後編
#1 Day6-1
◇
「また、会えるわよね」
「あぁ。きっと」
「では……雨が上がれば、あの場所で」
「もし、上がらなければ?」
「その時は……」
「……」
「その時、考えるわ」
「……そうか」
「じゃあね」
「――――あぁ」
◇
降り続く雨は、ベイエリアを蒼色に染め上げる。
全てが、ソーダに白を混ぜたヴェールで覆われる。全ての音は雨音の向こう側へと淘汰され、モノラルに撹拌されている。
場所は、港湾。彼女は波濤の手前に立って、傘をさしている。そして何かを待っている。待ち続けている。
……時計を見る。
それから間もなく。
霧の向こう側から、水しぶきを上げながら一対の光が近付いてくる。車のヘッドライトだ。白いもやが彼女に迫り――そして、停車する。
マッシブな、黒い装甲車である。
コートを翻して振り向く。その足元に水の流れができていた――一瞬そちらを見たが、彼女はそこに足を踏み入れはしなかった。
車の側面から、蒸気を立てながらスライドドアがせり出てきて、開く。
中の空間はぼやけておらず、明確な光に溢れている。もっとも、それは決して明るくはないのだが。
彼女はそこへ……一歩を踏み出した。
「やぁ――定刻どおりに来たね。あんたにも、ロアのご加護があったということだ」
装甲車の中に入った彼女を迎え入れたのは、エプロン姿で頭にバンダナを巻いた浅黒い肌の女だった。その身体は中年の域を示すように太り、シワが刻まれていた。
だが、エプロンの下部に付けられたポケットの中に入った工具の類が、彼女がただの女であることから逸脱させていた。
「……後少しで遅刻よ。そうなれば、二度とあなた達を使わないところだった」
ミランダはさして感情も込めずに言った。
すると女は不敵そうににやりと笑い、車の奥へと手招きした。
更に一歩――ブラウン色の空間へ。
鉄と油のにおいが、彼女を出迎える。
女が運転手の側を向いて、首にぶら下げた木彫りのアクセサリー――ブードゥー教の精霊を象っている――をちりんと鳴らした。
すると間もなく、ドアがしまった。
彼女の外側にあった蒼色は消え失せて、全てが車内だけになる。
それから、エンジンの駆動音。
……車の側面の装甲が、蒸気を立てながら『裏返る』。まるで、オセロの駒をひっくり返すように、ぱたぱたと。
水しぶきを上げながら、発車した。
そのさなかに、黒は白に変わる。
――かつて装甲車だったものは、そのギミックによって、まるで違う姿へと変貌する。今度は救急車のありさまである。
そしてそのまま、ベイエリアから離れていく――……蒼いもやを切り裂いて、ヘッドライトで空間を照らしながら。遠ざかっていく。
疾走する車内。駆動音と振動に覆われて、雨の音は聞こえない。
そこは意外なほどの広さがある空間だった。
アンティーク調のバーカウンターの様相を呈した、チョコレート色の空間が車体に沿って縦長に広がっている。
ただし……バーであればワインセラーが広がっているであろう場所の全ては、セキュリティ付きの小窓に溢れていて、それがただごとではない胡乱さを醸し出していた。
「準備は?」
ミランダが問うと、女はにやりと笑って言った。
「もちろん」
カウンターの下から大量の鍵を取り出して、そのうちのひとつを小窓に差し込む。
それから暗証番号を入力――開いた。
その作業の間に、ミランダはカウンターの端を見た。
……物音の隙間。
そこにあるのは、モノクロの写真。草原を駆ける馬のディスプレイに象られている。
女の若い頃と思われる姿と、気弱そうな男。肩を組み、幸せそうに笑っている……。
どすん、と音がした。
「これかね」
カウンターに置かれたのは、つや消しの黒に染まり、金色の金具が付いた巨大なケース。小柄な成人ぐらいの長さはある。
蓋を開ける――中から出てきたものは。
何の変哲もない、狙撃銃。
の、ようだった。
ミランダはすばやく外観を走査する。
……一見すれば分からないが、よく見るとずいぶんと整合性に欠けるというべきか、どこかツギハギな印象を受ける。パーツそれぞれが噛み合わさっていないと表現するのがふさわしい。
「私が注文していたのは――」
「そう。分かってるよ」
ミランダの言葉を、女は遮った。
それからもう一度、首元の飾りを鳴らした。
すると、民族柄のカーテンで仕切られた前方の助手席から、一人の男が出てくる。ニット帽をかぶって、にたにたと笑いを浮かべている小柄な男だ。
