#7 Day6-7
「ガアアアアア、が、ああああっ…………」
痰と血が口の中でぐちゃぐちゃになったものが吐き出され、彼は怨嗟を喉の奥から叫んだ。撃たれた部分から火が噴き出したように感じる。耐え難い痛み。
彼は倒れ込み、脇腹を押さえる。どくどくと血が吹き出る。再び口から吐き出す――敵意を。
「ユルサない、ユルさないぞ……クソッタレめ……」
もはや誰に向かって言っているのかも定かではない。
彼の意識は混濁していた――薬物のオーバードーズに似て。
「コンナモノは現実じゃあない、そうだ、そうだろう――……」
彼は雨の中、落書きだらけの壁に手をついてゆらりと立ち上がる。
そして、果物の皮と注射器でいっぱいになったゴミ箱の隣で震えている老人に顔を向けた。
「そう思うよな、あんたも……」
「ひ、ひ……っ、」
しかし、彼に見えているのは老人ではなかった。
そこに居るのは――。
「そうとも、その通りだとも、イアン……再確認しろ、お前の存在を。憎悪を炉に焚べろ……人間性などクソだ……お前が居るべきは、ここの現実じゃあない……思い出せ、お前が何をしたのかを……」
あの男。自分をこの場に誘った男。
瀟洒なスーツを身にまとった男。自分の腕に薬剤を注射した男――。
その男だった。彼にはその男がその場に座り込んでいるように見えている。
「ああ、そうだ……その通り……ここは2018年なんかじゃあない……僕がいるのはコンプトン……2000年の……」
うわ言のようにつぶやく。
「そうだ――お前はそこにいる。ずっと、ずうーーーーーーーっとだ」
男は立ち上がって、イアンの耳元で囁いた。
「思い出せ……お前の、痛みを……」
その言葉とともに。
イアンは、傷つき、穴の開いた羽根を一気にむしり取った。
「が、ああああ……」
膝をつき、口から痛みの叫びが漏れる。そして、過去が一気に流れていく。無数の死人の顔と、知らない女の顔が交互に現れる――……。
そこからのがれるために、彼は……前方のシミに向けて、拳銃を撃った。
一発、二発。
――そのうちの一発が浮浪者の老人に当たり、その枯れかかった命を奪った。
……そこで、すべての呪縛が解けた。
彼は弾かれたように自由になった。
「ッはははははははは、はははははははははははははははは!!!!」
そう――彼は受け入れた。
すべての雨を、両腕を広げて。
そこから変形が始まった。
ばきばきと全身がきしんで、これまでにないフォルムを形作る。
ただの猛禽に過ぎなかった姿は、人間と鳥類を混ぜ合わせたいびつな姿へ。そこへ更に加えられるのは、彼の虚無。その象徴たる――禍々しい装飾。悪魔……彼の姿は、悪魔になっていく。
暗闇、倒れた老人の体。
その血溜まりに浮かび上がるのは――トリでも、人間でもない者の姿。
モロウの到達点……その姿。
彼もまた、そこに在った。
「そうともッ――僕はこれでいい、これでいいんだッ――」
彼は叫んだ。
それから、その男を見た。
彼はうなずいた。
「――そうだろ、兄さんッ!!」
彼の表情は、優しかった。
……その額には穴が空いていた。
……数秒後。
彼は、翼を広げた。
周囲のゴミすべてを淘汰しながら空中へ浮かび、LAの夜空へと飛翔した。
――異形の、悪魔が。
◇
両者はにらみ合い、しばしの沈黙が流れた。空中で。雨が降り続いている。
ミランダはその異形に一瞬驚愕した。しかし、すぐさまそのおそれを心の奥にしまい込む。敵は一つ。こちらも一人。
やることも、ひとつ。
前方の者に問う。
――ねぇ、そうでしょう……――私の敵!!!!
