#4 バーニング・ダウン・ザ・ハウス
勝負のさなか、彼は過去が自分の頭の中に流れるのを感じていた。
それは幼い頃の記憶。
ビジネスに夢中で自分にまるで構わなかった両親。
自分は、想像上の、架空の怪物を相手にその不満をぶつけ始めた。何度も、何度も。
その方法は、叱られずに、かつ獣性を、怒りをぶつけられる程度のものがいい――そう、たとえばオセロだ。白と黒の世界。魅了された。すっかり。だから彼は、自分の世界に逃避して――その遊びをつづけた。
あの災厄が降り掛かったあとも、彼は悲観しなかった。彼はその能力で、さらにオセロが出来ることを喜んだ。うるさく言ってくる両親は、勝負に負かして奴隷にした医者を使って白痴に仕立て上げて、さらなる自分の肥やしにした。そうして、地上で勝負を続けていた。何度も、何度も。
だが、そこに大崩壊。
彼は――どれだけこちらのやり方を提案しても、それを意に介さない連中が居ることを知った。そして、どれだけこちらが力を持っていても、まるでかなわない連中が居ることを知った。
そして何より――彼らによって、真実を知らされた。
自分は……寂しさの穴埋めのため、この勝負を続けているのに過ぎないのだと。
両親の不在が、このライフワークを始めさせたに過ぎないのだと。
あの高揚も興奮も、その副産物に過ぎないのだと――彼は、指摘された。
彼は必死に否定しようとした。何度も、何度も。
だが、そこで気付いた――。
周囲に居るのは、自分の従順な奴隷ばかり。
打ち筋を褒めそやす者も、感服を叫ぶ者も、居ない。ただの永久勝負装置として機能している者しか居ない。
いつからだ? いつからこんな差が生まれた?
彼は、頭を抱えて苦しんだ、苦しんだ。
その懊悩の先――彼の心は地下へと向かった。
そうだ、そこに行こう。
地下は何もかもが平等だ。冷たい土だけがある。私はそこに帝国を作ろう。そして何もかもを呑み込んでしまえば――私に下らない指摘をする者も居なくなる。私と、私にとって必要な糧だけになる!! 見ていろ、ディプス!! いつかは貴様さえも――!!
そうして彼は、『食事』に明け暮れるようになった。
昨日も、そして今日も。
戦った、戦った、戦った。
あのサルトルなどと名乗っていた地上のお坊ちゃんは、今はもう襞の間に呑まれて人形同然になっているし、その次に襲ってきた分別を知らない、頭の弱いガキも同じように廃人にした。いま後ろにいる。そしてその次だ――キムと名乗る女。強かった、彼女は強かった……だが、そこにディプスのにおいがした。
許すわけにはいかなかった、その正体を突き止めるまで、搾り取れるだけ搾り取るつもりだった――……。
それなのに。
……それなのに、なんだこの状況は。
今――自分はまるで違う相手と戦っている。
そしてそうなることを強いられた。
自分が、この自分が……勝負を『挑んだ』。異例のことだ。
それはいい。予想外は、食事のスパイスだ、良質な。それはいいのだ。
問題なのは――……。
「…………っ!!」
その相手が、自分のことを知っているということ。
それ以上に――。
「……そんなものか?」
なぜ、この女は、自分に食い下がっている??