……知っている。あの鳥の男だ。自分を、この車にいざなった男。
彼はミランダを、物色するような目でねめつけた。それから、カウンターの向こう側に立った。
わざとらしく手をパンと一度叩くと、おもむろに銃を持ち上げた。
ミランダは心理的抵抗を感じたが、何もしなかった。
男はどこか得意げな調子で語り始める――女は後方で腕を組んでいる。
「鷹のあんたにちょうどいいブツですよ。こうしていれば普通のライフルだが……」
男はおもむろに……銃身を真っ二つに、折った。
いや、そう表現する他なかった。
だが実際は違った。それは『分割』だった。
……ミランダの目の前に現れたのは。
元は一つの狙撃銃だった、中型の2つのライフル。
「これは……」
「もちろん、両方別々に射撃ができる。で、使い方ですがね……」
彼は、箱の中からサスペンダーのような付属品を取り出した。
紐部分に、何やらハードポイントのようなものがついている。
じゃらりと、眼の前へ。
「へへへ……着せてあげましょうか」
「自分でつけられるわ。殺すわよ」
ミランダは冷たく言い放って受け取ると、身につけた。
男はうなずくと、続けて説明する。
「まず、通常時は狙撃銃として使用。そして、あんたが完全に『鳥』になって飛翔する時は――」
……睨む視線。
男は肩をすくめた。
「『もしも』の話ですよ……まぁ聞いてください。その場合は。このハードポイントに、分割したライフルをそれぞれ装着する。そのまま、飛翔する……するとあんたの姿は、さながらミサイルを腹に抱えた戦闘機のようになるわけだ」
ミランダは黙って、言われた通りサスペンダーにライフルを接続した。
「ちょっと待って……この状態で、トリガーはどうするの」
「そこで、こいつを使う」
男は、箱の中に入っていた別の付属品を取り出した。
銃から、トリガーだけ切り取ったような欠片。
「こいつを、あんたの足にはめる。これは無線で銃本体と繋がっていて、あんたの趾の動きと連動してトリガーが引かれる仕組みってわけです。無論、鉤爪を前提にしてる」
ミランダは頷かなかったが、一応の納得を目で示した。
「……なるほど。それで、弾丸は」
矢継ぎ早な質問にも、男は動じなかった。その態度だけはプロフェッショナルと言ってもよかった。
「こいつでさ」
カウンターの下のショーケースから、小箱が取り出される。
中身は、いびつなほど長大な弾丸。少なくとも、ただの鴨撃ちには分不相応だろう。
「米軍でも一部でしか使用されちゃいない。貫通力に優れてるシロモノだ。こいつを12――」
「足りないわ。倍寄越しなさい」
即座に、ミランダが言った。
男は空気を漏らすように笑うと、お手上げの仕草をした。
「……分かりましたよ」
ミランダが、鼻を鳴らす。
そしてライフルをハードポイントから外し、連結させて一本に戻す。素早い動きで銃弾を込めて――構えた。
まさに、人機一体。
その姿は熟練の射手そのものだった。男はにやにや笑いを崩さなかったが、女は感心したように少しだけ息を飲んだ。
「……なるほど」
構えて、奥の空間に狙いをつける。
それだけで『理解』が出来た。十分だった。
――彼女は、銃を下ろす。
「これでいいわ」
「へへへ、毎度」
男は銃をケースに収納する。
「……一応、聞くけど。試射は」
「出来ませんねぇ。うちがそんなことできる場所持ってりゃ、あっという間に嗅ぎつけられちまう」
「……なるほど」
ミランダは腰に手を当てて言った。
「いいんですかい」
「しょうがないわよ。本番で決める」
あっさりと、そう返す。
自信に満ちている様子もない。ただ、事実だけを語った、という様子。
男と女店主は、顔を見合わせて肩をすくめあった。
「――これでいくわ」
ミランダは、銃のケースをしっかり受け取って、言った。
「まいど。後金はスイス銀行の例の口座に」
「……分かってるわ」
踵を返そうとして――尋ねる。
「…………こいつは、いい銃よ。これだけの代物、どうやって作ったの」
――男はそれを耳にすると、店主に目配せした。
彼女が一歩前に出る。
「あんた。こういう言葉を知ってるかい? “沈黙は金”」
「それもブードゥーの諺?」
「違うわよ。LAの慣用句」
「――あぁ、そう」
雨の中を走っていた車は、間もなくストリートのどこかに到着しつつあった。
