空気を吸い込んで、あらためて叫んだ。


「――――必ず勝て、フェイ!!」



 ――わたしは何を言われているのか。

 今しがたの独白、そのすべて。

 自分が最低な女であることのほかならぬ証明。

 どこかで、裁かれたがっている自分が居た――いつか、ミランダが自分に向けていた銃口。それが自分を貫いてくれることを期待していた時もあった。


 それすらかなわぬのなら、せめて――。

 せめてここですべてをぶちまけて、それでもなおついてきてくれる者達と……自分の理想を目指そう。

 精神の疲弊は心の余白を削り取って、剥き出しのフェイを生み出した。

 それが、自分にあんなことを語らせた。


 恨むべきは敵――恨むべきは、自分。

 わたしは最低だ。過去に縛られ、それを永遠のものとし……更に、そいつを他の者達にも強要する。反吐が出る。


 なのに。

 今……信じると言ったか?

 いの一番に、自分を斬り捨てる資格のある少女が、わたしのことを、『信じる』と言ったのか??


 目眩がする。

 目の前の黒と白のモザイクが激しく蠕動し、何らかの模様を作りながら自分を責め立てるように見える。


 ……そして。

 シャーロット・アーチャー。

 自身が引き入れた少女。

 甘言を用い、言葉巧みに誘い入れた――最低、最低、最低。


 その少女が。自分を諭した。

 それらが意味すること。


「……シャーリー。フェイわたしは君を」


「?」


フェイわたしの、後継者にしようと思った。君という存在を知った瞬間に。もしわたしが死んだら、フェイわたしの見たい景色をそのまま引き継いでくれるように」


 君の、あの力の発現を見た時から――そう考えていた。

 知っているかな、シャーロット・アーチャー。

 フェイわたしは、君が親友を目の前で喪い……慟哭している時。

 ほんの少しばかり、ほくそ笑んでいたんだよ。

 ああ、君は――立ち上がらざるを得ない、前に進まざるを得ない、と。

 だが、彼女は。


「お断りします。ボクにはボクの夢があります。それを譲る気はないです。夢なら、勝手に見ててください。ボクはボクの、やりたいようにやります」


「ちょっ……」

「シャーリーちゃんそんなキャラでしたっけ!!??」

「もともとこんなですよ? ね、ミランダさん」

「ええ……そうね」

「あ!? 何示し合わせてんの!? 何があったのよあんたら!!??」


「……――」


 フェイは、天を仰いだ。

 そこにあるのは――天国などではない。

 ましてや、心地の良い夢の世界などでもない。

 ……あぁ、アリス。

 貴女の言っていた通りじゃないか。

 それが分かっていたから、貴女は消えた。


 だのにわたしはこの四年間、ずっと見ようとしていたのだ。

 ――夢の、続きを。


「打ちひしがれているのか?」


「まさか……感動の言葉の嵐。まったく、泣けてくるね」


 身を、持ち直す。

 全身の震えが、しびれが、止まらない。


 馬鹿だ、本当に馬鹿だ。

 ――フェイわたしにあるのは、今ここの現実だけ。どうあがいても、覆せない。

 今ようやく、はっきりした。


 奴らはどうせ――フェイわたしを寝かせてはくれない。

 ならば。


「なら……ここで、死ぬわけにはいかないな」


 ふっと笑い、口に再び煙草を咥える。

 ――煙を長く、長く、吐く。


 ――なぁ、アリス。

 夢は、起きて見るものらしい。

 後ろの連中が、そう言ってせっついてくるんだ。私を。

 心地いい場所には、置かせてくれないらしいんだ。


 ……可愛い奴らだよ、本当に。

 お前たちと、同じぐらい。


 起き上がる。

 盤面に向かい合う。

 ――勝負は五分五分イーブン

 まだ、勝ち目は十全にある。むしろ、ここからだ。

 後ろでは、戦っている――いまの、仲間たちが。


「もう少し。生きてみるか」


 フェイは顔を上げて、盤上に次の手を叩きつける。


 ――未来を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る