二人は同時に構えて、撃った。
その身をかわすのもほぼ同時。
二人の後方にそれぞれ弾着。ビルの上部が崩れる、そのブロックが空中で固定され、こちらに飛来する……それを、スローモーションの中で見た。
その瞬間には既に、翼は展開され――。
轟音。
二人は加速した。互いに向かって。
間もなく衝突する。
彼らの後方に、雨の轍が生み出された。
――閃光のように。
◇
シャーリーは駆け巡りながら、落下していくビルの破片を次々と破壊していく。
まるでキリがない。一つのビルにヒビが入ったかと思うと、そこからたちどころに崩れていく。そのモーメントに遮られて、ミランダを見つけることもままならない。彼女を支援することが、第一の目的なのに。まるで追いつかない。彼女は今、どういう状況なのか。通信もまるで入ってこない。
「ハーッ……ハーッ……――」
キーラは、大統領は無事に逃げおおせたのだろうか。そればかりが気になる。
しかし確かめる手段はない。そして何より不気味なのが……この倒壊に『意図』は見えても、その『理由』までもは見えてこないということだ。
――ディプス、あるいは別の誰かが仕掛けてくる謎の倒壊。
「うわああああああ!!!!!」
「逃げろ、逃げろ!!!!!」
フリークスたちが、ブロック状で、まるで意志を持つかのように襲いかかってくる破片から逃げていく。そんな彼らの矢面に立って、シャーリーは自分の腕を引き絞って、放つ。その際マフラーは鋼のように変形し、地面に突き刺さり、安定感を与える。彼女が無意識に操っている新たな力――進化。だが、それも今は気にならない。
この事態のほうが深刻だ。
つまり――ディプス(仮)が操るこれが引き起こしているのは、自分たちを妨害し、その上で、ミランダに負担を強いる環境を作り出すことだ。
だが、その理由が見えてこない――誰が、なんのために。
「くッ――……」
雨が、身体を濡らすたび。疲労感が蓄積され、思考が奪われていく感覚。
アウトレイスの力とは意志の力。本来ならとっくにくたばっているだろう。だがそれでもシャーリーは、なんとか耐えていた。
豪雨。そして夜の闇。車のヘッドライト。黒と朱、そしてネオンの胡乱な光。逃げ惑う人々の騒音。気の狂わんばかりの状況の中で、シャーリーは一つのことだけを考えていた。
つまりは、ミランダのことを。
「ミランダさん……――頼む、無事で…………ッ」
◇
ひどい酔いから覚めたかのように、人々は逃げ狂っていた。
突如として空間に踊り始めた瓦礫。それが自分たちの元へ降り注いできたとあっては、逃亡以外に道はない。
なおも大統領に対して『威力偵察』を行おうとしていた者たちは、まったくもって唐突にその動きを変えて、同じことをしようとしていた大勢の者たちに向けて脈絡のない暴力を行い始め、その行動を妨害した。それにより、彼らの足並みは大きく乱れた。
結果として、今に至る。街は混乱の極み。肝心要の大統領も、もはや何処に居るのかもわからない。
彼らの目的は――もはやかなわない。
ああ、またか。その諦観に浸ることも出来ただろう。
だがそれ以上に現状は、恐怖が上回っている。
「そっちのビルも崩れるぞ!!!!」
「逃げろっ!!!!」
群衆の一人――逆モヒカンにサングラスをかけた彼は、つい先日ホームセンターでのパートタイムを首になったばかりだった。勤務中、トイレのついでに2,3発キメただけなのに、あの牛首頭は容赦なく俺を吊し上げて、三行半を叩きつけやがった……連れの女にぶん殴られて出ていったあとの彼は冷静になり、その時の自分に否しかなかったことを発見したが……結局その自省は、彼のなけなしのプライドが許さなかった。
結果――収集のつかない怒りは、漠然とした巨大なものに向けられた。彼はその敵を大統領に定めた。そもそもあのババアが、弱い者を塩水にさらすような法律を作るのが悪いんじゃないのか、法律がなんなのかよくわかんねぇけど――……そしてデモに参加。楽しかった、気持ちよかった。
……それが今は、これだ。一体何がどうなっている。この街の怒りを叩きつけようと思ったら、今度はその逆。この街に、襲いかかられている。まるで何かの意志を持つかのように。
居ても立っても居られなくなり、彼は隣の男に聞いた。
「おい、何がどうなってる、おい――……っつうか、止まってんなよ、おっさん!!」
その男はガタガタと震え、蹲っていた。
