#8 Day6-8

「くそッ……あいつら……もう少し……オンナには、優しくしなさいってのよ……」


 グロリアは、食料品店の古びた壁にもたれながら呟いた。

 足が震えて、胸がひゅーひゅー風鳴り音を立てる。

 真上のひさしから雨粒がぼとぼとと落ちて、目の前で幾何学模様を立てる。


 ――彼女は、彼女の能力で乗り移った集団から『吐き出された』ばかりだった。

 その成果は、確実に実っていた。


 ……大統領の消えた方向へと向かう暴徒が減少した。そのかわり、『原因不明のうちわもめ』が発生し……やがて彼らは、大統領に対して威力交渉を起こすことそのものを諦めるようになった。

 それ以上に彼らは、とばっちり気味に漏れてくる落石に注意し、上空で繰り広げられているものを注視する必要に駆られたからである。


 そして今、グロリアは――今回の役目をなかば終えたうえで、小休止している。

 ……しかし。

 彼女の心は、それどころではないほど荒れ果てている。


 上空を見る――そこにはあいつが居る。ミランダが、敵と戦っている。虹のような閃光をたなびかせながら、互いに絡み合いながら上空を駆けている。

 それが、皆を驚愕させ……どこか、魅了している。

 ――そう、あの、ミランダ・ベイカーが、である。


「なんだ……あんなふうに飛べるんだ、あいつ」


 彼女は、笑おうとした。

 だが、うまく表情に出来ない。

 ――どうした、グロリア。

 あんたはいつだってヘラヘラ笑ってるのが仕事じゃないの。

 それ以外に、取り柄なんて……――。


「ッファック…………!!」


 なかば口癖になったそれを吐き出して、壁を強く叩く。

 もはや誰も、彼女を見ていない。

 

 再び彼女が顔を上げて、その光条を見た時。

 そこにあったのは、驚くほど淀んで、ぼんやりとした瞳だった。

 強いマリファナをキメて、意識が揺蕩っているように。


 そう――事実、彼女は今、過去を見ていた。

 ミランダ・ベイカーと出会った時の過去を。



 ――暗い女だ、と思った。


 どこまでもどんよりと濁った瞳。そこには現在のなにものも映していないかのような。顔を覆っている黒髪も、その華奢な長身も、全てがまるで亡霊のように見えた。


 グロリアには甚だ疑問だった。

 ――フェイは一体何をもって、こんな女を連れてきたのか。

 自分の働きだけでは不満だというのか。


 ……苛立った。

 だから、その女に対して、あからさまな挑発をぶつけてみた。

 ――絶対に、こいつは怒ってくる。その時、どんな表情を見せるのか。それで、こいつの人となりが分かる。そうなれば、フェイの真意だって見えてくる。この女は、第八に……どんな想いを抱いて入ってきたのか。


「ねぇ。顔上げたらどう? あたしの胸がそんなに魅力的だってわけ?」


 そう、言ってやった。

 ――今にして思えば、それはあまりにも迂遠な言い回しだった。

 今ならもっと攻撃性に富んだ文句を投げていただろうに。


 そして、その女――ミランダ・ベイカーは。

 こう返してきたのだ。


「――あなた。随分と暗い性格なのね」


 そう。

 これまで一度だって、そんなことは言われたことがなかった。

 少なくとも、こんな体になってからは。


 セックスと酒のことしか頭にない、どうしようもないあっぱらぱー。

 それがグロリア・カサヴェテス。金髪白人女のカリカチュア。

 どいつもこいつも、自分をそんなふうにみなしてきた。だからこそ、ラクだった。


 ――だのに、目の前にいるそいつは。自分よりも幾分か年上に見えるそいつは。

 あろうことか、自分の中の闇を、一発で言い当てた。


 グロリアは思う。

 その時点で、自分はミランダが相当癪に障っていたのだろう、と。

 暗く淀んだその雰囲気だけではない。

 むしろ、腹が立ったのはそこではない。


 ――その澱の中に見える、鋭く射抜くような光が、グロリアには眩しく思えたのだ。それは、最初見えなかった。

 しかし、第八として(不承不承ながら)共に戦ってきた中で、見えるようになってきた。


 ……それが別種のいらだちへと変わるまで、そう長い時間はかからなかった。彼女自身が、その光に気付いていないであろうという事実が、より苛立ちを加速させた。


 その感情が、明確な名前を得るに至ったのは、ミランダの過去を――どこかで嗅ぎ取ってしまってからだった。

 ――その感情の名は、羨望。

 少しの罪悪感とともに、それを胸にいだいた。

 