◇
状況といえばこうだ。
スキャッターブレインは、本気を出した。
久しく出していない力だ。サルトルのときも、二番目のガキのときも、キムという女のときも、片鱗しか見せていなかったそれを――フェイと名乗った女と勝負を再開した際には、全開させた。
その力とは、高速で回転する思考から繰り出される容赦のない打ち筋。一手撃ち込まれるたびに狭まっていく思考時間。黒が打たれれば、すぐさま白が飛んでくる。制限時間はわずか。それをすぎればこちらからプレッシャーが飛んでくるから、すぐに手を返さなければならない。よって必然、戦いは高速化する。黒と白が交互に、数秒も間を空けずに繰り出され、そのたび盤面が無限の拡大を見せる。まるでそれは宇宙だ。シンプルな二色によって創り出される。
……奴らは、キムはその速度に追いつけなくなり、思考を、脳を消耗し――追い込まれた。そして敗北した。それこそが唯一の勝敗条件。拡大し続ける盤面に終着はない。あるのはひとつ。『心を砕かれるか否か』のみ。負けないためには、絶えず打ち込み続けねばならない。コンマ数秒で次の手を考えて、打つ――それを繰り返さなければならないのだ。
だから、頭の神経がブチギレる。鼻から、目から血が出る。そして……廃人となる。
……自分は違う。自分は、無限にある脳のリソースを使って、1秒にも満たない刹那で、大量にある勝ち筋からひとつを選び出せばいい。それを相手の戦い方に合わせて、次々と繰り出せばいい。それだけのことだ。単純だが……これほどまでに楽しいことはない。
征服し、蹂躙し、食らう――それこそが戦いの喜び。
このフェイ・リーも……その果てに全てを支配される。
その筈だったのに。
「……っ!! っ…………」
白を打つ。すると、すぐさま黒を打たれる。負けじと白を打ち込むと、こちらの予想していないルートに黒が打ち込まれた。勝ち筋の一つが消滅し、別を選ばざるを得なくなる。そして打ち込む。そして相手は間髪入れずに打ち込んでくる…………。
「なぜだ…………」
――なぜ、この女は、本気の自分に食い下がっている??
「何故君は……私についてこれる……? 先程までの奴らとはまるで違う。少なくとも私の力は……」
黒と白の応酬が、その間にも続いていく。これまでとはまるで違う持続時間。盤面はかつてないほど拡大している。コマと盤がこすれるたび火花が上がる。それほどまでに高速の戦い――……スキャッターブレインにとっての、蹂躙の場になるはずなのに。この女は。
「何故だ……何故だ……!?」
「さぁ。なぜだろうな」
相手は――ひょうひょうとそんなことを言っている。
それから、攻撃を返してくる。
――自分と、同じ速度で。
それそのものが、異常事態。何故だ? まだこの女は何らかの力を隠していたというのか? 一体それは何なのだ、なぜだ、なぜ。
――なぜ自分が、ここまで必死に戦っている……!?
持てる力のすべてを使って、苛烈な攻撃を仕掛ける。コンマ数秒以内に。しかしこの女はすぐに次の手を打ってくる。その繰り返し。彼は焦り、困惑し――怒りを覚える。冷静さなどそこにはない。極限の戦い。女は目に見えて消耗している。決してダメージは少なくない。だが……既に、自分の有利はなくなっている。勝負は互角、いや、もしかすると――。
「認めん……こんなものは認めん……こんなものは」
「食事じゃあ、ない、と? そいつはそうだろう、大将…………」
そこで女は――フェイは、凄んでみせた。
「こいつは……戦いなのだから……!!」
「……――っ!!」
熾烈な打ち合いが続いていく。
――彼は、その裏にある真実に気付いていない。
……気付くはずもない。
◇
「まさか……奴は――……」
チヨがあっけにとられたように言う。
その目は勝負に向けられており、信じられないものを見ているかのように開かれている。
「そうっス……全部が、微妙なタイミング……合わなけりゃ、勝てなかった……」
キムが、ぐったりしながら呟く。
「無茶をする奴だ、お前は……」
「そうでもしなきゃ、あいつにまともに勝つなんて出来ないっスよ……」
「それにしても……無謀すぎだ、たわけが」
