#6 チェイシング・イエスタデイ(1)

「敵の正体が分かったっス」


 車の後部座席で、キムは言った。運転手はグロリアである。

 シトロエンDSはストリートをぶっ飛びながら、周辺の景色を猛スピードで後方へ流していく。一同はひたすらに、目的地へ。


「正体……?」


 助手席のシャーリーが後ろを振り向いて聞いた。

 キムの隣のチヨは腕を組んで目を瞑っている。寝ているのかもしれない。


「えぇ。スキャッターブレインの正体は……『大去勢モストブレイク』の際生き残った、反ハイヤーグラウンド組織分派の生き残りっス」


「なんとまぁ……面倒なことになりそうね」


 グロリアが顔をしかめる。


「だからきっと、アンダーを手中に収めたら……そのまま、ハイヤーに攻め込むのかもしれないっスね」


「いずれにせよ穏やかじゃないわね、あの時の亡霊か……」


 二人が会話するが、シャーリーにはなにがなんだかわからない。


「あの……『モストブレイク』ってなんなんです??」


「えっ?」


 シャーリーが聞くと、キムは驚いた顔をした。それから少しして、合点がいったらしい。


「ああそっか……あの時はシャーリーちゃん『上』でしたもんね。知らなくて当然っスね」


 うなずく。


 『大去勢モストブレイク』――幾度となく、それとなく仄めかされてきた言葉。それが改めて俎上に載った。

 今ここで、知っておく必要が出てきたのかもしれない。

 ――チヨは不快そうに眉根を寄せる。嫌な夢でも見ているのか、それとも『これだからハイヤーの人間は』とでも思っているのか、わからない。

 キムはそんなチヨの表情を見ながら、続けた。


「あれはちょうど4年前に起きた、大事件……当時アンダーに燻っていた反乱分子が一丸となってハイヤーに反旗を翻し、そして……徹底的に殲滅された。『評議会』に」


「そ。ほとんどの連中が覚えてるんじゃない?? 街中にそいつらの死体が転がってた。連中は本当に徹底的だった」


「そんなことが……」


 流れる街並み。

 ――数年前、そこは炎と硝煙に包まれていた。

 だが、その時のことをシャーリーは知らない。


 その時の惨状も。

 その戦い以降、アンダーグラウンドの人々ほぼ全てに諦観と恐怖が植え付けられたという事実も。


 ――『評議会チャプターハウス』の、正体についても。


「そして、あれは……フェイ・リーという人間が……第八機関の室長になったきっかけの事件っス」


「……!!」



 フェイは、夢を見ていた。




 彼女は目を開けて、身を起こした。

 ソファの上だ――頭がガンガンと重い。頬がしびれている……嫌になる。


「おっ、起きた起きた。なんの夢見てたんだ? フェイ」


 自分の顔を覗き込んでくる、黒人の青年。

 キャップをかぶり、だぶついたTシャツを着たストリートファッション。彼は子供っぽい笑みを浮かべて、白い歯を見せた。


「おはよう」


「……シドニー。私、いつまで寝てた…………?」


「午前中ずっとよ……だらしのない」


 壁にもたれて煙草を吸っている女が、突き放すように言った。タイトなドレスに身を包み、全身に花の入れ墨をあしらっている。


「ごめんなさい……私、疲れちゃって…………」


「まったく……この先が思いやられるわ」


 そんなデビーの言葉はいつも鋭い。フェイは、聞くと萎縮してしまう。

 そこへ、シドニーが割って入る。


「まあまあ。まだ任務二回目なんだから、仕方ないって。そうだよなぁヴォルフ??」


「……」


 シドニーが問うた先の男。

 黙り込んで、テレビに向かい合ったままベンチプレスをしている――筋骨隆々の角刈り。


「ちっ、相変わらずだんまりかよ」


「ごめんなさい、起きるわ……」


「謝ってばかりね」


 デビーは近寄って、フェイの額を小突いた。


「いたっ」


 おどおどしながら顔を見ると、彼女は目を背けて言った。


「……よくやってるわよ、新人」


 それから、煙草を吸いに戻った。

 思わず、呆然としてしまう。

 シドニーが、そんなフェイを見て、嬉しそうに笑った。


「へへへ…………」


 フェイは完全に起き上がり、周囲を見て言った。


「ところで、皆は……?」


「爺さんなら、酒ひっかけに行ってるよ」


 そこで、ヴォルフが唐突に現れる。


「……グッドマンは」


「お前いきなりびっくりするわ、もう。あいつならまたナンパだよ……美形だからって」


「『教授』……室長と……アリスは???」


 フェイが何気なく尋ねると――シドニーとデビーは顔を見合わせて笑った。


「私、何かおかしいこと、言った?」


「いや、なんつうかさ。フェイは本当にあの二人がお気に入りなんだなぁと思ってさ」


「分かりやすすぎよ。この先が思いやられるわ」


 瞬間――フェイの顔はぼっと赤くなった。色んな感情が頭の中に渦巻いたのである。

 ヴォルフがそんな彼女の顔を覗き込んで言った。


「……風邪か?」


「バカか、お前」


 デビーがくすりと笑みを漏らした。フェイもなんだかおかしくなって、笑った。

 ……やがて、皆少しずつ笑った。そういう時間だった。


「諸君、お楽しみのところ申し訳ないが」


 声がする――低く、重みのある声。

 振り返る。事務所に入ってきた男。大柄な初老の男。


「仕事の時間だ」


「あ、室長。お早いお帰りで」


 それに続いて、背の低い老人がひょこひょこと歩いて入ってくる。


「かーっ、せっかく河岸を変えようとしていたところにこれじゃ、かなわんわい!! おいデビー、乳でも揉ませろい!!」


「一回死んどけ、じじい」


 更にその後ろからは、金髪を後ろに撫で付けたスーツ姿の優男。シドニーが冷やかしの声を掛ける。


「おっ、グッドマン。その様子だと」


「……失敗だよ。ああ、風が冷たいぜ」


 彼は憔悴した様子で肩をすくめ、頬をさすった。そこには平手の赤い痕。

 