当然その場所は、誰にも知られてはいない。知られてはいけない。
車内が一度がたんと揺れて、停車する。
そこでようやく、外の雨音が復活。ミランダは二人に身を翻す。感謝など今更並べ立てる必要はなかった。この二人にそんなものは不要だと、理解されているのは分かっている。
……重厚なドアが、鉄の軋む音を僅かに響かせながらスライドする。
雨粒が車内に入り、外の青が見えてくる。
吹いてくる風を受け入れながら、ミランダはステップを降りる。
そこへ、声がかかる。
「ねぇ、あんた!」
振り向く。
「あんた、前から……見るからに独り身って感じだと思ってたけど。今は違うね。なんだか……あんたのまわりには、精霊が大勢見えるよ」
ミランダは少しだけ立ち止まって、その言葉の意味を考えた。
目の前には、腕を組んで笑みを浮かべている恰幅のいい女。
――数秒後。
「……そう。ありがとう」
それだけ言って、今度こそ車を降りた。
去っていく装甲車は、また自動的にパネルが『裏返り』、新たな姿を獲得する。その後はもう、誰にも補足されない。次のお客が見つかるまで。
そして、ミランダの立っている場所。
街があった。
アンダーグラウンドの、ダウンタウン。
◇
彼が立ち寄ったのは、ストリートの端、小さな花屋である。
ダウンタウン特有の猥雑さから隔絶された趣のある、こぢんまりとした店。普通なら素通りするであろうその場所にその男が入っていったのは、彼が普通ではないからだ。
「――まるで客が居ないな」
彼は店に入るなり、そう言った。
あの常軌を逸した酩酊と震えは多少落ち着いて、今はせいぜい、かけつけ一杯のつもりが飲みすぎたバーの客、というぐらいだ。奇妙なまでに平静だった。
すると、店の奥で髭面の痩せた老人がのっそりと身を起こし、言った。
「それで正解だ。せいせいする」
言葉を返す。
「なら、儲けはどうする」
「競馬にでも頼るさ」
「花が枯れちまうぜ」
「そう思うなら、この哀れな老人の商売を助けてくれ」
「奥で話をしよう」
――そして、沈黙。
そこまでだった。
そこまでが、二人の間のお約束。
イアンは一歩踏み出して、老人の目の前までやって来る。
――相変わらず傘をさしていないので床が濡れに濡れている。
だが、老人はそれに対してなんにも言わなかった。
「……言ってた、件だがな」
老人はカウンターからしなびたマルボロを取り出して、吸いながら言った。
イアンは黙って聞いていた。
「やはり、無理だ。『灰色の船』は……用意できなかった」
老人は、声を絞り出した。
外を行き交う人々は雨のことしか頭にない。二人の会話を知ることはない。
「そうか……」
「……お前は、この街から出られないことになる」
老人の、渋面。
痛みと、罪悪感――それら全てをかき混ぜた後の顔。
イアンはゆっくりと前方を見て、一瞬だけ天井を覗き……やがて、煙草を吸いながらあてどなく黄ばんだカレンダーを見つめている老人へと、視線を戻した。
「期待しちゃ、いなかったさ」
感情も込めず、ただ淡々と。
――老人はタバコの先を灰皿に押し付ける。
煙が二人の間をたちのぼる。
「すまんな。生涯最後の仕事が……このザマで」
「いい」
言葉を選んで、探し当てる。
「ロングビーチにでも家を借りて、ゆっくり過ごしなよ」
それだけ言って、黄ばんだカレンダーをめくってやった。数ヶ月間、更新されていなかった。
――背中を向けて、店を去ろうとする。
もう、用はない。やることは決まっている。逃げ場も、ない。
背中が、炎で燻されていく感触。そして手足には、鉄枷が嵌っている。
なるほど、おあつらえ向きじゃないか。
……イアンは笑い出しそうになるのをこらえた。
そこへ、声がかかる。
「――◯◯」
老人が、イアンではない、別の誰かの名前を呼んだ。
だが、振り向いたのは彼だった。
「お前さんは……何のために、殺すんだ?」
……口元を少しだけ曲げて笑う、いつものやり方。
彼は、言った。
「頭の中で……声がするんだ。たくさんの人間たちの」
その微笑みはあくまで、優しかった。
しかし。
「…………――――」
老人に、言葉はなかった。煙草の半分以上が灰になって消えていた。
背中に寒気が走る。
……何故って。
彼は、どう見ても一人だったからだ。
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