#3 ザ・ヴォミット
「フェイさん……」
「ちょっと、まだ寝てなきゃ――」
グロリアが駆け寄るが、フェイは手で制した。
そのまま壁にもたれて、皆を見る。
……荒く息をつく。顔色は蝋のように悪い。
「なるほど。揃い踏みというわけだな。ここも愉快に……ゲホッ、ゲホッ――」
咳き込む。
だが、続ける。
「みんな。全ては、グッドマンと……彼女たちが説明したとおりだ。それ以上、こちらから追加できることは何もない」
と、そう言った。
「そんな……」
『……』
「――ふん」
フレイ・アールヴヘイムは小さく鼻を鳴らした。小馬鹿にしたように。
「これで理解したか? これ以上の説明が不要というのが、お前たちの頭領の下した判断らしいが――」
「口閉じてな。うちらのボスはね、あんたの息が臭いって言ってんのよ」
グロリアが中指を立てる。フレイは肩をすくめる。まるで効いた様子はない。
「すべては伝えた通り…………この任務を成功させなければ、我々に未来はない。お前たち、頼むぞ…………」
「それは、分かりました……分かりました、けど…………」
結局、グロリアはフェイに駆け寄って寄り添った。
彼女に疑問を呈したのは、シャーリーだった。しかし、それ以上に。
「フェイ。納得がいかん」
そう言ったのは、チヨだった。
欠片の容赦もなく、ずいと前に進んで言ったのだ。
「チヨさん……?」
キムが心配そうな顔をする。チヨはそれに気付いたが、無視した。
「ほう……一体何に、かな…………?」
「すべて。何もかもにだ……!!」
――本当は『たわけが』と追加したかったんじゃないのか。そう思えるような口調。
チヨは続いて言う。
その顔は、苛立ちと――怒りに震えていた。
「奴らはなんだ。ここの人間ではないな。以前はアンダーグラウンドの者を使っていた」
「……そうとも。彼女たちは――ハイヤーの人間だ」
小さく、空気がざわめいた。
「お前は……知っていたのか。このことを」
「――あぁ」
「何故……言わなかった」
そこで、フェイは。
「――伝える必要がないと、判断したからだ」
そう言った。
またざわめきが起きる。
「ちょっと、それだとあまりにも――」
シャーリーが口を挟もうとする。何故って、それはあまりにも……。
「……」
グロリアが制する。だが、彼女自身も納得している様子はない。
フェイは壁に寄りかかって、ため息をつく。本当はそうしていることも恐ろしく体力を消耗するのだろう。
だが、そこで容赦なく――チヨは、爆発した。
「
「ち、チヨさんッ……!?」
「儂はお前のもとでなら本懐を遂げることが出来るだろうと思ったからここに居る――そして、お前自身を理解しようと思ったこともあった!! だが、どうやらそれも間違いらしい……近頃のお前にはうんざりだ、訳の分からんハイヤーの小娘を連れてくることから始まり……っ」
チヨはシャーリーを指差す。びくりと、彼女は身体を震わせる。グロリアが彼女の肩を持った。
「小娘って。あんたと4つしか歳変わらないでしょうに」
「黙れ、儂はそもそも完全にそいつを信用しておらん。そして挙句の果て、今度は交代要員についてこちらに何も知らせず、ハイヤーの人間を連れてきた!! なにか一言あれば変わったかもしれんが……それをやるお前ではないということが今わかった。もう我慢ならんぞ、お前には…………!!」
チヨは怒りに煮えたぎる瞳でフェイを見据えた。それは本当の怒りだった。
もし――はじめから彼女を信用していなかったら、そんな顔は出来ないはずだ。そこにあるのは、一つの悲しみであるとも言えた。
それほどまでに、彼女は――。
「……」
フェイはだんまりを続けている。そこに対し、多少の抵抗が場に流れた。何故ここで黙っているのだろう。このままでは。
そして、やはり。
「――……もういい。儂は出ていく」
身を翻して、チヨは大股で歩き出す。それから、フレイたちを強引に押しのけてドアへ。
「ちょっと、チヨさん、どこに行くんですか!?」
「外で2,3人斬ってくる」
「なっ――」
……彼女は、出ていった。
かなりの勢いで、階段を降りていくのが聞こえる。
「ちょっと! チヨさんッ!!」
シャーリーは止めにいこうとする――それを制したのは。
「シャーリーちゃん、大丈夫っス。本気で言ってるわけじゃないっスから。拗ねただけっス」
キムだった。肩に触れて、かぶりをふる。
「でも」
「大丈夫っス。あの子のことは、よく知ってるっスから。大丈夫」
