#1 イート、ザ・リッチ

「互いに素性を知らない人間がうまくやる方法は、限られてる。なんだか分かるか」


 男はでっぷりと肥った身体を不遜に揺らしながら、そう言った。

 彼の目の前にワインが運ばれる……その僅かにオレンジがかった白の向こう側に、一人の女が座っている。


 黒い帽子を目深にかぶった、喪服姿の女。誰を悼んでいる訳でもなさそうだ。彼女は静かにカクテルを飲んでいる――その様子を見て、返事が期待できないのを知ると、男は続けた。


「そいつは『信頼の構築』だ。特に、明確に力関係がはっきりしている場合に有効ってわけだ。俺はそいつをデトロイトで学んだ。お前はどこで学んだ? 聞くまでもないか」


 男は笑い、爪楊枝を歯の間に差し込んで歯ぎしりした。ねっとりとした視線が女をねめつける。

 女はそこで男を見て、謎めいた微笑を浮かべた。

 男はそこで――本題に入る。


「息子が『壁』の近くで姿を消してから随分経つ。連れ戻してこい。場所の目星はついてるが、俺たちはアンダーについちゃ素人だ。そこでお前を雇ったわけだ。理解出来るな?」


 女はうなずく――彼女の後方には、威圧するように幾人もの黒服……銃を持った……が立っている。彼の言う『力関係』とは、そこに表されているようだった。


「あの馬鹿息子はお前に懐いてる。お前の言う事なら聞くはずだ。尻の一つでも叩いてきてやってくれ。頼んだぞ」


 ――『頼んだぞ』の部分に力を込めて、男は言った。ストライプのスーツ。胸ポケットのドライフラワー。それが彼の立場を明確にする。


『カラダ、ノ……無事、ハ……?』


 女は喉元を押さえて――喋った。

 ざらついた機械音声。怪我でもしているのか。男はさして気にせずその声を受け入れて言った。


「命が助かってりゃいい。あいつにも社会勉強ってやつが必要だ。だが、分かってると思うが――……」


『ワカッテ、イル。任務ハ、ハタス。銃ヲムケラレテイルノハ、コワイ』


 女は肩をすくめ、降参の姿勢をとった。


「……ははは!! お前を雇って正解だ。身の程と強さを弁えてる女ってのはいつだって最高だ……俺の女もそうだった!!」


 男は愉快そうに身体をゆすって笑った。そのたび、下品な禿頭がワインに反射して光った。女は試すような微笑を男に投げかけるだけ。


 ――かくして、契約は完了した。不運にも強い力を持った存在に雇われてしまったその女アウトレイスは、ひとつの任務を帯びて……ある場所へと向かうことになったのだ。



『ケヴィンズ・フィッシュ・アンド・クラブ・アンド・ジョイより、新メニュー“ギガントグリル”が登場だ!!!! 大量のクラブとビーフを特注の巨大プレートに3000ポンド用意!!!! 制限時間1時間以内に平らげたらもれなく無料!! なお残した場合はすべて持ち帰り!! 抵抗したときはうちの能力持ち従業員が容赦なくフクロにします!! それでもいいというクレイジーな野郎は是非来てくれ!! あ、カニ人間の脚は入っちゃいないから安心してくれよな!! ケヴィンズ・フィッシュ・アンド・クラブ・アンド・ジョイが、お前の腹を犯し尽くしてやるぜ!!!!』


「……」


 間もなく、けたたましいシーサイドレストランのCMは断ち切られる。

 シャーリーはため息を付いて、テレビの画面に背を向けて、皆を見る。


「……で」


 呆れて物が言えない。


「――――なんなんですか、これ????」


 つまるところ、彼女の目の前に広がっているのは死屍累々だった。

 いつも以上にカオスと混沌の坩堝と化した事務所の空間内にところせましと(?)横たわる複数の女体。それらすべてが、呻きながら全身を痙攣させている。尋常な様子ではない。さりとて、二日酔いというわけでもない……事実として皆、死にひんしていたのだ。


