#3 砂を噛むように

「何故、この期に、などとは聞かん」


 チヨがそう言って、盤の向かいに座っているチヨを見た。

 彼女は……力なく笑った。


「へへ……やっぱりバレてたっスか」


「当たり前だ……たわけが。電話料金が倍だぞ、これだけのために」


 ……そう。

 携帯は、シャーリーが持っていた。

 『本物を』。



「……これはこれは。新たなお客さんというわけだ」


 スキャッターブレインが、不快なほど湿度を含んだ拍手で新たな二人を出迎えた。


「というか何よここ、気持ち悪っ……!?」


「ぎゃはは、あんたでも駄目なんだ、いい気味よ」


「何よ、この――」


「……しかし、不愉快だな。どうして、と聞かずにはおれない」


 彼は――手を上げた。

 すると、頭上の脳触手がぬらぬらと絡み合い、一つの大きなモチーフを練り上げる。

 巨大な人差し指。フェイを指し示す。威圧する如く。


「何故、君からもディプスの匂いがする?」


 ――本質的な、問いかけ。


「……」


 フェイは、ふらついたままそれを見て、次に、キムを見た。

 それから、臆することなく――言った。


「こういうのはどうだ――……全員をここから脱出させてくれたら、答えてやる」


「……」


 スキャッターブレインが、フェイを睨みつけた。その脳細胞で。

 フェイは……ガクガクと震えたが、そこに浮かんでいるのはいつもどおりの冷めた笑み。ここに居るのは、いつもどおりのフェイ・リーだった。


「……世の中、そううまく運ぶものではないと思うが?」


「同感だ。ならばどうする? どのみち気になるんだろう――我々のことが」


 肩をすくめる。

 二人は――沈黙する。

 キムが、フェイの様子を見ていた。


「……ふむ」


「さぁどうする? 勝負師さん。その子からはもう何も搾り取れないと思うが」


「――力づくで、答えさせると言ったら?」


「断るね。当然後ろの連中も、教えまいと舌を噛むだろうさ」


 後方でシャーリーが何やらいいたげな様子だったが、珍しくグロリアが制した。チヨは黙ってやり取りを聞いている。


「ああ――分かったぞ。つまりこういうことだ」


 スキャッターブレインが、少し愉快そうに声を高くした。


「君は、私の向かい側に座っているこの少女の仇討ちに来たわけだ。そして今、最も確実な意趣返しの形として――私との勝負を所望している」


 キムとフェイの……目が合った。

 少し、細まった。


「そういうこと、かな。どのみち我々は正攻法で貴方を倒してここから脱出することは出来ないし、貴方は貴方で、我々の正体をなんとかして知りたい……選択肢は、はじめから一つしかなかった……というものだぜ」