そう――はじめから、それは分かっている。
だが、そういう作戦だった。
繊細さよりも、大胆さ。
慎重よりも、無謀が求められる時がある。それが、今だ。
だから、彼女はそれをやったのだ。
「まさか――気付かないでしょうね」
グロリアが言う。彼女でさえもはっきりと分かる差異。
「フェイが互角に戦えるようになったんじゃなくって、自分がフェイのレベルに落ちてるだなんて」
そう――そのとおりだった。
高速の応酬などどこにもなかった。
そこにあるのは、ごくごく普通のカジノで取り交わされる程度の速度で行われる戦い。
……超人は、そこに居ない。要るのは、二人の人間だけだった。
だが、それにスキャッターブレインは気付いていない。
自分が、能力を奪われているということに気付いていない。
「彼を怒らせた……そのタイミングで、室長は
「後は純粋に――強いほうが、勝つ……!!」
彼女たちの目の前で――フェイは、力を使った。
その証拠が展開されている。熾烈に、猛烈に。
◇
「っ……!」
己の腕に自信はあった。
彼は能力を手に入れてからも奢ることなく研鑽を積んだ。純粋な一人の指し手として技術を得てきた。だから……負けるつもりはなかった。
この期に及んでも彼は、心が折られていなかった。
むしろその内側にある炎は燃え上がり、彼を勝負へと熱中させた。
鼻から、わずかに血が垂れる。
向かい側を見る。
……口の端を歪めて、笑みを浮かべる。
「そんなものか……お嬢さん……」
「そちらこそ……ずいぶんと速度が落ちているが……?」
彼女は言葉を返してきた。
だが、その語気に力はない――精一杯言い返してくるだけだ。
まだだ……勝機はこちらにある。
絶対に負けない――!
彼は……持ちうる力を最大限に使って、勝負を加速させた。
盤面の拡大は続く。そこに追いつくことはできなくとも、彼は勝負を投げ出さなかった。
しかし、だからこそ。
その『変化』が起きた。
「……何」
空気が震えた。
最初に感じ取ったのはチヨで、その次はミランダだった。
彼女たちは視線を、フェイから赤黒い天井へと移す。
肉襞がざわめいてうごめき、蠕動した。
ぬらりとしたその狭間から、ずるずると何かが落ちてくる。かさぶたが剥がれ落ちるように。
「ちょ、ちょっと何よ、何よ何よ何よっ!!」
グロリアが狼狽した。
だが、無理もなかった。実に気味の悪い光景。
「シイイイイイイイイイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「フシギだなあああああ、フシギだなあああああ!!!! フシギだなあああああ!!!!」
……それはジェニングス兄弟。
それから、同じように響いてくる奇声の群れ。
ふつふつと襞がめくれて、そこから大量の何かがはいでてくる。兄弟と一緒に。
そいつらも皆――異形であり、武装していた。
枷の外れた化け物たちが……地面へと舞い降り、解き放たれていく。グロリア達の眼前に落ちてくる。
「なんで!? どういうこと――」
「……おそらく」
キムが、力なく言う。
「……室長が力を使って……あいつの能力が制限されたことで……この空間の効力も弱まってきてるんだと思うっス……だから、あいつが隠し持っていた……『おもちゃ』たちが……」
「あんな……あんな数が居るのか」
シャーリーは驚愕と共に、前を見る。
その数は増え続けていく。
二人、四人、六人……十人はくだらない。
まともな思考を奪われて、芋虫じみた奇怪な運動ばかりを繰り返す怪物たち。
……スキャッターブレインの『食事』の果て生み出された、食いカス達。
「許せないな……あんなふうに」
シャーリーは拘束の下で拳を握る。
「許せないっったって……」
彼らは迫ってくる。
「シイイイイイイイイイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「フシギだなあああああ、フシギだなあああああ!!!! フシギだなあああああ!!!!」
その武装を鳴らして威嚇しながら。
「どうすんのよ、あたしらこうして捕まってるわけだし、動け――」