キムは優しげな声で、そう言った――その声を聞いていると、シャーリーはすっかり言い返す気力をなくしてしまった。
「……はぁ」
そして、振り出しに戻る。
「フェイ。どうしてあんなことを言ったの。あなたがそういうスタンスなのは分かっているつもりだけど、理解はしてない。ならせめて、ギリギリまでこいつらのことを言わなかった理由だけでも教えて」
ミランダが言った。後ろ指をさされても、フレイたちは平然としている。
「……言う必要はない」
「どうして……!」
「お前たちが――
「なっ……――何よそれ。もっと言い方ってものがあるでしょ……!?」
ミランダが前に出て、不満を申し出た。最もなことだ。あまりにも投げやりが過ぎる。
「ちょっと、落ち着きな、ミランダ――」
「落ち着いていられると思う? あんな言い方をされれば、不満を持って当然よ。前からそうだった……あなたのその秘密主義は、必要以上に混乱を招いてるのよ。その結果私達の結束にヒビが入って、任務に支障が出れば……本末転倒も良いところだわ」
ミランダは、フレイたちを見た。辛抱強く、立ったままだ。一言も発さず、成り行きを見守っている。律儀なのか、それとも純粋に興味が無いのか。そのどちらであるかさえ、判然としない。
「あえて私が言わなきゃ、誰も言わないでしょう……いずれ、こうなる時が来たのよ、きっと。フェイ、あなたに拾われて感謝してる。だけど、あなたも組織の長として説明責任を――」
そこで……フェイはふらついた。慌ててグロリアが抱きかかえる。
「すごい熱…………ミランダ、ここまでよ。もうフェイは喋れない」
「……すまないな、ミランダ…………任務は……彼女たちと、グッドマンの伝えたとおりに…………ゲホッ、ゲホ…………」
「ほら、もう……――いったん部屋までこいつ連れてくから!! もういいでしょミランダ!!」
そのままグロリアはフェイに肩を貸して、書斎のソファまで連れて行った。
「……なるほどね」
キムは、その様子を見ていた。顎に手を当てて。
「…………」
沈黙が流れる。
「茶番は済んだか? 既に先程から15分の遅れだ」
「あなたねっ……!」
その物言いに納得できる者は居ない。ミランダは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「早く任務に入れ。それ以外の選択肢がないということは理解しているはず」
「っ……この――…………」
と、そこで。
「はーーーーいそこまで、そこまでっス!!!!」
間に入ったのは、キムだった。まさに文字通り。
「キム!?」
「いやぁ~~~~~な空気っスね。さっきからグッドマンさんも黙っちゃってますし」
『誰のせいだと思ってる……全く』
「まぁ、だけども。世界の危機はどうしたってやってくる。そうっスよね??」
周囲を見ながら、言う。まるで演説のように。
それから、シャーリーに近づいて、小さく言った。
「ごめんなさいっス、シャーリーちゃん。チヨさん、『雨事件』のときに色々あったから……いつもより機嫌悪いんスよ」
もう一度、皆の方を向いて、言う。
「地下で勢力を広げる謎の存在。その居場所は不明。犠牲になるのは一流の勝負師たち。決して直接的な戦いではない…………いいじゃないっスか。いいじゃないっスか」
「何が言いたいの……?」
キムは、腰に手を当てて、堂々と宣言してみせる。
「要するにこの任務は――このキンバリー・ジンダルが、一肌脱ぐところっスよね」
その言葉のもとで。
数分後――全てが動き出した。
◇
彼は、自分をサルトルと呼ばせていた。
幼少期の『サルトル』にとって、アイデンティティとはいつまでも定まらないものであり、いとも簡単に自身のキャラクターを確立してしまう周囲の者たちを妬んでいた。
引っ越しを繰り返すたび、両親の仲は冷えていく。そうなれば必然、自身への風当たりは強くなり……感受性は抑圧され、育つべきものが育たない。何もかもが半端で、何をやってもうまくいかない。それが彼の全てだと思っていた。
だが、そんな彼を変えてしまったものがある。
――ギャンブルだ。
それとて、うまくいくとは思っていなかった。全ては慰めだった。
何もかもが自棄だったから、それで身を持ち崩して破滅しても構わなかった。
しかし十年前、あのナイフが降ってきて、彼を『カメレオン男』に変えた時から――それが生涯をかけるに値するものに変貌したのである。
ツキが変わったのだ。
広い視界とよく回る舌は、全てを好転させた。