そう――グロリアには、うらやましかった。

誰かを『愛し、愛された』という記憶がしっかりその身に刻印された彼女が。

どうせなら、自分も――同じ立場で居られたら。


そうしたら自分も、『あの人』を……自分の呪いで、縛り付けてやれるのに。

そんなことを、思ったこともあった。


そのたびに彼女は……ミランダのことが、更に嫌いになった。



 グロリアの目は遠い過去を見ることをやめて、現代に戻る。

 それから、座り込んだままポケットからタバコを取り出して、咥える。

 おなじみのラッキーストライク。

 火をつけて、たっぷりの時間をかけて吸う。

 ……それから、電話を取り出して、かけた。


 相手は、彼女しか知らない男。

 ミドルネームも名字も好きな酒も、知らない相手。


「ねえ。明日の晩、会えない? ――そう。あんたがいいの。ちょっと、変なところで色気出さないで。どうせ身体しか見てないんだから……それが良いのよ。あたしらは。あんたも、身体だけ見てりゃいいの……愛してる? そういう言葉は、もっと上等な男にとっときなさいよ」


 そう言って、笑った。

 相手の言った言葉を聞いて、更に笑った。

 ――そんな綺麗事を吐いたって、あんたはどうせ既に『いきり立ってる』んだから――あたしには、お見通しよ。

 彼女にとっては、愉快でたまらなかった。

 電話を切っても、しばらく笑った。


 ……しかしながら、心の奥底に空いた穴は、まるで埋まりそうになかった。

 グロリアは苛立ったまま、タバコを地面に押し付けてもう一本取り出す。


 ――どうせ、もう一仕事ぐらいしなきゃいけない。そうなれば、嫌でもあいつの姿が目に入る。


 それまでの間ぐらい、紫煙の中で埋もれたって、構わないだろう。



 雨の中、彼女は加速する――既にどれだけの速度に到達しているのか分からない。耳元で甲高い音が聞こえ続けている。高速でビルの群れが通り過ぎていき、暗闇の中で浮かび上がる色付きの帯にしか見えなくなる。後方から、気配がある。


 そのたびに彼女は翼を巧みに操って、急旋回と急制動を繰り返す。


 ……遅れて来た殺意は自分の傍らのはるか向こう側に着弾し、轟音を立てる。その頃には既に、彼女は相手の背中を狙うために身を翻し、加速している。

 だが――瓦礫は相変わらず自分に向かって飛んでくる。ミサイルのように。

 紙を揺らめかせるようにしてそれらを回避していく。別のビルに瓦礫が衝突し、さらなる被害が生まれる頃には――既に敵は再び自分の後方にいる。


 そしてふたたび、追いかけっ子が始まる――どれだけの距離を飛んだのだろう。ビルの隙間を縫いながら飛行し、加速し……蛇行し、旋回する。どれほど逃亡を重ねたかわからない。だが、分かるのは。このドッグファイトが続く限り、飛行の余波でビルの窓ガラスは砕け、ビルの崩壊は規則性を帯びて自分を襲い……結果として、さらなる余計な被害が広がるということだ。


「……――――ッ」


 逃げ惑うだけじゃ、だめだ。

 頭を振れ、思考を回転させろ。かつての、軍人時代を思い出せ。あの頃の切れ味を今白日のもとに曝け出せ。この場合お前はどうする――逆転の方法を考えろ。


 火力は向こうのほうが上。あの十字架状の火器は驚異的な威力を秘めている。連射は出来ないにせよ、破壊力と装弾数が計り知れない。まともに喰らえば死ぬだけじゃ済まない、もっと酷い目に遭う――だが。