「動けるわよ」
ミランダが言って、銃を構え――撃った。
粘り気のある音とともに、肉が弾ける。
ぼとぼとと触手が床に落ちると同時に、チヨの拘束が解除された。
気付いた彼女は――すぐさま、シャーリー達にカタナをふるった。
「ぎゃっ、あんた何し――!?」
グロリアとシャーリーが解放される。
敵は迫ってきている。
「あんたっ、なんでそれを最初にやらなかった、このアホ!!」
「面倒くさかったのよ。翼が痛くて痛くて」
「あぁ!!??」
「何よ、助けてもらっておいて文句を――」
「ちょっと、今そんなこと言ってる場合じゃ……」
「たわけどもがっ、後にしろ!!」
チヨが一喝する――皆、前を向く。
……奇声を上げて、取り囲んでくる者達。
確実に包囲しつつある――このまま、何もしなければ。彼らの仲間入りを果たすのだろう。
このまま、何もしなければ。
「なんだと……」
フェイは後方を振り返って、その光景を目撃した。
思わず漏らす声には狼狽が混じる。
「どうした? ――……あぁ、私としたことが。珍しく、ギャラリーが欲しくなったようだ。私としたことが。本当に珍しい」
「貴様……」
フェイの出番だったが――停滞する。
そこに、声。
「どこを見ている、くそたわけ。しっかり前を向け。お前の敵は、どこに居る」
チヨの声だった。
彼女は――彼女たちは。
「……しょうがないわね。やるか」
「やっぱりこうなるんですか……」
「当たり前よね。キム、立てる?」
「な、なんとか…………っ」
迫る者達に対して、戦いを開始しようとしていたのだった。
「お前たち……」
「ここは任せろ。文句なら後でいくらでも言ってやる」
フェイは、何も言葉が出なかった。
……彼女たちにダブって、何かが見えた。そう――過去に見た何かが。
そこへ、更に言葉が飛んでくる。
「――……それともなんだ? お前が雇った者達の力を、お前自身が信じないのか??」
「……!!」
その言葉だけで、十分だった。
フェイは、焦燥感に駆られるようにして――前を向いた。
後方から、けたたましい戦いの音色が奏でられ始める。
「シイイイイイイイイイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「フシギだなあああああ、フシギだなあああああ!!!! フシギだなあああああ!!!!」
「うるっっせえええええ!!!! 邪魔だおらああああああ!!!!」
「先輩も大概うるさいんですけどっ……オラアアアアアアっ!!!!!!!」
「ああ……銃の手入れが大変になるわ。不幸だわ」
それらを、背中で聞きながら――フェイは、深呼吸をする。
……閉じられた目を、再び開くと、そこにいるのはスキャッターブレイン。
彼女は2本目のタバコに火をつけて咥えて――。
「……すまない。再開しよう、ミスタ・スキャット」
次の手を打つ。
――ぱちり。
粘ついた空間の中に、乾いた小気味良い音が、まるで鐘のように鳴らされた。
◇
目の奥で、炎が見えた。
飛蚊症――それに似た何か。過去から、自分を責め立てるように燃え続ける。
彼女はその脈動を感じながらも、戦いを続けている。
勝敗は……そう遠くないうちにつく。
それまで、耐えろ、耐えろ、耐え――……。
「げほっ……」
……真っ赤な血。
生ぬるい感覚が喉を通って、盤面を汚した。
血というのは意外なほどに茶色いのだな、と現実感のない頭で考える。
「キイイ……」
……しもべの女が、歯ぎしりしながら汚れた盤上に近づき、非難に満ちた姿勢をフェイに対して取る。主人の大切な『狩場』を穢したことに怒っているのだろうか。
だが、スキャッターブレインは彼女を手で制する。そして、言った。
「どうした、死にかけだぞ」
どこか面白がるような口調。
反論の余地はない。自分でも滑稽だと思う。この状況下。
……その中で自分は未だに戦っているのだから。
「はは……その通り、その通りだとも…………」
彼女の瞳の奥で、更に炎が大きくなった。
頭の奥に……熱さを感じた。
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