「ア……ア……」


 キムが痙攣しながらもパソコンに手を伸ばそうとするが、その直前で倒れる。滑った勢いでテーブルにあったコーンスナックが床にぶちまけられる。


「うふふ、面白いわね、あなた……」


 床に寝そべったまま乾いた笑いを浮かべているのはミランダであった。グロリアの姿は見えない。


 ――簡単に言ってしまうと。

 目下、第八機関は金欠にあえいでいた。

 それが原因で、事実として皆、死にかけていた。

 シャーリー以外。


「まったく……」


「なんであなたは……元気なの……」


 ミランダが問いかける。キムは床下に生えていたきのこを食べようと手を伸ばしている。


「いや、『ザイン』とかいうのになってから……不思議と減らないんですよね。お腹」


「人体の神秘ね……」


「人体かどうかも怪しいですけどね……――――って、そんなこと言ってる場合じゃないッ!!」


 シャーリーは思い出したかのように怒髪天。


「だからなんで!! みんなそんなことになってるんですかッ!!」


 要するに第八機関は、普段自分たちなりの手段で生計を立てていたのだ。つまり、機関から下りる報酬だけで生活はしていない、ということだった。


 つまり、彼女たちには彼女たちなりの生活があったということ。

 たとえば、ミランダであれば射撃教室。チヨは武術のコーチング。

 キムは、デイトレード。グロリアは『言えないこと』といった具合に……それぞれの仕事があるのだった。


 そしてシャーリーにも仕事があり、週4でピザ屋の宅配をしている。

 要するに、国連も勝手なもので、機関への資金もそう多くは出してくれないということだった。社会不適合者の集まりとも言えるこの第八機関メンバーが『働く』などという殊勝な真似に出ているのは、ひとえにグッドマンの胃の調子をやわらげるためとも言えた。


 それはいい。

 では、なぜ現在の皆がこんな惨状に至っているのか。


 理由といえば、表向きのものが一つ。

 まずひとつは……稼いでくる額以上に、近頃は『出撃』が多かったということである。

世界の危機が訪れるたび、収入以上のカネが飛んでいった。ゆえに、自分たちの仕事をこ

なす時間もなかなか取ることが出来なかったというわけである。

 そして、もう一つは。


「あなた……何をしてるの……」


「何って……チーズ食べてるのよ。わかんないの? このアホ」


「それ、備蓄してた最後のやつよ……なんであなたが貪り食ってるのかしら? グロリア……」


「いやぁ、腹減ってたから――」


「ふざけんじゃないわよ――このどアホ!!」


「ああー?? あによ、やんのかコラぁ!!」


「キシャアアアアアーーーーッ!!」


「キエエエエエーーーーーーッ!!」


 そんな過重労働のおかげで、彼女たちの低すぎるストレス耐性を大きく刺激したうえで、連日の暴飲暴食やギャンブルという行動を大いに促進させてしまったということであった。

 それを象徴するかのように、今シャーリーの目の前には大量の酒瓶が転がっていて、宅配ピザの空き箱が散乱している。いつもであればミランダが部屋の片付けを手伝ってくれるのだが、今彼女はグロリアとの熾烈なキャットファイトで忙しいらしい。それは望むべくもない。


「ひどい……」


 思わず漏らす。

 おまけに……頼みの綱のフェイも『あの始末』である。

 彼女は今、書斎のソファで横になり、額にタオルを載せた状態でうなされていた。


「うっ……駄目だ、その先は……いかないでくれ……」


 その理由も、実にシンプルなものだ。



「くそッ、このアマが……」


「おっと、手を出すなら勝負の前にしたまえよ……また、わたしの勝ちだな」


 第八機関室長としてのフェイ・リーを知る者は少なくても、LA屈指の博徒としてのフェイ・リーを知る者はそれなりの数にのぼる。


 数多くのカジノに出入りし、そのたびに大量の額を稼ぎ、場を荒らすだけ荒らして帰っていく……いつもの涼やかな笑みとともに。

 ――フェイ・リーの収入源といえば、それだった。

 イカサマも厭わず、相手の立場をもてあそぶだけもてあそび、そしてさっさとその場から逃げてしまう。


 フェイ・リーとは賭場の嫌われ者の代名詞であり、無関係のギャラリーにとってはトップスターの代名詞だった。


 その日も彼女はポーカー勝負で大量の額を稼いでいた。既に彼女の手元には大量のコインが確保されていた。周囲に居るのは、小太りの男……百戦錬磨を思わせる老婦人、そしてたまたま運悪くこの場に割り込んでしまったチンピラ風の若者である。