ただの隠れ家に過ぎなかったカジノは彼の生きる場所となり、理由となった。女も出来た。彼は、自分をようやく手に入れた。
そんな自分を、誰にもカメレオンとは言わせなかった――俺の生き方をたとえるなら、カメレオンなどふさわしくない、俺を言い表すならサルトルにしてくれ。見た目だって哲学だって、そいつのほうがようやく言い表してる……。
そして彼はアンダーグラウンドでは名うてのギャンブラーとなり、全てがうまく回り始めた。アンダーの賭場で、彼を知らぬ者は少なくなっていった。全てが彼のために動いているように見えた。
俺はサルトル。人間は自由という刑に処されている。だから止まらない、止まれない……いいさ、今日も俺は転がってやる。最高のツキを求めて。それこそが、そのスリルこそが俺の生き方、在り方そのものだ。だから俺は、最高の場所に招待された。
だのに。
――だのに。
「このざまは、なんだ????」
そこで彼は――現実に戻される。
全身が、悪寒に包まれる。
後ろを振り返ると、血まみれの死体がいくつも転がっていた。
更に、よだれを垂らしながら笑い転げているいくつもの人間。そして――彼らをを包むように広がっているのは。
赤。真っ赤な赤。全ての壁が、血の如き色をしていた。吐き気を催させるような原色。
そのすべては。うごめいていた。何重にも折り重なった、波打つ襞。
彼は、視界を自分の足元に向ける。
自分は椅子に座っている――失禁の悪臭。冷たい。
手は震えている。爬虫類の吸盤。そこについているのは――駒だ。黒と白の、ひとつの駒。なんだこれは?? なんだこれは??
「そろそろ現実に戻ってきたかね?? ミスタ・サルトル」
声。奇妙に甲高い、少年のような――それでいて、ピッチを上げた男のような声。
彼は、前を見た。
そして、その姿を確認する。
長い、どこまでも長い背もたれ。
その前に座っている一人の男。小さなフォルム。140センチと少ししかない。そして燕尾服。そして、首の上――サングラスに、薄い唇。青白い肌。そこまではいい、そこまではいい。だが、あれはなんだ。額の上、頭を突き破るように脳味噌が飛び出して、それが天井いっぱいに広がって、やがて四方の壁全体を包み込んでうごめいている。
空間全てに、彼の脳味噌がある。
なんだあいつは、なんなんだ――????
「さぁ――ゲームの続きをしよう。次は君の番だ」
彼はそう言って、前に指を指した。
そして――サルトルは、気付く。
自分と彼を隔てている距離は――長い。長く、長い。
そして自分の目の前には、広大な盤面が広がっている。単純な黒のグリッドで描かれた盤。そこは、黒と白のコマでびっしりと埋め尽くされている。何故気付かなかったのだろう。そのことに。そして、これは――これは。
「ああ…………――あああああああ、」
そして、サルトルは思い出す。
これは、ゲームなのだと。
ある時、突如として『壁近くの穴』から来た招待状。導かれるままに挑むことになった遊戯の真っ最中。白と黒の駒が盤上で踊り、互いの命を賭けて争う――。
……今は、自分の番なのだ。
なぜ気付かなかったのだろう。なぜ気付かなかったのだろう。なぜ――――。
「かはっ……か、は…………」
彼の顔が、みるみるうちにしおれていく。水分が急速に失われていくかのように。
「おや。ミスタ・サルトルは喉が渇いたようだ――お前、潤しておあげ」
男は余裕たっぷりに言った。すると、ボンテージ姿に口枷とアイマスクを取り付けた禿頭の女が、しなをつくりながら彼の傍らから離れた。失敗作の人形のような姿――ピッチャーから水をグラスに注いでやってくる。
「ウフーッ、ウフーッ、ウフフフフー!!」
不気味な声を上げながらサルトルのそばに近寄り、グラスを差し出した。
ぞわり。
悪寒が背中を撫でて、行動が起きた。
「ッ――…………いらないっ!!!!」
ドリンクを倒して、彼は椅子から離れて逃げようとした。
「ここまでだ、もうたくさんだッ……俺は帰る、上に帰る――」
男は黙って聞いていたが、厳かに言った。
「――やれ」
すると女は。間髪入れず、サルトルに口づけた。
「……ッ!!!!」
「そうやって逃げようとする者はいくらでも居た。聡明な君なら分かっていると思ったのだが……」
声が遠くになる。女の舌が口の中に入り込む。脳内が麻痺する――何かが注入された。この女は、フェアリルか……――。
「……」
その想念すらどこかへ飛び、サルトルは憑かれたように動き、椅子に座り直した。
――声が飛んでくる。
