#5 ギミ・ア・リーズン
――少し前。シャーリーが、第八にやってくるよりずっと前。
きっかけは、ある仕事。
まだぎこちなかった二人の間柄。
人間を不老不死にしようと企む、とあるマッドサイエンティストが居た――そいつの野望を打ち砕いた。
……くそったれな大怪我と引き換えに。
キムは死にかけていた。
永遠なるものを狂気とも言える執念で追いかけていた、その男に対する個人的感情による怒りもあって――彼女は随分と自暴自棄になり、そして自爆同然で任務を成功させたのだった。
「いやぁー、やったっスね。はじめての二人の仕事っスけど、なんとか……ゲホッ」
彼女は血を吐いて倒れ込もうとした。それを、チヨが支えた。
「ああ、ありがとうっス――ええと、チヨ、さん……でしたっけ」
「……たわけが!!」
彼女は、怒鳴った。
その声が、びりびりと耳に響く。キムにはどうして怒られたのかわからない。
目をしばたかせていると、彼女は言った。
「簡単に命を捨てようとするな。お前のしていることは単なる無謀だ。命をかけてまで成し遂げるべきものなど……そうありはしない。まずは生き延びろ。でなければ――何も成し遂げられない」
……キムは、その物言いに腹がたった。自分よりも年上で、自分よりも小さい彼女に。
腹が立つ、などめったにないのに。
「知ったようなことを言うっスね」
そう言ってやる。
チヨは間髪入れず言葉を返す。
「儂の師匠の教えだ」
「……師匠? その人は――」
「消えた。儂を裏切って」
――二の句が継げなかった。
そう淡々と言った和装の彼女の内側に、何かが秘められているのを感じた。
すっかり苛立ちは消えていた。
チヨは再び口を開く。
「この第八は……儂の居場所。儂がこの力を振るうと決めた場所。その中で、儂の中にある教えに反する者が居るのは我慢ならん」
「――傲慢っスね、随分と」
「そう、傲慢だ。しかし、それでもいいと知った。ここは、そういう場所だ」
そこで、チヨはずいっと顔を近づけた。
……綺麗な肌だと、キムは思った。
だから、押し黙ってしまう。存外に素直な自分が、あらわれてしまう。
「チヨさん……?」
「約束しろ。何があっても必ず生きて帰ると。儂の目の届くうちは――…………儂を、裏切らぬうちは」
……その目は、あまりにもまっすぐで。
戦いのさなかにひらめく、あのカタナの輝きにも似ていて。
キムは、ほんの一瞬……心を奪われた。
それでもなんとか、言葉を継ぐ。
「どうして、そんなことを……」
「お前は、かつての儂にそっくりだ。そう思った」
言葉が出ない。チヨは続けた。
「闇雲になって、捨て鉢に力を振るう。その先に未来などないにもかかわらず」
そんなことを……何のてらいもなく、言ってのける。
だから、キムは……。
「……ずるいなぁ」
そう言った。
「そんなふうに、キラキラ出来ないっスよ、あたしは。所詮、日陰の人間っスから」
……それでも。
それでも、彼女が自分を見てくれているのなら。
「……」
「――でも。じゃあ、あたしも約束っス」
今度は、こっちが目を合わせてやる。
「……何だ」
そして、言ってやる。
「あたしが死なないうちは、何があっても、あたしを信じてくださいっス。それで、共犯者の出来上がりっスよ……――チヨさん」
意地の悪い問いかけだって?
――そのとおりだ。
自分は性根がひん曲がって、最低の女だからだ。
だから――それくらいは、許される。
そして――ああ、彼女は返答する。
チヨは、ほんの少しだけ……口元を緩めた。
それは微笑だったのか? それとも。
とにかく――彼女は、小さく言ったのだ。
「分かった。約束だ」
……と。
◇
キムの情報収集は加速していく。
タイピングはもはやマシン・ガンの掃射音のように聞こえる。汗がふきだし、喉が渇く。それでもなお、彼女はやめない。極限の集中の中に居た。
それに伴ってPCも悲鳴をあげる。ウチワだけでは足りなくなったため、シャーリーはとうとうクーラーを起動させ、筐体の真横に置いた。その電力は――キムが口に咥えたコードから送られる。テロドの力によって。
ここにきて、シャーリーは手持ち無沙汰になってしまった。
だが、次に何をやるべきかを聞ける雰囲気ではない。出来ることといえば、気を利かせて彼女にブラックコーヒーのボトルを適宜渡してやるぐらいのものだった。
「すごいですね、キムさん……」
「そう思うっスか」
返事もなおざりになる。
だが、ちゃんと答えてくれる。そこに、キムの人間性のようなものを感じる。
「なんか、そこまで鬼気迫る……って感じのキムさんを見るのは、はじめてだから」
「まぁ……好きっスからね、チヨさんのこと」
――さらりと、キムはそう言った。
「……!!」
今のはどういう文脈での言葉だったのだろう。
グロリアのこともあって、分からなくなる。シャーリーは心の中であの金髪を恨んだ。頭の中でなら、好きなことが言える。