 最後に入ってきたのは――黒と白。

 雪のような長い白髪に、漆黒のコート。現実感のない姿をした一人の少女。煙草を口から離して、あくびをする。

 彼女は眠たげに目をこすったが、自分を見つめている者の視線に気づく。

 ……フェイだ。


「……おかえり」


 アリスは答える。


「……ただいま」


 フェイの顔が、ほころんだ。心底嬉しそうに。対するアリスも……微笑みで返した。


「……それで。任務のほうは」


 ヴォルフが、『教授』に問う。


「あぁ――それは」


 教授は、答えようとした。

 その瞬間。


 窓の外で――轟音。

 床が揺れて、ガラスがビリビリと音を立てた。

 皆が駆け寄って、外の様子を見た。


 それはまるで怪獣だった。

 巨大な重機をいくつもつなぎ合わせたような異形の巨躯が、ビルを粉砕しながら進撃している最中だった。各所でいくつも炎が上がり、悲鳴とサイレンのカクテルが出来上がる。人が蟻のように逃げていく。常軌を逸する光景。だが、この街にとっては――。


「あーあー……」


 シドニーが渋面を作って肩をすくめる。


「さる労働組合が……結託してアレを作った。それだけなら、よくある騒ぎだ。だが、そこに絡んでくるのは複雑な『人種問題』。中心人物はテロド至上主義を掲げる活動家の経歴も持っているらしい」


 教授が、外の様子を一顧だにせず淡々と語る。


「……誰かが裏で糸を引いている可能性もあるってわけ」


「そういうことだ」


「……だが。放置してもいられない」


 ヴォルフがぼそりと言った。反論する者は居なかった。


「このままだと、どのみち街が更地になる」


 確かにそのとおりで――重機の化け物は、確実にストリートを蹂躙し、呑み込んでいる。すみやかに止める必要があるというわけだ。


「……キルドーザー事件の再来ってわけね」


「あーあー、こりゃまたヨセフの倅が仕事増えるわい」


 老人――ヴァン・ウィンクルがポケットからスキットルを取り出してごくごくと呷る。


「爺さん、もうよしなって」


「ああああん!? 酒がない儂は儂とは言えんじゃろうがい!!」


「さて――諸君」


 騒がしくなりはじめた事務所内で、教授が告げる。

 皆が、その声の方を向く。


「これが単一の彼らの犯行と見るべきか、それとも評議会の差し金か。それは不明だが――上層部がくだした判断は一つ」


 彼は息を吐くようにして、言った。


「――――『世界を救え』。それだけだ」


 言葉とともに――空気が引き締まる。

 それを感じて、フェイにも力がみなぎった。


「――さて、行くぞ諸君。祭りを盛り上げに」


 そんなお決まりの言葉とともに、ドアが開いた。

 皆が、そこへ歩きはじめる。


 ――第八機関。

 フェイの、大切な仕事。


「腕が鳴るなァ~~~~~、なあ?」


「……」


 シドニーがかたわらのヴォルフに聞くが、彼はだんまりを通していた。その横ではヴァンが大きな音を立ててゲップする。


「おいおい、本当に大丈夫かい、爺さん」


 そんな老人を心配している素振りを見せるグッドマンの横では、デビーが教授に問いかける。


「……因果関係は?」


「目下調査中だ。処理部隊が詳しい情報を送ってくれるはず」


 歩いていく。

 皆、ドアの向こうへと去っていく。


 そんな中にあって一人、フェイは取り残されていた。

 身体の震えが止まらない。小さく呟く。


「戦い…………」


 そんな彼女のそばに……現れる影。


「怖いん? フェイ」


 アリスだった。

 フェイは、黙って頷いた。

 するとアリスは――静かに微笑んで。


「大丈夫、大丈夫」


 フェイを、そっと抱きしめた。

 彼女の香水の匂いと――煙草の匂いがした。髪の毛がふわりと舞った。

 ……数秒後状況を理解して、フェイは顔を赤く染めた。


「あ、アリス――」


 ばたばたと手足を動かすが、抜け出せなかった。そのかわり、包み込むような彼女の声が響いた。


「……大丈夫。難しく考えんでえぇ。終わったら終わるんやから――覚めん夢が、ないようにな」


 その声を、心臓の近くで聞いた。


「……」


 すると……不思議な安心感が、胸の内側に広がった。先程までの吐きそうなほどの緊張は、すっかりなくなっていた。


「うん……」


「よしよし。いい子いい子」


 ドアの向こうから声がする。


「おーーーーーい、行くぜー、お二人さん」


 シドニーの声。現実に引き戻される。


「さぁて。行こっか、フェイ」


「うん……」


 大丈夫――私達は、大丈夫。

 フェイの顔はほころんだ。


 アリスとともに、仲間たちの待つ、光指すドアの向こうへと向かった――。

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