 誰も彼も、フェイに対して憎しみの目を向けていた。いかさまをしているのは分かっているが、それを見抜けないのだ。フェイは、あまりにも強すぎた。


「また、わたしの勝ちだな……すまないね」


 勝負を取り仕切っていたタキシードの青年は苦笑いしていた……この店、ほとんどこの人のもんじゃないか。もうこれ以上この店に来てほしくないんだけどな。

 そうして……彼女はさっさと勝利宣言をして、立ち上がる。

 ……ところだった。

 しかし。


 ……ばたん。

 彼女はいささか唐突に、その場で倒れて動かなくなった。


 ――すぐさま救急車が呼ばれ、彼女は運ばれていったが。

 予想外の事態に動揺する皆のスキを突いて、彼女の稼ぎを根こそぎ奪い取ったどこかのならず者が居た。


 ――で、その結果。

 彼女の稼ぎは、一夜にして全て失われた。



「過労ね。他にもいろいろ。全部不摂生が原因。いい加減に懲りることを覚えさせて頂戴」


 フェイの診察を終えて、彼女の書斎から出てきた黒人の女性医者は、くわえタバコのままでそう言った。どうやらフェイとは懇意の仲らしい。白衣ははだけ、髪はアップにしている。若い女性だ。


「で……どうすればいいの?」


 グロリアは聞いた。

 すると彼女は、振り向きざま言った。


「とにかく薬飲ませて寝かせておきなさいな。それでとりあえずどうにかなるわ。後は知らない。そいつ、そのうち死ぬわよ」


 ……それだけ言って、彼女は去っていった。


「……やぶ医者」


 書斎のソファで小さく、フェイがうめいた。

 ……すると次の瞬間、開けられていた書斎のドアにメスが突き刺さった。

 皆がぎょっとして医者のほうを見ると、彼女はもう帰っていた。

 ――診察終了。



 というわけで、なんだかんだでフェイも第八機関の一員というわけである。

 ろくにメシを食うカネもなく、彼女たちは餓死しかけていた。

 さもありなん、というわけである。


「まったく……なんて計画性のない……」


「ちょっと待ちなシャーリーッ!! 訳知り顔でナレーションしてるけど、あんたも大概だからねッ!!」


 ミランダの追撃から逃れて、グロリアが言ってきた。


「え?」


「あんたの収入、何に消えてる!?」


 びしっ、と指を突き立てられて。

 シャーリーはキョトンとしたまま、言った。


「……ぬいぐるみですけど」


 ――つまり。

 シャーリーも本来なら飢餓にひんしているはずなのだ。


「は???? ぬいぐるみ????」


「ええ……その、はい。だって、寂しいじゃないですか。ボク、ここから帰ったら一人ですし。だから、買ってるんですよ。ぬいぐるみ。エスタだと思って」


「…………」


 グロリアも、ミランダも。キムも。

 皆、一様に……静止した。そして、シャーリーを見つめたまま、青ざめて沈黙した。


「え???? え????」


 シャーリーには何がおかしいのか分からない。

 だって当たり前じゃないか、エスタが居なくて寂しいのだから、その穴埋めをするものが必要のはずなのだから……。


「……あんた、そんな涼しそうな顔してるけど。あんたも大概ヤバいわ」


「なんか今……闇を見た気がするっス」


「ちかいうちにナニカ起こすわね……あなた」


 まさにドン引き――そんな顔を向けられる。

 だがシャーリーとしては不本意である。何がおかしいのか全くわからないのだ。

 それが腹立たしかったので……とりあえずシャーリーは拗ねることにした。


「もういいです。今日はボクのお金でピザ頼みましょう。それで終わりにしましょう。じゃあ、ボクはチヨさん呼んできますから」


 ――そしてシャーリーは、ぷりぷり怒りながら部屋を出て、階段を上がっていった。


「……あれ、ヤバいよね絶対」


「友情とかいうレベルじゃないっスよ。百合っスよ百合」


「エスタって子の身体、意識戻るまで無事でいられるのかしら……」


 ……残された三人はひそひそと話す。

 その奥では、フェイがうなされてうめいている。


「待ってくれ、いかないでくれ、みんな……」



 さて、ビルの屋上である。

 聞こえてくるのは車のエンジン音と遠いサイレン、そしてすぐそばの室外機の音。お決まりの三重奏。

 そこにあるのは、端に寄りかかるように立てられた物干し竿と洗濯物だけ。

 チヨは空間の中央に立ち、目を瞑っていた。

 抜刀し――その切っ先に、卵を載せている。


 目を開く。切っ先を振って、卵を上へ放り投げる。

 その瞬間彼女は、激しく動き始める。まず地上での演舞。流水のごとくカタナを振るい、様々な種類の攻防を演じてみせる。卵はいまだ上空にある――彼女のカタナは空間に振るわれる。流麗に、激しく。


