#2 チェイシング・イエスタデイ(2)

 その時、彼女は夢の続きを見ていた。




 『第二のキルドーザー』は、彼らの立ち回りで決着が着いた。

 街に広がっているのは瓦礫の山だったが、それでも被害は最小限に抑えられた――あとは警察が、事後処理に四苦八苦することだろう。

 だが、そこまでは彼らの仕事ではない。


「かぁ~~~~~~ッ、終わった終わった!! さっそく酒を浴びようぜ、みんな!!」


 ドアを開けて彼らが事務所へなだれ込んでくる。最初にそう言ったのはシドニーで、後に他の皆が続く。


 ……皆、傷だらけだった。疲労と痛みが、色濃く現れていた。

 だが、夕闇のまどろみの中、雑然とした室内に転がり込むように戻ってきた彼らの間に漂っているのは――確かな充足感と、達成感。


 第八機関は――今日も、世界を救ったのだ。


「ヴォルフ、エアコンつけてくれや」


「……分かった」


「ひーっ、老いぼれに無理させるわい、全く…………おいデビー、ケツを――」


「二度と喋れないようにしてやろうか、ジジイ」


「なぁ、俺この後女の子に会いに行っていいか?」


「はぁーー?? お前、今日は付き合えよ。どうせ明日も明後日も会うんだろうが」


「違いないな」


「教授、何をお飲みに?」


「そうだな――私はハイランドにしよう。思い切り、ピートのきつい奴をな」


 ……皆、思い思いのことを話しながら、自由に振る舞っている。

 この組織の中で、最も満たされた時間といえば、やはりこの時になるのだろう。


 ――誰に感謝されることはなくとも、窓から見える夕日が美しい。それでもって、ピザとバドワイザーが最高にうまい。

 そいつが、なによりだ。


「……」


 フェイは、そんな彼らを見ていた。

 体中が痛い。泣きそうだ。もうこんな仕事やめてしまいたい。そう思った瞬間が、今日この日に何度訪れたかわからない。


 だが、彼らの姿を見て……猥雑でやかましい彼らの笑い声を聞いて、こみ上げてくるものは。


「……やった」


 彼女は……こぼす。


「私達…………この街を、世界を、救ったんだ…………」


 その、実感だった。全身を貫いて、痺れさせる――。


「……な?」


 傍らに寄り添って、ささやく。

 アリス。微笑みがふっと香った。

 彼女もまた、傷ついていた。その美しい髪がほつれていた。だが、その姿こそが、彼女を輝かせている。


「だから言うたやろ? ――病みつきになるで、ってな」


 ……その表情につられて、フェイもまた、笑顔になった。


「ははは、何詩人になってんだ? そこの二人も来いよ!!」


 ソファにどっかりと腰をおろしたシドニーが上機嫌で叫んだ。

 既に半分ほど『出来上がって』いる。


 ――二人は、顔を見合わせる。

 アリスが、フェイの手を引っ張った。


「わわっ……」


「あんたら、覚悟しときや――今日はとことん飲んだるさかいにっ!!」


 そして二人も、酒宴に加わった。



 ……夜が更けても、宴は続いた。任務が終われば、いつもこうだ。

 だが今回は、少しばかり事情が違う。


 フェイの、本格的な初仕事という条件付きだ。

 ……酔い具合が、皆違うというわけだ。


「フェイ……フェイ、向かい側に…………座りなさい」


 その条件がついたことでもっともわかりやすく変化したのは、教授だった。

 彼は肩をふらふらと揺らしながら、表情だけは神妙に保って、フェイをソファの向かい側に呼んだ。


 無論その間に横たわるテーブルには大量のピザやジャンクフード、酒の山。みな、思い思いに好き放題取っていっている。


「……」


 フェイは、まだそこまで酔ってはいない。その視線はいつもアリスを探していたが、今回は教授に固定されてしまった――彼は、ひどく酔っている。


「私はな、フェイ」


 そこで彼は言葉を切って――。


 堤防が決壊したかのように、涙を流し始めたのだ。


「きょ、教授っ!?」


「また始まった……」


 デビーがカクテル片手に、呆れたように言った。フェイは慌てふためく。


「私はな、フェイ……フェイっ、お前を大学時代に見初めて、警察時代にスカウトして……本当に、本当に良かったぞ……良かったぞおおおおおおお…………!!」


 彼は号泣しながら語った。何が何やらわからない。

 シドニーは爆笑しながらその様子を見て、ヴォルフは部屋の隅でひたすらベンチプレスをこなしている。グッドマンはどこかに行ってしまったし、ヴァン・ウィンクルは酒臭い息を放ちながら豪快に眠っている。そんななかで、教授はひたすらにフェイの働きを褒めちぎっている。それが、耳の穴から反対側に抜けていく。アリスはどこに行ったのだろう。