「君は。勝負から逃げられない。後ろの死体たちのようになりたくなければな」
「――……あ、あ…………」
そうだ。その通りなのだ。何もわからないが、男の言う通りであることは、わかる。
諦観と絶望が広がって、自分の築き上げたこれまでのすべてが崩壊するのを感じた。
そして今。
「っああああああああああああああああ!!!! ああああああああああああああ!!!!」
サルトルは狂ったように叫んで、新たな一手を盤面に撃ち込む。
対面の男は、亀裂のような笑みをその口に浮かべて喜んだ――。
◇
「キム……」
皆が彼女を見ていた。
キムは、腰に手を当てて言った。
「室長、あなたのためじゃないっス」
フェイは黙っている。言葉を噛みしめるように。
「今回はあくまでチヨさんのため。それから、あなたとチヨさんが仲直りするためっス」
それはシンプルな主張だった。だからこそ、今この場ではある種の力を帯びているようだった。
彼女は部屋を歩きながら続けた。
「……あたしはね、この場所が気に入ってるんっスよ。だから、ほんの少しの時間だけで別れ別れになって不和が起きるなんて、ごめんっス」
「……ああ。そうだな。そうかもしれない」
弱っているからか、フェイは曖昧な答えを返す。
するとキムは、ニッコリと笑顔になって、彼女に言った。
「……じゃあ、仲直りの方法、考えててくださいっス。それだけでいいっスから」
――誰かが、何かを言おうとした。
その時である。
「――……隊長」
後ろに控えていた黒服の一人が、やや動揺した声音でフレイに言った。
「――新たな行方不明者が現れたそうです。我々も、いつまでもここに居るわけには」
「――そうか。了解した」
フレイは、あらためてキムたちを見た、第八機関のすべてを。
「私は行く」
「――そうか」
「お前たちの様子は常時確認している。わかっているな」
視線と、視線たちがぶつかりあう。相容れないそれら。沈黙が訪れる。
……数秒後。
彼女たちは、規則正しい足音とともに部屋を出た。
「……――」
途端に、フェイがふらついた。その場で倒れそうになる。
「っ!!」
すぐさまシャーリーが支える。
「はいはい、そこまでっス。要するに、やることは絞られてきたってことっス」
キムが手を叩いて言った。皆の注目が集まる。グロリアやミランダが、うなずく。
「こっからはあたしに任せてください――いいっスね??」
……駄目だと言う者は一人も居なかった。
「あの、チヨさんは……」
「あの子はとりあえず放っておいていいっス。ほとぼりがさめたら、気まずくなってくるでしょうから」
「なるほど……」
「じゃあ――始めるっスよ」
――キムが、髪を後ろに撫で付けて、バレッタで留める。それが合図。
「まず、グロリアさんは室長のそばに居てあげてください。かなりキツそうっスから」
「りょーかい、任せて!!」
グロリアの顔がにわかに明るくなり、フェイを肩で担ぎながら書斎に移動する。
「それからミランダさんは――チヨさんの捜索をお願いします。見つかったら連絡を」
「わかったわ」
ミランダは部屋を出ていく――間もなく、羽ばたきの音が聞こえる。
「シャーリーちゃん!」
「は、はいっ」
つい、びくりとなる。
ここまで生き生きとしているキムを、ついぞ見たことがなかったからだ。彼女はこちらを見て、笑顔になって言った。
「……あたしのアシスト、お願いするっス」
「――分かりました!!」
とはいえ、何かを頼まれるというのは――喜ばしいことだ。
シャーリーは二つ返事でうなずく……。
「はい、これ」
そして渡される。
「……なんです……? これ……」
「日本のウチワというものっス。元はチヨさんのものっスけど。ファンが使えればいいんスけどね、電気代勿体無いし」
「えっと……え??」
「それを使ってくださいっス」
「え????」
◇
「フェイ……」
グロリアはソファに彼女を横たえる。
いつもであれば余裕たっぷりの謎めいた笑みを浮かべている室長は今、苦しげな息であえぎ、ただ目を瞑っている――。
◇
「……どこだ…………ここは…………」
チヨは言った。
事務所を飛び出してから十数分後の出来事である。
周囲を見回して、硬直する。知らない地面。知らない人々。知らない音。
何もかもがわからないから、そこにとどまるしかない。
そう――。
チヨは、方向音痴であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます