#3 Day6-3

 LAの象徴である棕櫚は、濡れそぼりずたずたになり、それでもなんとか林立していた。


 街路の端を割くように立ち並ぶその上を経由して、ミランダはリムジンの群れに並行しながら飛んでいく。

 彼女の姿は荒れ狂うデモの波にごまかされ、まるで目立たない。何かの目的があって飛んでいたとしても、その理由に気付かれない。


 だが今、彼女は――口に煙管をくわえ、そこに火をともしながら……違和をはっきりと感じていた。

 リムジンの群れは、着実にセントラルパークに向かいつつある。そこで、あのピンク色のおばはんは理想と愛に満ちた大演説をぶつのだろう。それはいい。無視をすればいい。だが――あまりにも。


「……うまく、いきすぎてる」


 車は問題なく通り続けている。

 暴動が通りの両端で起き続けているが、それでも車に影響されるまでには至らない。年末のタイムズスクエアのようなありさまは、彼女が居る肝心の場所までは届かない。パレードの中心を、なおも行列が通行している――SCCの鉄壁に守られながら。

 ――そして、それが妙なのだ。


 キーラ達の動きは第八から見ても完璧で、大統領が脅威にさらされる確率はこれっぽっちもないはずだ。それなのになぜ、我々の力が必要になるのか。グッドマンはなぜ、今回の大統領の『練り歩き』を、『世界の危機』と定めたのか。


 ――なにか、まるで。

 想定されている以上の脅威があるような――。


 ミランダは翼をはためかせる。

 心の中で、説明の出来ないもやもやした不安が広がっていく。



 かち、かち。

 クロノグラフが、時を刻んでいく。


「ハリーハリー!! 急げよ、状況は待っちゃくれねぇんだッ!!」


 ロットンの怒号が響くなか、武装したSCCの部隊が屋上を駆け、それぞれの位置にライフルを構えて位置を取る。壮観と言っても良かった。場所は『標的』の、ストリートを挟んだ反対側のビル屋上。


「大丈夫ですかね……」

「ビビってんのか? 躯は妹にしっかり届けてやるからよ」

「だったら死ねませんね……」


 緊張が流れる。

 全てが、途端に慌ただしくなる。


「配置完了!! いつでも野郎を射抜けますぜ!!!!」

「よおおーしッ!! 一旦待機だッ!!!!」


 ロットンの表情から、緊張は取れない。



 かち、かち。


「――…………」


 イアンは、目を閉じた。

 深く、深く呼吸。

 空気を身体に根付かせる。


 この雨の全てを、身体の中に取り込む――そして、世界に同化する。

 そこまでしてようやく、準備が完了する。

 狙撃手とは、そういう仕事だ。

 後ろに感じる――ヤツのにたにた笑い。かまうものか。



 かち、かち。


「ムーヴ!! ムーヴムーヴムーヴ!!!!」


 副隊長の言葉とともに、武装した警官たちがアパートの古びた階段を駆け登っていく。ガチャガチャという音とともに、緊張が伝わってくる。


「だからお婆ちゃん――オレたちはここに仕事で来てるんだ。あんたの私情を挟むわけにはいかないの、わかる?」


 その傍らで、隊員の一人が、階段の隅に座った老婆に向けて根気強く話しかけている。

 しかし老婆は、怒りに満ちた形相で彼に言葉を叩きつける。


「馬鹿言うんじゃないよ!! あの人は階段を登れないあたしをおぶってくれたんだ、 あんたらが関係あるような人間じゃないさね!!!!」


「いやね、お婆ちゃん……あいつはそんなことする奴じゃないんだ……なんていうのかな……」


 その間にも、彼らは屋上に殺到していく。

 『標的』一人に対しては、過剰すぎるほどの物量。


 『標的の標的』護衛にSCCの1班を、そして標的そのものの射殺に残りの2班をまるまる差し向けるという贅沢。だが、これはキーラの判断だった。それだけの準備をするに越したことはないと、彼女は言ったのだ。


「まったく……」


 リカルドは殿を務めながら、そんな笑えないジョークに文句を言いたくなった。

 そして大抵の場合、彼女の悪い予感は当たるのだ――。



 時計の針は容赦なく進んでいく。

 キーラは疾走する車内で、通信端末に声を発し続けている。かたときも目を窓から離さないまま。

 だが大統領は何の危機感もなく、憂鬱な目でまつげの調整をしながらあくびをしている。



 イアンは――修道服姿の狙撃手は、いよいよその十字架を構えた。

 備えられているのはごく小さなスコープ。そこを覗くと、はるか先に、標的の車が像を結ぶ――その中に居る人間も。

 いよいよ、運命の瞬間がやってくる。



 かち、かち。

 時計は進む。



 ロットンはキーラと通信を重ねながら、屋上に戦列を揃えている部下を見やる。大丈夫だ、問題ない――仮に奴が飛翔したとしても。この場所なら、一瞬で蜂の巣にできる。そうだ、何の問題もない。では、一体この緊張感はなんだ――。



 かち、かち――。


「突入ッ!!!!」


 隊員の一人が、ドアを蹴破る。その勢いで、外の雨が暗い室内に流れ込む。外の蒼色の光が、リカルドの班を出迎える。彼らはその光の中へとまっしぐらに進んでいく――。



 進む。

 時計は、進む。


「――……」


 立ち止まった。

 すべての空間が白くなり、音が消えた。

 彼女は、一つの可能性に思い至る。



 雨の降る屋上。一つの黒いシルエットが、背中を向けたまま、縁にぼうっと浮かび上がっていた。

 リカルドの班が、怒涛のように流れこんでくる。

 その影に向かって、声が叫ぶ。


「そこまでだ――その場を動くなッ!!」


 そして――。



 ミランダは。

 呟いた。


「まさか……!」



 修道服の標的は。

 イアンは、殺到した警察の方角を向いた。

 一切の動揺を見せず、視線が彼らを見据えた。



「さて――はじめようか」



 次の瞬間。

 評議会の一人が、その力を発動した。



  豪雨と、周囲の怒号の影響で、人々がそれに気付いたのは少し遅かった。


「なんだ……?」


 だが、群衆の一人が振り返って、とあるビルの一角を見た時、そこで全てが起きていた。


 彼らの足元は文字通り切り崩されていた。一瞬の出来事だった。最初に激震があり、次の瞬間にはそれが始まっていた。ロットンは目の前で見た。部下たちの足元が、まるでブロックのごとく賽の目にひび割れて、やがてボロボロと崩れていくさまを。


「何事だぁ!!!!」

「うわあああああああああああ、」


 悲鳴はたちどころにかき消される。彼らの居るビルディングの一角はまさに、積木くずしにあっていた。そうとしか説明がつかない。『堅牢な鉄筋の建築物が、唐突に、何の前触れもなく、ブロック状に上部から崩れ始めた』のである。振動――続いて崩壊。


 彼らの足元が揺れて崩れて、やがて全てを呑み込んでいく。悲鳴も、構えた銃も。すべてを、すべてを。彼らは滑り落ち、崩れ落ちていく……頂上から。蟻のように。


 ロットンは目の前でそれを見た。彼自身が落下せずに済んだのは、瞬時に力を開放して、爪を建物に深く食い込ませていたから。それがかなわぬ彼らは――小さな真四角のモザイクになっていく足元に対応ができない。


 人々はまさに、その様子を見た――まともに違和感をおぼえたのは、人々の半分ほどだった。後の半分は、やはり大統領の車の列を注視していたから――目を疑うようなそれに意識が向いていない。


 ビルが。ブロックになって、くずれていく。雨の向こう側、ぼんやりとした景色の中で。


「――ッ!!??」


 キーラはすでに異常に気付いていた。サイドミラーに光景が映し出されていた。あそこはロットンの居るビルだ。それが、なんだ――上から崩れていく。小さな真四角になって――……あの破片はどこに落ちるんだ……どこだ……――近づいてくる。音が、そのフォルムの群れが……――。


「……――ファックッ!!!!」


 キーラは舌打ちして身を乗り出し、ジョニーボーイから強引にハンドルを奪った。


「どわぁッ、急に何を――」


 無視する。

 彼女はハンドルを切り返す。タイヤが悲鳴を上げて、大統領の乗る車は火花を散らしながらターン。その場で旋回して、後方へと爆走を始めた。

 その直後である――……。

 

 真上から、ブロック状に崩れたビルディングの破片が落下し始めた。

 大統領に対して憎しみと怒りを発していた人々はそこでようやく――その出来事の当事者となった。

 巻き込まれ始めたのである。


「なんだッ!!??」

「何が落ちて――」

「おいそれどころじゃねぇ、車が行っちまう――」

「逃げろ、巻き添え食っちまうぞッ!!!!」


 落下する破片が地面に衝突し、雨の中で土煙を立てていく。くぐもった悲鳴が各所で上がる。キーラの車は来た道を強引に逆走する。困惑した後方の車の群れは、ややあってからそれに続こうとし――同様に爆走を始める。だがすでに遅く。