 ……だが。

 その感じは、フェイにとって、嫌ではなかった。


 宴が進んで、馬鹿騒ぎもやむことなく続く。外で女を引っ掛けていたらしいグッドマンが戻ってきて、また頬を腫らしていた。それを見たシドニーが笑ったが、今度はストレートパンチで返される。そこから乱闘の始まり。爺さんは起きて、数十年前の記憶と混濁したまま亡き妻の話を始める。デビーのところにソファが飛んできて、キレた彼女が乱闘に遠くから加わる。その中でも、教授はフェイの思い出をくだくだと続けている。


 フェイは……それらすべてを、ぼんやりとした目と心で見る。酔いは進んでいた。

 彼女は――あらためて、実感する。


(私の……私達の力で……世界を救ったんだ…………)


 じわりと、あたたかさが心の内側へと広がるのを感じた。



 深夜0時を回っても宴は続いていた。


「おーいフェイいいいい、どこ行くんだあああああ~~~~」


「ちょっと……お手洗いに」


 シドニーが酒臭い息を吐きながら絡んできそうになったため、笑みを浮かべてその場から逃げ去る。

 饗宴は遠くへ。だが、後ろにしっかりと感じながら……洗面台に立った。

 ドアを閉めると、うるささが少しだけ中和される。


 小さな窓からは夜の光がほんの少しだけ入ってくる。

 この静けさの中にこそ……達成感というべきものが滲んでいるような気がしてならなかった。


 フェイは、その静寂を受けながら静かに鏡に向かった。

 手と、顔を洗う。そうして一呼吸置いたら、またあの仲間たちに加わろう。時間はいくらでもある――……。


 そこで気付く。

 洗面台の端に、煙草とライター。

 誰かの忘れ物――。

 ……誰のものであるのかは、すぐにわかった。


 アークロイヤルのアップルミント。

 アリスのものだ。


「……」


 少しだけためらった後、彼女はその一本を咥えて、火をつけた。


 すっぱーーーーーーーーー。


 煙を肺の中に入れて目をつぶる。

 どこまでも、深く、深く。


 ……そうして、一通り吸った後。

 彼女は――目を開ける。


「……?」


 違和感があった。


 煙が晴れて、はっきりした。


 目の前に居るのは――鏡に映っているのは、まるで違う姿の自分だった。




 髪も短い。

 ストライプのスーツを着ている。すっかり世に倦んでいる表情。

 誰だ――お前は誰だ? 私なのか?


 混乱する――心が一瞬にして冷え切って、煙草とライターを取り落とす。

 硬い音が反響して、更に気付く。


 ドアの向こう側から――喧騒が消え去っている。


「みんな…………!?」


 慌てて手洗いを出る。

 そこで全てが起きている。


 事務所は真っ暗だった。そして静寂があった。外からはサイレンの音が響いていた。

 そこに、皆が居た。

 だが、誰も何も言わなかった。動かなかったのだ。

 引き裂かれたソファ、引き倒された家具。嵐が過ぎ去ったかのように。


「……ッ!!」


 足を踏み入れる。

 何かを踏んだ。

 厭な感触――見る。

 声を、失う。そこに倒れていたのは、シドニー。うつろな目をこちらに向けて死んでいる。

 叫び出したい衝動に駆られる中、室内を走査する。


 皆が居た。

 皆が死んでいた。

 デビーはその美しい顔を黒焦げにされて横たわっている。ヴァン・ウィンクルは顎から下を引き裂かれて倒れ込んでいる。ヴォルフはその全身に銃痕を穿たれて死んでいる、ざくろのように。教授はその胸に何かを突き刺された状態でうずくまり、動かない。グッドマンは、ここにはいない。