一体どうしたものかと、問うた……すると、彼は呪詛を吐くように言った。
「お、俺は……覚えてる……」
「何がだ、おい――こいつはディプスの奴が仕組んだことじゃねぇのか!?」
「ちがう――……ブロック状に崩れ去るビル……お、俺は覚えてる、覚えてるぞ……こいつは、ディプスのしわざじゃあない……」
「じゃあなんなんだ!! さっさと答えてくれ――」
「お、俺は覚えてる……これは、前にもあった……そうだ、数年前の……『あの事件』のときにっ……!!」
「『あの事件』――!?」
男は、更に強く問おうとした。
……それを聞いて、何を求めようとしたのだろう。答えが出たところで、この現実は変わらない。雨がやまないのと同じように。それなのになぜ彼は問おうとしたのだろう。生きようとしたのか? もしそうなら、彼は哀れというほかない。
……なぜなら数秒後、彼ら二人は、あっさりと落石の下敷きになるからだ。
◇
「つまり……連中に強く知らしめる。この私が、帰ってきたとな」
――人々の反応が変わりつつあるのを、彼は見て取った。
……つまり、明確にこれが『ディプス以外の何者かの仕業である』旨を、なんとなく了解し始めているということ。
恐怖の質が、変わりつつある。
そして人々は、理解しつつある。思い出しつつある。
――数年前、このアンダーグラウンドを襲った惨劇を。
彼は、不遜に鼻を鳴らして言った。
「とはいえ……こいつはちと人使いが荒すぎないか、ディプス。あの瓦礫を『なおす』のは、この私なんだぞ」
そして数日後、街はその言葉通りになる。
彼は、有言実行の男だった。
◇
「ッああああああああああっ!!!!」
シャーリーは、すんでのところで落石を破壊した。
彼女の影にいたのは、二人の男。片側は逆モヒカンの様相で、無駄に目立つ。
間に合った――ほっとする。
周囲にふっとんだ残骸が水の上に跳ねる音を立てる。シャーリーは彼らを見た。
「ぎゃあああああああ、し、死……んでない!? 何が起きた、あ、あんたは――!!??」
「はやく逃げてッ!!!!」
彼女は二人に叫んだ。
しかし……彼らは動かない。
「何を、はやく――」
彼らは空を見上げていた。
そして、あるものに釘付けになっていた。
シャーリーはそれらを見て、小さく声を上げた。
……ふたつの流星が、雨の空で、絡み合いながら衝突している。
◇
二人は速度を一切緩めなかった。はじめから最高速度で、彼らは特攻した。その翼を折りたたみ、高速で、槍のように。彼らは衝突する。3、2、1……――だが。
視線は互いを見て、すれ違う。一瞬だけぶつかり、火花が散った。
そのまま互いに反対側へ。周囲の雨が散って、ランダムに広がる。その中で……急制動。
イアンは、反対側に特攻した勢いで身体を逆さに向ける。そのまま翼を広げてスピードを瞬時にゼロへ。羽根がちぎれて宙を舞い、身体に莫大な負担がかかるが、それを無視する。十字架状の長大なライフル、その先端が、その勢いのまま相手に差し向けられ――放たれた。
……だが、背を向けていたミランダはひらりとかわした。まさに、フレアを回避する戦闘機のように。それを受けたイアンは――心の中で小さく罵倒する。すぐに翼をはためかせる。
その瞬間には既にミランダは移動を開始。放たれ、外れた弾丸は夜の闇の中へ吸い込まれ、どこかへと着弾。イアンは彼女のしっぽを追い始める。高速で――……異形の猛禽同士の、ドッグファイトが始まる。
追いかけるのはイアン、追われるのはミランダ。そのはずだった。
だが、今度は――そう簡単には行かなかった。
始まったのは……激しく攻防が入れ替わるサーカスだった。
夜の闇の中で、花火が上がる。
◇
激しい雨の中、攻防が次々に入れ替わる。
超高速で飛行する彼らがビルの隙間を通過するたびに、壁が揺れて窓ガラスが割れる――二人がそれを気に留める暇はない。彼らは互いの背中を狙うことに必死だった。
夜の闇の中、猛禽の目が激しく光る――その暗黒の中に、二筋の閃光がほとばしり、熾烈な追いかけっこを続ける。
イアンが、彼女に狙いを定めた。そして、腹に抱えたライフルを作動させる。
――一発。二発、三発。
高速飛行しながら放ち、彼女に差し向ける。
彼女はそれらを空中で交わしていく。
……ビルディングに炸裂し、激しい爆炎。隙間を縫いながら、彼女は翼をおよがせる。そのままこちらを狙ってくる、追いかけてくる――させるものか。ドッグファイトが続く。