「不器用でしょ、あの子。だから、あたしらがちゃんと見てやらないと。どこに刃を振り向けるのか、分かったもんじゃないんスよ……」
キムは言って、笑った。
◇
「…………あ」
ミランダは、チヨを見つけた。
彼女は……とあるマンションの屋上に座り込んでいた。不機嫌そうに。
それを見て、思わず噴き出してしまう。
……きっと、自分の方向音痴に折り合いがつけられなかったのだろう。
「しょうがないんだから……」
ミランダは、降りていく。
◇
「色々、あったんですね」
「あったっスよ、そりゃ。出会った時はそりゃもう。剥き身のカタナだったっスから」
……想像する。
そして、それが容易に出来てしまうことに気付く。
あの、あまりにもスキのない銀髪の少女。いまだに、自分に心を開いてくれない存在。その在り方が、自分以外にも向けられていた頃。
……なんておっかないんだろう。
だけど、なんだかそれは、凄く哀しい在り方ではないか。
◇
「何してるのよ、こんなところで」
「この街の行末を見ていた」
「答えは出た?」
「……ここは掃き溜めだ。どいつもこいつも、斬り捨ててやりたい」
「……同感ね」
◇
「だけど、同時に。あの子はすっごく純粋で……優しい子っスから。そこを見つけてやって、刃の振り向ける先が分かった時は。本当に嬉しかった。自分のことみたいに」
そう語るキムの顔は、どこまでも優しい。
「キムさん……」
「だから、あの子にはつまんないことで喧嘩してほしくないんスよ。室長と一緒なら、あの子は絶対に間違えない」
そう語るキムの言葉には……籠もっていた。
シャーリーの知らない数年間の重みが。
◇
「なら。お前は何故そうしようとしない。以前までのお前なら……」
「貴女と一緒よ、チヨ」
「儂と……?」
「居場所ができた。力を正しく振るえる場所が出来た。ずっとそこに居たのに、私はついこの間まで忘れていたけれど…………あなたもそうでしょう?」
「…………」
「キムの奴、多分凄く残念がってるわよ……貴女と、買い物に行ってくれなくなるかも」
「それは………………困る」
「だったら……もう一度戻ってみない? フェイはああだし、きっとあのままだけど……貴女の居場所を、奪ったりはしない。違うかしら……?」
「…………」
「ムカつくなら、ひっぱたいたっていいわよ。あいつを」
「…………」
◇
「大事なんですね、チヨさんのこと」
「そう思いまス?」
キムが顔を向けてくる。いたずらっぽい表情。何を言いたいのだろうか。
答えに窮していると、彼女は言った。
「まあ、仲良しっスから。かわいいし」
どこか、茶化すような言葉。
……あ、こりゃ、本当のことじゃないな。
なんとなく察する。
「……」
「超かわいいっしょ? チヨさん。ちっこいし」
「……それは、なんとも言えないですけど」
そこでキムは、肩をすくめる。それから、言った。
「まぁ。それは冗談っスけどね」
「やっぱり……」
「……でも、あの子が眩しいのは本当っス。あたしなんかより、ずっとまともなものを背負ってここに居る。だから、力になりたいんスよ」
そこに来て、キムは。
声を低くした。最後のフレーズに力を込めた。
顔を背けて、画面を注視した。真実味は、そこにあった。
◇
「帰るわよ、チヨ」
「…………断ると言ったら、お前はどうする」
「力づくで……連れて帰るわ」
「成る程」
「どうする? 戦ってみる?」
「……莫迦を言うな。この距離でお前に勝とうなどとは思わん」
◇
「どういう……」
だから、聞かずにはいられなかった。その言葉の意味を。
「――ああ。言ってなかったっスか。あたしが、ここに居る理由」
キムは、聞かれると――デスクの上に置かれた、象の置物を掴んで、ギュッと握りしめた。
壊れそうなほど、力を込めて。
……その目は、画面を見ていたはずだった。だが、シャーリーには違うように見えた。
何か、別のものを凝視している。
「――『復讐』っスよ。シャーリーちゃん」
「えっ……」
◇
「……だったら、答えは出たでしょう。さっさと帰るわよ」
「…………好きにしろ」
「好きにするわよ」
◇
思いもよらない言葉だった。
整合しない――これまでのキンバリー・ジンダルと、今の彼女が。
まるで別人のように見えて、それはひとつの寒気を生む。
反応ができない。その間に、彼女は言った。
「あたしの大事なものを奪った奴が、この街に居る。第八にいればそいつに近づける。そいつに報復できる。だから、ここに居るんです。胸張れる動機なんかじゃない。それで、時々死ぬほど自分が嫌になる……死ぬほど」
暗い声で……吐き出すように。彼女はシャーリーを見ていない。別の誰かに聞かせるように。世界には彼女しか居ないようだった。周りの空間全てが、消失してしまったようだった。
「そういうわけで……あたしは…………みんなとは違うんスよ」