 誰も何も言わない――こちらを、見ることもない。


「なんで……何、何よこれっ…………――――!!」


 パニックになって頭を押さえて、部屋をさまよう。何度も何度も往復する。

 ……そのうち、もう一つの事実に気づく。


「……アリス…………!?」


 彼女は、部屋を飛び出した。

 ――死の匂いが満ちているそこに、静寂とサイレンが響いている。


 ……フェイがビルを出た直後、轟音が響いた。

 直感として、熱さを感じる。

 耳をふさいでいた手をとって、目を開ける。今のは爆発か何かだ。では、目の前に広がっているのは。


 炎の海だった。

 ロサンゼルスが。ダウンタウンが、炎上している。

 ガラスは割られ、街路樹は引き倒され。車が横転している。

 何もかもが破壊されている――そのただなかに、遠雷のように響く爆発音と、なおも続くサイレン。

 なんだこれは――なんなのだ?


 チリが飛んできて肌を焼く。

 その痛みさえどこかに飛んで、フェイはストリートを彷徨った。あらゆる場所に『落ちている』干からびたミミズのようなものがなんであるのかは、容易に想像できた。


「……っ」


 口を押さえて、吐き気を抑制する。あてどなく歩く。

 これは何だ――何が、アンダーに起きている……?


 そして、見つける。

 炎を目の前にして、佇んでいる後ろ姿。


「アリス――」


 駆け出して、追いつく。問う。


「これはどういうこと、私には何も――」


「……嘘っぱち、やった」


 アリスはそこで、振り返った。

 陽炎に照らされたその顔が顕になる。


 彼女は……虚無の表情に染まっていた。

 魂と呼べるものがすっぽりと抜け落ちていて、ただ2つの美しい空洞がフェイを見ていた。それから、言葉が続く。


「嘘っぱちやった。何もかも。あかん言うんか。夢を見るんが、あかん言うんか。そやねんやったら……」


 滔々と呟かれる。

 炎の被害は広がっていくばかり。周囲に生命の気配はない。皆が死んでいた。


「わからない、わからないわ、アリス。あなた、一体何を言って……」


「フェイ…………うちはな。目が覚めた。はじめから、なかったんや。夢なんて。楽しい時間なんて。無限に続く思ってたけど、間違いやった。だから今、こうなってる。そして――あいつらがいる」


 彼女は髪を乱しながら背を向けて、再び、炎を見た。

 その赤い海原の向こう側。

 ……フェイにも、見ることができた。

 アリスの言った、『あいつら』。


 炎の海の中に浮かんでいて、全ての惨劇を見下ろしている複数のシルエット。

 同じような姿形であるはずなのに――何もかもが違って見えた。

 そこに佇んでいるのは、圧倒的な存在感と威圧感。あれはアウトレイス? 違う、では何だ、息が詰まる、吐きそうになる。


 ――ただのアウトレイスが、あんなふうに恐ろしく見えるはずがない。


 ……フェイはうずくまって、嘔吐感を堪えた。恐怖からか、失禁しそうになる。その影たちを見るだけで、何もかもが砕けてしまうようだ。あれはなんだ、なんの化物なのだ。だが、これだけは分かる。