「ははは! そうこなくては……――リバーシの経験は?」


「ガキの頃と、大学で飲み仲間と少々。あぁ、安心しろ――イカサマは大得意だ。勝負に刺激はあると思うぞ」


 スキャッターブレインは、これまた愉快そうに喉を鳴らした。不快な音。


「これは面白い、今までになかった展開だ。この私が……勝負を『せざるを得ない』状況にさせられるとはな!! 私の脳細胞にさらなる刺激が与えられるというものだ」


 そして彼は、そこで声を一段下げて――言った。


「だが……前提として。君はこの私に正面から挑まなくてはならないし、私も君たちについて容赦なく尋問していく。泣こうが喚こうが、続行される。それでもいいね?」


 フェイは……うなずいた。力なく、だが、確かな熱を持って。


「ふむ……重畳だ」


 スキャッターブレインは指を鳴らした。

 傍らに控えていた女がそろそろとそばを離れると、キムのところに行って椅子に触れた。 

「……っ」


 彼女はぐったりと椅子から離れ、倒れ込む。


「キム…………」


 フェイがふらふらと彼女のところまで歩いていく。

 ミランダが支えに行こうとしたが、手で制した。


「自分で歩けるさ」


 そして、キムのもとへ。


「遅いっスよ……この、気取り屋の秘密主義者が……」


「もう喋るな」


 そして、荒く息をつく彼女を助け起こすと、一緒に進んでいく。グロリア達のもとへ。


「……」


 チヨは黙って見ていた。その様子を。

 ――ミランダも居るのだから、そのまま全員でかかれば勝負などわざわざしなくても、とはもはや言わなかった。


 ……フェイには勝算があるのだ。確実な勝算が。

 それを分かっていて、キムは……今、自分たちの傍に寝かされたこの女は……。


「フェイ……ふらふらじゃない、無茶よ! こんなの……」


 グロリアが言ったが、フェイは取り合わなかった。

 壁にもたれさせられたキムが、何かを言おうとしていたからだ。


「…………」


 スキャッターブレインが、そこへ高速で触腕を差し向けた。まっすぐキムとフェイに伸びてくる。キムはフェイの耳元で、何事かを囁く――。


「……させない」


 ミランダが銃を構え、撃った。触腕は穿たれ、妨害は立ち消えになった。


「なるほど……」


 同時に――フェイが立ち上がった。

 キムの言葉を、しっかりと聞いた。


 そして、スキャッターブレインの方に向く。

 彼は……何かを測るように、こちらを見ている。スキを見て刺殺してきそうな、油断のない在り方。それこそが脅威であり、キムを倒した原因。だが、ここにフェイが居る。


 フェイは、彼の方に歩いていく、歩いていく。

 ……下僕の女が、椅子を空けた。

 スキャッターブレインが、肩をすくめてその椅子に指を向けた。


 フェイは、ふっと笑い、そこに座った。



「キム……」


 チヨは、簀巻きにされた奇妙な格好のままで、壁にもたれている彼女に声を掛ける。


「ああ――チヨさん、心配なら、あたしじゃなく……」


「お前は奴に――フェイに、何を吹き込んだ」


 肩をすくめる。

 それから、答える。


「勝算っス。室長が、この勝負に勝つための」


 そこで、チヨは黙った。

 しばらく彼女は考える素振りをみせた。

 ……そこから、妙に合点がいったような、同時に、苦虫を噛み潰したような奇妙な表情になって、言った。


「お前の戦いは……そのためのものだったということか」


「そーいうことっス」


「全く、無茶苦茶やるわよね」


「ほんとですよ。ボロボロじゃないですか……!」


「……狂気の沙汰よ」


 グロリア達も呆れた声を出す。

 ……しかし、安堵していた。

 キムは、生きてここに居る。すっかり憔悴してしまったものの。


「……ならば」


 チヨが……前を見る。

 ぼろぼろになったキムから、視線を外して、言う。


「……見届けさせてもらうぞ。お前がそこまでして信じた、あの女のゆくすえを」



「さぁ――始めようか、色男」


「化粧なら、落としておいた方がいいぞ。この戦いが終わる頃には、君は白痴になっている」


「悪いが」


 フェイは――後ろを、ちらりと見た。

 ……皆が、こちらを見ていた。


「わたしは、負けない」


 ちりちりと頭の中でくすぶるように、過去の情景が繰り返し流れていた。

 それは現在の彼女たちと共に、フェイを急き立てていた。


 ……戦え、そして勝て。お前の夢を守るために。



 ――フェイと、スキャッターブレインの勝負が開始された。

 それははじめ、機関車がゆっくりと始動するように緩慢に始まった。