 だが、速度はこちらのほうが少しだけ上らしい。でなければ、こうしてビルの合間を縫って飛行して、終わりのない追跡劇を続けることだってままならないはずだ。鉤爪でとらえられて、その喉首をかききられているはずだ。


 だが――そうはなっていない。なっていないのだ。

 なら……それを利用するしかない。


「あいつは――……」


 あの腹立たしい金髪の女は、こうしている間だって常に未来を見ているはずだ。明日のことを考えているはずだ。それをするのだって、本当に苦しいはずなのに。あいつは私に反発したいがために――……。


 未来。

 ……『未来』。


 ――今より、先の時間……。


「…………――――」


 天啓のように降り注いだそのひらめきは、彼女を強力に打ち据えた。

 実際それは、この鬼ごっこをやめさせるだけの威力を秘めていた。

 そして彼女は――その思いつきを、実行に移す。


 すべては、ひとえに……あの女が、脳裏に浮かんだからだ。

 腹立たしいことに。



「――……」


 イアンの中で、その疑問はトゲのように思考に突き刺さり、徐々に広がりつつあった。

 ――相手の動きが、変化している。


 つい先程まで続けていたのは、ひたすらに逃げ惑う相手の尻を追いかけて、その頭に銃弾をぶち込むべくひたすら加速する行為。その間いくつものビルが破壊され、情景はカオスに転じた。

 流れていく景色は時間が経つごとに変化していき、その全ては映画のフィルムのように後ろへ向かっていくだけだった。


 奴はときたまこちらの背中をとらえるべく旋回や回避を繰り返したが、かなわない。経験が違う――対人の経験が。それを見抜いていたからこそ、このドッグファイトは自分の優勢で進んでいた。


 後は、奴が疲労を蓄積させ、速度を落とせば……街の上空のど真ん中で奴を撃ち落とし、それで終わり。

 そのはずだったが……。


「……――ッ!!!!」


 奴は今、その二丁の奇妙な銃をどこかに向けて、放っていた。

 こちらを向いているわけではない。逃走劇が逆転に転じたことは、この戦いが始まってから数えるほどしかない。


 そして、その銃撃は、あっさりと夜闇に吸い込まれて消えて。

 ……引き続き、チェイスが再開される。同じ場所をぐるぐると周りながら。


 ――やけを起こしているのか。

 だとしたら、舐められたものだ。


 奴の銃撃は数度続いたが、そのたびに銃弾は自分とはまるで違う場所へ吸い込まれて、夜闇に消えた。ビル壁面が砕ける音が遠くで聞こえたが――虚しく響くだけだ。

 イアンは追跡を再開する――さぁ、いい加減に終わらせよう。そしてお前の正体を知ってやる……。


 奴はそれでもなお撃ち続けている。

 そのせいで、逃走が一瞬中断される。そこを狙わない手はない。イアンはそいつに狙いをつけて……撃った。

 ――銃撃。

 羽根が舞った。奴が空中でよろめいて、苦悶の声を上げた。

 そして、こちらに向けて構える。二門の銃口。


 放たれる――だが。

 やはり当たらない。それは闇のなかに消えていく。


 だが、奴は撃つ、撃つ、撃つ――……。

 でたらめに、じぐざぐに飛びながら。


 ――そんな攻撃が……当たるわけがない。

 もし、痛みからの逃避であんな行動を続けているのなら、愚かなことだ。

 早急に、殺してやらねばならない。


 加速する。

 奴は向かってくるこちらを見ると怯えるように身を翻し、再び逃走を開始する。


 ――雨は冷たい。

 ……だが、そんなものはもはやどうでもよかった。なにもかもが。

 

 混濁する殺意の中、彼は再び追跡を始める――!