呟きながら、彼女は象の置物をギュッと握りしめる、握りしめる。
「でも、だからこそチヨさんには、自分のあり方を貫いて欲しい。あたしなんかと違うから……」
――どう、言葉を返せばいいのかわからない。それは本人も意図しないところで漏れ出た内容のようだったから。
「キムさん……」
すると。
「………………………………………………なああああ~~~~~~~~んて。びっくりしました???? ジョークっスよ、ジョーク。そんな大したアレじゃないっスから」
突然、ばっと顔を上げて、彼女は言った。笑顔で。声のトーンが上がった。何時も通りのキム。拍子抜けするほど。
「いや、でも……」
「ああああああ!!!! ほら、めっちゃパソコン熱くなってる!! シャーリーちゃん急いで!! 急いで!!」
遮るように彼女は言った。
その言葉の通りパソコンを見ると――。
異様な音を立てながら、焦げ臭い匂いを発していた。
「うわっ、くさっ…………!!??」
「ほらッ!! 氷!! 氷持ってきてッ!!」
「ああっ、は、はいっ!!」
そんなわけで、流れが変わった。
……それが、意図的なものであったとしても、そうでなかったとしても。
少なくとも、それから暫くの間は……。
シャーリーは、キムの言ったことに意識を向けずに済んだ。
◇
そこから暫く経過して。
「っできたああああああああッ!!!! 見つかったああああああ!!!!!!」
キムは、やおら立ち上がって叫んだ。
それから、シャーリーが反応する間もなく、彼女は冷蔵庫からシンハー・ビールを一瓶ひっつかんで蓋を開け、勢いよく喉に流し込んだ。
「っっっっくあああああああ~~~~~~~ッ!! 最高ッッ!!」
「えっと、つまり……」
「分かんないっスか!!?? 要するに!! 見つかったンスよ!! 敵のアジトがッ!!」
見ると、画面にはマップ。その一点にマーキングが施されている。
それが、キムと……彼女の男たちの成果だった。
「すごい……この数時間で、こんな……やりましたね、キムさん!!」
「やったあああ~~~~~…………もう駄目、寝る…………」
キムは手を上げてバンザイしたままソファにダイブした。ビールは飲み終わっているので安心だ。
「チヨさん達戻ったら、起こして…………」
「……分かりました!!」
敬礼。キムは突っ伏しながらサムズアップで答える。
……次の瞬間。
「帰ったわよ」
ドアがおもむろに開けられて、ミランダが入ってきた。それからチヨが。
「はやっ!?」
キムは飛び起きる。
「ちょっと早すぎるっスよミランダさん~~~~」
「何言ってるのよ。連れて帰れって言ったのはあなたでしょう…………ほら」
ミランダは後ろに控えているチヨの背中を軽く叩いた。
……銀髪の小柄な女が、前に出た。
「……キム」
彼女とキムは、見つめ合った。
「はいはい、そこまでっス」
それから、キムが言った。
「何か言うなら、あたしじゃないっしょ? あなたなら、わかってるはずっスよ」
「…………」
チヨは後ろを振り返る。ミランダは肩をすくめて、苦笑した。
「………………やむをえんか」
ずかずかと、書斎へ歩いていく。
キムたちもあとに続く。
◇
「――フェイ。座標が分かった」
書斎に入る。
「起こさないであげて。今は――夢を見てる」
グロリアは、煙草を吸いながら言った。灰皿にはすでに、吸い殻が山積み。
なるほど、確かにそうだ。フェイ・リーは寝息を立てていた。
「こいつ…………」
「いや、大丈夫っス。今は、それで。室長の出番は……着いてからで十分ス」
キムが後ろで、言った。
チヨは身じろぎしたが……それ以上の文句は言えなかった。
そのかわり、彼女の耳元にしゃがみこんで……呟いた。
――涼やかな目元。綺麗な黒髪。そして、その滑らかな肌に……全ての謎を秘めたまま、眠っている彼女に。
「儂は……お前を信じない」
キムが、微笑を湛えてチヨを見ている。
「だからこそ――お前には吐き出してもらう。その胸の内を。ちかいうちに必ず」
それから、立ち上がる。
「せいぜい、夢でも見ていろ」
言って、背を向けた。
キムやミランダ達は、互いに顔を見合わせて……笑った。
チヨは、憮然とした表情のままその場を荒々しく去っていく。
だが、それでその後の動きは決まった。
「ミランダ」
グロリアが、呼んだ。
「何かしら……?」
「フェイには。あんたがついてやって」
虚を突かれたような言葉だった。
グロリアは更に迫り、言葉を追加する。
「あんたが居なかったら、誰がこいつを座標まで運ぶの? だから、ここを頼むって言ったの」
その目に、いつもの冷やかしの調子はなかった。
だからこそ。
「…………わかったわ」
ミランダは承諾した。
グロリアは頷いて、キム達の後に続いた。
フェイは眠り続けている。
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