 ――最初に、一台の上に破片が落下した。


「ひいいッ……」


 旋回しながら街路樹に衝突したリムジンは間もなく爆発炎上、その中から煤だらけのSCC隊員が這い出てくる。それから真上を仰ぎ見る。


「どわあああああああああ!!!!!!???????」

「…………」


 彼は呆然とした。

 ――真上から。

 巨大なブロックと、同僚が降ってくる。


「てめえら!!!! 何やってんだぁ!!!!????」

「落ちてんだよおおお!!!!」

「どうなってんだあああああああ!!!!!」

「知るかあああああああああ!!!!!!」




 街は唐突に、全く別の混乱に包まれ始めた。

 いつものこと、といえばいつものこと。

 だが――通常と違うことが一つあった。


 それは……まだ、街のどこにも、ディプスが姿を見せていないということだった。



「やるのなら徹底的に。それがアンダーの都市計画を成り立たせてきた――この私の能力ギフトで、そいつを証明してやろう」


 『彼』は街の全てを俯瞰しながら――そう言った。

 彼の指先が動いて、ビルの『賽の目崩壊』が進む。

 ……その、第二弾が。



「――ッ、撃ちますっ!!」


 部下の一人が、逸った。

 リカルドが止める暇はなかった。一人、二人と後方に続いて――彼らは、標的の方へ雪崩れた。

 標的は、修道服を翻し……その巨大な十字架を、彼らに向けた。

 次の瞬間。


 『崩壊』が、その場でもはじまった。

 彼らの足元が崩れ始める。陥没し、白い煙が立ち込めて、轟音とともに……無数のグリッド線とともに、落下の二文字に吸い込まれていく。


 次々と、次々と。


「落ちるッ、落ちるぞ――」


 部下たちはパニックにならなかった。ロットンの場所での出来事を目の前で見ていた――しかし、崩壊という状況そのものに対応できるかどうかは別の話だった。部下に、飛行能力を持った者は居なかった。


 対応できず、すでに落下してしまっている部下も居る。ブロックとともに。彼らは無視するほかない。リカルドは頭を切り替える。


 残った部下とともに、崩壊していない場所へと食い下がり――彼を見る。

 ――標的はそこに居た。

 そして自分たちを見つめている。


――!」



「逃げんぞッ!!」

「ビル崩壊ぐらいいつものことだろ――」

「だとしても逃げんだよッ!!」


 先程まで大統領への怒りを吐き捨てていた群衆も、その状況に対しては策を講ずる必要が出てきた。目の前でビルが崩落し、そのつぶてがこちらに向かって落ちてくる。そのままでは、巻き込まれる。


 だからこそ、逃げねばならないのだが……。

 その場の混乱は加速する。人々のある種の統制は崩れ、既に雪崩を打ったような混沌の中にあった。



 全てを、後方へ置き去りにするほかなかった。


 今のキーラに必要なのは、後方で悲鳴を上げているこのクソッタレな御仁を確実に、無傷で守り通すことだ――SCCの誇りをかけて。


「ちょっと――何よ、なんなのよッ!!!!」


 大統領がバックシートにしがみつきながら叫ぶ。そのメイクは溶け落ち気味でひび割れていて、悲惨だった。


「喋らないでッ!! 舌をかみますよ――!!!」


 キーラは強引にハンドルをさばいて、逆走する、逆走する――後方の崩壊に、部下はどれだけ巻き込まれている? 『標的』はどうなった――? 思考が加速し、苛立ちが募る。


「た、隊長――胸が当たって……」


「うるせぇなジョニーボーイッ!! ンなもん犬にでも食わせろッ!!」


「やだ、男前……」


 そして。



「ンー……」


 ――その男には、逃走を続ける一台の車がはっきりと見えていた。

 彼の動きは緩慢ではあったが、確実に獲物を追い詰める鋭さもあった。


「逃がすわけにはいかんのだな。仕事だから」


 そして彼の能力は、次なる力をふるう。



「!!!!」


 肌がぞわりと粟立って、キーラは強引にハンドルを右に切る。車体がバウンドして、地面に火花を刻みながら大きく右へ曲がった。


 次の瞬間――地面が、文字通り『持ち上がった』。

 まるで意志を持つかのごとく、上方へ塔のように。轟音、土煙。キーラは振り返ってそれを見た――間もなく、第二波がやってきた。


 二回、

 三回。


 大地が鳴動し、アスファルトの塔が次々と形成される。まるでキーラの車を追うかのように、連続して生えていく。そのたびに車内は揺れて、大統領の悲鳴がトーンを上げる。ジョニーボーイはもはや喚き声にしか聞こえない何かを叫んでいる。ひび割れて持ち上がり、その姿を変えていく地面――今のところは全て回避している。だがいずれは……。


「なんだこりゃ、まるでこの土地全体が意志を持っているかのような――ディプスでもない。あいつがやるなら、もっと陰湿だ……こんな芸当、一体誰に……」


 ……後方で、『塔の形成』に巻き込まれた一台が横転し、爆発炎上した。

 上司の急な進路変更にも食らいついてきた貴重な車両だった。


 ……――仲間は、出てこなかった。

 ……キーラは、歯噛みする。



「全く、これも楽じゃあないんだぞ。自分から立候補したとはいえ、ディプスは無茶ばかり押し付ける……」


 男はそう言いながら、手元にあるものに腕を伸ばした。

 巨大な袋のスナック菓子。そしてコーラ。

 おもむろに掴むと、一気に袋を開けて口の中に放り込む。咀嚼する。


 大柄な男のシルエット。胸板はぶ厚く、二の腕は丸太のように太い。数人分のフットボール選手を融合させたかのような、威圧感のあるフォルム。それが今現在、キーラたちを混乱の渦中に巻き込んでいる男の姿だ。

 だが――彼女たちからは、男の姿は見えない。見えるはずもない。


「ゲエエップ!! オエップ……ゲホ、ゲホ……全く」


 彼はぐちゃぐちゃになったスナック菓子が見える口をあけて、コーラを流し込んだ。それから再び、『仕事現場』を見る。


「とっととキメてくれよ。お膳立てを私はどこまでやりゃあいいんだ?」


 そうして、彼の仕事は続く――。

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