 後方から、奴が猛然と迫りくるのを感じる。撃たれた場所は悲鳴を上げている。だが、飛翔の妨げになるほどではない。アウトレイスを成すのは、その者の精神とはよく言ったもの。自分はまだ、折れていない――飛べる。だから、飛び続ける。


 彼女は羽根を血とともに撒き散らしながら、飛ぶ。ビルの隙間を。地面の上を。滑るように、駆けるように。


 まるででたらめな飛行。手負いの猛禽が、腹に2本の長物を咥えこんで、死にかけながら飛んでいる。その後ろから、もうひとつの猛禽が高速で迫りくる――命を狩るために。下から眺めれば、きっとそんなふうにしか見えないだろう。

 ――だが。

 それが、ミランダの飛翔をやめる理由にはならない。

 彼女は飛び……また、撃った。どこかで炸裂音。小さく、しかし、確実に。


 奴は迫る――迫る、迫る。

 だが、焦らない。ひとつの冷静な計算を弾き出す。飛翔を続けながら。


 ――そう。気付かない。あいつは気付かない。

 ――私が、何をしているのかに。

 ――私の行動が何を意味しているのかに。


 ――


 よろめきながら飛んでいく、飛んでいく。その時折彼女は翻って銃口を傾けて、続けざまに撃つ。夜闇に吸い込まれていく。敵には当たらない。血が雨とともに流れていく。ぼっかり空いた穴。苦し紛れの銃撃――当たらない、当たらない。


 ……そう、奴はそう考えている。だから、愚直に自分を追ってくる。

 痛み。激しい痛み。その中で思考を継続する。加速する。


 ――あいつは、全てを撃てばいいと思っている。障害となるもの、すべてを。

 ――だから、撃ってはいけないものと、そうでないものの差に気付かない。


 彼女は翔ぶ。射撃を中断して、ある場所に向かっていく。手負いの身を抱えながら、しかし、そこには確固たる意思がある――奴は追いかけてくる。鬼ごっこは終わりだ。


 ――私だけを見ていて、他の何にも気付かない。

 ――だから、私がこうして……。


 狭いビルの隙間を彼女は通り過ぎた。翼が接触し、火花を散らす。横一列に轍が刻まれる。それでも、体を斜めにしながら、全く減速することなく通過する――後ろから追ってくる。同じく、全く速度を緩めることなく。

 しかし、それこそ……狙い通り。


 彼女はビルを抜けた。そして、そのまま旋回し、減速……ゆとりをもって身を翻す。

それから、奴がこちらにめがけて飛んでくるのを見る。その銃口はこちらに向いている。

ミランダも同じく、相手に銃口を向ける。2つの銃口を。それは相手からすれば十分に避けられるものだ。真正面の弾丸など、当たるわけがない。

 ――そう、少なくとも。本人には。


 ――彼女はそこに来て、唐突な行動を起こした。その体の半分を人間に『戻して』、2つの銃を一つに合体させた。そして構えたのだ。狙撃モード。敵はそれを見た。だが向かってくる……避けられるからだ、だが、ミランダのねらいは、そこにはない。彼女の狙いは、敵の後方……。


 ――だから、私がこうして……少しずつ、ビルにヒビを入れていた事実に気付かない。


 そして彼女は構えて撃った。弾丸は敵の正面に打ち込まれ、そのままいけば彼を穿つ。

 しかし当然、回避する――。


 ……そして。


 撃ち込まれた弾丸は、炸裂した。

 後方のビルディングに。

 彼女がずっと、弾丸を撃ち込み続け、崩壊を誘っていたビルディングに。


「……――!!!!」


 その瞬間――ビルの上部が崩壊を始めた。それと同時に、正体不明の『敵』の力が作動する。

 轟音、白い煙。

 その狭間から。


 ――無数の瓦礫。ブロック状の。

 こちらに飛んでくる、ミランダの。だが、彼女は冷静だった。銃を下ろして、ひらりと舞う。知っているからだ。


 ――その手前に居たのは、敵だった。


「――!!!!」


 相手が狙いに気付いた時には、既に遅かった。ミランダに向けて襲いかかるはずの瓦礫は、彼の身体を激しく打ち据えた。濁流に飲み込むかのように。


 ――声にならない叫びを聞いた。

 ミランダの作戦は、結実したのだ。



 痛み、激しい痛み。身体中から血がほとばしり出て、雨とともに流れていく。彼は落下していく。奈落へと――。


「クッ……AAAAAAARRRRGHHHHHHHHHH!!!!!!!!」


 だが――咆哮し、強引に身を捻った。

 落下する彼の視界には、別のビルの屋上が見えた。

 怒りと憎悪が収まらない中、彼はそこに向かい……着地した。全身を打ち据えながら、滑り込むようにして。


 ――前方へと形成される、血の轍。


 ――それと同時に、ミランダは全ての瓦礫をかわしきった。

 彼女を見失い、コントロールを失ったそれが落下していく……雨の中を。


「ハーッ……ハーッ」


 荒く息をつきながら羽ばたく。周囲を見る、そして気付く。敵に。奴はあの屋上に居る――……!