粉砕された瓦礫はブロック状にまとまって彼らの方角へ。
その生命を確実に狙うかのように飛来し、妨害する。彼らは回避する、回避する――夜の空間にモザイク模様。その隙間の黒を狙って、二人は飛んでいく。ジグザグな軌道が空に描かれていく。雨は降り続き、二人の空戦の音は地上にはまるで響かない。
……イアンはミランダの背中をとらえていた。
だからこそ、容易に撃つ。
撃つ、撃つ、撃つ――飛行しながら。
ミランダは加速する――身体に負荷を感じながらも飛んでいく。そして、迫り来る射撃から逃れる。
後方で、ビルが横一列に薙ぎ払われた。一瞬で蜂の巣になり、穿たれ、爆発する。窓ガラスと壁材が弾け飛び、空中を舞う。地上に降り注ぐ。ミランダは飛び続ける――そして、探す。どこかで……どこかで、奴の背中を『とらなければ』。
――勝機はない。
◇
イアンにははっきりと分かっていた。
向こうからの射撃はひどく散発的。それどころか、この空戦が開始されてからろくに放たれていない。
かたや自分は、明らかにその射撃で相手を追い詰めつつある。
その違いとはなにか。
――やつは、街に被害を出さないように考えているのだ。だから、無作為に銃弾をばらまくこともしなければ、ビルの狭間をすり抜けて窓ガラスを次々に割ることもしない。
だが……それが、苛立った。
彼は正気を失っていた。
狂気は簡単に怒りへと変わる。
「ふざけるな、ふざけるなよ…………!!!!」
戦いを舐めている相手に、本当のコロシアイを見せてやる――……。
そしてイアンは、更に加速した。
……相手は逃げ続けている。
その銃口が、また相手の方向へ狙いをつけ、放たれる――。
◇
彼女はその身を空中でひねり、銃撃を回避した――そして、更に加速する。
だがその影響で……。
轟音。
どこかのビルに炸裂。そしてまた、瓦礫のブロック。こちらに向けて飛んでくる。
キイイイイーーーーーー……ン。
耳元で、加速する自分の音が響く。身体中が引きつる。それでもなお、飛んだ。
ビルの隙間を縫って、道路を睨めつけながら。全ての情景が四隅にぐるぐると撹拌されるのを見ながら、それでもなお、飛ぶ――今、どれだけの速度が出ているのか分からない。飛ぶ、飛ぶ。瓦礫を回避しながら。
……このままでは、らちがあかない。
銃口は常に自分を向いている。奴はこちらを追跡し続けている。このままドッグファイトを続ければ、いずれは――。
「……ッ!!」
それでも彼女は。その先に頭を巡らせることをやめなかった。
諦めることだけは、しなかった。
――ミランダ・ベイカーにとって諦観とは一つのクスリのようなものであり、心に癒やしを与えてくれる考え方だった。そこに身を浸し、全てを投げ出す……そうすれば、何もしなくていい。罪悪感のおまけがついてくるが……自分が、行動を起こす必要がなくなる。
だが、今は。
どういうわけか、その感情を捨てようとしている。
自ら、苦しい境地に足を突っ込んでいる。頭の中でガンガン鳴る鐘の音は、加速することでもたらされる苦痛だけではないのだろう。これは警告だ。おいミランダ、お前は今、おかしなことになってるぞ、かつてのお前なら……。
……うるさい。
うるさいうるさいうるさい。
理由はもうはっきりしているんだ。
あいつだ、あいつが居る限り、私はもう、諦めることが出来ない。
――金髪の、無駄に色気を振りまいて、馬鹿みたいに笑うあいつ。
いともあっさりと今を生きていると言い張り、過去を簡単に割り切れるあいつ。
あの女のふわりとした髪が、その声が――自分に向けられた怒声が。頭から離れない。
だから今、『諦め』を選択してしまえば。
……あいつが、一体どんな反応をしてしまうのかを考えてしまう。
それだけは、それだけはさせない。させてたまるものか。
畜生、ムカつくあいつ。避けられないあいつ。
――グロリア。
その名前を呼ぶたびにイライラする。
だけど。
その名前を呼ぶたびに、心の中で何かが沸騰する。
――負けられない、諦められない。
――私は……勝たなきゃいけない!!
ミランダは視線の先を見据えた。どこまでも広がる夜闇に、縦線で雨。その奥に散らばる蛍光色のネオンサイン。
――加速する。
彼女は、その先へ、先へと飛翔した。
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