 揺らめく炎の向こう側に居る『奴ら』こそが……この惨禍を引き起こしたのだ……。


「駄目……逃げよう、アリス……これが夢なら、二人で逃げてしまえばいい。だって……これが現実なら、あんなこと……あんな……――」


 死んでいる。皆が死んでいる。

 苦楽をともにした仲間たちが。

 矛盾と歪みを分かち合い、共に向き合っていく覚悟が出来た者達が。

 物言わぬ汚物にまみれた彫刻になって、古巣に積み重なっている――。


 あんなものが……。

 ――


「アリス、――」


「……フェイ。悪いけど」


 最後に彼女は――こちらを向いて、微笑んだ。

 いつもどおりの笑顔。炎に照らされる。


「うちは、そっちには行かれん。だから」


 ああ、分かる。

 彼女が何を言おうとしているのか、分かってしまう。


「アリス……」


 複数の影に向かい合う。

 その声音に、凄みが宿る――殺意と同化したそれが。


「お別れや、フェイ……ほんならな」


「待って……行かないで」


 しかし、アリスは。

 歯を食いしばって……。


「ディイイイッ…………――――プスゥーーーーーーーッ!!!!」


 叫び、駆け出した。髪を振り乱して、怒りの塊となって。

 その瞬間アリスの身体から『ちから』がほとばしり、突風が沸き起こった。

 それは炎を撹拌して、フェイの目の前に立ちふさがる真紅の壁になった。


 熱い……それ以上に感じる、彼女の力を。ああ、忌々しいと言っていたその力……その根源を彼女は恨んでいる、そして今。


 彼女は、あの影たちに向かっていった。

 嘲笑するように立っている、巨大にさえ見える存在感を放っている複数の黒い影。

 憎しみを込めて叫ばれたその名を持つ者の、忠実なしもべたち。

 この街のすべてを、炎の中に落とし込んだ者達。

 アリスはそこへ向かい、そして、絶叫とともに、消えていった。


「…………ぁ」


 炎の壁の前、何もかもが見えなくなる。

 その中で、フェイは膝をついた。

 熱いすすが頬を焦がしても、気にならなかった。

 彼女の中から何かが溢れ――迸った。


 ……彼女はその瞬間、全てを失った。


「ッ、あああ……――――」


 フェイは叫んだ、喉が枯れるまで叫んだ。


 炎の中、フェイ・リーは変容した。




「ッ……――!!」


 彼女は飛び起きる。

 光景が目に焼き付いていた。

 周囲を見る。自分が目を覚ましたことに気づき、今がどこのいつであるのかを知る。


 ――2018年。ロサンゼルス、アンダーグラウンド。あの時とは違う。

 だが、この場所はそのままだ。


「あなた……」


 傍らで、驚いた顔をしている。

 ミランダがこちらを見ていた。

 彼女を一瞬だけ見てから、ベッドから抜け出そうとする。


「呼んでいる……あいつらが」


「そうよ、ちょうどあなたを起こそうと……連絡が入って……どうしてわかったの?」


 ミランダの問い。

 だが、フェイは答えず――続けた。


「――……すぐに行くぞ、ミランダ」


「ええ、でも……どうして、」


 フェイは叫んだ。


「はやくッ! 間に合わなくなるッ!!」


 いつもの飄々とした様子はそこにはない。

 あるのは、一人の、過去に縛られた女の必死の形相。


「フェイ……」


「くそッ…………」


 そこで、フェイはスマートフォンを操作する。

 とある番号を呼び出し、電話をかけた。

 ――待っていたかのように、相手は出た。


『起きたのか……フェイ』


 グッドマンの声。


「ああ――頭が痛い」


 なぜ、彼がここまで落ち着き払っているのだろう。ミランダには分からない。

 少なくとも、今の第八機関に所属している者は、誰も。


『夢は――見られたか』


 あの日――フェイは、全てを失った。

 そして彼女とグッドマンは、天と地を分かつ塔の下で別れた。

 互いの視線の色を、はっきりと覚えている。

 同じ喪失をあじわった者同士の諦観。


 フェイも、グッドマンも――もう、同じ場所には戻れないと分かっていた。

 だから、その日以来……フェイは、生身の彼とは、一度たりとも会っていない。


「夢と現実に……どんな違いがある?」


 フェイは、傍らにある煙草を咥えて、火をつけながら言った。

 ……すぐに、咳き込む。

 ミランダが駆け寄ろうとしたが、彼女は手で制した。


『……そうだな』


 電話の向こう側で、グッドマンが、噛みしめるように言った。

 それで、通話は切れた。


「フェイ……」


 ミランダが、彼女を見た。

 だが、フェイが言った言葉はただひとつ。

 それ以上でもそれ以下でもなかった。


「行くぞ、ミランダ。今すぐに」


 彼女の思いは変わらなかった。

 しばし、その表情を見た後――これ以上は議論の余地がないことを知った。

 だから、ミランダは。


「飛ばすわよ――振り落とされないで」


 それだけ言った。


 フェイは、ふっと微笑んでうなずいた。

 彼女の目の下には――浅黒い隈がはっきりと刻印されていた。


 ミランダは、その背にフェイを乗せて飛翔した。

 連絡のあった座標に向けて。


 ……目的地には、あっさりと到達した。


 ミランダの銃口が、地への入り口を穿ったのである。

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