 それから、数分。

 ……速度は、徐々に上がっていく。

 ぱちり、ぱちりという音だけが聞こえる。


 フェイの口は、しきりに動いていた。

 スキャッターブレインと――会話している。

 まるで、楽しむように。


 ……その様子は、一見すると普通の盤上での勝負に過ぎなかった。

 だが――既に、キムの戦いを見届けた者達であれば、分かる。


 ――危険だ。

 フェイの動きは、明白だ。一つの目的のもとに動いている。

 彼女は――あえて、勝負を長引かせようとしている。


「奴は……どうやって勝つつもりだ」


 当然の疑問。


「勝つんじゃ、ないっスよ」


 キムが言った。チヨが、顔を向ける。

 彼女は、力なく……しかし、確かな確信を込めて、言った。


「『負かす』っス」


 チヨはしばらく、頭の中でその言葉を弄んだ。

 それから、問う。


「その2つが、どう違う」


「――見てくださいっス、敵の表情を」


 勝負のスピードが上がる要因は、心理的なものだ。

 どれだけ長考を行おうとしても――向かい側の異形のプレッシャーは、急き立ててくる。『はやく次の手を』と。フェイ、キム以前の二人はそれに負けた。そして、自ずから思考時間を短くして駒を打つこととなってしまった。だが、フェイは違う。彼女は考えて、打ち込んでいる。


 だが、それでも――加速していく。

 勝負そのものはキムから交代してリセットしていても……スキャッターブレインの精神が、完全にクールダウンしているわけではない。

 見れば、明らかなことだ……。


「冗長な筋運び、無為な戦法、まるでやっていることが見えてこない。勝つ気があるのかどうかすらわからない」


 盤面では――白が激しく攻め立てている。そのたび、黒はやり返す。だが、完全な報復には至らない。版図は白が優勢で、黒はその彼岸でまだらのように蠢いているだけ。そのたびに盤が拡大され、更に勝負が不明瞭になっていく。

 そう、白が確かに有利だった。誰の目から見ても。


 だが――。

 スキャッターブレインの態度は、愉快そうに見えなかった。

 口を開いて、フェイと会話した。

 優位に経とうというように。自分の立場をはっきりと示すために。


 それは、成功しているように見える。

 フェイは、追い込まれている。だが――。

 ……彼女が口を開き、彼の問いかけに答えるたび。

 彼は……その手を、僅かながら鈍らせる。


 そして、それに気づかないキムではない。

 だからこそ、彼女に託したのだ。


「そりゃそうだ、フェイさんははじめから――勝負自体に勝つ気なんて、ないっスから」


「……!! まさか」


 遅れて……チヨも気付く。


「なるほど、そういうことね」


 ミランダも。


「あーんた、タチ悪いわよ、キム」


 グロリアも。


「えっ?? えっ??」


 シャーリーだけピンときていないが、無視される。


 ――教え給え、君たちは一体何者なのか。

 ――さぁ、ペルセウス座の宇宙人か何かじゃないか?

 ――指先が震えているぞ。はやく答えたほうが身のためじゃないか。

 ――厭なこった。

 ――ならば勝負を続けるまで。知っているか。君は確実に追い詰められている。そして敗北する。

 ――そうかい。


 そんな会話。連続的な打ち込みの合間合間に聞こえる。

 加速していく。加速していく。

 ――キムのときとは、段違いに。


 スキャッターブレインは、既に享楽的な態度をなかば捨て去っていた。

 狩人は――余裕のある時にしか、狩りを楽しまない。


 フェイは煙草を吸う。たっぷりと。

 その狭間――キムの仕掛けた罠が、開示される。


「あいつは――苛立ってます。あたしと会話して、それであたしのことを知ったと思えば、今度は別の『ディプス』の気配を持った奴がやって来て……惑わせてくる」


 まさにそれが、現在のスキャッターブレインの状態であった。


「何が言いたい――」


「つまりですね、チヨさん。こういうことです。彼が苛立った状態のまま、戦いは続けられるんスよ。何故って……敵のプライドは、そりゃもうガチガチに硬い」


 直接交戦したキムだからこそ、分かることだった。


 ――……いい加減に、吐いたらどうかな。君の正体を。君はどんなふうに、ディプスに紐付けられている。目が淀んでいるし、手元も震えているぞ。もう長くはないんじゃないか?


 ぱちっ。


 ――女の身を勝負中にまで案じてくれるとは、とんだ色男だな。素晴らしいよ。


 ぱちっ、ぱちっ。


 ――減らず口を。

 ――よく言われる……苛立ったか?