 それが済むと彼女は、脚部のブースターを稼働させる。

 ……地面を蹴って空へ。今度の演舞は空中。仮想の敵を何人も葬り去り、なおも空中で小刻みに起動してみせる。そのたび脚部が青い光を放つ。

 切っ先が卵を再び載せる――割れない。超絶的な力加減。


 今度は、載せたまま動く。おテダマというやつか。そのまま、違うパターンをさらに数十回。高速で重ねていく。


 ……それから、地上へ。完全に静止。

 最後に、目を瞑って切っ先を真上にやった。

 その瞬間、卵の殻にヒビが入った。


 ……今日はここまで。

 チヨは卵を持ち上げ、見上げて口を開けた。そのまま片手で殻を割り、中から出てきた白身と黄身を口と舌で迎え入れる――咀嚼する。嚥下する。

 片手で器用にカタナを取り回し、懐にしまいこむ。


 同時に、ドアが開く。


「チヨさーん」


「……」


 チヨは片手で殻をクシャッとつぶし、どこかへ放り投げて口を拭った。

 今までの動作を見られることが、何かの恥になるとでもいうように。


 シャーリーがやってきた。


「修行してたんですか?」


 答えない。背を向ける。だがシャーリーは気にせず、先を続ける。


「ピザ来ますよ、お昼にしましょう」


 だが、チヨは答えない。

 シャーリーは何かを思案する顔を作って、しばらく沈黙した。


「あの、チヨさん」


 ……再び口を開いたときに飛び出した言葉は、予想を超えるものだった。


「まだ、つけてもらえませんか。修行」


「……ッ」


 それは、以前からシャーリーがチヨに対して願っていたことだった。


「駄目だ、たわけが」


「どうしてですか。ボク、強くなりたいんです……この力を使いこなすために」


「駄目といえば駄目だ。儂に利益がない」


「そんなー……」


 シャーリーは、にじり寄ってくる。

 チヨは後ろに下がる。


 ――こいつ。おとなしそうなふりをしていて、こういうときは本当に遠慮がない。

 チヨは厄介に感じる。

 だからこそ、ビシッと言わなければならないのだ……。


「ゴホンッ……良いか。改めて言うが」


 チヨはシャーリーに向き直った。

 それから、カタナの柄を彼女に差し向ける。


「うおっと……」


「儂は、お前を信用しておらん」


 じっと睨みつけながら。シャーリーの頬に汗が垂れる。


「そんな……仲間じゃないですか。それに、前にもう、和解して……」


「た・わ・け・が。あれはお前がここにいることを許すと言っただけ。それと『認める』は別の話。ましてや修行をつけるなどと……儂は認めんぞ」


「えー……」


「えーではない。このくそたわけが」


 しつこく食い下がる。

 なので、チヨは改めて言わなければならない。

 ……それは決して、負担の軽い発言ではないのだが。このシャーリーという女が想像以上の馬鹿である以上、こちらもある程度リスクを背負わねばならない。


 だから、言った。


「いいか。どれだけ骨のある部分を見せても、お前はしょせんハイヤーの人間だ。儂の師匠はハイヤーに魂を売って……儂を裏切った。それから、消えた」


 シャーリーは気まずそうな顔を見せて……言い返す。


「それ、前も聞きました」


「たわけが……ならどうして聞いてくる」


「諦めきれなくって……」


「いいか」


 とすっ。


「いたっ」


 柄の先で、彼女の腹を小突く。

 小突く、小突く。イライラ、イライラ。


「儂が第八に入ったのは……フェイのもとでなら正しい力を振るえると思ったからだ。だが、お前はハイヤーだ。信用ならん」


 何度同じことを言って聞かせればこいつの気が済むのか。まだ納得できなさそうな顔をしている。


「そんな……」


「っ貴様……」


 いい加減頭でもはたいてやろうかとチヨが思った矢先、屋上に至るドアがバタンと開いた。


「チヨさん、シャーリーちゃんっ!! 大変っス!!!」


 キムが息せき切って出てきた。なるほど、言葉通りの様子。


「どうした。鬼でも出たのか」


「そうっス、急にジャージーデビルが……って、違うっス、違うっスよ!!」


 キムは急速に近づいて、言った。


「グッドマンさんから呼び出しっス!! 久しぶりに……っスよ!!!!」


 ――で、あれば。

 とりあえず、下に向かうほかない。


 キムは階下に降りた。

 それからチヨは、シャーリーに言った。


「貴様に言うことが3つある」


「……なんですか」


 振り返る。


「ひとつ。儂にその話をするな。ふたつ。儂にその話をするな。みっつ、儂にその話をするな。わかったな」


 ――それだけ言って、シャーリーに背を向けて、階下へ降りていく。



 ……結局数秒後、彼女もそれに続くことになった。

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