 ……彼女もまた、限界が近づいていた。


「残り……二発」


 装弾数を確認する。

 そして、奴を見た。


 ――低いビルの屋上でもぞもぞと蠢きながら、這っている。その後方に、血の垂れ幕が形成されていく。奴はどこに向かおうとしているのか。

 ……すぐに、その疑問は晴れる。


 奴の向いている方向の先にあるのは、セントラルパークだ。そこは、いずれ大統領が辿り着くであろう場所。

 まもなく、奴は建物の縁によろめきながら立って、翼を完全に広げきった。


 ……奴はまだ、諦めていない。

 この期に及んでまだ、大統領殺しを諦めてはいない。


 焦りはしなかった。おぞけも走らなかった。

 ミランダの行動は迅速で、その思考もどっしりと落ち着いていた。

 ――諦めていないのは、こちらも同じ。


 だからミランダは、疲労で泥のように重い身体に鞭打って――そこへ、急降下していく。そして、視界に映るビルへと突き刺さる。


 ……土煙。

 起き上がる。まだ身体は獣で、ヒトではない。向こうもそうだ。ヒトでもトリでもない、異形。


「……」


 気付いた向こう側が、ゆっくりとこちらを向く。

 向かい合う、沈黙……互いの間に雨がごうごうと降り注ぐ。

 顔はよく見えない。

 しかし――元の人間が誰であるかなど、この際考えなかった。

 そうする必要もなかった。


 間もなく、両者は咆哮した。その羽をもつれながらもはためかせ、屋上を滑空――衝突する。


「AAAAAAAAARRRRRRGHHHHH!!!!!!!!!」


 二人は同時に、その鋭い凶器の如きくちばしを相手につきたて、互いの身体を穿とうとしていた。もはやここにきて銃器は意味をなさなかった。

 羽根が舞い、肉弾戦が展開される。


 モロウ同士の、くらいあい。

 血しぶきが噴き出して、肉がえぐれる。

 それでも二人は、互いの息の根を止めるべく殺し合う。

 舞いながら、地に足をつけながら。


 ――嘴が、首筋に降りかかる。彼女は避ける。同じ攻撃を奴に浴びせる。奴も回避する。その繰り返し。果のない暴力。


 ……そこに感情はなかった。

 あるのは殺意だけ。互いの命を刈り取るための、果てのない闘争だった。両者の力はここにきて拮抗していた。


 二人は知らない――互いが誰であるかを。そして、それ以上に、どれだけのものを、互いが背負っているのかを。


「AAAAAAAARGHHHHHH……」


 ――だから、それで決着はつかない。

 片側は首筋を、もう片側は腹部を押さえながら引き下がる。どろりとした赤黒い血がぼとぼとと垂れて、ビルの外側へと洗い流されていく。


 両者は再び向かい合った。それぞれ、ビルの端で。

 そして、二度目の沈黙。

 今度は、互いに銃を構えていた。


 一方は十字架――もう一方は、ただの、一本の、ロングライフル。

 それが生き方の違いを象徴していることに、互いは気付かない。


 その銃把に指をかけるとき、互いが何を思っているかを、二人は知ることはない。


「……」


 看板のネオンサインが、その場所を照らしている。雨のロサンゼルス。

 二人は、構えている。

 そして、どこかで――……。


 どこかで、見知らぬ誰かの悲鳴が上がった。

 そのとき、一人は過去に殺した人間のことを思った。

 もうひとりは、これから護るべき人間のことを思った。

 そして、銃声が響いた。


 それは2つ上がったが、街中で響くサイレンの音でかき消された。

 だから、その後に続いた、片側が倒れる音も聞こえなかった。


 いずれにせよ、この町ではよくある話だった。

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