 ――あぁ、苛立っているとも。不愉快なことにね。


 ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ。


 ――子供なんだな。

 ――なんだと。

 ――そんなのでは、浮かばれないだろうに、あなたの――……。


 ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ。


「だからこそ……一点を突けば、簡単にその牙城は崩れる」


「……」


「さぁ――今っス、室長ッ!!!!」


「――あなたの、『バラのつぼみ』が」


 ……スキャッターブレインの。


「…………ッ!!!!」


 態度が、一変した。


 彼の背後から、大量の肉触手が奔流のように前方へと流れた。それらはすべていびつな手を形作り。


「っ!?」


 フェイの身体を鷲掴みにする。彼女の身体は荒々しく振り回されながら、前方へと強制的に引き寄せられる。少し服が破けて、血が流れ出る。

 それから。


「…………やぁ。顔が近いな、大将」


「貴様…………――――!!」


 スキャッターブレインの不快な声音に、はっきりとした焦燥と怒りと困惑が滲んでいる。フェイは冷や汗をかいていた。彼のおぞましい見た目に、なんとかして耐えているというように。ほんの少しでも揺さぶりを加えれば、たちまち発狂してしまいそうな……ぎりぎりのところで、彼女は耐えていた。強がりの笑みを浮かべながら。


「何故その言葉を知っている。どこで知った、吐け……さもなくば」


「さもなくば、なんだ……?」


 ……彼女は、引きずり込まれたままの状態で煙草に火を点けて、挑発する。


「この場で、貴様を――」


 ……触手によって、煙草が叩き落とされた。

 彼の向こう側に消えて、煙の名残だけが漂う。


「――それはあなたにとって、プライドを折ることにならないか? あなたの総てを」


「……」


 二人は、睨み合う。



「奴の……正体……分かったっスよ……」


 フェイの耳元で、キムが力なく言った。


「奴が、『大崩壊』に大きな恨みを持ってるのは、間違いない……そして何より、その原因であるディプスを憎んでます……」


 彼女の声に、耳を傾ける。


「その心を、脆くするのは簡単っス……――キーワードは、『バラのつぼみ』……奴の過去に空けられた、小さな穴……それが、その言葉っス……」


「間違いないのか? キム」


「吹かせないでくださいっス、フェイ・リー……これで嘘だったら、バカみたいにボロボロになった意味がないじゃないっスか。信じてくださいよ……これまでと同じように」


「……――!!」


 そして今。

 キムの仕込んだ毒薬は――フェイの手によって、スキャッターブレインに作用したのだ。



「なるほど……」


 スキャッターブレインは。


「なるほど、なるほどなるほど、なるほどなるほどなるほどなるほど!! はははははは!! こいつは傑作だ!! まいった、こんなに愉快な気持ちになったのははじめてだ――……ああ、私の全存在が、またぐらがいきり立つぞ!!」


 哄笑した。

 その不愉快な甲高い声が、空間全体に響く。その瞬間、全面に塗りたくられていた赤黒い肉が脈動し、同じような笑い声を発し始める。機械的な収縮運動とともに。狂気の光景――……。


「な、何よ何よ――」


「…………ッ」


 がらくたのように捨て置かれていた死体たちが襞の中に呑み込まれて消える。地面は安定性を失い、絶えず脈動を開始する。


「さぁ――挑戦者よ! 私の脳にかつてない刺激を与え、そしてさらなる進化をもたらしてくれる産婆よ!! 歓迎しよう――ここからが、本当のゲームだ!!」


 怒りと歓喜がないまぜになり、彼は叫んだ。フェイは開放され、その触手により向かい側の席に座らされた。スキャッターブレインの傍らの女が泡を吹いて倒れる。その股は黄色い液体で薄汚く汚されている。彼はそれに目もくれない。


「一世一代の食事を!! 始めるぞッ!!」


 その感情のままに、戦いが再開された――!

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